初⋯⋯デートです
──お元気ですか。私達は無事にアイランドへ到着しました──
そんな書き出しの手紙が届いたのは王都に帰って一週間経った頃だった。
同封されていた写し絵には真ん中にミリア。両脇にセトとハカセ。その三人の後ろにあの日、ちゃんとしたお別れが出来なかったイライザが写っていた。
──驚いた事がありました。
なんと、温泉番のイライザは私達が育った教会の修道女だったの! 私達の親でもある司祭様から私達を見守って欲しいと頼まれたイライザはずっと側に居てくれていたのよ。
アイランドが解放された今、イライザは教会へ帰れるのだけれど⋯⋯彼女は残ると言ってくれたのよ。イライザは家族を亡くして修道女になったそうなの。それで私達が亡くなった弟妹に似ていて放って置けないって。イライザにとって私達は「家族」だからって──
──そうそうイライザから伝言よ。
「ステラもメアリもフラーも家族だよ」と。離れていても「家族」なんだって。
ねえ、キャラスティ。私達はアイランドで罪を償う。だから、またいつかアイランドに来てくれる? 「家族」だって思っていても良い? ううん。キャラスティは思わなくても良いの。本当の家族がいるのだから。
でも、私達はずっとキャラスティとアメリア、フレイを想ってる。
それから、私達を助けてくれた王子様達に感謝してます。
私達はみんなの幸せを願っています──
──追伸。
貴族って自由なようで窮屈みたいね。だけど「想う気持ちは自分だけのもの」そう言ったのはキャラスティよ──
イライザの素性に驚き、追伸にキャラスティは苦笑いする。偉そうな事を言ってしまっていたものだ。その気持ちに蓋をして無かったことにしようとしていたのに。
それが相手を傷付けてしまっていた。
だからこそ伝えなくてはならない。
キャラスティは漸く覚悟を決めた。
「ねえベネ、おかしくない?」
「キャラったら何度確認するのよ。大丈夫、可愛いわよ」
「ほら、遅れるわよ。大叔母様達の事は私に任せなさい」
「ありがとうリリー⋯⋯本当におかしくない?」
「もうっ! 大丈夫だって」
いつも会う人と出掛けるだけ。それだけなのに髪型はおかしくないか、服装は似合っているだろうかと気になり、なんだか変な感じだとキャラスティは何度も「おかしくない?」と聞き返して漸く「行ってきます」と言ったのだった。
「あんなキャラは初めてね」
「全く二人とも世話が焼けるったらないわ。やっとよ? やっと」
「リリーったら、そんな事言っても嬉しそうよ?」
「まあね。嬉しいわ⋯⋯だって、二人には仲良くして居て欲しいもの」
キャラスティが帰って来て一週間。その間に誕生日は少し過ぎてしまったがキャラスティの成人を祝ったラサーク家とウィズリ家は聖夜祭までトレイル邸に滞在するのだと言う。
キャラスティも家族と共にトレイル邸に滞在しているが今日はある計画の為に寮へ帰って来ていた。
「でも、同じ家にいて、一緒に出掛けるのにこんな面倒な事しなくても良いと思わない?」
「あら、待ち合わせをするが楽しみなのよ」
「あ、それもそうね」
うんうんと頷くリリックの仕草をベヨネッタはクスクスと笑う。キャラスティもリリックも恋愛の機微に疎いのはソックリだ。
曲がり角でキャラスティがリリックとベヨネッタに手を振り、そのまま小走りで角の先へと消えるとリリックは「頑張れ」と呟き、ほっと息を吐いた。
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藤色のシャツワンピースを揺らしながら現れたキャラスティにレトニスは息を飲んだ。
「⋯⋯何か変、かな」
ほんのりと化粧した頰は染まり、ふわりと香るカモミール。緩く結い上げた紫紺色の髪には深緑のリボン。リボンと同じ深緑のコートの下には何度も身に着けている姿を見ているお気に入りの藤色のワンピース。
そう、何度も見ているのに、いつもと違う。
「変じゃないっ、その、かわ、いい、よ」
「あの、えっと、あり、がとう。その⋯⋯レトも⋯⋯格好良いと思、う」
「へっ? あ、ありがとう」
今日のキャラスティはやはりいつもと違う。
キャラスティがこんな事を言うのは初めてだ。その意外な言葉にレトニスは動揺する。
レトニスの装いは街歩きに合わせたシャツとベストにスラックス。首元にはアメジストのループタイ。
別段普段と違う所は無いはず。
あえて違うと言うのならキャラスティが「夢」で見たと言うスーツの裾を長くしたコートの試作品を着てみた事だろうか。
「あのう、そろそろ良いですかね」
もじもじとする二人に出発したいと御者のスコアが「見ているこっちが恥ずかしい」と言いた気に口を挟み、キャラスティとレトニスはいつもと違うお互いを笑い合った。
「最初は何処に行きたい?」
「ミリアに返事を書きたいの。後、フレームが欲しい。届いた写し絵を入れたいの」
「うん。それなら中通りの雑貨店から行こうか」
差し出されたレトニスの手を素直に取るキャラスティにスコアは目を細めた。
スコアはトレイル邸に滞在しているキャラスティを朝早く寮へと送り、今度はレトニスが寮へと行くと言い出し再びトレイル邸を出る時「誰と出かけるか、何処に行くか絶対に口外するな」ときつく言い聞かせられたがこう言う事だったのかと。
わざわざ待ち合わせをして出かける。小さな事だが、これがレトニスの初デートの計画だった。
スコアはその初々しさに「良かったですね坊っちゃん」と呟き馬車を動かし始めた。
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雑貨店でキャラスティが手に取ったのは素朴なフレームと、橙色の手紙セットに無地の紙束。
手紙セットは分かるが何故に無地の紙まで必要なのかとレトニスが問えばキャラスティは考えている事があるのだと言った。
「ハカセの発明に何か役に立つかなって。ハカセとセトに作ってもらいたいものがあって、私の⋯⋯「前世」のアイデアを送りたいの」
キャラスティが懐かしそうに微笑むとレトニスは少しだけ切なくなる。
アイランドはキャラスティが大切に思う島だと分かっていてもそこには自分が知らない時間がある。
いつか「島へ帰る」そう言い出しそうで不安になるのだ。
「お待たせ。レト? どうかした?」
会計を済ましたキャラスティに不思議そうな表情で覗き込まれたレトニスは感情を誤魔化して「なんでもない」と微笑み返す。
やっと取り付けた今日という日だ。キャラスティとの時間を一瞬たりとも無駄にしたくはない。
「ねえ、この後は⋯⋯レトの行きたい所へ連れて行って」
「⋯⋯いいの? キャラの行きたい所でいいんだよ?」
「だって私、あまり街に出なかったから知っているのはマッツさんのお店と叔父様の所くらいだもの」
レトニスが知らないキャラスティの時間を知りたがるのと同じにキャラスティもレトニスの時間を知りたかった。
思い返せばレトニスはキャラスティの事をよく知っているし、知ろうとしていた。なのに、キャラスティは「前世」を見てからレトニスを知ろうとする事をやめていた。
昔からの癖や、最近判明した少し変態じみた性癖とその執着。流石にそれだけで好きだと言うにはあまりにもあんまりな気もする。
「それじゃ⋯⋯少し街歩きしようか。疲れたら何処かに入ろう」
畏まった時間ではなく、何気無い時間を過ごす平凡な時間。それが自分達には合っている。
雑貨店を出て暫く食べ歩きや小休止にカフェに寄ったりしてから「見せたいものがある」と言うレトニスに王都の東、住宅街の一角へとキャラスティは連れてこられた。
広くはないが狭くもない庭と白い壁に赤い屋根。それはトレイル邸に比べれば遥かに小さな家だった。
誰の家なのかとキャラスティが聞くとレトニスは返事の代わりに鍵を開け中へと手招いた。
中は台所と居室、浴室にお手洗い。他に個室は三つ。何処も綺麗に掃除され、維持された不思議な家だ。
「ここって誰の家なの? 勝手に入って良いの?」
「俺の家⋯⋯正確には⋯⋯いつかキャラを囲う予定で購入したんだ」
「──か、こ、う⋯⋯」
物騒な言葉を聞いた気がする。聞き間違いにしてはやけにはっきりとしている。
「それだけ、追い詰められていたんだよ⋯⋯何をしても、何もしなくてもキャラは向き合おうとしてくれなかった。こんなに好きなのに分かってもらえない。逃げようとするなら、逃げられないようにすれば良いんだって考えた。
自分で言うのもなんだけど、俺は周りから身分が良くて容姿も良いだとか穏やかだとか⋯⋯人より少し秀でているらしい。けど、本当は執着が強いし、打たれ弱い。おまけに⋯⋯変態じみてる」
自分で変態と言ってしまっている。
どこから突っ込めば良いのだろうか。レトニスを知りたいとは思ったが情報が多すぎて追いつかない。
「それで「お嫁さん」になってくれないのなら誰のものにもならないようにすれば良いんだって。キャラをこの家に閉じ込めようって。ずっと二人だけで過ごそうって⋯⋯キモチワルイだろ?」
「うん。キモチワルイ」
「ははっ、そんなハッキリ言われると⋯⋯ダメだな嬉しく感じてる」
黒髪をクシャりと掻き上げたレトニスは嬉しそうに笑った。
「でも、これが俺の本質。生まれが恵まれているのは分かっているけど思うほど自由ではないし、周りから言われるほど品行方正でもないし、情けない顔をしている時の方が多いんだよ」
特別な侯爵家の生まれは約束された将来の為に求められるものが多い。その制約一つ一つの圧力は受ける本人にしか苦労が分からないものなのだろう。
それらを表向きは噯にも出さず世間的には憧れられるレトニスの情けない姿をキャラスティは幾つも見続けてきた。
うまく行かないと泣き、辛いからと閉じ籠り、素っ頓狂な言動、控えて欲しい妄想、無駄にある行動力とそれが出来る家の実行力。思い出してもどれ一つ「格好の良い」ものではない。
それでも。
キャラスティはそんなあまりにもあんまりなレトニスが好きなのだ。
「正直⋯⋯もう、耐えられないんだ」
人は悲しい時、苦しい時に笑う事があると言う。
泣きそうに笑うレトニスがキャラスティへと腕を伸ばした。
「キャラにとって幼馴染の兄のままならそうでなくなるまでここに居させる。幼馴染の兄でないのなら、抱かせて」
直球過ぎる要求にキャラスティの頬が引き攣った。レトニスの辞書に自重の文字は書いていないのだろうか。
実はこの家に入ってから気になっていた事がある。
殆どの扉は内側ではなく外側に鍵が付いているし、窓ははめ殺しだ。あきらかに「監禁」目的の家。
キャラスティは大きく溜息を吐いた。
キャラスティコレクションしかり、キャラスティ限定嗜虐性癖しかり。「おかしい」部分は複雑だが許容範囲。
思い詰めるにも程がある。これでは「ゲーム」のヤンデレルートではないか。
レトニスを「ゲーム」のレトニスにさせてはならない。しかし、ここまで思い詰めさせたのはキャラスティなのだ。
「ごめんなさい。どっちも嫌」
「──っ。なら、選ぶまでここから出さない」
──パチン──
乾いた音を立ててキャラスティは両手でレトニスの頬を挟んだ。
綺麗な顔をむにゅりと寄せれば呆気に取られたレトニスは瞬きを繰り返す。
「目は覚めた? 折角今日はレトと楽しもうって思っていたのに。でも、ここまでレトを思い詰めさせたのは私なのよね。ごめんなさい。
だから、話がしたい。レトに「前世」を全部、話すから」
「話して⋯⋯くれるの?」
「話すって決めて来たの。約束したでしょう?」
王宮のバルコニーでの約束。それを果たすと決めて来た。
キャラスティはレトニスの頬から手を離し、くすりと笑って話し始めた。
「前世」の夢を見始めた頃はレトニスと自分の立場の違いを理解していたし、いつか拒絶されるのだと恐怖していた。
先を知ろうにも「夢」は気紛れにしか訪れなく「ビール」の記憶のみが肥大したのだ。
偶然か必然かテラードとレイヤーと出会い、時々起きる「ゲームシナリオ」にキャラスティは翻弄された。
ランゼが現れてからは攻略対象者達も翻弄される事になったのはレトニスも知るところだ。
「本当はもう「ゲーム」は破綻してるのかも知れないわね。それは当然なの。私達は「ゲーム」なんかじゃないんだもの」
大きく逸れた「シナリオ」は「ゲーム」を成り立たせられなくなった。
それをランゼはキャラスティが「ヒロイン」を乗っ取ったせいだと言うが、キャラスティがアレクス達一人一人と交流した結果だ。
ランゼも「ヒロイン」が無条件に崇められるものではないと気付き「ランゼ」として出会っていたらもしかすると「ゲーム」は続き、キャラスティが悪役になっていたのかも知れない。
「ただね⋯⋯私の「前世」サクラギさんとランゼさんの「前世」は因果があるのよ。私はランゼさんを知っているの。
──私は、サクラギさんはランゼさんに⋯⋯命を奪われたの」
「──っ⋯⋯それ、をテラードには?」
キャラスティは首を振る。これはまだテラードには話してはいない。転生して尚、サクラギを愛しているテラードに話す事が怖いのだ。
「思い出したのは「島」へ連れ去られてからだったから。話さなきゃって思うんだけどまだ⋯⋯」
サクラギの最期。彼女は誰も恨んではいなかった。寧ろテラードであるグンジとランゼの「前世」アイミの姉マナに感謝していた。それはグンジに伝えなくてはならないものだ。
「⋯⋯キャラはテラードの事⋯⋯今も」
「あのね、レイとテラード様って「前世」の影響が強く出ているって言っていたけれど、何て言うか私はサクラギさんの影響が殆どないの。サクラギさんが私だって分かるのに、別の人格なのよ」
それは不思議な感覚だった。けれど納得もしている。サクラギはキャラスティとして生きる事を選んだからだと。
「前世」でサクラギはグンジが好きだった。
「今世」ではサクラギはキャラスティにそれを押し付けてはいない。
「私はレトが好きだよ。ずっと好きだった」
好きだから幸せになって欲しい。
たとえ好き合っていても互いの立場の違いは認められる事は難しい。これからも容易い事では無いのだろう。だから想うだけを選択した。それがレトニスを不安にさせ、思い詰めさせた。
「傷付けて、ごめんなさい⋯⋯もう、レトは本当に泣き虫ね」
深緑の瞳が潤みレトニスが何度も頷くとその度にポロポロと雫が落ちた。
「嬉しい⋯⋯」
「うん。大好きだよ。でもね、閉じ込めようとするのは好きじゃない」
「ごめん⋯⋯。でも、やめられないと思う」
「努力して」
これからもレトニスはおかしな行動をするのだろう。
キャラスティは笑う。その「おかしい」レトニスが好きな自分もやはり「おかしい」のだ。
「あっ、努力の一歩。トルソーは捨てて。捨てられないなら叔父様の所に持っていって。絶対」
「なんで!? 嫌だ」
何故拒絶するのか。
ここまで思い詰めたレトニスの事だどんな使い方をしているのか想像したくはないが、いくら「おかしい」レトニスが好きでも許容出来ない「おかしい」事はある。
キャラスティの中で「好きじゃないポイント」が加算される。
「手放すまで「好き」は保留させて」
「それも嫌だ! ⋯⋯ううっ、なら、一日最低一回は抱きしめさせて。それが許されないなら手放さない」
「⋯⋯そのくらいで良いな──ぎゅむっ」
最後まで言い切る前に抱きしめられる。苦しいくらいに縋られキャラスティはその腕を背中に回した。
ミリアに報告する事が増えた。ポンポンとレトニスの背中を撫でながらキャラスティはどんな風に書こうか小さく笑みを溢す。
抱きしめる力が弱まり少し離れたレトニスを見上げたキャラスティは息を飲んだ。
目を瞬かせるキャラスティに「閉じて」と囁くレトニスの潤んだ瞳と上気した頬の綺麗な顔が降りて来た。
「えっ、まって、まだっ早いっ」
「黙って」
ぎゅっと目を閉じるキャラスティに苦笑しながらもレトニスはそれをやめようとは思っていない。
ゆっくりと影が重なる──はずだった。
──ゴトっ──
「あっ! お前たち何者だ!」
はめ殺しの窓が外され、そこから入ってきた声にキャラスティは恥ずかしさに硬直し、邪魔をされたレトニスが内心舌打ちをしながらも少年を睨めば、ふわふわの金色の髪をした彼の碧色の瞳は驚きに見開かれていた。
「あっ、マズイっ!」
少年が再び窓から逃げようとする襟をレトニスは捕まえ、邪魔をされた恨み故かバタバタと暴れる少年の自由を穏やかな表情を作りながら確実に拘束した。相変わらずレトニスの冷笑は少し怖い。
「放せっ! 不敬だ! 僕様を誰だと知っての狼藉か!」
「随分と難しい言い方をするね」
「ふん! 僕様はお前らなんか簡単に処せるんだぞ! さっさと放せ!」
レトニスとキャラスティは苦笑しながら顔を見合わせる。
随分と元気な少年だ。
「後悔させてやる! 僕様はフリーダ王国第三王子、レオネル・フリーダであるぞ!」
少年の絶叫にしばし時が止まった。




