権力者達⋯王都
キャラスティが誘拐されて一ヶ月が経った。
──ハリアード王国と近隣の国で起きている誘拐事件にはランゼと彼女の父セプター男爵、「おじ様」と呼ばれる存在が関わっている──
まだ推測の域を越えないがセプター商会と「おじ様」を探る段階に移行したレトニスの計画は祖父のラドルフを動かし、キャラスティを始めとする行方不明者捜索に狼達がトレイルから放たれた。
ラドルフは積極的に社交の場へ出向いて「おじ様」を牽制し、ラドルフが動き出した事で国王のダリオンはエミールに命じてセプター商会の動向を探らせている。
レトニス達もランゼの監視は継続していたが「ブローチ」のすり替えを成し遂げ、情報の聞き出しをする以外では無理に付き合うことを少なくし始めていたその矢先。
事故が起きた。
ランゼが何者かに階段から突き落とされたのだ。
学園内でのランゼの振る舞いを良く思わない者は少なくない。それでも直接的な嫌がらせがなかったのは王族のアレクスと次期四大侯爵のレトニス達がランゼに付き添っていたからだった。
それは生徒達の目には有力者達に庇護されていると写り、手を出す事は賢明ではないと判断され「ランゼとは関わりたくない」そんな雰囲気が学園にはあった。だからこそ下手をすれば命を失う危険のある嫌がらせをする考え無しは居ないと言えた。
しかし、事故は「起こされた」。
「私、リリック様に「キャラスティ様はお元気してますか」と声をかけたのです。そうしたら、急に⋯⋯」
事故後ランゼはリリックに突き飛ばされたとは一言も言ってはいない。それでもここ最近で繰り広げられていたランゼを守るレトニス達と窘めるリリック達の対立は誰もが知る所だったのだから被害者であるランゼが発した名前は「リリックが突き落とした」との空気を作り出すのに十分な効果があった。
「やれた⋯⋯」
そう呟いたのはテラードだ。
「ゲーム」では「悪役」のキャラスティ達がランゼに嫌がらせを行う。その中に「突き落とし」があった。
本来、攻略中の対象者に対応する「悪役」がそれをするのだが、「悪役」と呼ばれる彼女達が誰も嫌がらせをしないこの世界では「自作自演」をしなくては嫌がらせは起きない。その事にランゼは気が付いたのだろう。
編入生歓迎のパーティーでも同じ様な事があったのにリリックに辛い思いをさせたのは自分の落ち度だとテラードは悔し気に零した。
直ちにランゼには大事を取って早退させ、生徒会は事の真相を聞く名目でリリックを呼び出し、疑いが深まる前に彼女の保護を急いだ。
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上級と下級ではこんなにも違うのか。知っていたつもりだったが、突き付けられると圧倒されて何も言えなくなる。
呼び出しを受けた生徒会室はまだ彼らとの交流が無かった頃、レトニスの伝言を伝えに一度来たきりだ。あの時は気にしていなかったが、敷かれた臙脂色の絨毯は滑らかでファブリックに使われている生地もクッションの綿も一流品。香り高い紅茶は気持ちが和らぐものだろうが慣れない者にはその高級な香りはソワソワした高揚感を与えてくる。
目の前の人達には身の回りを飾るそれらを気に留めている素振りはなく、優雅にそこに存在する姿は額縁を添えればそのまま肖像画に出来そうだ。
一流品に囲まれ、傅かれる世界に住んでいる彼らと自分は根本的に住む世界が違う。それをまざまざと見せ付けられたリリックは紅茶の揺れる湯気に溜息を落とした。
もしも、今は友好的な彼らでも考えの違いで対立し、上位である彼らに見捨てられたとしたら、自分は⋯⋯この国で生きられない。
大袈裟ではなく彼らはそれが出来る権力を持っている。それが彼らの本来の立場。
リリックは心配気に自分を見つめる人達を無表情のまま見回した。
──キャラはこんな人達に「悪役」として対峙していたのね。
どんなに怖かっただろうか、どんなに心細かっただろうか。
「リリー、君の言葉でちゃんと言ってごらん」
リリックを呼び出した彼らの内の一人は幼馴染だ。その幼馴染に視線を移すと眉を寄せたその表情は心からリリックを心配してくれているのだと信じられた。
「いつも」そうだった。キャラスティとリリックを見守る瞳は子供の頃からずっと変わらない。それなのに、この場で見せられている環境に彼は選ばれた人種なのだと痛感している。だからこそ「怖い」。
「私、は⋯⋯やって、無いわ」
「うん。分かってる。大丈夫だよ」
泣くものかとリリックは堪えていた。
リリックの知るキャラスティは後ろを付いて来る妹の様な子だった。大人しい訳でも引っ込み思案な訳でも無いが感情に激しい起伏がない彼女の隣はとても居心地が良いものだった。そんなキャラスティが向けられる悪意と恐怖に耐えていたのだと今更身を持って分かった自身に腹が立つ。
彼女が耐えていたのだからリリックも耐えなくては顔向け出来ない。
ふわりとリリックの肩をレトニスが包む。リリックは振り解こうと暴れるが力を込められ抱き竦められると抵抗を止めた。力でも敵わないのだと悔しさがこみ上げ、とうとうその瞳からポタポタと雫が落ちた。
「⋯⋯知ってるくせに、キャラは元気か、なんてっ⋯⋯許せない気持ちは確かにあるわよ。けど、嫌がらせなんて卑怯な事、キャラはしないって私は知ってる。だから私も絶対にしない。突き落とすなんて絶対にしない。
それに私は、ずっと中庭に居たの。いつキャラが帰ってくるか知れないもの。一番最初に「お帰り」って言うんだから」
最後は笑顔を作りリリックは気丈に振る舞う。
強気で物怖じしないと思われているリリックも不安と寂しさに耐える普通の少女なのだと彼らはその涙で濡れた笑顔に気付かされた。
「ごめん、リリー。不安だよね、怖いよね。君も守らなければならなかったのに⋯⋯」
「怖いわよ。今だってレト達が怖くて仕方がないの。だって、レト達と私は違うから。レト達は簡単に私を見捨てられるんだもの。でもキャラは怖くても耐えていたのよ。だから、私も我慢するの」
「⋯⋯何も違わない。違いがあるとしたら俺達は君達を守る立場だと言うことだ。だからこそ俺達は絶対に君を見捨てはしない。俺達は君を信じる。だから信じて欲しい」
アレクスは絞り出す様に言葉を選ぶ。
アレクス達は権力者。リリックは非力者。間には見えない境界線が引かれ、リリックは自分達に怯えている。
これまでも恐怖の感情を押し殺し、彼女達は努めて貴族として「普通」に接してくれていたのだとレトニスとアレクス達は今更ながら思い知った。
「怖がらないでくれ」と真っ直ぐにリリックを見つめるアレクスにはそれくらいしか言葉に出来なかった。それでも真摯に向き合う気持ちはリリックに伝わったのだろう身体の力を抜いたリリックの髪をレトニスが撫でれば安心したかの様にリリックの表情は柔らかくなった。
「失礼するわよ! アレクス様! リリーを泣かせるなんてどう言うつもりなの!?」
突然扉が開かれ怒り心頭で飛び込んで来たレイヤーはプリプリと怒りレトニスを押し除けてリリックを庇った。入り口には入室を控えながら恐る恐ると言った体で心配そうにベヨネッタが覗き込んでいる。
「リリーを疑うなんてどうかしてるわよ! まさか「魔法」が切れてないのかしら? なら正気に戻れる様、全員に一発お入れして差し上げますわ」
シュッシュッと拳を繰り出すレイヤーの迫力に一同は「物理的にはレイヤーが一番怖い」と苦笑が漏れた。
不安気に覗いたまま動かないベヨネッタを招き入れたアレクスは「君達は本当に仲が良いな」と穏やかに笑う。
「勘違いするな。俺達は疑ってなどいない」
「なら何故、呼び出したのかしら」
「守る為だ。丁度良いレイヤー、君に頼みがある。これからは君もリリックとベヨネッタを守ってくれないか」
「守る? 私がどうやって⋯⋯あっ、ふふっ。そう言うことね」
レイヤーは「自分」が、ではなく「セレイス公爵家の名前」が守るのだと察した。
どんな世界でも「身分」と言うものは避けて通れない。世界は不平等、不公平で構成され誰もが平等で公平な世界は理想でしか無い。ハリアードも例外なく貴族と平民の身分が存在し、貴族の中でも上級と下級の身分が存在する。
レイヤーも上級貴族と言う大義名分の下、国を動かし人を使える権力者の一人だ。
リリックとベヨネッタにはセレイス公爵家が付いている。そう示すだけで大抵の悪意は黙らせることができるとレイヤーは笑った。
「ごめんねリリー。辛い目に合わせて⋯⋯」
「良いの。だってもしかしたら疑われたのが私じゃなくてキャラだったのかも知れないでしょ⋯⋯それに、レイでもベネでも無く私で良かったのよ」
「もーっ、リリー! 健気! リリーらしく無いけど可愛いっ」
「らしく無いってひどい」と涙が消えたリリックにいつもの笑顔が戻った。安心したレイヤーとベヨネッタが「帰ろう」と促せば、レトニスがこのまま寮へ帰るとリリックへの視線が厳しいのでは無いか、トレイル邸へ居住を変えるべきでは無いかと即座に主張したが、急に自分にまで過保護になった幼馴染に勝気な笑みを向けてリリックは「寮でキャラを待つ」と断言した。
「その点はご心配要りません。寮生はリリーを信じています。誰も疑っていませんし、寧ろリリーを守るのだと意気込んでいますわ」
ベヨネッタが寮でのリリックの立場を説明すれば、彼女達が生活する空間がどれだけ居心地の良い場所かを知るレトニスは安堵と哀しさを合わせた複雑な表情で頷き肩を落とした。
「⋯⋯前は「兄様」って呼んでくれていたのに。部屋だって二人の好みに揃えてあるのに⋯⋯」
「身の危険を感じるんだもの」
「酷いっ⋯⋯どんな目で俺を見てるのっ⋯⋯」
「分かるわ」とレイヤーとベヨネッタが呟き、一様に納得の視線を不服だと拗ねるレトニスに向け、同時に吹き出した。
「⋯⋯こうして笑うのも久しぶりだな」
「うん。でもさ、キャラちゃんが居る方がもっとレトニスで笑えると思うよ」
「確かに」
「失礼だな! そこ!」
レトニスを揶揄うシリルとユルゲンはニンマリと笑う。
「早く見つけてあげないとな」
「ああ。その為にも、もっと気を引き締めないとならないぞ」
「無論、権力だの身分だの⋯⋯俺達は勘違いしていたのだな。権力があるからこそ出来る事がある。リリック達も俺達は守る義務があるのだと今回身に染みたさ」
決意を込めてアレクスとテラードが頷き会う。
権力を持つからこそ、それを最大限に利用する。
それが出来なければ権力を持つ資格がない。
互いに顔を見合わせて不敵な笑みを交わした権力者達を眺めたリリックは「やっぱり怖いのは変わらないわ」と呟いた。
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リリックとベヨネッタがレイヤーに守られながら寮へと帰り、残されたアレクス達は当初の予定だった客人を迎え入れていた。
紺色の髪を黒く染め、長めに流していた髪型をオールバックにセットし、青藍の瞳を眼鏡で霞ませたその人はエミール・シラバート。国王ダリオンの命でセプター商会へ潜入している。
「陛下へご報告する前に君達に話しておこうと思ってね」
そう言いながら包まれた荷物を解いて何の変哲もない陶器のポットを見せた。
「セプター商会から新しくハリアードで売り出す予定の品物「ステラ瓶」だ。このポットは二重構造になっていてね外は陶器、中は銅製になっている。瓶底に引き出しが付いているだろう? そこに焼いた石を入れて保温するらしい」
わざわざこれを見せて何があるのか疑問を浮かべる中、テラードは製品に付属されている説明書を手にした。
装飾された表紙に「ステラ瓶」の文字。説明部分には材質、構造、使い方が丁寧に書いてあるが何か引っかかる。
「やはりセプター商会は黒だったよ。推測通り、ある程度正規品を購入して何処かで造られた偽物で水増ししている。このポットは届いた偽物と一緒に入っていたんだよ。これだけの品物が造れるのは確実に設備の整った工場を持ち、技術者が居ると言う事だね。けれど、私はまだ最深部までは入り込めていない。何処で造られているのか掴めていないんだ」
「⋯⋯アイランド、キャラスティ⋯⋯」
テラードが読み上げる声に全員が息を飲んだ。
「テラード⋯⋯何を言っているんだ?」
「ここに書いてあるんだよ。キャラ嬢はアイランドにいる」
「そんなもの何処にも書いて⋯⋯まさか」
「ああ、そうだ」
テラードは説明書の装飾を指差し、何かの法則があるかの様に装飾を丸で囲み分けて行く。分けた装飾の下に数字を書き、更に隣り合うその数字を丸で囲み二桁にする。
「この装飾に数字が隠されているんだ。そしてこの数字をまた合わせて、文字に変換する⋯⋯と」
テラードは書き出した数字を文字に置き換える。
──アイランドキャラスティ──
そこに現れた文字に全員が目を見張った。




