悪役に向いていないよ
「はーい僕から行くよ。僕だけが知ってるキャラちゃんがあるんだ。ふっふっふっレトニスは知らない話だよ」
「⋯⋯何だよそれ」
眉を寄せて睨むレトニスにニカリと笑い、ユルゲンが一歩前に出る。ニコニコとしながらユルゲンは一枚のハンカチーフをヒラリと取り出した。
「キャラちゃんが刺繍してくれたこのダリアの絵柄のハンカチーフ。僕ね、いつも持ち歩いているんだよ。キャラちゃんがいつ泣いても良い様に。あ、ちゃんと洗ってるよ? 家の皆んなに洗い方を教わったんだ」
「⋯⋯キャラが泣いた? お前、泣かせたのかっ」
「やだなあレトニス怖い顔しないでよ。僕じゃないよ。ふふ、僕とキャラちゃんのヒ、ミ、ツ」
小悪魔的な表情で「ね?」と片目を瞑るユルゲンと、ランゼから影響を受け「容姿はまあまあだけど地味だね」「君はつまらない」と蔑むユルゲンが重なる。
──外見が良くても心が醜い女だな──
断罪の場でユルゲンから心が醜いと言い放たれた「記憶」に身が震える。
「ユルゲン様は私を「地味でつまらない、心が醜い女」と⋯⋯」
「誰? そんな事を言うのは。僕はキャラちゃんを可愛いとは思っても地味だとか、つまらないなんて思っていないよ。何より、キャラちゃんの心が醜い? そんなの、思った事も感じた事もないね。君は弱い心を知っている子だもん」
上手く行かないもどかしさとランゼからの悪意に恐怖したあの日、手を差し伸べてくれたユルゲン。明るく陽気なユルゲンの持つもう一つの顔、夢を諦めながらも笑う努力をするのが本来のユルゲンなのだと知った。
そんなユルゲンは人を見かけで蔑む人では無い。ユルゲンは陽気で気分屋だと周りに見られているが根底にあるのは慈愛。その人の個性を受け入れ、相手を思い遣れる人物だ。
「戻っておいで」と微笑むユルゲンにキャラスティの心に刺さっていた棘が一つ消えた。
「次は俺が行こう。キャラスティ、君は運動神経が鈍い。しかも絶望的に」
「⋯⋯はい?」
突然何を言うのかとレトニス達はシリルに目を丸くする。
「飛び降りろと言ったのに頭から落ちて来くるし、ダンスは不恰好。俺の妹は出来が良くてな、俺の手を必要としない。だが、キャラスティは手がかかる。俺は君をもう一人の妹の様に思っている。それに、君がお礼だとくれたクッキー、あれは俺の好みだった」
「シリル、クッキーってなんだよ」
「寮でダンス特訓をした時に貰ったんだ。ユリの形の手作りクッキーだったな? また作ってくれ」
藍色の瞳を優しく細めるシリルと、ランゼに影響された彼らを止めた際に「身分を弁えろ」「下級が上級貴族に近付くな」と冷たい視線を向けるシリルが重なった。
──許せぬ愚行だ貴様を妹とは認めぬ──
影響された彼らの行動を咎めて来たキャラスティはそれを「愚行」だとシリルに断罪された「記憶」が蘇る。
「シリル様は私に「上級貴族に盾突くとは愚行。身分を弁えろ」と仰いました」
「そんな事を言った自分が一番身分を弁えるべきだな。友人であり妹の助言は聞くべきだ。それに、キャラスティは自分の力の限界を知り、その中で出来る事を努力する子だ。君の成長を見られるのは俺の楽しみだ」
どうしようもないキャラスティのダンスを根気よく指導してくれたのはシリルだ。初対面時の記憶はもう一つの記憶と似通ってはいるがそれ以降のシリルはさり気なく守ってくれていた。そんなシリルの性格の基盤となっているのは守護。言葉足らずが仇となり時に厳しく見られがちだが、彼は相手に求めた事が出来なかったからと言って見捨てはしない。
「戻って来い」と照れくさそうにそっぽを向くシリルにまた一つキャラスティに刺さる棘が消える。
「それじゃあ、次は俺。ねえ、キャラ嬢、覚えているよね? 成人したら一緒に飲みに行こうって約束」
「いつそんな約束したんだ。俺が認めない!」
油断も隙もないと憤るレトニスに「約束は守らないとな」と、ヘラッと笑うテラード。キャラスティはその笑い方に懐かしさを覚える。
「前の世界、今の世界。俺には両方大切な世界なんだ。どっちが良いかなんて優劣を付けられない程にね。前の世界で君に会えた事は俺にとって幸せだった。この世界でキャラ嬢に会えたのも心から幸せに感じているよ。たとえ⋯⋯君が違う相手を選んだとしてもその幸せを願えるくらいに」
「テラード⋯⋯お前⋯⋯」
「でもさ、デートくらいはしてくれるよね?」
これまでに見せたことのない哀愁を含む縋るような笑みを浮かべたテラードと、ユルゲンとシリルのようにランゼに影響された時「たかが子爵の令嬢が人を見下せる身分ではない」「君の方が劣っている」と嘲笑ったテラードが重なる。
──人を貶めていたなんて最低だな──
影響されたテラードを窘め、ランゼに貴族のルールを説いたキャラスティも貴族としては劣っているのに、ランゼを軽蔑出来る身分ではないとテラードに断罪された「記憶」が確かに有る。
「テラード様は私に「たかが子爵令嬢が人を見下すな」「君は劣っている」と⋯⋯」
「キャラ嬢は人に嫌われる事に臆病で、前も今も「辛い」なんて言わない、いや、言えない子だって俺は知っているよ⋯⋯。前の世界でも俺に心配かけない様、怖がりで寂しがり屋なのに一切弱音を吐かず一人で苦しみを抱えていたね。そんな子が人を貶められるはずがないさ」
「前世」の記憶。それは本来なら少しづつ薄れて行くものなのかもしれないがはっきりと覚えている。
「サクラギ」は彼に嫌われたくないと病の苦しみも自身の弱さも見せなかった。グンジも察してはいたが「サクラギ」を尊重して口にはしなかった。
テラードもキャラスティが決めた事、選ぼうとする事を尊重し、幸せを願える人。
キャラスティを「先輩」と呼ぶもう一人のテラード、グンジ。グンジもテラードも相手を敬い、大切にする敬愛の人だ。
「戻ろう」と手を取るテラードの柔らかな眼差しに心の棘が一つまた消え、安心感が芽生えた。
「俺達を信じてもらえそうか?」
圧倒的な金色に覗き込まれてキャラスティが息を飲んだ。
そんなキャラスティに寂しい笑顔を見せたアレクスは溜息を吐き、そっと髪に被さっているベールを取り外した。
「アレクス何してるんだよ⋯⋯」
「⋯⋯俺はお前達より表情が硬くて伝わり難いからな。これくらい許せ」
外されたベールを渡されたレトニスまでも眉を寄せた複雑な表情をする。
「これを、着けさせてくれ」
開かれた手の平にあるのは銀の蔦が絡まり金色のガラスが付いた髪飾りだ。
不安に固まるキャラスティの後ろに手を回しパチンと紫紺色の髪に着けるとアレクスは目を細めた。
「始まりは、あの中庭だったな。そこにキャラが居て、街へ行き、これを贈った。今でも後悔している。ちゃんと君に伝わる物を選べば良かったとな」
「アレクス様を庇った礼だと、分かっていますよ?」
「ほら、伝わっていない」
アレクスはふわりと苦笑に近い笑みを零す。
表情が硬いと言ってもたまに気を張らない笑顔を見せるアレクスと、影響下で「平凡で地味な上に性格が歪んでいる」「子爵位如きが嫌味を言える身分か」とキャラスティを蔑み、縋るランゼを庇うアレクスが重なる。
──数々の嫌がらせ、許されると思うな──
キャラスティが行った進言を尽く嫌がらせだと泣き付いたランゼを断罪の場でも庇いながら冷たく見下ろされた「記憶」⋯⋯これは本物だろうか。
「アレクス様は私を「平凡で地味、性格が歪んでいる」「嫌味を言える身分か」と⋯⋯」
「俺はそんな事を言っていたのか。性格が歪んでいるのは俺の方だな。己の地位が当たり前だと思っていたのだから。その考えを変えさせたのは他でもない「平凡」な君だ。今の俺は平凡である事はそこに「安定と安心」があると知っている。それに、君は平凡故に争いを好まない。そんな子が身分で嫌がらせなど、しないな」
アレクスは正義の人だ。
アレクスの正義は気高く、優しく、そして弱い。
ただ、生まれた時から「王子様」が運命付けられたアレクスには弱さは弱点となる。しかし、彼個人は「王子」と言う肩書きがなければ極めて「平凡」で弱い。それを隠す為、常に「王子様」であり続けている。そんなアレクスに「平凡」が「特別」な事だと気付かせたのはキャラスティだった。キャラスティを通してこれまで知ろうとしていなかった爵位や身分で区別された貴族社会と使用人達や市井の人々の存在意義を知り、アレクスの正義に人々の「平凡」を守る決意が付加された。
「戻って来れたか?」そう微笑むアレクスに深く刺さっていた棘が消える。
──なにこれ。凄い、恥ずかしいっ!
代わる代わるに「記憶」を否定され、彼らが吐露する感情が心を満たす感覚。ムズムズとドキドキとした恥ずかしさにキャラスティは座り込んでしまった。
どうして彼らを信じられなくなっていたのか、いや、信じてはいてもバルドの言葉を「より」信じてしまっていたのか。
疑問に思うまでもない。要因は「ゲーム」の記憶のせいだ。「ゲーム再現」を行うランゼに付き合った日々の記憶と、実際には体験していない「ゲーム」の断罪シーンの知識がキャラスティの中で悪魔融合してしまったのだろう。
自身が流され易いと自覚していたのに、あっさりと暗示にかかり、彼らの役に立ちたいと島に残りながらも何も出来ず、結局は迷惑をかけてしまった。
足手まといにも程があるだろう。それなのに彼らはキャラスティを肯定した。嬉しいが、とてつもない恥ずかしさだ。
羞恥に顔を覆うキャラスティの様子に安心した表情を浮かべたアレクス達の間に「もう大丈夫」だとの空気が流れる。
「ええっと、その、ご迷惑を⋯⋯」
「まだ! 俺がまだだよ!」
どうにか大丈夫アピールをしようと、もそもそと立ち上がり、俯き加減ではあるがなんとか謝罪の言葉を発したキャラスティの声は不貞腐れたレトニスに掻き消された。
「⋯⋯レトは、もう、いい⋯⋯」
「良くないっ!」
本当にもう十分だ。記憶の整理も十分についた。
正直な所、レトニスのおかしな行動は王都でも島でもずっと見て来たし、受けてきた。レトニスの気持ちは十分に伝わっている。
なによりも開幕早々のレトニスの驚き発言で「記憶」のレトニスが偽物だとハッキリと分かった。
「本当に、大丈夫だから。ありがとう、レト」
キャラスティはぎこちない笑みで安心させるようにレトニスの手を取る。これ以上、おかしな事を言われたら羞恥でどうにかなりそうだ。
だから「今は」我慢して欲しい。
「何も言わないで」と願いを込めて、その深緑を見つめたのが失敗だった。
「──っ! ああっもうっやっぱり「本物」の方がずっとずっとずっと良い!」
「くぎゅっっ」
「おいっレトニス!」
掻き抱かれたキャラスティからいつもの可愛気のない声が漏れた。レトニスを制するアレクス達の声が酸欠状態の頭に響く。
「⋯⋯だって、アレは柔らかくないんだもん」
「──っ!!」
レトニスが引き離される直前、耳元でポツリと呟いた言葉にキャラスティは肩を跳ねさせた。
考えないようにしていたのに。
予想が当たっている事を口にされ、恥ずかしさは天元を突破した。思わずアレクスの背に逃げたキャラスティが恥ずかしいのと引き気味の気持ちが混ざりあった複雑な表情でアレクスを見上げると、アレクスはそんなキャラスティの表情に懐かしさを覚え、吹き出した。
「ふっ。以前もそんな顔をした気がするな。いや、あの時は苦虫を噛み潰したようだったか」
「なんとも⋯⋯色々と⋯⋯お恥ずかしい限りで」
テラードとシリルに押さえられ、ユルゲンに揶揄われながらも楽しそうなレトニスに、おかしな性癖がついてしまったとキャラスティは大伯父ラドルフや侯爵家に申し訳なくなる。
こうなったら不名誉な二つ名がレトニスに付く前に「アレ」は絶対に捨てさせなければならない。
「アレは⋯⋯トルソーは絶対に何よりも先に処分します⋯⋯絶対捨てさせます」
「捨てるのか、もったい⋯⋯あ、いや、その時は手伝おう」
無意識だったのだろう。アレクスが小さく呟いた言葉をキャラスティは拾ってしまい、頬が引き攣った。
「アレクスお前もか」である。
王子様までおかしな性癖が付いてしまっては国王陛下とクレア王妃に申し訳が立たないどころかハリアード王国の沽券にかかわる。キャラスティは絶対一人で処分すると決意し、すり足でそれとなくアレクスと距離を取った。
「そうだ、アメリアとフレイから。これを」
「果実水? ですか」
「洗脳作用を解毒するものを二人が発見したと、言っていた。キャラは少しづつ飲むように、だそうだ」
「二人が⋯⋯とうとう見つけたのね」
自分が囚われて足手まといになっている間にアメリアとフレイは島の人を救えるものを発見していた。
大事に果実水の瓶を受け取ったキャラスティは丁寧に一口また一口と口にして顔を綻ばせる。
甘くて爽やかな果実水に嬉しさと尊敬、少しばかりの劣等感。
その果実水はキャラスティには少し苦かった。
「私は迷惑ばかりで⋯⋯本当に、足手まといにしかならないですね」
悪役として「ゲーム」に振り回された時も窘める事しか出来ず、簡単に攫われ迎えに来てくれたレトニスに島に残ると言いつつ、洗脳されて。
挙句に勝手に嫌われているのだと思い込んで闇に堕ちようにも堕ちきれず。
上手くいかない事ばかりだと悔しさに視界がぼやける。
「私なんか⋯⋯中途半端で何も出来ない、悪役にもなれなかった」
「なんか、なんて言うものじゃない。以前にもそう言ったよね。キャラは悪役になれなくて良いんだよ」
レトニスが呆れたようにポンと頭に手の平を乗せて笑う。
「まあ、向いていないのは確かだな」
「運動神経がないのも向いていないな」
「僕は敵にはなりたくないなあ」
「俺達が「ヒーロー」なら勝てる気がしないからな」
何故か楽し気な視線が向けられる。
「キャラは⋯⋯悪役に向いていない」
声を揃えた彼らにキャラスティは憑き物が落ちたような気がした。
我慢していた気持ちが溢れ出る。
「おかえり」
五人の手が差し出されて紫紺色の瞳からポロポロと雫が溢れる。
「⋯⋯ただいま」
「ヒーロー達」のその手に両手を重ねてキャラスティは泣き笑いで答えた。




