背中合わせの危険
──三日。帰らなかったら直ぐに王都へ帰り、経緯と状況を報告するように──
「行かせて良かったのかしら⋯⋯」
雨煙にランタンの灯が滲む窓の外を見ながらレイヤーは不安気に呟く。
「大丈夫ですよ。あの方はああ見えて腕も立つし頭も切れますから」
「普段はアレですけど」と余計な一言を付け加えてステラ瓶から温かい紅茶をカップに注ぎ、ブラントも同じように窓の外を見やった。
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雨が降り出す前の事。レトニスがメイド服に兎の仮面を着けたミリアと名乗る女性を連れて来た。
彼女は「もう一つのアイランド」があると言い、そこに住んでいるのだと言った。
「この、ステラ瓶は島の品物なのです。これが外に出た時、嬉しかった。自分達の力で一から作り出したステラ瓶。島唯一の物を外の世界へ出せたと」
「唯一? それはどう言う意味なのかしら」
女性を演じたままレトニスが問い掛けるとミリアは続けて「島」の暗部を語った。
「アイランドでは複製品が作られています。アイランドの本当の姿は「偽物」工場なのです」
アイランドはとある貴族の所有する島。
その貴族から島で「偽物」を作るよう指示され、連れて来られた人達に催眠効果の有る薬草を使い、島への疑問、自分の置かれている状況への恐怖心を無くし、島民として馴染ませた上で「偽物」を作らせているとミリアは語る。
「その話が本当なら、それを知る貴女は島側の人間、つまり⋯⋯違法者と言う事になるわよ」
「そうです。貴族に逆らえないとは言っても罪に手を染めている私は犯罪者です」
あえて言葉を選んだレイヤーにミリアは「お嬢様はお優しいですね。友人と似ています」と微笑んだ。
「もう一つのアイランドと「偽物」工場⋯⋯ミリアさん、何故俺達にその話を聞かせてくれたのですか?」
ブラントはミリアが自分達を探りに来たのでは無いかと警戒心を顕にする。
自分達はキャラスティを探す為、アイランドを探る為に来ている。その手掛かりがこうも易々と手に入るのは敵側に情報が漏れているのでは無いか。
数回瞬きをしたミリアはチラリとレトニスを見て困惑した表情を浮かべた。
「お嬢様が探されている方の話を熱心にされて⋯⋯その方が私の友人だと。私は彼女を島から逃してあげたいのです」
レトニスはふいっと顔を伏せ肩を震わせた。昼間に思い掛けず知れたキャラスティの気持ち。それを思い出すだけでも嬉しくて我慢するのが辛い。
嬉しさを隠しもせず喜びに震えるそんなレトニスに冷え冷えとした視線を向けながらもブラントは感情に任せ飛び出さなかったのはキャラスティの身の安全を考えられるようになったのだと、キャラスティの為に変わろうとするその一途な想いの重さに感心した。
──少し前まではキャラスティの悪い噂を自分の都合の為に放置した結果、追い込んでいたのに⋯⋯。
ブラントの視線に気付いたレトニスは緩んだ口元に手を当て小さく咳払いする。
「ミリアさんは自らの罪を私達に話した。その上、ステラさんを私達が連れ出せば貴女達の罪が明らかにされてしまうのよ? 貴女を信用して良いのか、何か証明できる物があれば良いのだけれど」
「私は島が好きです。でも、何も出来ない⋯⋯貴族には勝てない。これ以上悪い事をさせたくない、したくない⋯⋯」
レトニスの言葉にミリアは兎の仮面を外して三人に素顔を晒した。
まだあどけなさを残す橙色の瞳は濡れている。
「島の住人は豊穣祭の間、リゾートアイランドで素顔を晒す事を禁じられています。それから⋯⋯このペンダントをお預けします」
ミリアは首から外した流れ星の尾の様な流線形の先に小さなムーンストーンが付いた銀色に光るペンダントをテーブルに置いた。
良く見れば銀だと思った部分は灰色の石を削り磨いた物で、ムーンストーンには光が宿っている。
「私が居たフリーダ王国の教会の紋章を象っています。教会を出る時に司祭様がくださいました──私の、宝物です」
「⋯⋯分かったわ。ミリアさん、貴女を信用しましょう」
レトニスはミリアの手を取り「お願いがあるの」と微笑んだ。
「私を「島」へ渡らせてもらえないかしら。ステラさんとお話しをさせて欲しいの」
「ちょっとまって、レ⋯⋯フライア何を言い出すのよ!」
有力な情報ではあるが、レトニス一人で敵の本拠地に行かせるのは危険過ぎるとレイヤーは声を上げた。
レトニスが自信を持って確信したのだから「ステラ」がキャラスティなのは確定だろう。直ぐに助け出したい気持ちはレイヤーにもある。逸る気持ちも良く分かる。それでもアレクス達に報告をするのが先ではないか。
「豊穣祭は五日間しかないの。早馬でも行って帰って、では時間が掛かるわ。それに、報告をするのにも確たる証拠が必要よ」
「だからと言って貴方が行くのはダメです! 危険です!」
「ミリアさんを信用する。私はそう答えたのよ」
レトニスは東の侯爵家を継ぐ「特別」な存在。本来危険な事は自分が担うべきだと、ブラントは主張する。
それでもレトニスは二人にミリアのペンダントを渡しながら「万が一の場合にはレイヤーを守らなくてはならない」とブラントを諭した
「ミリアさん、お願いします」
「──分かりました。今夜は雨です。雨の中の海渡になりますので用意が必要です。準備が出来たらお迎えに参ります」
ミリアが再び兎の仮面を着け小走りで部屋を出て行くと、レイヤーは俯き、ブラントは何かを言いたいが何を言えば良いのか分からないといった体で額に手を付き、レトニスだけは荷物の中からレインコートを取り出して出掛ける用意を始める。
誰も口を開く事のない沈黙の中、暫くしてミリアの言った通りザアッと雨が降り出す音が始まった。
「三日。帰らなかったら直ぐに王都へ帰り、経緯と状況を報告するように」
沈黙を破ったのはレトニスだった。ドレスの裾を捲り上げ短剣を足に装着しながら二人に「大丈夫」だと笑って見せた。
「止めても無駄なのよね? 絶対に貴方も無事で帰って来てよ」
「そうですよ。貴方に何かあったらテッド兄達が悲しみます⋯⋯俺だって⋯⋯」
「心配してくれるのか? 珍しいな」
「当たり前でしょ!」「当たり前です!」
ブラントとレイヤーは反応のタイミングも息が合っている。微笑ましさと羨ましさにレトニスは小さく笑った。
雨の薄暗さに夜の闇が融合する頃、ミリアがハカセと名乗る男性を連れて迎えにやって来た。
「行ってくるわ」と艶笑を浮かべミリア達に付いて行くレトニスをレイヤーとブラントは不安と少しばかりの期待で見送った。
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しん⋯⋯とした部屋に雨音だけが部屋に響く。
手にしたカップをカチャリと鳴らすのと同時にレイヤーは盛大な溜息を吐いた。
「レイヤー様、そんなに心配なさらずともレトニス様なら大丈夫ですよ。あの方はなんだかんだ言っても東の砦と呼ばれるトレイル家の後継者ですから」
「私も大丈夫だと思うのよ。心配でもあるけど。でも、そっちの心配じゃ無いっていうか⋯⋯ね」
歯切れの悪いレイヤーにブラントは少しだけ苛つきを覚え、その苛つきをふるふると頭を振り誤魔化す。レイヤーの事は嫌いでは無いし明るく可愛らしいとは思うが、レイヤーがブラントへの好意を抑えないのであれば自分が抑制しなくてはならない。今はレイヤーの気紛れで好意を向けられているがそれを真に受けて浮かれてはならないのだ。
レイヤーは公爵家の人間で自分は子爵家。釣り合わない。
いずれは誰かをレジェーロ家とグリフィス家の為に娶る事になるが釣り合いの取れたキャラスティかベヨネッタ辺りだとブラントは漠然と考えていた。ブラントには異母弟が居るからとリリックのスラー家へ婿入りもあり得る。
三人共ブラントとの関係は良好ではあるし、ブラントの個人感情としても好ましくも思う。
それがレイヤーから好意を向けられるようになって戸惑いながらも彼女を知れば好ましく感じ始めても何ら不思議はない。
自分に恋だの愛だのと言った感情があったのかとブラントは自嘲する。
──貴族の身分差ね⋯⋯キャラスティもこんな気持ちなのかな。
「もう、笑い事じゃないのよ。ブラントは自分を抑えられるけど、レトニス様は抑えられないと思うの、うん、抑えないわね」
「何の話ですか」
「キャラが危ない」
「⋯⋯⋯⋯は?」
真面目な顔でキッパリとおかしなことを言うレイヤーにブラントは思わず呆けてしまった。
キャラスティになんの危険があるのか。
「レトニス様はここ最近人が変わったかの様に真面目だったじゃない? 変わったと言うか、多分我慢していたんじゃ無いかなって」
「ああ、そう言う⋯⋯流石に、レトニス様もその辺りは弁えていると⋯⋯はは⋯⋯信じましょう」
キャラスティに容赦ない好意を持つあのレトニスだ。ブラントは珍しく動揺を見せる。
「⋯⋯信じましょう」
「そうね⋯⋯」
大切な事なのでブラントは二度「信じる」と口にした。
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「出来た?」
「あと少し⋯⋯っ! ひゃっ」
急に耳元で話しかけられてキャラスティは無防備に振り向いてしまい悲鳴を上げた。
折角用意したオーバーシャツはちゃんと着込まれる事なく袖をただ通されただけの状態で、程よく鍛えられた体躯を晒し、濡れた髪にタオルを被っただけのレトニスは悔しい程に色気が半端ない。
うっとりと目を細めたレトニスの手がキャラスティの腰でやわやわと蠢き背筋が泡立った。
「⋯⋯レト、私が困るからちゃんと着て欲しい。それから、近過ぎる」
「良いじゃない、二人だけなんだし」
「良くない!」
キャラスティはレトニスを押し離して暖炉の前で髪を乾かさせる。レトニスはぶちぶちと口を尖らせているがその間にトマトベースの野菜スープとパン。デザートの代わりにオレンジと林檎の蜂蜜漬けを並べた。
「ごめんね。こんな物しか作れなくて。口に合わなかったらパンだけでも食べて」
「キャラが作った⋯⋯俺の為に⋯⋯ああっ幸せ過ぎてどうして欲しい?」
「どうも、しなくて、良いわよ」
危険を犯してまで迎えに来てくれた。それは感動的な再会のはず。それなのに、ぐいぐいと迫り、考える余地を与えてくれないレトニスにどう接すれば良いのかキャラスティは複雑だと苦笑する。
「新婚さんみたい」
「しん──っ!」
「おかわりしたい」との要望に応えてスープを渡すタイミングでふにゃりと頬を緩ませながら発せられたレトニスの言葉に器を落としそうになった。
「恥ずかしい事言わないでよ。どうして良いか分からないんだから」
「恥ずかしくないよ? だって、両思いだよ」
「おかしな事を言わないで。好きにならないようにしてるって──」
「嘘。ホテルの裏側でおかしな俺が好きだって言っていたじゃないか」
「──聞いて⋯⋯いたの?」
急激に熱が顔に集中する。それを話したのはミリアと二人だった時だ。仮面を着けていたのにいつ「ステラ」がキャラスティだと気付いたのかと聞けば「見付けた時から」だと笑われた。
「立ち方、歩き方、話し方⋯⋯笑い方、照れ方、怒り方。すぐに分かった。間違えるはずが無いよ。
俺以外に向けた笑顔を憎らしく思っても、俺以外と歩く後ろ姿を悔しく思っても。ずっと、見続けて来たから」
執着にも思えるその想いには愛憎が含まれている。
想像に心酔した笑みが浮かぶレトニスに危うさを感じたキャラスティは曖昧に笑いながら食べ終わった食器を持って背中を向けた。
レトニスは食器を洗うキャラスティの背中を眺め、部屋を見渡す。藤色のクッションが並ぶソファーとテーブル。ハーブが乗せられた暖炉に台所。窓には藤色のカーテン。どれもキャラスティの好みに整えられた小さな家。
何もかもが質素で、自分がトレイル邸に用意した部屋とは程遠いのに主がいるだけで居心地良く感じるものなのか。
「ここで頑張っていたんだね」
「一人だったら諦めていたわ。でもアメリアとフレイが居たから。セトもハカセも、ミリアも。温泉のイライザさんも良くしてくれたの」
「アメリア嬢とフレイ嬢もこの島に居るの?」
「ええ⋯⋯私が「ステラ」、アメリアは「メアリ」でフレイは「フラー」。島の名前よ。
⋯⋯ねえ、レト。危険を犯してまで迎えに来てくれたのは嬉しい。一緒に帰りたい。でも、私は二人を置いて行けないし、ミリア達をこのままには出来ない」
ソファーのクッションに手を伸ばしたレトニスの動きが止まった。
そう、答は決まっていた。
一晩猶予をもらってもキャラスティはアメリアとフレイを置いては行けないし、聞いてしまったミリア達の置かれた状況を放っては行けない。
「そう言うと、思っていたよ」
「ごめんなさい。探してくれて、見付けてくれた。嬉しく思ってる。本当は帰りたい⋯⋯けど」
「うん」
「っ! ひゃあっ」
俯いたキャラスティの頭をそっと撫でたレトニスがそのままキャラスティを抱き上げた。
「結構遅い時間になったし、疲れてるでしょ? 横になりながら話そう」
「よ、こ? あのっ、ベッドはレトが使って? 私はソファーで休むから」
「キャラが寝るところで一緒に寝るよ。ベッドならベッド。ソファーならソファーで」
キャラスティの顔からサァッと血の気が引いた。
何を言っているのか、それが何を意味するのか分からない子供ではない。
「何、言ってるの。冗談よね?」
「何か問題ある?」
「問題しかないでしょう! お願いだから降ろして」
非常時なのだから一つの部屋で夜を越すのは仕方ないとしても、夫婦でも無い、婚約者でも無い。まして互いに好ましく想い合っているのだから共寝は尚更避けなくてはならない。
キャラスティが暴れてもお構いなしに涼しい顔で寝室へ運ばれベッドに降ろされるとそのまま抱き込まれた。
「⋯⋯レト兄様、やめて下さい⋯⋯お願いします」
「兄様」呼びに一瞬ピクリとレトニスの身体が揺れた。
「ごめん⋯⋯これ以上はしない。しないから、逃げないで」
腕の中で震えるキャラスティに懇願するレトニスの声は涙声だった。




