「悪役」へ堕ちる⋯島と王都
突然「島」に現れたバルド・ディクス。
彼はハリアード王国の公爵であり、島の所有者。
そして──島の「親方」であり、セトの「父親」だ。
島民達からの盛大な歓迎の後、キャラスティとセトはバルドを港から迎賓施設へと案内し、色づき始めた山とエメラルドグリーンに輝く海の見晴らしも良く、豪華なシャンデリアが下がる特別な部屋での茶席を設けて長旅を労っていた。
遠くに聞こえる波の音を聴きながらバルドとセトは果実酒を傾け、キャラスティは甘い香りのアイスハーブティーを手にして時折笑い声をあげる茶会は一見長閑に見える。
チラリとグラス越しに向かい側のバルドを窺って見ても夜会で見せていた威圧感や成金的いやらしさは一切感じない。
視線に気付いたバルドから人の良い懐っこい笑顔を向けられたキャラスティは「大丈夫」だと何度も心の中で唱えながら艶然とした笑みを返し、バルドのその笑顔に公爵としての顔、親方としての顔、商人としての顔。一体幾つの顔を持っているのか、どの顔が本来のバルドなのか、もしくは、そのどれもが作り物か⋯⋯バルドは男爵家出の商人だ「顔」の使い分けは容易いのだろうかと考えを巡らせていた。
「ステラ、親方にお酌して」
「セト、親子の場では「父さん」と呼べと言っているだろう? 全く一体いつになったら「父さん」と呼んでくれるんだ。ステラからも「父さん」と呼んでくれるように言ってくれないか?」
今度は「父親」の顔だ。
バルドの柔らかい笑顔が父親のジャスティンと重なる。
いつも家族を優しく穏やかに見守ってくれているジャスティン。あの日。攫われる事が無ければジャスティンに飛びついて色々話をしたはずだった。話したい事が沢山あった。それなのに突然居なくなり、どれだけ心配させてしまっているのかとキャラスティの胸がキュッと締め付けられた。
今すぐにでも会いたい。会いたい切なさに揺らぐ心の内を誤魔化すように微笑みをセトに向けると、彼は頬を赤らめそっぽを向いた。
「恥ずかしいのよね?」
「や、やめてよステラっ⋯⋯そうだよっ恥ずかしんだよ!」
「はははっお前達、仲が良いな」
キャラスティは島での「洗脳」が浸透していると演じなくてはならなく、緊張で余計な事を言わないよう努めなければと必死なのに「ステラ」が「キャラスティ」だと知っているにも関わらず平然とした態度のバルドに感心する。
「先程も思ったが、なかなかの似合いだ。そう言えばセトはステラに一目惚れしたのだったな。島の「聖女」となったのなら⋯⋯二人でこの島を守ってもらうのも良いな。どうだ、ステラ?」
「親方っ!」
慌てたセトが声を上げたがキャラスティは貼り付けた笑顔の下で冷や汗を流した。
キャラスティは自身の色恋に疎い。自己肯定感の低さから「私なんか」の意識が臆病にさせているのかも知れない。だからこそロマンス小説で夢を見るのが精一杯で、駆け引きなんてもっての外なキャラスティに上手い交わし方ができるわけがなく、これ以上は演じられないとただひたすら笑顔を貼り付け続けた。
「⋯⋯血筋もそれなりに良いからな」
あまりにも小さく呟かれた言葉に青ざめそうになったキャラスティは笑顔のまま小首を傾げて見せた。
バルドはかまを掛けて来ている。キャラスティがどれくらいの深さで「洗脳」されているのかと細められた黒い瞳で全身を観察されザワザワとした恐怖が心臓を握る。
「親方様、お疲れではないですか? 温泉に入られてはいかがでしょう。私、ここの温泉大好きなんです」
「ああ、そうだな。この島の温泉は疲れがよく取れる。島に来たら入らねば勿体ない。セト、案内してくれ」
これ以上探られてはボロが出てしまう。
キャラスティはバルドの興味を自分から他の事へと話を逸らし、それに同意されて内心胸を撫で下ろした。
「私も⋯⋯」
「ステラは晩餐の準備をして。晩餐用のドレスを用意してあるから」
セトを連れて席を立つバルドにキャラスティも付いて行こうと立ち上がるも僅かに眉を寄せたセトに制されてしまった。
「でも、一人では着替えるの難しいわ」
「ミリアが手伝ってくれるよ。さあ着替えて──」
「⋯⋯セト、違うだろう?」
そう言ってバルドはキャラスティへと近付き目を細めた。
肩に手を置かれたと身構える間もなく鳩尾を打たれたキャラスティは「ヒュッ」と息を詰まらせクタリとバルドの腕の中へ落ちた。
「セト、ステラは大事な我々の盾。そう言っただろう?」
「でも、でも親方、ステラはちゃんと島に馴染んで⋯⋯島の「聖女」にだって⋯⋯」
「演技だ。ステラは「サイミン草」の影響を受けていないな。気が付かなかったとは言わせない」
キャラスティは「サイミン草」の影響を受けていない。セトは俯き拳を握りしめた。
島の人達には薬草畑で栽培した「サイミン草」を果実水に混ぜ飲ませている。「サイミン草」は適度な濃度と量であれば精神の鎮静を促がす薬になるものだ。
しかし、高濃度且つ、大量に摂取すると思考と知覚を拡張し、猜疑心を無くして多幸感をもたらせる。
「サイミン草」を摂取させ続ける事で「島」から逃げようとする気持ちを失くさせ、心を操作しやすくした上で数々の偽物を作らせるのが「アイランド」の本来の姿で、セト達の存在意義だ。
セトは当然キャラスティが果実水の影響を受けていない事は察していた。ステラ瓶の出荷を祝った日、それは確信に変わった。
その時までは自分達とバルドの盾として利用する為に外の世界を忘れさせようと思っていた。
気持ちが揺らぎ始めたのは島での「黒い聖女」の儀式の時から。濡羽色のドレスで艶然とした微笑みのキャラスティは何かを決意した光を紫紺色の瞳に宿していた。
一目惚れしたのは事実。ずっと一緒にいて欲しい。
そう思っているのは変わらないのにその瞳を見た瞬間、洗脳してその心を手に入れても嬉しく無いとセトは気付いてしまったのだった。
けれども目の前にいる「父親」と言いながらも自分を利用し、挙句キャラスティまでをも利用する男に逆らえる力を持っていない悔しさにセトの瞳からポタリと雫が落ちた。
「ステラを閉じ込め「サイミン草」の効果が出るまで外に出すな」
「⋯⋯っ、は、い」
バルドはキャラスティを抱いたまま地下へと降りてゆく。
どんな理由があるとしても自分達の行っている事は赦されるものでは無い、しかし、従うしか無い。
セトは心底「父親」だとは思えないその背中に付いて行くしか無かった。
・
・
・
差し込む光の眩しさにキャラスティが目を覚ましたのはまたもや見知らぬ場所で、だった。
──どうして、ここに⋯⋯なんで私寝ていたの?。
キャラスティは部屋を見渡し約二ヶ月半前と同じだと苦笑を零した。
この場にあるのは簡素なベッドに、質素な机と椅子。
半地下なのだろうその部屋は高い位置に窓が一つ。背伸びをすれば手が届きそうではあるが嵌め殺しの窓は開けられそうも無い。
唯一の出入り口を視界に入れて扉の代わりに嵌められた鉄格子に息を飲んだ。
何が起きたのかと、キャラスティは直前の記憶を思い出そうと考えを巡らせる。
「黒の聖女」としてセトと一緒にバルドを港に迎えに行き、その後は彼の長旅を労う茶席を設け和やかに話をしていた。
バルドが温泉へ入ると言い、自分も付いて行こうと席を立ち⋯⋯。
──それから⋯⋯それから⋯⋯っ!? いったぁあぁっ!
何を話したのか、何をしたのか思い出そうとするのを拒むような頭痛に襲われたキャラスティは頭を押さえて蹲った。
ガンガンとも、キリキリとも言い難い痛みは頭を絞られるようで吐き気まで込み上がって来る。思わず振り回した腕に冷んやりとした物が触れ、行儀が悪くともそれを乱暴に掴み中身を直接口にして荒い息を吐き続ける。
暫くぜーぜーと全身で息をついて漸く痛みが引いて行くのを感じた。それどころか、全身がふわふわと軽くなり気分が良くなった。
──私どうしたの⋯⋯? なんなの⋯⋯これ。
「ステラ⋯⋯」
鉄格子の先からの声に心臓が跳ねた。「ステラ⋯⋯」と再び呼ばれた声が無性に⋯⋯「愛おしい」。
「ごめん。ステラごめん。本当は、こんな事したくない。でも、君を守るにはこれしか⋯⋯これしかないんだ⋯⋯ごめん。ごめんなさい。ごめんなさい」
「セト? ねえ、どうして私はここに入れられているの? なんだか気分が悪いの。出してもらえない?」
眉を寄せたセトが首を横に振る。
「ステラ⋯⋯さっきの茶席で君に高濃度の「サイミン草」が使われたんだ。急な摂取をしたから気持ちが悪いんだと思う。ステラはこれから記憶が混濁して行くはず。君が君じゃなくなるんだ。でも、これだけは忘れないで⋯⋯君の本当の名前は「キャラスティ」だ。忘れてしまうかも知れない。けれど忘れないで」
「何訳の分からない事を言っているの? キャラスティ? 違うわよ? 私は「ステラ」⋯⋯あれ? キャラスティ? ⋯⋯だ、れ⋯⋯?」
鉄格子を握り涙を流すセト。
その姿が無性に愛おしく、手を伸ばしかけてキャラスティは青ざめた。
──私、今何を思った? 何を言ったの?⋯⋯私は、わたしは⋯⋯。
「僕を許さないで、僕は君をこんな形でしか守れ、ない⋯⋯僕は君が好きなのに⋯⋯こんな事したくないのに」
「いい加減にしないか」
鉄格子に縋るセトを乱暴に払い除けて黒い影が落ちた。
訳が分からないと見上げた先で漆黒を思わせる瞳がキャラスティを見下ろしていた。
「ステラ、君は島の「聖女」だ。島の為に清らかな身でなくてはならないのだよ」
「島の、聖女⋯⋯」
「そうだ。君は島を守る使命がある。その為に身を清め、立派な聖女にならなくてはならない。分かったね?」
「島を、守る⋯⋯私が守る⋯⋯、⋯⋯⋯⋯はい」
何から守るのか、何をするのかは分からない。
ふわふわとした気分にここに入れられている事への不安、鉄格子で自由を奪われている疑問は跡形もなくなり、自分は「聖女」、「島を守る」使命があるのだとキャラスティは艶然と微笑んだ。
────────────────────
「何処に行ったのですか?」
セプター商会の前に押し掛けた人々を押し分けて静かな声が響き、振り返った従業員達は「自分だってそれが知りたい」と不満を込めた目でエミールを見返した。
「エル、お前が知らないのに俺達が知る訳がないだろう。俺達は下っ端だからな」
「そうだそうだ。それより男爵が居なくなったら仕事はどうなるんだよ。今までの給料支払はされるんだろうな?」
「エル」とはエミールの偽名だ。
彼は少し前にセプター商会に雇って欲しいとやって来てからあっという間に帳簿を任されるまでに出世した。新参者でぽっと出のくせにとのやっかみはあるが現時点では商会の金庫を開けられるのはエミールだけだと従業員達は詰め寄る。
「お給金ですか⋯⋯どうでしょう」
「つべこべ言わず早く開けろっ」
急かされながら商会の事務所を開けたエミールが「やられましたね」と呆れた息を吐くと押しのけるように従業員達も室内へ雪崩れ込んで全員が絶句した。
椅子はひっくり返り、机の上はインク瓶が倒れ引き出しからはだらしなく中の書類が飛び出したまま。
床の上にまでインクが垂れ溢れ、散乱した紙がグシャグシャに踏み荒らされている。
「これはいってぇどう言うこった」
「泥棒に入られたのか?」
唖然と立ち竦む彼らをそのままにエミールは開け放たれた金庫へと近付き中を覗くなり、溜息を吐いてくるりと出口へと向きを変えた。
「何だよこれ! 男爵はどこに行ったんだ!」
「エル! ──ヒェッ!」
エミールの肩を掴んだ男が小さな悲鳴をあげて後退る。
青藍の瞳を薄く細め、ニヒルな笑みを浮かべたエミールが腕を払うと同時に騎士団が従業員達を拘束した。
「手荒に扱わないでくださいよ。彼らは何も知らずに働いていただけかも知れませんから」
「おいっエル! 何なんだよこれは!」
「テメェ! 何者だエル!」
「んだよっ! 俺はただ言われた仕事をしていただけだ」
「危ない仕事もしたのに! なのにセプター男爵は何処いったんだよ!」
「危ない仕事、ですか」
セプター商会の従業員の大半はただ純粋に仕事をしていただけだったのだろう。それでも、数名は何やら知っている様子だと、叫んだ二人の顔を上げさせ、視線の位置を合わせたエミールは冷ややかに男を見据えた。
「一体どんな危ない仕事だったのでしょうか」
「テメェに関係ねえだろう。俺達は金さえ貰えれば何でもする仲間じゃねえか」
「エルだって金が欲しくてここに来たんだろうが」
「ええ、私も大切なものの為になら、どんな仕事でもしますけどね」
「そうだろう?」といやらしく笑う二人とそれを不安気に眺める従業員達。
忌々し気に二人を突き倒したエミールは無言で剣を抜き切先を二人のその首へと添えた。
「それで? 何をしたのですか?」
「ヒィイィッ! 女だよっ女を連れて来いって言われたんだ!」
「俺達にも良くわかんねえんだよ。何であんな事したのか⋯⋯俺達にもわかんねえんだ!」
「エミールさん。落ち着いてください。貴方らしくないですよ」
「やあ、遅かったね」
新しく現れた黒髪の男に「助けてくれ」と叫ぶも、凍った深緑の瞳から視線を向けられ、その鋭くゾッとする冷気から計り知れ無い怒気を感じた二人は震え上がり「助けてくれ」と再び悲鳴を上げながら連行されて行った。
「⋯⋯それで、中は?」
「一足遅かった。もぬけの殻だよ。そっちも⋯⋯同じようだね」
「ええ、男爵とランゼ嬢だけが居なくなっていました。邸宅の金銭類は全て持ち出され、使用人達は残されていました」
「ディクス公爵の所へ行ったのかも知れないな。王宮へ戻って話を整理しよう。──全員連行しろ」
エミールの合図でゾロゾロと拘束された従業員達が連行されて行く。「後ろめたい事もなく、何も知らなければ翌朝には帰される」と声をかけるエミールにほっとした表情を浮かべた者と益々青ざめた者とそれぞれだ。
「アレクス達も公爵家から王宮へ戻っています」
「本当、強くなったねレトニス君は」
肩をポンと叩きエミールが歩き出す後を付いてレトニスも歩き出す。
不意に視線を感じたレトニスが足を止め、辺りを窺ったが直ぐにその視線を感じなくなった。
「どうかした?」
「いえ、何処からか視線を感じたのですが」
改めて辺りを窺うが既に気配はなく二人はセプター商会を後にした。
騎士団が往来する路地を避け、フードを深く被った少女が走り抜けて行く。中通りを抜け、裏通りを走るその表情は歪んでいる。
何度目かの角を曲がった家に飛び込んだ少女は息切れを起こしながらも「許さない」と呟きテーブルを打ち付けた。
「こんなのゲームに無かったわ! それもこれもアイツのせいだ!」
少女は再び「絶対に許さない」と声を震わせる。
見開かれた少女の苺色の瞳から憎悪が湧き出し、ドロリと流れ出た。




