『閑話』いつもの中庭で、待ってる
教室を出て向かうのは「いつもの」中庭。
「階段事件」から事情を知らない、噂を鵜呑みにしている層からの視線は痛いが自分に後ろめたいものは何も無いとリリックは胸を張る。
噴水を通り、実習棟を抜け、人気の無い廊下を進み、図書室へのびる廊下の途中で曲がると目的地だ。
誰も居ない中庭に着いて真っ先にする事はガゼボに陣取り今日一日を綴る事。天気は、ランチは、クラスメイトは、何をした、何があった──。そして最後には必ず「早く会いたい」と日記を終える。
日記を閉じ、顔を上げたリリックはニコリと微笑み誰も居ない向かい側へ「今日も元気?」と声をかけた。
──元気よ。リリーは?──
応えるはずがない、聞こえるはずもない「彼女」の声が響く。
「元気に決まってるじゃない。早く帰って来なさいよ⋯⋯」
リリックの呟きを「彼女」へと運ぶようにざあっと木々が揺れた。
「あー、一番じゃ無かった。もうっリリーちゃん早すぎ。シリルがモタモタするからだよ」
「ここに来るのに手ぶらでは来れない。リリック、俺達も良いか?」
カチャリとテーブルにお茶のセットが置かれ、リリックが瞬きを繰り返して見上げると藍色と橙色の瞳がニンマリと細められた。
「リリーちゃんはお砂糖いくつ?」
「リリック、前に美味かったと言っていただろう?」
紅茶とハーブのクッキーを手にして甲斐甲斐しく世話をしてくる二人にリリックは思わず吹き出した。
「お気遣いありがとうございます⋯⋯と言いながら、不敬を先にお詫びします」
明るく振る舞おうとしている二人に向かい、立ち上がったリリックはピシリと人差し指を突き出し胸を張る。
レトニスはアイランド視察に向かい、レイヤーとブラントが同行した。アレクスは人攫いの実態を追い、テラードはエミールと共にアイランドから送られてきた品や流通を調べている。ベヨネッタは彼らの連絡係としてアレクスの補佐に回っている。
シリルとユルゲンはアメリアとフレイの失踪事件以来、公式ではないが行動の制限がかけられた謹慎中。
リリックも階段事件はアレクスの「リリックは無関係」宣言で表向き沈静化したが、疑いの目が払拭されたわけではなく、注目されていた中で起こされた事件は噂話好きの貴族達にとって恰好のネタになった。その上、末端でもトレイル家の系譜に名を連ね、王子と次期四大侯爵となる生徒会役員が庇った事によりリリックは嫉妬の対象となってしまい、大人しくしているように言われている。
ここに居るのは行動を起こしたくても起こせない三人。
仕方がないとは言ってもやるせなく燻る気持ちはこの三人でしか分かち合えないだろう。
「シリル様とユルゲン様は私を守る役目があります!」
目を丸くした二人はリリックを見つめ、顔を見交わすと笑い出した。
「⋯⋯そうだね」
「そうですよ! 私はここを守る。お二人は私を守る。私達はキャラが帰る場所を守る役目があるんです」
リリックは「あの子はきっと、帰って来きます」と呟きストンと座った。
リリックとキャラスティの出会いはお互いが三歳の頃。祖母同士が姉妹、母親同士は結婚前からの友人関係。
互いの家が親しい環境に生まれた二人は姉妹のように、と言うより本当の姉妹だと思っていたほど一緒に育った。
春と夏には野原や畑を走り回り、秋には枯れ葉を寄せ集めてベッドを作り、冬は雪を寄せ集めて作った雪洞でおままごと。
工場に遊びに行っては職工から染色や裁縫を習ったり、悪戯が過ぎてキャラスティの祖母エリザベートから二人揃ってお説教を受けたり。そのお説教さえも二人で受ければ楽しかった。
十六歳になり学園に来るまでは良く笑っていたキャラスティは表情をあまり変えなくなり、あんなに慕っていたレトニスをあからさまに避け始めた。
その原因が「前世」と「ゲーム」だと知ったのはベヨネッタの実家ムードンでの夜だ。
突拍子のない話におかしくなったのかと心配になったが、あれから話に聞いた出来事が一致する事が増えると信じざるを得なくなった。
いつも自分の後ろを付いて来たキャラスティ。
そんな子がリリックの前に立ち、守ろうとしてくれていた。
何故ランゼがキャラスティを憎み、リリック達を敵視するのか理解しかねている。
それでも事実ランゼはキャラスティを攫い、リリックに冤罪を仕掛けて来た。
今、目の前でお茶をしているユルゲンとシリルもランゼが関わると人が変わり、リリック達にも厳しい物言いをする事があった。
それらは全て「ゲーム」が関係するのだとキャラスティは言っていた。
今でも「ゲーム」の事はよく分からない。
けれども、これだけは言える。そんな物に振り回されて不幸になるなんて御免だ。
キャラスティが自分達を守るのなら、リリックはキャラスティを守る。キャラスティが守りたいものを守る。
「自身の力の無さでマルタ嬢とタール嬢を巻き込んでしまった俺達にもやるべき事が、あるんだな」
「お二人は「魔法」に掛かっていたのですから落ち込んでも気に病む事は無いんです。今はやるべき事をする時期なんです」
「リリーちゃんを励まそうと思っていたけど反対に励まされちゃったね」
「キャラが良く言ってたから⋯⋯。「特別じゃない私は今できる事をするの」って。だから私もそうするんです」
時々達観したものの見方をするキャラスティは「前世」の影響を自覚する前から少なからずとも受けていたのだろう。
それでも「前世」が有ろうとキャラスティはキャラスティだ。昔からよく知る大切な友人で親友で姉妹。
だからこそ、リリックは信じて待つ。
「特別⋯⋯かあ。そんなもの窮屈なだけだったんだけどね⋯⋯特別だから出来る事があるんだよね。今はそう思う」
「ああ、守りたいものを守る為に特別で居なくてはな」
「特別」な二人はしみじみと笑う。
「特別」だからこそ出来る事がある。
「特別」なものが出来た今、「特別」である為にすべき事があるのだと。
「キャラは特別じゃないって言うけれど、私には特別な存在です」
「それは、俺達も⋯⋯だな」
リリックの隣にまた一人、この中庭に魅入られた人物がやって来た。陽を浴びて金色にきらめくのはこの国の未来を背負う王子様。
リリックやキャラスティが抱いていた自信家で冷たく、威圧的で厳しい畏怖の存在だった最初のイメージは今はもう薄れ、人間らしい弱さを持ち意外と感情豊かだと知れば自然と親しみが湧くものだ。
「それが俺達にとって正しい感情かと問われたら、王侯貴族としては誤りだろう。だが、信用や信頼を結べる関係は得てして特別な存在となる」
「くどい言い回しをしてるけど要はアレクスもキャラちゃんが特別だって事だよね」
「っ! おかしな言い方をするなっ」
「間違ってはいないだろう? 俺もユルゲンも彼女が特別なのは」
「⋯⋯シリル、お前は最初の印象は悪かっただろうな。下級だと見下していたのだから」
「あ、あれはっ⋯⋯そのつもりでは⋯⋯反省、しているっ」
「やあ、楽しそうですね」
「エミールさんは人使いが荒くて⋯⋯俺は疲れたよ」
「この程度で音を上げられては困るな。君達が卒業したらこれ位じゃ済まないからね」
「まあまあ、皆さんお茶をお淹れしますわね。リリー手伝ってもらえる?」
相変わらず涼しげなエミールといつもは飄々としているテラードが疲れた表情で現れ、続いてベヨネッタがお茶のワゴンを押して来た。
「あっ、この薬草を茶葉に混ぜてみて。最近ベクトラ領で売り出された薬草なんだけど、疲れが取れて精神安定の効果が有るんだって」
「ほう⋯⋯それは興味有りますね」
エミールはユルゲンが「みんな疲れてるでしょ?」と取り出した薬草を面白そうに眺めて茶葉を入れたポットにパラパラと砕き加える。
お湯を注げば茶葉が蒸され芳ばしい紅茶の香りが立ち上がり、口にすれば微かな甘味が広がる。飲み込むとミントのようなスッとした爽やかな冷涼感が通り抜けた。
芳ばしさは茶葉本来のもの、微かな甘さと冷涼感は薬草のものだろう。
「確かに、スッキリとします。ユルゲン君、この薬草はなんと言うのかな?」
「なんだったかな、えーと、たしか「サイミン草」だったかな」
「へえ、名前は物騒だね⋯⋯少し貰ってもいいかな?」
「どうぞ」とユルゲンが乾燥した薬草を分けて手渡すとエミールはハンカチに包み内ポケットへ仕舞い、改めて薬草入り紅茶を口にする。その時、リリックには微かにエミールの口角が上がったように思えた。
リリックとベヨネッタも紅茶を口にしてなんとなく、気分が落ち着いて来た頃、テラードが手を上げてランゼの話を切り出した。
「なあ⋯⋯ここのところ、ランゼ嬢が大人しいと思わないか?」
「ブローチ」と言うものが彼らを翻弄していたとキャラスティから聞いているし、影響された彼らも見ている。それを取り替えてからは彼らに極端な変化も手に負えない出来事もなくなった。
彼ら自身も必要以上にランゼに近寄らず、向こうからやってきた時には極普通の対応をしている。ランゼが「ブローチ」を触りながら「魔法」をかける仕草をした時にだけ、普段よりは甘い対応をしていた。
リリックからすれば「一体何をしているんだ」と滑稽に見えた仕草だったが、それが「ゲーム」の仕組みだと言うのだから演技する彼らも大変だ。
まあ、多少はランゼの不思議な「魔法」の影響を受けているようだったが「ブローチ」を使われた時との違いは自我が保たれている事。
「俺達の攻略がうまく行っていない事にそろそろ気付く頃合いだ」
「何度聞いても、その「攻略」と言うものは不愉快だな⋯⋯」
「リリック、ベヨネッタ。教室での彼女はどうだ?」
テラードの言葉にアレクスが不快を露わにした。
ムスッとしたアレクスの代わりにシリルが二人に問いかけると、リリックとベヨネッタは顔を見合わせて「困った」と言いたげに眉を寄せた。
「それが、来ていないのです」
ベヨネッタが答える。そう、ランゼは階段事件以降今日まで登校していない。
誰かに様子を聞こうにもアメリアとフレイ、表向き領地へ帰ったとされているキャラスティと続けて親しくしていた三人が学園から消えてしまった事で、関わると次は自分が消されるのではないかと、ランゼに近付く人はおらず、誰も知らないと言った。
「元気に街を歩いていたわよ」と見掛けたクラスメイトは居たがそれだけだ。
「彼女を取り巻いていた男性達もすっかり元の性格に戻られているようです」
ランゼによって掻き回された学園は何事も無かったように元に戻りつつある。
ベヨネッタの話を聞きながらリリックは思い返す。
「ヒロイン」と言う先入観を持たず、「ゲーム」を聞く前の彼女に自分はどんな印象を持っていただろうかと。
──彼女は浮いていたわね⋯⋯。
元平民だったとかそんなものは正直関係がない。自信がある事も悪い事ではない。ランゼは「その場に合った振る舞い」を一切行う事なく自分の思うままに動き、相手の心情を憂いる事はなかった。
「ゲーム」であれば天真爛漫だとか、活発だとかは好意的に映り、規律に縛られた貴族達に新鮮で鮮烈な印象を与え、憧れを抱かれたのだろうが、実際にはランゼのその行動は貴族達に戸惑いを抱かせた。
自分の利益になる相手。特に身分の高い男性には愛らしく接していたかと思えば身分の低い男性には思わせぶりな態度を示しながら袖にする。
女性に対しては論外。身分が敵わない相手には近寄らず、身分の低い相手は見下していた。
誰彼構わず仲良く出来るものではないし、取捨選択はある意味貴族らしい考えではあるが、貴族ならば表向きは隠すべきもの。それは「その場に合った振る舞い」に繋がる。
体裁は貴族の重要な矜持の一つなのだから。
そう思い返すと最初からランゼは自分達と向き合う気はなかった様に思える。
「気になるな」
「ええ。公爵家と商会、男爵家には監視を付けていますからね。何かあれば報告が来るはずですけど。リリックさん、ベヨネッタさん。警戒するに越したことは有りません」
「出来るだけ誰かと行動してください」そう言ってエミールは席を立つ。
「さあ、休憩はお終いです。行きますよテラード君」
「ええぇ⋯⋯もうですか⋯⋯。アレクス、何かあれば直ぐに連絡しろよ」
「お前もな。ベヨネッタご苦労だった今日はリリックと寮へ帰って良い。シリル、ユルゲン、二人を寮まで送れ」
「はーい」
「ああ。後で合流する」
ほんの僅かな時間この庭にいる時、彼らは穏やかな表情を見せる。
この中庭の状況を知れば本人は不本意だと言うだろうが、彼らをこの「いつもの中庭」へと呼び集めているのはキャラスティなのだ。
「アレクス様達、少しでも休めたのなら良いのだけれど」
「いつもの中庭」を後にする彼らを見送りながらベヨネッタが「ね?」とリリックに伺う。今まで控えめで目立たなかったベヨネッタのその表情は凛として自信が見え始めている。
「ベヨネッタも強くなった」とリリックは微笑みながら頷き返した。
皆、少しづつ変わっている。自分も変わらなくてはと言う思いはあるが、自分がどれだけ今を大切に思っているかを早く話したい。語りたい事が沢山あるのだ。
──早く帰って来なさいよ。
片付けを終えた三人に付いて歩き出したリリックはそっと日記を抱きしめ「いつもの中庭」を振り返り「また明日」と呟いた。
──また、明日──
応えるはずがない、聞こえるはずもない「彼女」の声が響いた。




