王妃様はお怒りでした⋯王都
王都の中通りにある大衆酒場のノース。
いつもであれば人に溢れ賑やかな声が響くマッツとリズの店。
少し前に身形の良い夫婦が店を訪れてからからドヤドヤと客が入りあっという間に満席状態となっていた。
客達は楽し気に飲み食いしてはいるがその誰もがピリピリとした気配を発し、新しい客が来ようものならその殺気で追い返す有様で、そんな彼らは二階への階段、裏口へ抜ける通路、入り口から店内への導線をさりげなくも厳重に壅塞している。
「とんでもない人が来たもんだねえ」
「この調子じゃ外も、だろうな」
「ねえマッツ、あんな偉い人が動くんだキャラスティは帰って来るよね?」
「帰ってくる。お嬢ちゃんは必ず帰ってくる。なんせ大人になったらビールを飲ませてやる約束してるんだ」
「⋯⋯そうだね。良いのを用意しておいてあげないとだね」
棚に並ぶ酒瓶を眺めてからマッツとリズは夫婦が上がって行った二階の部屋を見上げた。
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階下が殺気で満たされている頃、その二階は階下とは違った緊張感に包まれていた。
アイランドの偵察からレトニス達が帰還したと知らせを受けたアレクス達は長旅の労いを兼ねるつもりで集まり、さて報告をと身構えたその場に突然国王ダリオンと王妃クレアが現れたのだ。
それだけでも驚いたのに、二人の背後でエミールが申し訳なさそうな表情で「ゴメン」と片目を瞑る珍しさに一同は二度驚き、あくまでも非公式のお忍びだと言うダリオンを追い返すわけにも行かずそのまま報告会へと入った。
報告は二つ。
一つ目はアイランドにはもう一つの「アイランド」が存在し、そこにキャラスティを始めとした攫われた人々がいるという事。
その「アイランド」には指導者的立場の存在が置かれ、島の規則下、治安が維持されていた。
彼らに行動の制限はあるにせよ、手荒な扱いはされておらず、文化的な生活をしていた。
「キャラに、会えたのか?」
「ああ、本当は連れて帰りたかったよ。でも、そこにはアメリア嬢とフレイ嬢も居る、置いて行けない、自分だけ帰れないって⋯⋯ね」
「⋯⋯キャラらしいな。良かったなリリック、ベヨネッタ」
無事で居てくれた。
それが分かっただけでも良かったとアレクスの言葉にリリックとベヨネッタは瞳を潤ませて頷いた。
「それから、これが「島」の地図。この辺りが偽物を作る工場になっているそうだ」
「結構広い範囲にあるんだな。こっちのは⋯⋯何だ?」
「水? が入ってるね」
シリルとユルゲンが地図と共に置かれた小瓶を手にしてレトニスに問う。
「キャラが言うには「島」の人達はこれを飲まされているらしい。人の思考を鈍らせる効果があるとも言っていたよ。エミールさん、これをお渡ししておきます」
「了解。預からせてもらうよ⋯⋯おや? これは先日ユルゲン君からもらったサイミン草と同じ香りがするね。
⋯⋯なるほど、精神安定は催眠作用が引き起こす副反応と言うことかな」
「だとしたら、サイミン草の使用基準を早急に決めなければなりませんね」
「そう言うこと」
レトニスから小瓶を受け取ったエミールは微かに微笑む。
キャラスティが居なくなった直後の二ヶ月前に比べるとレトニスは強くなった。今までであれば後先を考えずキャラスティを連れ帰って来たはずだ。
恐らくキャラスティはアメリアとフレイ、「島」の事だけではなく、レトニスを想い残る事を選んだのだろう。それを尊重したレトニスはキャラスティを「島」に置いて来た。本心は大荒れなのだろうが。
「よく耐えたね」そうエミールが言葉をかければ照れたようにレトニスは頷いた。
「次の報告は私達から」
二つ目は「島」の地図の隣にアイランドと周辺の地図を広げながらアイランドの文明がかなり進んでいるとブラントとレイヤーが続く。
レトニスがミリアと出会っていた時、ミリアと「島」へ行っている間に二人はアイランドと周辺の島の地理と内部を当然、調査した。
アイランドは街並みもさることながらそこで使われている技術が素晴らしかった。各家、各施設に上下水道が完備され清潔であり、一部のホテルでは「電気」と言う物で灯りを取り、火山を持つ諸島の悩みであった「ガス」を有効利用し火力を取っていた。
あきらかに島全体の生活水準が高く独自の進化をしていた。
「狭い島だからこそ浸透したとも言えますが、アイランドで使われている技術は特定の貴族が独占すべきものではないと、思います」
ブラントが島を周った際に手に入れた品をテーブルへと並べながら零した言葉にダリオンは険しい表情で頷き、一つ手にして首を傾げる。
「これはこう、使うのです」とレイヤーが箱に付いたハンドルを回すと先端が発光した。目を丸くしたダリオンの隣でエミールがポンと手を打つ。
「これは先日セプター商会に届いた荷物の中に有りました。「手回しランプ」と言ってましたね。構造は調査中です」
「こちらはペン、かしら?」
ペンを手にしたクレアにブラントが「書いてみてください」と紙を渡すと不思議そうな表情から「まあっ!」と驚きの声が上がった。
「インクを付けなくても書けるのね!」
「そのまま「インクペン」と言うものらしいです。それから、本体は手に入れられませんでしたが⋯⋯」
火がなくとも手回しで灯りが点くと言う小さな箱。ペンとインクが一体化した物。
ブラントが最後に置いた物は一枚の写し絵。
王都で出回っている写し絵よりも鮮明に映る姿に全員が目を見開いた。
写し絵には三つの車輪が付いた不思議な形のものに乗る女性の姿がある。
髪を高い位置で結び、エプロンワンピース姿の女性は恥ずかしそうに微笑んだキャラスティだ。
「可愛く撮れているでしょ?」
「ブラント、レイヤー! コレをどこで!?」
「ミリアさんから頂いたんですよ。キャラスティを待っている人に渡して欲しいと」
「⋯⋯⋯⋯くれ」
「あげません」
伸ばされたレトニスの手を「大切な証拠品です」とぺチリと払い、ブラントは続ける。
「この写し絵はこれまでのものより被写体を鮮明に写してます。しかも、撮影時間が短く複製が可能らしいですよ」
これまでの写し絵は薄い銅板に銀と薬剤を塗った物。被写体を焼き付けられた板はそれ一枚しか作れないが、キャラスティが写る写し絵はガラスに銀と薬剤を塗った物に被写体を写し、元になった写し絵を専用の紙に印刷すると言う。
「相変わらずブラントの調査力には驚くよ」
「テッド兄から似たような物を聞いていたからね。理解するのに抵抗がないんだよ」
改めて従兄弟の能力にテラードが感嘆を漏らせばすかさずブラントはテラードのフォローを入れる。ブラントのテラード崇拝は健在だ。
「旦那様、これは「彼」に話を聞かなければなりませんね」
「うむ。アイランドの技術進歩、もう一つのアイランドの人々⋯⋯ 島の管理を任せている以上、彼奴が無関係だと言い逃れはさせられぬ」
「腹立たしいわね⋯⋯」
エミールとダリオンが深く頷き合う姿を眺めながら優雅な仕草でグラスを傾けていたクレアがコトリと、そのグラスを置き、ゆっくりとその瞳を開けると一瞬にしてその場の空気が凍り付いた。
何故かクレアの機嫌が頗る悪くなっている。
「殿下⋯⋯冷静に願います」
「いやだわ、エミール。わたくしは冷静よ。それと、ここではその呼び方をしてはなりません。と、最初に言いましたよ」
長い睫毛から覗く金色をニッコリと細めたクレアの気迫に、肩を竦めてダリオンを見れば子供のように激しく首を振られエミールは苦笑した。
「父上⋯⋯今更ですが何故、母上を連れて来たのですか⋯⋯」
「仕方ないであろう⋯⋯絶対付いて来ると睨まれたのだ」
クレアが夫と息子に絶対零度の瞳を細めて艶然とした微笑みを向けると二人は息を飲んで背筋を伸ばした。
「レトニス。これまでの報告からキャラスティが無事なのは分かりました。でも本人に会ったと言う証拠はあるのかしら? 別に疑っているわけではないのよ」
「島」の地図、キャラスティの写し絵はあるが写し絵は他人から渡され、地図はどこからでも手に入れられる。確かに本人に会ったという証明ではなく「島」の存在を証明した、だけだと⋯⋯言えなくもない。と、戸惑うレトニスにクレアは手を差し出しヒラヒラと催促する。
王宮で会うクレアは優しい笑みを湛える聖母のような存在。その仮面を外したクレアの気さくさにレトニスが苦笑しながら一同の前に置いたのはキャラスティが常に身に着けていた銀の蔦が絡まり金色のガラスが付いた髪飾り。
アレクスが街歩きの帰り、馬車の中でキャラスティに渡した物だ。
「これは確かに俺がキャラ、スティに贈った⋯⋯ものです」
「あら? この色はアレクスの色ね⋯⋯はあぁ⋯⋯アレクス、好ましく思う女の子への贈り物にしてはどうかと思うわよ。これじゃ気持ちが伝わらないじゃない」
「は、母上っそれは、違、違わない、ですが、贅沢な物を好まないと思って⋯⋯」
「そうだとしても! ただでさえ出遅れていると言うのに⋯⋯」
クレアは呆れながらも愉し気に笑う。
アレクスは好きだの嫌いだので伴侶を選べる立場ではない。だからこそ叶わないとしても少々遅くやって来た初恋が幸せだったと思えるように過ごさせてやりたい。これはただの親心だ。
「それで? レトニス、何もなかったのでしょうね?」
「な、何も? ⋯⋯ですか?」
クレアは察している。レトニスがキャラスティを想っている事を。
レトニスとアレクスならば王子であるアレクスに分があるように思えるが、キャラスティは地位や権力に興味がない、寧ろ忌避しているのも知っている。これは想いが叶わない息子の代わりに意地悪をしてみたくなった母心だ。
ニコニコとしたクレアに何かあったと言えば「あった」し、何もなかったと言えば「何も出来なかった」と素直すぎるほどに口籠るレトニスに皆一様にスン⋯⋯とした据えた目になった。
「お前⋯⋯後で詳しく聞こうか」
「そうだね⋯⋯内容によっては僕が珍しく怒るかも知れないよ?」
「お前が一番危険だとは思っていたが⋯⋯」
「まあまあ、お前ら落ち着け。手を出していないようだし? ⋯⋯出していないよな?」
レトニスに詰め寄る息子達をクスクスと笑うクレアにダリオンは「悪い癖だ」と頭を押さえてエミールに酒を片付けろと指示を出した。
短くはない時間を夫婦として連れ添っているのだダリオンは分かっている。クレアが怒りを抑える為に悪ふざけをしていると。
「クレア、飲み過ぎだ。こいつらを揶揄うな」
「あら、この場は非公式。楽しい気分にならなくてはわたくしは怒りで爆発してしまいますわ⋯⋯ええ、わたくしは凄く怒っていますの」
クレアは呆気に取られているリリックとベヨネッタに聖母のような笑みを向けた。
「わたくしはハリアードの王族として国民を守る責任が有ります。王族、貴族は国民が苦しんでいる時にこそ、盾とならねばなりません。
そんな事は綺麗事だと言う輩もいるでしょう。けれど、上に立つ者の理想は常に綺麗事であるべきだとわたくしは思うのです。でなければ国民が希望を持てないでしょう?」
微笑みの下でクレアは怒っている。
息子のアレクスと側近候補のレトニス達の評判が落ちて来た辺りからアレクス達が問題を抱えているのだと知ってはいたが、それが「ただの少女」が「不思議な力」でアレクス達を翻弄していると言うのだから訳が分からず、その少女を個人的に呼び出してしまうと圧力をかけたとなってしまうし、都合良く解釈されかねないとクレアは当惑していた。
そんな時、キャラスティがアレクス達の警護を任された。王宮に上がるだけでも緊張していたキャラスティが、だ。
下級貴族の身分と平凡さが心配ではあったがキャラスティは「不思議な力」に影響されたアレクス達に厳しい言葉を投げ付けられていたにも関わらず失態を起こす事を食い止めてくれていた。
一人で矢面に立ち続けていたそのキャラスティが攫われたのだ。
しかも、アレクス達を惑わす「少女」とその実家、そして後ろ盾だと言う公爵家によって。
「わたくしは、頑張ってくれたキャラスティを辛い目に合わせた者達が許せないのよ。
贔屓だとか甘いと言われてもわたくしはキャラスティを気に入っているの。キャラスティの後、アレクス達を支えたリリック、ベヨネッタ、それからレイヤー、貴女達もよ。わたくしは貴女達の盾となりましょう」
「心配いらないわ」とクレアは三人を優しく抱き寄せる。
「ダリオン、皆も。キャラスティ達を必ず取り戻してください。セプター商会とディクス公爵が行なっている不正を必ず正してください」
「勿論だ」
王妃として常に冷静なクレアの意外な感情の吐露に一同は強く頷いた。
「旦那様、明日一番にディクス公爵の呼び出しを行いましょう。今夜はそろそろお戻りになりませんと」
「そうだな。アレクス、お前達も程々にせよ。
三人とも此度の偵察ご苦労だった」
ダリオンとクレアがエミールに促されて席を立とうとした時だった。ダカダカと階段を駆け上がる音が響きドカリと扉が豪快に開かれた。
咄嗟にダリオンとクレアを守る体制になった室内に向けて訪問者は声を上げた。
「失礼するぞ! レトニス緊急事態だ」
「お祖父様!? 何事、でしょう──」
「おお、陛下もいらしたか。報告がございます」
「ラドルフ殿、一体何事か」
レトニスの祖父ラドルフはダリオンに傅いた。
「御報告申し上げます。アイランドに派遣している我がトレイル騎士団より一報が入り、先日ディクス公爵がアイランドを訪れたとの事」
「まさか! ディクス公爵家を見張らせている者からはそんな報告は上がっていませんよ!?」
ディクス公爵家の外からは近衛兵が見張り、内部は買収した使用人に動向を見張らせている。
本来の主人への忠誠心から裏切られたのか、もしくは彼らの身に何かあったのかとエミールは青ざめた。
「先程、裏通りの空き家で三人の遺体が発見されました。身元が分から無いほどの痛めつけられようでしたが⋯⋯その中の一人がディクス公爵家の紋章が付いたハンカチーフを持っていました。⋯⋯恐らく、消されたのかと⋯⋯」
ラドルフの言葉にエミールだけでなく、その場にいた者全てが絶句した。
「セプター男爵とその娘を直ちに拘束しろ!」
「御意!」
ダリオンの号令に入口に控えていた近衛兵が階段を駆け降りて行く。
「レト⋯⋯大丈夫だよね? キャラは大丈夫だよね?」
リリックがレトニスの腕をギュッと掴み、明るい茶色の瞳を揺らしながら見上げて来る。
「大丈夫」その一言を言えば安心させられるのは分かっていた。
それなのに、レトニスはその一言が言えなかった。




