図書室の男子会
久しぶりの図書室にキャラスティは読みたかった本を積み上げ夢中でページを捲り、ブラントは自分の家の産業である鉱石の本に視線を落とし、二人は静かで穏やかな時間を過ごしていた。
何冊か読み終え、一息吐いたブラントがキャラスティが積んでいる本のタイトルを見て不思議そうに首を傾げた。
「酒造? 家の産業は織物関係じゃなかった?」
「酒造に興味があるのよ。調べてみると結構面白いの」
「へー。テッド兄が成人した時すごい喜び様でさ、今も飲んでるみたいだけど、俺はまだ良さが分からないよ」
この世界では貴族は葡萄から作るワイン、ブランデーと大麦から作るウィスキーが主流でビールは平民の飲み物とされている。
それなのにそれらの違いは蒸留の方法や発酵の方法で、実は同じ素材から作られているものがあると知れば酒造の仕組みが面白くもなる。
物珍しそうに酒造の本を捲っては「俺にはさっぱりだ」と笑うブラントに何故だか心が休まった。
──「噂」を知らないわけでもないのに。
実の所、クラスメイトも寮生も「噂」が逆な事は分かっているのだ。
キャラスティとレトニスは家の爵位は違えど系列を同じくした幼馴染だという事は知れ渡っている。
ただ、今までは四六時中一緒に居るような事は無く、一部の嫉妬から流された「噂」は一人歩きを始めてしまった。
レトニスの過保護とも言える行動で嫉妬の対象となりあちこちから興味の視線を向けられるようになったキャラスティはブラントから見てもあきらかに日々辟易して行っているように思えていた。
そんなキャラスティにブラントは少しでも息抜きになれば良いと図書室に誘ったが、面白そうに本を捲っているキャラスティを見て正解だったと微笑んだ。
「良かった。しばらく窮屈そうだったから」
「気を使わせちゃって、申し訳ないわね」
「別に使ってないよそんなの。いつもの事だから」
「いつも?」
「まあ、最近のような連日じゃ無かったけど。俺達は「それ」について特に何とも思ってないんだよ」
ブラント達が驚いたのは「連日」だから。以前からレトニスの過保護はキャラスティが知らないだけの有名な話で、いつも空振りになっているレトニスを気の毒に思っていた位だったのだ。
「これまでも何度か訪ねて来てたのにキャラスティはいつも居なくてね。「また、逃げられてる」って」
「逃げてるって⋯⋯知らなかったわ」
「クラスでは東の侯爵がキャラスティに会えるようにしてあげようと結束してる部分があってね。あ、面白がってるとかそういうのじゃないよ。気分を害したらごめん」
「それはちょっと複雑だけど、別に害するほどじゃないわ。レトには少し控えてもらう様、話をしないとって思っていた所だし」
「大きな声じゃ言えないけど」と小さく手招きされてキャラスティは少しだけ近付く。辺りを見回して自分達の近くに人が居ないのを確認したブラントは真面目な顔で向き直った。
「キャラスティが気にしてる「噂」は上位爵位の令嬢が嫉妬してるだけだって俺達は分かってるよ。貴族って爵位が高ければ高いほど見栄とプライドで凝り固まっていくものだし、俺達は上位爵位に意見の言える立場じゃないけど、だからってバカにされる筋合いはないよね」
「ブラント⋯⋯意外と周りを見てるのね」
「感心する所、そこ?」
「⋯⋯ありがとう。恥ずかしいからクラスの皆んなにも「ありがとう」って伝えてくれる?」
「あ、やっぱり気付いた?」
「皆んなが息抜きさせてくれたんでしょ? 良いクラスメイトに恵まれたと思うわ」
連日レトニスが教室に来ているのを見ているクラスメイト達は流れている「噂」が逆だと知りつつも貴族の中でも身分差はあり、噂を流している上位爵位の令嬢に物を言って家に支障が出る事を危惧し、何も言えないもどかしさを持っていた。
表立って何かをする事は出来ないが、分かっている人は居るよと伝えたかったとブラントが語った。
「俺はグリフィス家の系列でテッド兄が後ろ盾だからってキャラスティに大丈夫だよと伝える事を代表したんだ。貴族社会は綺麗事じゃ残れない事くらい俺達も分かってるからね」
後ろ盾が強力である事の有効性はキャラスティにも心当たりがある。遠縁であってもトレイル家の系列である事が「噂止まり」にし、直接的な行動を抑えているのだろう。
何も問題は解決していないが、分かってくれる人が居るのはこんなにも嬉しくて有り難いものだとキャラスティの気持ちが軽くなる。
「⋯⋯ねぇ、君達、近過ぎじゃないかな?」
二人で笑い合う背後から不意に掛けられた声は穏やかで優しい声色だが、思わず背中を伸ばす程の威圧感を感じた。
振り返りたく無い。声の主は判っている。
肩を竦めながら恐る恐る振り返ると、「噂」の原因が憎らしいほど綺麗な笑顔で首を傾げていた。
柔らかい笑みを浮かべているのにその目は笑っていない。
美形の「冷笑」は怖いのだとキャラスティは背筋が冷えた。
「レト──っ」
「レトニス様──っ」
振り向いたキャラスティには、驚きはあるものの、いつもレトニスに向けている「緊張」が見えなかった。幼い子供がイタズラをして見つかったかの様な自然な表情。
レトニスは昔、自分に向けられていた素直な表情が懐かしく思い出されて胸が苦しくなった。
──俺には笑ってくれないのに⋯⋯。
頭をよぎる「嫉妬」が口を吐きそうになりレトニスはそれを飲み込んで思い留まらせた。
「レト?」
「ん? 何でもないよ。前、いい?」
「ここ、退きますよ」
席を譲ろうとするブラントを手で制し、レトニスは対面に回り込む。
テーブルにブラントの鉱石関係の本、キャラスティの酒造関係の本が広げられているのがレトニスの目に入った。
──なんで酒造?
レトニスは疑問のまま本に手を伸ばすが一瞬眉を寄せたキャラスティに「棚に返してくるね」と慌ただしく開かれていた本を抱えられてしまい、何故酒造だったのか聞くタイミングを逃した。
パタパタとキャラスティが本棚の奥へ消えるとブラントはやけに冷えた視線を向けられている事に気付き小さな溜息を吐いた。
「聞かないんですか? 何を話していたか」
「聞かなくても話してくれるよね」
「⋯⋯「噂」の事ですよ。励ましていたんです」
ブラントは「聞かれても聞かれなくても話すつもりですから」と、本から目を上げずに続ける。
昼の調子とは違う、責めるでも説得するでもない淡々とした口調がブラントの本来の性格なのだろう。
「牽制⋯⋯とでも言うんですかね。「噂」が流布されれば立場の弱い彼女が標的にされるのは分かっていましたよね。「噂止まり」になるのも彼女が貴方の系列だから想定内だった。彼女に何かしてトレイル家を敵に回すのは得策じゃないから」
冷静にブラントを観察してみれば普段の人当たりの良い方が作り物だと判る。彼は人当たりが良く、良好に人間関係を渡り歩きながらもその裏にある物を読み取る能力に長けている。
「だから、貴方は茶会や夜会で「噂」を耳にしても何もしなかった。⋯⋯それは「婚約話」が彼女に挙がっているから。貴方に「付き纏っている」噂のある令嬢は相応しくないと話が無くなるようにね」
「⋯⋯あまりして欲しくない想像だね」
「彼女って自己肯定感低いんですよ。自分は価値がないって。でも、トレイル家と縁を持ちたい家にとっては価値がある。リリックもですけど彼女は一人っ子でスラー家を継ぐ予定ですし婿を取る方でしょう。ラサーク家は年の離れた弟が居ますよね」
顔を上げてレトニスを見据えたブラントが笑みを作った。驚くかと思ったが東の侯爵は余裕の笑みで返してくる。
「地位があり権力があり財があり、容姿だって恵まれている貴方だったら女性に不自由しないでしょうけど、そうじゃない者のが多い。キャラスティに不名誉な「噂」があってもトレイル家との縁ができるなら良いと言う男は幾らでも居ますよ。俺もそうですし」
「⋯⋯それは恋敵宣言なのかな?」
「まさか。次期侯爵様に敵いませんよ。ただ、家柄の釣り合いは俺の方が取れますよね。グリフィス家の系列レジェーロ家とトレイル家の系列ラサーク家が結び付くのは悪い話ではないでしょう」
「確かに、そう言う動きはあるね。けど、南と北も同じ事をしないとも限らない。君だけじゃない」
「そうなんですよねぇ。西も北も南も系列含めて男ばかり。北のクーリア嬢は身分が高いから受け入れる家にも相応を求められる。その点、東のキャラスティは「使い勝手が良い貴族」ですから」
「その言い方は嫌いだな。まあ、その意味では恋敵が多いんだよ」
「本人は至って自覚無いですけど?」
「⋯⋯それは本当に自覚して欲しいよ」
二人の溜息が漏れた頃、会話の内容は聞こえないが自分の事を話されていると察して、ピリピリしているようで和かにも見える中にどう帰るか本棚の陰で覗いては隠れてを繰り返しているキャラスティをいつ声を掛けるかとテラードが眺めていた。
出るタイミングを図っているかと思えば隠れている本棚の本を手に取って読み始めたり我に返ってまた覗き込んだり。
いい加減奥の二人も気が付けばいいのにと視線を逸らした隙にキャラスティは届く訳のない本棚の上部に無理な姿勢で手を伸ばしていた。
「わっ!」
「危なっ!」
バランスを崩し足を滑らせたキャラスティをテラードが慌てて受け止めた。仰向けに転倒するのは避けられたが抱き抱える姿勢でテラードは尻餅をつく羽目になり腰を摩った。
「テラード様!? 申し訳ありませんっ」
「俺は大丈夫だから、キャラ嬢は大丈夫?」
「私は何ともありません。でもテラード様、腰が⋯⋯」
「いいから、いいから」
背後から「しぃっ⋯⋯」と口に人差し指を当て、奥の二人を見たテラードは気付かれていないのを確認し、固まるキャラスティに予想外の言葉を発した。
「丁度良い⋯⋯聞きたいことがあるんだ⋯⋯ねえ「ビール」って何?」
「え⋯⋯」
耳元で囁かれ密着しているキャラスティの背中が冷えた。慌てて制服のポケットを探り手帳がない事に気付く。
特に何を書いているわけでも見られて困るものでも無いが誕生月に書いた「日本語」の文字を言われてキャラスティは青ざめた。
「ごめんね手帳を見ちゃったんだ。手帳はレトニスが持ってるよ」
「手帳はいいんです、どうしてテラード様が⋯⋯あれを⋯⋯」
力を緩めても逃げない所を見ると会話をしてくれると判断してテラードは再び囁いた。
「俺の方こそどうしてキャラ嬢があの文字を知っているのか聞きたいね」