隣国の異変
窓から不法侵入して来たその少年は自らをフリーダ王国第三王子レオネル・フリーダと名乗った。
彼は何故窓から入って来たのか。王子と言うのなら何故一人なのか。疑問はあるが本物の王子様であるのなら粗雑に扱う事はフリーダ王国とハリアード王国の問題に発展し、個人間の問題ではなくなってしまう。
「ふんっ。分かったのなら茶を淹れろ。僕様は喉が乾いた」
ソファーに踏ん反り返るレオネルに言われるがままキャラスティが用意をしている間、レトニスは外された窓を元に戻しながら「欠陥じゃないか⋯⋯」と肩を落とした。
「ああ、そこな。すぐに外れたぞ。だからな、これを買ってきた。お前直せ」
背負っていた荷物から金槌と釘を出しながらレオネルはレトニスに指示を出す。
複雑な表情で窓を直し始めたレトニスが「あ、」と声を上げ、その手を止めて振り返った。
「レオネル殿下? 確かにフリーダ王国には三人の王子が居ます。けれど、その王子が外遊に出られたと言う話は聞いておりません」
「ふふん。お前よく知っているな。そうだその一人がこの僕様。レオネルだ」
本物の王子様。益々その彼がここにいる意味が分からない。
「僕様は重要な使命を受けてハリアードに来たのだ。通常なら半月かかる所をたった一週間でハリアードに来た。僕様の騎士達は有能だからな。凄いだろう!」
それならこんな所に居ないで王宮へ行くものだろう。なのに、フリーダ王国の王子が来るなんて話は全く聞いていない。
島の事で慌ただしかったとは言え友好国の王子が来国するなんて話が一切無かったのだから、それはそれで大問題だ。
「重要な使命? それはどのような⋯⋯」
レトニスがレオネルを見据える。その視線は厳しく、極めて冷静だった。
「そんな使命を受けられた殿下が、何故こんな所にいらっしゃるのですか?」
「そっ、それはだな⋯⋯重要な使命だ。普通の民であるお前達を巻き込むわけには行かないのだ。教えられない」
グイッと紅茶を飲み干してレオネルは俯く。ぎゅっと握られた両手は微かに震え「ヒック、ヒック」と肩が跳ね出した。こんなところはまだまだ子供なのだろう。
良く見れば質の良い服を着ているが所々が汚れ、擦り切れている。それはフリーダからハリアードへの旅が容易いものではなかったと推測できるほど。
それだけ「使命」と言うものがレオネルにとって重大なもの。考えるだけで不安になるものだとも察せられる。
それをレオネルは小さな身体で健気にも果たそうとしているのだ。
ポタリと握った手に雫が落ち、今日は男性の涙をよく見るものだとキャラスティはレオネルの隣に座りその頭を撫でた。
はっとして顔を上げたレオネルに、王族に対して失礼だったとキャラスティがその手を引けばレオネルはそのままキャラスティに抱きついた。
「あっ、お前、いや、殿下!」
「お前⋯⋯いま僕様をお前と言ったな⋯⋯グスっ。まあいい。この家はお前達の家なんだろ? 勝手に入って悪かった⋯⋯僕様はすぐ出て行く」
袖で涙を拭ったレオネルが立ち上がる。
今のところ、このレオネルがフリーダの王子だと確信できるものはないが、王子だとしてもそうでなくとも見知らぬ国で子共一人、追い出す訳には行かない。
レトニスはやれやれとした一息を吐き、レオネルの前に傅きその手を胸に当て敬意を表した。
「レオネル殿下。数々の不敬、お詫び申し上げます。改めまして私、ハリアード王国トレイル家のレトニス・トレイルと申します。こちらにおりますのはキャラスティ・ラサーク。私の⋯⋯、ゆかりの者です。
何かお力添え出来る事はございますでしょうか」
「トレイル⋯⋯ハリアード王国四大侯爵家か!? それは本当なのか!?」
レオネルの言葉にレトニスはゆっくりと頷く。
驚きに目を見開いたレオネルから先程までの傲岸不遜さが消え、その瞳に希望の光が差し込んだ。
「恥を忍んで頼むっ! フリーダを助けてくれっ!」
レトニスに縋りながらレオネルは叫んだ。
その表情は幼さ故の不安を浮かべながらも責務を背負った王族のものだった。
・
・
・
空気が重く感じる。
「──途中、王太子の追手に襲われましたが、なんとかハリアードへと辿り着いたのです」
話し終えた彼は一息吐いてワインを口に含んだ。
キャラスティが周りを窺えば険しい表情の大伯父と祖父母、困惑顔の両親。弟のマーティンとレオネルは共に遊んでいたが遊びながら寝てしまい、今は二人仲良くベッドに入っている。
寝てしまったレオネルの代わりに事情を説明してくれた彼はフリーダ王国レオネル専属近衛隊隊長ガイル・テンザスと名乗った。
彼との出会いは、レトニスが個人で所有する家を出てすぐの事だった。レオネルの手を引いたキャラスティとレトニスの前に突然飛び出して来たガイルは「申し訳有りません!」と土下座したのだ。
勝手に家に入った事、それには理由がある。憲兵に引き渡すのは自分だけにしてくれと懇願するガイルの後ろを見れば五人、同じように土下座する影があった。
レオネルがガイル達にレトニスはこの国の四大侯爵家の者で協力を願ったと発せば、彼らは一様に大泣きした。
レオネル、ガイル。そして近衛隊合わせて七人。
王子とあろうものがこんな少ない人数で国境を越えて来た理由。それを今、この場で聞かされたキャラスティは言葉を失っていた。
「それを全て信じるには少々確証が足りぬな」
「我々はフリーダ王国の者。いくら同盟国とは言え、あまりにも荒唐無稽な話に信用がならないのはご尤もでございます」
大伯父ラドルフの言葉にガイルは自身の服を突然脱ぎ始め、キャラスティの祖母エリザベートと母親のカミーラは扇で顔を隠した。
「フリーダ王国ハミルネ王妃の書状です。これをハリアード王国ダリオン国王へ届ける為に我々は参りました」
ガイルの身体に縛り付けられた薄い箱。その中にはレオネルの母親でありフリーダ王国王妃ハミルネからの懇願書が入っている。
「急ぎの旅であり、妨害にも遭いボロボロだったので登城前、我々は身なりを整える為に人の出入りが無かったあの家をお借りしました。本当に申し訳ありません」
「あの家? レトニスなんだそれは」
「あっ、いや、それはなんとも⋯⋯あの、それはいまここでは⋯⋯」
慌ててガイルの言葉を誤魔化すレトニスに冷や汗が浮かんだ。まさか勝手に家を買い、そこにキャラスティを囲うつもりだったなどとは口が裂けても言えない。
そう、ここにはキャラスティの両親、祖父母が揃っているのだから。言ってはならない。
「レトニス⋯⋯後でじっくりと聞くからな⋯⋯」
「⋯⋯は、い」
「お兄様その場にはわたくしも立ち合わせて下さいな。何やらキャラスティも無関係では無い気がするのです」
ラドルフとエリザベート、トレイル老兄妹の察知能力の高さはそっくりだ。
お説教の気配にレトニスの暴走のせいだと恨みの視線を向ければ頬を赤らめられ、予想はしていたがキャラスティはその頬が引き攣った。
「まあまあ、お義兄さん、エリー。皆様長旅でお疲れですし、今日のところはお休みいただきましょう」
「をう、そうだったな。テリイの言う通りだ。ガイル殿、今夜は我が邸でゆっくり休んでくれ。トレイルは殿下と貴殿方を歓迎する」
「──っ、心遣いありがたく⋯⋯心より感謝いたします」
直角に頭を下げたガイル達の表情が和らいだ。彼らの旅はレオネルを護る為緊張の連続だった。漸く安心して眠れるのだ。
屋敷の警備強化指示を出したラドルフはフリーダ王国の客人達が休んだのを確認して「親族会議だ」と口角を上げた。
「レトニス、彼らの話をどう思う」
「信じられません、と言いたい所ですが、似た経験を俺とキャラは体験して来ました。恐らく「同じ」だと感じます」
「キャラスティはこの話⋯⋯「先読み」出来るのかしら?」
エリザベートの声にキャラスティは身構えた。
祖父母にも両親にも「前世」の話はしていない。しかし、彼らは「キャラスティの噂」を知っているのだ。
「自分達の娘は不思議な先読みをする」。
それは彼らにとって信じがたい話だったが自分達の家業の新製品であったり、幼い頃のキャラスティの言動から「あれはそう言う事だったのか」と納得した。
また、それを不気味だと忌み嫌う事なく受け入れてくれている。
その安心感にキャラスティは守られているのだと顔を上げた。
「⋯⋯フリーダ王国で兄弟王子の争い、主従の争いが始まります。行く行くは⋯⋯国が崩壊します」
「そう、確かにそうなりそうな話だったものね。でも、わたくしはその原因の「正体」を聞いたのよ」
「⋯⋯原因は⋯⋯話に出てきた少女です。彼女の不思議な力が、フリーダ王国の王子方を操っていて⋯⋯その、信じられないと思うけど。レトもアレクス様達も同じだったから」
「信じますよ」
静かに聞いていたカミーラとジャスティンがキャラスティを抱きしめた。
「どうやらキャラスティには秘密が出来たようだね。いつかその秘密を話してくれるね? 父様は待っているよ」
「うん。ごめんなさい父様」
キャラスティの「先読み」と、彼らの言う「先読み」とは意味が違う。
キャラスティは天候も国勢も思惑も全く見えないし読めない。「ゲーム」が関わる要因でしか読めないのだから。
今回も「ゲーム」が関わっている。だからこそ「その先」が読めるだけ。
「キャラスティ、レトニス。その少女の名前を言いなさい」
どこか楽しそうなラドルフに問いかけられキャラスティとレトニスは頷き合った。
「少女の名は⋯⋯ランゼ・セプター」
ハリアード王国で起きていた人攫い。エルトラ・セプターとバルド・ディクスが行っていた違法取引。
セプターの娘であるランゼは父親達の悪事を知りながらもその悪事の手伝いをしていたと疑いが掛かっている。
重ねてハリアード王国の王子であるアレクス、レトニスを始めとした四大侯爵家の嫡子を不思議な力で操っていた疑い。
アメリア・マルタ、フレイ・タール、キャラスティ・ラサークの誘拐主導の疑い。
少女とは言え、今や危険人物だとされているランゼ。
そのランゼはフリーダに渡ったのだ。
「恐らく、バルド卿が島へ現れた日の前後にセプター男爵は王都を出たのでしょう。まだその時は拘束の包囲網を敷いていませんでしたから。
ハリアード王都とフリーダ王都の行き来は約半月。今月の初めにフリーダに着いたとして⋯⋯レオネル殿下は一週間でハリアードに来たと言っておられましたから⋯⋯たった一週間の短い間でフリーダに異変が起きた事になります」
「良い読みだ。キャラスティ、ランゼがフリーダで「何をしたのか」読めるか?」
「アレクス様やレトにしたように「祝福」⋯⋯心を操る力を使ってフリーダ王国の王子様達に近付いた⋯⋯ハリアード王国で、その⋯⋯レト達をコウリャク⋯⋯えっと、好きにさせられなかったから⋯⋯次の舞台はフリーダ王国だから」
「ほほう。噂ではかなり可愛らしい容姿をしていると聞いているがレトニスは靡かなかったのか。ほほう⋯⋯さすがだなレトニス」
「じ、じいさんっ!」
ラドルフが楽し気にレトニスを小突き揶揄う。ラドルフからニマニマとした表情を向けられキャラスティは苦笑を返した。
あれはレトニスのアレコレを知っている顔だ。
「明日はレトニスとキャラスティは普段通り学園へ行きなさい。殿下は俺が王宮へ連れて行こう」
「しかし⋯⋯ランゼ嬢が関わっているのであれば俺達もいた方が良いのでは?」
「殿下は追っ手を差し向けられていた。王都にその追っ手が紛れ込んで居ないとは言い切れんだろう。それにトレイルが保護していると気付いているのか、そうで無いのかを確認しなくてはならない。その為にも普段通りに過ごすのだ」
ラドルフの言う事は尤もだ。
キャラスティがやはり大伯父様は頼れる人だとラドルフを見ていると、その隣に座っているレトニスがムッとした表情をした気がするが、自分の祖父に変な嫉妬をしないで欲しい。
「全く情けない。男爵位だって立派な貴族ではありませんか。それなのに色恋の為に国を乱そうだなんて淑女として嘆かわしい。そんなものに乱されるフリーダ王国もフリーダ王国ですよ。レトニス様、ハリアード王国はそんな事は有りませんよね?」
レトニスはエリザベートの含みのある煽りに再び冷や汗が浮かぶ。
キャラスティと同じ紫紺色の瞳が冷ややかに「知っているわよ」と言っているかのようだ。
「まあまあエリー。キャラスティはそろそろお休み」
「そうだね。明日も学園があるんだ。お休みキャラスティ」
気まずくなりそうな空気から逃してくれようとする祖父のテリイとジャスティンに感謝してキャラスティは素直に従う事にする。なんとなくレトニスから縋る視線を感じたがその視線の居心地の悪さより身の危険を回避する事が優先だ。
「お休みなさい」と部屋へ向かうキャラスティの気配が消えたのを確認した大人達は残ったレトニスに詰め寄った。
エリザベートとカミーラは冷ややかに。
テリイとジャスティンは目が笑っていない笑顔。
ラドルフは楽し気だ。
「それで? レトニス様「あの家」とは?」
「まさか、とは思いますけれどキャラスティは関係ありませんよね?」
「はっはっは。エリー、カミーラ、そんな怖い顔をしたらレトニス君が話せないだろう。レトニス君も我々がキャラスティを大切に思っている事は知っているさ」
「ええ、そうですね。父さんの言う通りだよねレトニス君。キャラスティには何もしていないだろうね?」
「レトニス。観念しろ。正直に話せ」
ジリジリと詰め寄る大人達にレトニスは壁際に追い詰められた。
「いえ、大した家ではなく⋯⋯別邸として使おうと」
言い訳としては無理はないはず。それで乗り切ろう。そう考えたレトニスにラドルフは追求の手を緩めなかった。
「そういやお前、今日は何処に誰と出かけた? 殿下を連れてキャラスティと一緒に帰って来たな。
お前──無理矢理連れ込もうとしたのか?」
「レトニス様!」「レトニス君!?」
「あーっ!」
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「今、声が聞こえませんでした?」
マーティンとレオネルの様子を覗き見て部屋に戻るキャラスティが足を止めた。
「トレイル邸では良くある事です。お気になさらず」
執事のエガルはいつもの事だとニッコリと笑い先を急がせる。
大体予想は付く。
今頃レトニスが大人達にじっくりとお説教されているのだろう。
「今日は坊ちゃんに付き合っていただいてありがとうございました」
「知っていたんですね」
当然だ。上級貴族、それも「特別」な侯爵家の跡取りなのだその身が何処にあるか安全であるかを常に見られている。
王家には影が居ると言うがこのトレイル侯爵家にもその影が居るのだろう。
キャラスティはふと、思う。もしかすると島での事を影は見ていたのではないか、それから「あの家」での事も見られていたのだろうかと。
キャラスティは暴走しかねなかったレトニスに想いを伝えて⋯⋯レオネルが現れなかったら⋯⋯そう浮かび急に恥ずかしくなった。
「あの、どこまで⋯⋯」
「お話、しましょうか?」
「やっぱりいいです! お休みなさい」
「はい。お休みなさいませ」
クスクスと笑うエガルから逃げるようにキャラスティは部屋に飛び込んだ。
「疲れた⋯⋯色々ありすぎ」
王都に帰ってきてからずっと忙しかった。
今日はゆっくり出来るかと思えばレトニスのヤンデレ発症の危機。あろうことか家まで用意していた。
その家でフリーダ王国の王子レオネルと出会い、ランゼの行方がフリーダにあると知った。
「ランゼさんはフリーダに居る⋯⋯」
キャラスティは寝間着に着替えながら「続編」を思う。
「恋ラプ」の続編はガラリと趣向が変わる。
これまではランゼだけが特別な「祝福」と「ブローチ」で不思議な力を発する事が出来る「恋愛シミュレーションゲーム」だったが続編は「冒険もの」だったのだ。
続編はフリーダ王国が舞台。主人公は闇を浄化する「光」の力を持ち、各地を浄化して行く。
主人公を守る仲間が続編の攻略対象者達。その攻略対象がフリーダ王国の二人の王子と騎士や上級貴族の息子達だ。
二人の王子は「火」と「水」。騎士と宰相子息は「風」。伯爵子息は「土」。彼らはその力で主人公を守りながら旅をする。その旅の中で恋と愛を育んでゆくのだ。
そして⋯⋯闇の力「災厄」を討つ。
問題はその「災厄」だ。
スタート時の選択で前作「恋ラプ」のデータを引き継ぐルート、ノーマルルート、前作攻略失敗ルートを選ぶのだが、失敗ルートでランゼは「災厄」となる。
「レト達を攻略出来なかったランゼさん⋯⋯」
キャラスティは自分の想像に背筋がゾクリとした。
「ゲーム」ではないと分かっていても、あり得なくはない話だ。
そのランゼがフリーダ王国の攻略対象者達の心を操っている。
キャラスティは言い知れぬ不安を包むようにシーツに深く潜り込み無理矢理寝ようとするが、暗闇は一層の不安を与えて来る。
「怖、い⋯⋯っ」
思わず溢れる恐怖。
ふわり。
蹲り震えるキャラスティをシーツの上から撫でる気配を感じた。
──この世界は「私」が守る──
意識が落ちる直前、サクラギが笑った気がした。
その夜、キャラスティは「夢」を見た。それは島で見た怖い「夢」。いつもの中庭でランゼに襲われる夢だった。
違うのは傷付きながらもキャラスティを守るレトニス達と続編の攻略対象者達。
「夢」の中のキャラスティは手にした弓矢をランゼへと向け、その弦を引き絞っていた。




