島の幼馴染
夕方近くになって天気が崩れた。
ホテルでの仕事を終えたキャラスティが島へと帰って来たのは雨が降り出す少し前。
「船に乗り慣れていないのだから雨の中の海渡は酔うかも知れないわ」とミリアが先に帰してくれたのだ。
一方的なミリアの勘違いが解けてからやけに親切になったと面食らいながらも、彼女を嫌いになれないのは意思表示をはっきりと示す所がリリックに似ているからか。何にせよ、嫌がらせを止めてくれるのならキャラスティにその親切を断る理由は無く、有り難くその気持ちを受け取った。
キャラスティは帰宅してすぐにお風呂を沸かし、アメリアとフレイと夕飯を取り、「今日は早めに休む」と二人が帰った後は配給された小説をスパイスを加えて温めた葡萄ジュースと一緒に開き、静かな時間を過ごしていた。
リゾートアイランドでは人々の声や音楽の賑やかな喧騒に波の音が響いていた。今はページを捲る音と屋根に跳ねる雨音だけ。
暫く読み続け、良い塩梅に眠気がやって来た頃。
切りの良いところで小説を閉じたキャラスティの耳にコンコンと乾いた音が届いた。
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こんなに早く手掛かりに出会えるとは思っていなかった。
手掛かりどころの話では無い。願って止まない大本命が目の前に居る。
見掛けたのは偶然だった。
ホテルのチェックイン時に何気なく置いた視線の先にホテルの従業員らしき少女が目に入った。
「ステラ、早く来なさい。片付けは休んでからでいいわよ」
「いい加減には出来ないでしょう? あっ待って」
直感だった。
それを確信に変える為、兎と狐の仮面を着けた二人の少女を追いかける形でレトニスはホテルの裏側に出ると、ホテルと石垣の間に積み上げられた木箱の影に身を隠した。
窺い見る「ステラ」と呼ばれる少女のメイドキャップから覗く紫紺色の髪、その声、その話し方、その歩き方と仕草。仮面を着けていても分かる。分からないはずが無い。何年も見続けた、何年も焦がれた。伊達に些細な事でも正確に綿密に思い返せる様、脳裏に描き続けていたわけでは無い。
直ぐにでも飛び出して抱きしめたい。その声で名前を呼んでほしい。その手を取って連れ帰りたい。それから⋯⋯二度と離れられない様にしたい⋯⋯。
──君は感情のままに動き過ぎる。それが君自身とキャラスティや周りの人達を危険に晒す可能性がある事を学ばなければならない──
── 私達の行動一つでキャラに危害が加えられるかも知れないってしっかり覚えていて──
如何なる時も耐えろ。現状を正確に認識しろ。情報を得ろ。最善を導け。
崩壊寸前な感情の堰堤をエミールとレイヤーの言葉が懸命に押さえる。
「で? ステラの好きな人ってどんな人なの?」
──は?
不意に聞こえた質問にレトニスの葛藤は吹き飛び、その言葉に全ての意識が持って行かれた。
まさか離れている間に誰かに奪われたのか、それとも前からそんな相手が居たのか。
容姿は整い、背も高く頭も良く、恵まれた家系で優しくて穏やか。キャラスティの口から溢れる相手の情報にレトニスの知り得る人物達がリストアップされて行く。
──アレクスか? それともシリル? いやユルゲンとも最近は打ち解けていた。テラードには「前世」の想いが残っているとか。まさかエミールさん⋯⋯あの時やっぱり寝起きを共に⋯⋯っダメだ!そんなの許さないっ!
「キャラスティは寝起きが悪い」そう言って笑うエミールが浮かんで思わず木箱を殴りつけた。
「あっでも、落ち込むと狭い所に閉じ籠るし、妄想癖があるし、嫉妬深かったりするし、変な事言うし、怒っても嬉しそうだったりするから、何て言うか少し心配になると言うか⋯⋯色々不器用と言うか間が悪いと言うか」
「多分、そんなおかしな所が、好きなんだと、思う」
──っ! ああっ豊穣の神様!
拳の痛みを忘れてレトニスは神に感謝した。
今度こそ聞き間違いではない。勘違いでもない。疑う余地無くそれは「自分」だ。身に覚えがあり過ぎる。
話だけを聞けば変態じみた人物像だが、その人物がキャラスティは「好き」だと言う。
勿論、自分自身を変態だと微塵も思ってはいないがキャラスティにはレトニスがそう見えているのなら変態でも良い。寧ろ変態でありたい。そんなレトニスがキャラスティは好きだと言うのだから。
──長かった。
季節は秋でもまさに春の訪れだ。真冬の如き一年は極寒だった。
突然避けられ始め、断られ続け、触れれば怯えられ──素っ気無い態度にも悦びを感じるまでに、長かった。
「下賤の者とは言葉を交わせませんか? なら、こんな所へ来てはなりませんよ」
これ以上にない歓びと悦びに打ち震えるレトニスに冷ややかで警戒した声が掛かった。
はっとして辺りを見回すといつの間にかキャラスティの姿は無く、見失った焦りが込み上がる。
レトニスは逡巡する。言葉通りにキャラスティを探す為にこの場を立ち去るか、情報を手にするか。残されていた兎の少女を窺う。恋愛話をする位なのだからキャラスティとは親しい印象を受けた。
もしかするとこの少女も「人攫い」によって連れて来られた被害者の一人かも知れない。
もし、誘拐犯の一味だとしたら親玉に近付けるかも知れない。
どちらにせよなんらかの情報を持っているのは確かだ。
覚悟を決めたレトニスは少女と対話ができるこの機会を逃さない為に一歩づつ慎重に踏み出した。
「少し、よろしいかしら」
音声変換は後継者教育で仕込まれた。不自然になるのは無理して高音を出すからだと何度も教え込まれた。レトニスは地声を意識して女性を演じる。
「とても楽しそうでしたので。仲がよろしいのね」
「ええ、友人ですから⋯⋯お嬢様、何か御用ですか?」
「わたくしに何か出来る事はあるかしら?」
これで助けを求められるのであれば彼女も被害者だ。助ける算段を立てる。誘拐犯の一味なら自分を攫わせるか。
レトニスは思考を巡らせならがも微笑みは絶やさない。
貴族からの唐突な申し出に息を飲み、俯いた兎の少女は胸の前でギュと拳を握り意を決した様に顔を上げた。
「⋯⋯お嬢様、ステラを、ステラ達を助けてあげられますか?」
兎の少女の訴え。少女は不安を滲ませた視線をレトニスに向けた。
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寝ようとしていたがまだ八時。
アメリアとフレイは早めに休むと言っていたし、セトは豊穣祭の期間中はリゾートアイランドに泊まり込んでいるはず。そう首を傾げながら外を伺うキャラスティに「ステラ」とミリアの声がかけられた。
何か連絡でも有るのかと扉を開けると雨の中にミリアとハカセ。よく見れば後ろにレインコートフードを深く被った見かけない女性を連れている。
──まさか攫ってきた⋯⋯とか。
眠気が覚めた。
青ざめたキャラスティが暗鬼している事を察したハカセは苦々しい表情で「違う」と一言だけ発して女性を室内へ誘導し、ミリアは辺りを見回して素早くドアを閉めかんぬき錠を下ろした。
その間に勝手知ったる家の様にハカセが手際よく暖炉に火を焚べてレインコートを脱がせた女性をその前へと座らせる。雨に濡れたせいで寒いのだろうか女性は俯いたまま震えているようだ。
キャラスティは何が何だかわからないまま突然訪れた三人にステラ瓶で保温していた葡萄ジュースを渡して回るが、見知らぬ女性にも渡そうとした時、突然手首を掴まれた。
「あっ、ごめん、なさ⋯⋯い」
──ん? んん? ⋯⋯んんん?
「──っあ、りがとう。い、ただく、わ」
細められた深緑の瞳に涙が溜まっている。
この女性を何処かで見た事がある。見たどころか会った事がある。会ったどころか知っている。知っているどころか「女性」としては初めてだが「男性」としてはもの凄く近しい人だ。
驚きのあまりキャラスティは言葉を失った。
「ステラ、単刀直入に言うわ。この人と島を出なさい。貴女の居るべきところに帰るの」
「ミリアどう言う事? この人⋯⋯がどうしてここに⋯⋯」
「ボクも手を貸す。せめてステラだけでも帰してあげるから」
島から出たい。帰りたい。勿論帰る。
けれど、自分だけが島を出ればアメリアとフレイに再び置いて行かれたと絶望を感じさせてしまう。それだけでは無い。ミリアとハカセだって逃げ出す手引きをしたと糾弾を受ける。糾弾を受けるだけならまだ良い方だ。完全に逃げ出せたとしたら糾弾どころかもっと残虐な仕打ちを受けるかも知れない。
「二人の気持ちは嬉しい⋯⋯けど、逃げられない。メアリとフラーを置いて行きたく無い。ミリアとハカセだって手引きしたって酷い事をされる」
「そんなのいいの! 私もハカセもこの島が何をしているかなんて知っているわ。知っていて止められない私達は共犯者なの。犯罪者にそんな心配要らないの」
「メアリとフラーはステラだけでも逃してあげたいって前から言っていたんだ。二人は許してくれる⋯⋯ミリアから聞いた、ステラには大切な人が外の世界に居るんだろ? その人だってステラを待ってる」
待っているどころか、ここに居る。来てしまっている。
なんて危険な事をするのだと「彼女」を見れば、はらはらと涙を溢れさせている。
──危険を犯してまで助けにきてくれたのは嬉しいけれど⋯⋯なんか悔しい。
小説の様にヒロインの危機に助けに来てくれるヒーローに憧れた。烏滸がましい話でも自分がヒロインなら彼はヒーローだ。それは心から嬉しく思う。
悔しいのは「女装」した彼がとてつも無い美人だという事。涙を流す姿も儚気で美しい。少々背が高いが。
「豊穣祭の間は島の監視が緩む。セトは親方の代わりに取り仕切らなきゃならないから島には帰って来ない。祭りは五日間。残り四日しかない」
「これを逃したら次は一年後よ。ううん。二度と出られなくなるかも知れない」
「ミリアとハカセだって島から出られないじゃない。二人の事だって置いて行けない」
「ボク達は自分の意思でここに居るんだ。ボクとミリアそしてセトは⋯⋯幼馴染なんだ。セトは⋯⋯とある貴族の庶子で⋯⋯」
「私達は親も兄弟もいないの。フリーダ王国の教会に居たのよ。セトを迎えに来た父親がこの島をセトに与えたと聞いて私とハカセはセトを追いかけて島に来たの」
ミリアとハカセはセトの為に島に来た。セトは「親方」、つまりセトの父親からアイランド管理を命令され、送られてくる人を島に住まわせて仕事をさせている。偽物作りも人攫いも三人は知ってはいるが「親方」に逆らえる訳もなく、ここまで来てしまったのだ。
「ボクは、セトが悪い奴じゃないのを知っている。親方がセトを都合よく使っているだけなんだ。けど、ボクは⋯⋯無力でセトを助けられない。だから偽物なんか作らなくてもやって行ける様に、人なんか攫って来なくても自分の意思でこの島に来たいと思う人が増える様に⋯⋯発明品を作っているんだ」
「私達はセトの為に島に居るの。セトは父親に捨てられない様、島を取り上げられない様に、私達の居場所を守るんだって親方の命令を受け入れてるの」
逆らえないのなら、自分達で良い島にしたい。
セトが二人を守り、ミリアとハカセはセトを守る。其々が互いと、この島を大切に想っているのだと伝わってくる。
「私は島を出たら外でこの島の事を話すわよ。メアリとフラーにも他の人達にも待ってる人がいるのだから。そうしたら⋯⋯島は⋯⋯取り上げられてしまうし、ミリア達は捕まってしまう」
首謀者でないとしても、たとえ逆らえない立場に置かれているとしても彼らは共犯者と判断される。
「そうなっても良いんだ。いや、ボクとミリアはそうなって欲しいと思っている。悪い事をしなくて済むのだから。この先もセトが父親にいい様に使われた挙句捨てられるなんて御免だから」
「私達はセトと同じ罪を背負う覚悟はできているわ。セトが罰を受けるなら私達も一緒に受ける。その日まで、その日が来ても私達はずっと一緒。家族だから」
二人の話を黙って聞いていた「彼女」は泣くのを止めて何やら考え込んでいる様子だ。
キャラスティも突然の話で直ぐには答えが出せない。考えが纏まらないと素直に答えれば一晩だけ猶予を貰えた。
「今夜は彼女をここに泊めてあげて。ステラが何処の誰かを彼女に話して、良く話し合って」
「えっ!? 泊める?」
「彼女」に嬉しそうな微笑みを向けられ、身の危険を感じつつもキャラスティは「彼女」が男だとは言えないと冷や汗が浮かぶ。断れば「彼女」が危険だ。
「明日、リゾートアイランドへ渡る時間にまた来る」と言ってミリアとハカセが帰るとキャラスティは見送りからの振り返りざまにレトニスに熱烈に抱き締め上げられそのままソファーに押し倒されてしまった。
「会えたのは嬉しいけど、これ、は、ちょっと」
「キャラ、会いたかった。不安だった。怖かった。後悔していた。無事で良かった」
「心配掛けてごめんなさい⋯⋯ここまで来てくれて、ありがとう」
嬉しさと気まずさを感じつつも縋られながら久し振りに呼ばれる自分の名前が心地良い。
暫く押し倒されたままされるがままに身を委ねていたが、冷んやりとしたレトニスの手が頬に当てられてキャラスティは我に返った。
──これ以上はダメだ。
「ね、ねえレト、雨、寒かったでしょう? お風呂あるから、あったまって来て」
「平気。キャラを抱いているだけで十分温かいから」
全然平気ではない。キャラスティは絶世の美女がお構いなしに弄って来るのを必死に避ける。
「私が平気じゃないの! ねえ、お腹空いてない? お風呂の間にスープ作るから」
「キャラが作るの?」
「⋯⋯美味しくないと思うけど」
「直ぐ入る」
いそいそと脱ぎ始めるレトニスに「ここで脱がないで!」とキャラスティはお風呂場に押し込めながら湯船に追い焚き代わりに焚口から取り出した熱い石を入れ、タオルと女性用でもザックリとしたオーバーシャツならばレトニスも着られるだろうと着替えを用意してお風呂場を出る。
「一緒に──」
「入らないっ!」
怒ってはいないが、恥ずかしすぎると勢いよくドアを閉めたキャラスティは中から聞こえる楽しそうな押し笑いに居た堪れなくなりそのまま座り込んだ。
「⋯⋯もう、どうしたらいいの」
レトニスも自分も、もう子供ではない。この状況が良くない事も分かっている。
ミリア達の事、アメリアとフレイの事、島の事、迎えに来てくれたレトニスの事。考えなくてはならない事が多いのに、集中できない。
単にレトニスがここにいる事。それが嬉しくて何も考えられなくなっている。
「嬉しいなんて⋯⋯」
キャラスティは頭を抱えるが、「大問題」が起きたのは小一時間程、後の事だった。




