島へ
少し加筆してます
教えられた森の奥。色とりどりに咲き誇る小さな花々に囲まれてその教会はあった。
傾き始めた陽の温かな光と穏やかな空気に包まれた教会は小さいながらも厳粛で神聖なものを感じる。
カサリ──。
教会へ向けて花畑へと一歩踏み出せば、パタパタと羽音をたてて小鳥が飛び立ち、花の間からヒョコヒョコと耳が生えたと思えばモゴモゴと口を動かしながら小動物達が森へと消えて行った。
「誰?」
動物達が逃げた花畑の中に座り込んでいた濡羽色の少女が振り向いた。
風に靡く紫紺色の髪と見開かれた瞳。彼らが求めていた姿がそこにある。
しかし、紫紺色のその瞳は怯えを浮かべ、その表情を氷の様に凍てつかせていた。
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バルド・ディクスとセトが島を出立した翌日。編隊を組んだ艦船がアイランドを囲んだ。
その中でも中央を陣取る一際大きい艦には獅子と盾が描かれたハリアード王国の王国旗が翻り、左側に向かってユリと剣のソレント侯爵家と、藤と剣のトレイル侯爵家。右側に向かってダリアと剣のベクトラ侯爵家と、薔薇と剣のグリフィス侯爵家。各四大侯爵家の旗を翻す艦船が島を囲む様に陣を取った。
各艦船の砲台は島へと向けられ、それぞれの艦に次代の後継者が乗艦している。
「島からの攻撃を受け次第速やかに左右展開し、円形攻撃を開始する」
海洋地図と島の地図を広げたアレクスの指示は各艦へと伝えられて行く。
アレクス達が船上から望むアイランドは投石器と砲台で武装し、島からの攻撃が有れば艦船の陣形を変える必要がある。
しかし、攻撃は最終手段だ。
自分達がここまで仰々しく艦船を率いたのは、圧倒的な力の差を見せつけ、抵抗する事が無駄であると彼らの戦意を失わせ、投降を促す為。
いくら島が武装しようとも彼らは騎士でもなければ兵士でも無い。ただの一般人。守るべき対象であって敵では無い。
だからこそ、アレクス達は心から願う。彼らが武器を手にしない様にと。
「各艦船は単横陣を維持。動きがあるまで待機だ」
艦船が島を取り囲む布陣を敷いたのは夜明け前。日の出を迎えても島も艦船も動かず、その時を待ちながら膠着状態が続いていた。
「その時」の訪れは高い位置まで太陽が登った頃だった。
いつまで続くのかいよいよ根比べの体を覚悟した時、島から一発の空砲が発せられた。
すわ、開戦かと緊張が走ったアレクス達が見た物、それは島のあちこちから振られた白旗。
その翻る白旗は島の投降を意味していた。
「私達に戦意は有りません」
「罰は覚悟しています。けれど、島の人達はどうかお赦しください」
白旗が翻る島へと上陸したアレクス達を出迎えた少女は膝を付き深々と頭を下げ続け、隣に寄り添う少年も同じ様に島民の許しを乞うた。
「ミリアさん、ハカセ君、顔を上げて。分かっているから」
何故、自分達の名前を知っているのか顔を上げた二人は不思議そうな表情で声を掛けたレトニスを見つめた。
優しく向けられる深緑の瞳に、先に気付いたのはミリアだ。
何度も瞬き、「あっ」と小さく声を上げ、橙色の瞳が驚きに見開かれた。
「え⋯⋯あの、お嬢、様?」
「え!? まさか⋯⋯あっ!」
二人の脳裏にある鷲の仮面から覗いていた深緑とレトニスの深緑が重なる。
「だからお前は女装して来いって言っただろう」
「僕も見たかったなあ」
「さぞ美人だっただろうな」
「時間やるから今からでも着替えてこいよ」
「⋯⋯お前らの前では絶対に、しない」
手を差し出して二人を立たせるレトニスを後ろから揶揄うアレクス達にミリアとハカセは戸惑いを露わにする。
白い軍服姿の彼らは本来なら言葉を交わす事が許されない雲の上の人達だ。彼らにとって自分達はその辺の石ころと同じ。いつだって貴族にそう扱われて来た。
そんな貴族の中でも王族と上級貴族。そんな人達が自分達を助けてくれるのだろうかと、震えが起きたミリアをハカセが支える。そのハカセも微かに震えていた。
「ミリア、ハカセ。そう、怯えるな。君達から話を聞かなくてはならないが、俺達は無闇に君達を責める事はしない」
「王子様に畏れ多い事です。それにボク達は赦されてはならない、ボク達は⋯⋯ハリアードの者でもないし、価値のない平民で⋯⋯す」
「平民に価値がないなんて事はない。そもそも王族、貴族には平民を守る義務がある。たとえそれが他国の者であってもだ」
王族のアレクスが平民の自分達の名前を直接呼び、自分達を守ると断言する。ミリアとハカセの常識では有り得ない事だった。
有り得ない事は続けて起きる。
「交戦を避ける為に君達が尽力して島の人達を正気に戻してくれたのだろう?」
ミリア達は徹夜で「サイミン草」の根をすり潰し煮詰め、日が登るのと同時に島を駆け巡り「解毒水」を配った。
それを三日三晩続けて漸く島民達にその効果が見られたのはアレクス達が島を囲んだ今日。
本当に開戦ギリギリだった。
「君達のおかげで無駄な争いは避けられた。感謝する」
握手を求めるアレクスの掌にとうとうミリアとハカセは硬直してしまった。
この王子様は頑張りを認めてくれた。手を差し伸べてくれた。今までされた事のない、今まででは信じられない事だと、腰を抜かしたハカセをシリルが支え、ハカセの巻き添いを受けて倒れ込みそうになったミリアをユルゲンが抱き止めた。
「言ったでしょう? 私達の王子様達はお優しいのよって」
「ミリア、ハカセ、アレクス様が折角手を差し出されているのよ」
その手を取らないのは失礼だとミリアとハカセの手をアレクスの手に重ねた二人の女性にシリルとユルゲンが嬉しさを滲ませ叫ぶ。
「アメリア嬢! フレイ嬢!」
「アメリアちゃん! フレイちゃん!無事だったんだね!」
「シリル様、ユルゲン様⋯⋯ご心配を、お掛けいたしまして申し訳ありませんでした」
攫われたあの日、控え目にランゼの後を付いていたアメリアとフレイはあの時より断然自信が溢れた姿勢でカーテシーを披露してニコリと微笑んだ。
「アレクス様、ミリアとハカセは連日動き通しなのです。少し休ませてあげて下さい」
「二人が休んでいる間、私達から現状の報告と⋯⋯お願いがございます」
表情を少しだけ固くしたアメリアとフレイにアレクス達は頷いた。
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ミリアとハカセを休ませられ、島での司令拠点を設けられる場所は一つしかない。つい先日まではバルド・ディクスが滞在していた島唯一の迎賓施設だ。
迎賓施設に移動した一行はまず初めに騎士達に住宅地に待機させた島民一人一人を回らせ、身分照会を行った。
催眠効果が切れた彼らは自分がどこの国の出身か、どこで攫われたのか。家や家族があるのかを素直に話してくれているようだった。
並行して島の工場を押さえた。
作りかけの模造品、偽物の四大侯爵家の紋章、違法複製品を押収して行った。
事は順調に処理され、状況を憂慮された適切な判断で動いている。
残念なのは元凶であるバルド・ディクスが既に島を去ってしまっている事だった。
「公爵家、男爵家、商会、島⋯⋯全て先回りされてしまっているな⋯⋯」
「でもアイツがいないから交戦は避けられたんだよ。皮肉だけど」
悔し気に零すシリルとユルゲンに「その事ですが」とアメリアとフレイは口を開いた。
「ディクス公爵にこの島の実質統治者だったセトが付いています。彼はディクス公爵の庶子だと聞いています」
「セトは出立する時、公爵を「島に必ず連れ帰る」と言っていました」
「彼の話は聞いているよ。しかし、そんな事をしたら⋯⋯彼、セト君に危険はないのかい?」
テラードの問いに、この人達はどこまで優しいのか。それが彼らの弱味であり、強さの基盤なのだと、顔を見合わせた二人は微笑み「セトなら大丈夫です」と断言する。
セトもバルドに操られていた一人だ。覚醒したセトは「バルドをこのまま逃がさない。裁きを受けさせるのは自分の役目」だと出立の日、残るミリアとハカセ、アメリアとフレイに強く宣言した。
同時に、「キャラスティを頼む」とも。
セトは「ステラ」ではなく、キャラスティと言った。それは楽園だった島を終わらせるセトの覚悟の表れだった。
「キャラは今⋯⋯どうしているの?」
「お願いと言うのは⋯⋯キャラスティの事です」
レトニスの問いかけにアメリアとフレイは互いの手をギュッと握った。
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風が濡羽色のドレスを揺らしキャラスティは自身の肩を抱き締めた。
これは風の寒さなのか恐怖の表れか。
突然現れた人達をキャラスティは睨んだ。
「どうして⋯⋯」
「約束したじゃないか。迎えに来たんだよ」
「近寄らないで!」
嫌悪の表情を浮かべたキャラスティは踏み出したレトニスを拒絶する。
何故レトニスが「迎えに来た」などと言うのだろうか。
キャラスティが王都を追われ、家族に捨てられたのはレトニスに断罪されたからだ。そうバルドは言っていた。
「迎えに? なんの為? まだ私を責めるの? ⋯⋯レト兄様はあの子を虐めた私を断罪したの。そう、親方様が言っていたの」
「キャラ、それは刷り込まれた記憶だよ。俺がキャラを断罪するなんて絶対に有り得ないっ」
「嘘! 覚えているのっ! 私は追放された。捨てられたの!」
「断罪」の記憶。それはバルドに言われたからだけではない。その記憶はキャラスティにも有る。
幼い頃からずっと一緒だった兄様、レトニスが王都の学園へ通う事になり、キャラスティはそれを追いかけて学園へ来た。
それなのに、レトニスは「ある少女」を好きになり、キャラスティは嫉妬からその少女に嫌がらせをした。
──そして、そして⋯⋯パーティーで私は、断罪され⋯⋯た、のよね?。
どんな嫌がらせをした? 何のパーティーだった? 他に誰が居た? レイヤーはリリックはベヨネッタは⋯⋯どうなった?。記憶は有るのに何も思い出せないのは何故なのか。
ズキズキと頭が痛む。
「違う! 追放なんてしていない! キャラを捨てるなんて⋯⋯とんでもないっ! 触れたい、手を繋ぎたい、美味しいものを食べさせたい、隣でおはようって起きて、おやすみって一緒に寝るんだ! ずっとずっと、いつも毎日、思っているのに捨てるわけ⋯⋯ないっ絶対に!」
「えええぇぇ⋯⋯」
心底嫌なモノを見る目でキャラスティはレトニスを見返した。
「それに、島から帰ってすぐ、キャラのスタイルでトルソー作ったんだよ? コレでいつでもキャラにピッタリのドレスが作れる。今はキャラに着せたいドレスを着せ替えて眺めているんだ!」
とどめと言わんばかりの叫びはそのキャラスティの頬を引き攣らせ、後ずらせた。
「な、にを、言って⋯⋯」
「ああっその目、その蔑む視線が良い⋯⋯」
恍惚の表情で眩しそうに細められた深緑にキャラスティが動揺し、戸惑いが浮かぶ。
レトニスはこんなおかしな事を言う人ではなかった。キャラスティは邪魔に思われ、避けられていたのではなかったか。
「断罪」されたキャラスティと、「幸せ」に囲まれたキャラスティ。
「断罪」するレトニスと、「おかしな」レトニス。
二つの記憶はどちらが本物なのか。
「先輩⋯⋯いや、キャラ嬢、君は催眠の刷り込みだけではなく「ゲーム」の記憶と現実を混同しているんだよ。大丈夫、俺達は君を「断罪」したりなんかしないよ。君の中に「幸せ」な記憶がちゃんとあるはずだよ」
「ゲーム⋯⋯グンジ⋯⋯? 違う、テラード、様?」
テラードの赤茶色の瞳に優しく見守ってくれているもう一人の影が映る。キャラスティはテラードが自分を「先輩」と呼ぶ理由を知っている。「先輩」はもう一人のキャラスティ。「サクラギ」だ。
サクラギとグンジ。この世界は二人が愛した世界。
「ゲーム」のキャラスティを生み出したサクラギと「現実」のキャラスティ。
「見守ってくれる」グンジと「そばに居てくれた」テラード。
二つの記憶が何故有るのか。
ふらふらと教会の扉に背を付けたキャラスティの怯えた瞳が揺れた。
「アレクス、キャラがお前達と何か思い出を作っていたとか知りたくはないし、本当は聞くのも想像するのも嫌なんだけど、キャラの思い込みを否定して欲しい」
「⋯⋯お前、こんな場面でもブレないな⋯⋯」
──キャラスティは急激なサイミン草の過剰摂取により急性中毒になっています──
──かけられた暗示を真実と思い込んでいる危険な状態なのです。解毒を使う前に、キャラスティの心を「こちら側」に引き戻してください──
アメリアとフレイの言葉通りキャラスティの暗示は深い。
けれどもレトニスとテラード、二人の言葉に動揺を見せたのだ。
元々キャラスティは「受け入れ」タイプだ。良い方に捉えれば協調性があると言え、悪い方に捉えれば流されやすい。
ならばその思い込みを真っ向から否定し、正して行けば心を開かせられる。
これまで自分達はランゼと「ブローチ」に振り回され、その度にキャラスティに守られて来た。
どんな冷たい対応をしてしまっていたのか、どんな酷い事を言ってしまっていたのか。キャラスティは一切教えてくれはしなかった。
──本心ではない事を信じていますから。大丈夫です──
怖い思いをしていたのに自分達を信じてくれていた。
次はキャラスティを信じる番。
「催眠」を解除し、キャラスティを救う。
キャラスティが自分達にしてくれた様に。
アレクスとレトニス達は互いに頷き合い、不安気な視線を向けるキャラスティに向き合った。




