発明家を拾う⋯島
「空、高いなあー⋯⋯」
汗ばんだ肌を心地よく撫でる風が通り作業の手を止めたキャラスティが見上げた空は憎らしいほどに何処までも青い。
今日は待ちに待った休日だった。
早起きして洗濯物を片付け、見学はしても良いと言われた酒造工場に行くのだと気分良くドアを開けた直後にその予定は打ち壊された。
ガコンっ。ドサササ⋯⋯っ。
視界の端を翳め落ち、足元でガランガランと回るのはタライ。チクチクカサカサとしたそれは枯れ葉の雨。
唖然としたキャラスティにクスクスとした笑い声が届き、隣の家影から覗いている人影を視認して溜息が出た。
家の周りを見渡せば何処から集めてきたのか枯れ葉が散乱し、育てているハーブにもこんもりと積まれ、先程までの浮かれた気分は地に落ちた。
服は土と埃に汚れてしまい、これでは酒造工場へは行けないと諦めて家周りの片付けを始めたのが小一時間ほど前からだ。
シャリシャリと箒を動かし集めた枯れ葉の山を前にしてキャラスティは溜息を吐いた。
「もうっ! 争い事は御法度じゃ無いの!?」
島民同士は助け合い、協力し合うのでは無いのか。苛立ちから箒を握る手に力が入る。
家の周りにわざわざ集めて来たのだろう枯れ葉を撒かれ、ドアにはタライのトラップ⋯⋯子供だ。これは、子供の悪戯に悪意が乗せられた「嫌がらせ」だ。
「まあ、ね「ゲーム」ではこんな嫌がらせを「私」がランゼさんにしていたのよね⋯⋯」
俗に人は「同じ立場」に立って漸くその気持ちが分かると言う。
キャラスティは「やられた側」の気持ちだけでは無く、嫌がらせをして嘲笑う「彼女」ミリアの気持ちも分かると複雑な気分だ。
寮のお茶会で寮友達から聞いた話では、人は近くに居た人が自分達だけの世界から外へ出て行こうとすると「裏切られた」と思うらしい。
しかも、出て行く者を憎むのではなく「あの人が居なければ」と出て行く要因となった者を憎む傾向があるそうだ。
「ゲーム」のキャラスティも憎んだのはレトニスでは無くランゼだった。
好意を向ける相手が突然現れた子に奪われる。
それが悔しくて、苦しくて、切なくて、どうして振り向いてくれないのか、何故他の子が選ばれるのか。いままで誰よりも近くに居たのに、誰よりも好きなのは自分なのにと気持ちを募らせ嫉妬のままランゼに「嫌がらせ」をしたのだ。
嫌がらせなんて下らない。自分は「ゲーム」のキャラスティでは無い。そう思っていても「ゲーム」に引っ張られれば嫉妬に狂うのかも知れないと思わず身が震えた。
「嫉妬と言えば」と不意にレトニスも結構嫉妬深かったと思い出して笑い事では無いがなんだか懐かしいとキャラスティに小さな笑みが浮かんだ。
ただ、嫉妬は嫉妬でもレトニスは「好きな人が好きになった人」にでは無く「好きな人」に嫉妬を向ける。どうして自分を好きにならないのか、どうしたら好きになってくれるのかと。挙句、閉じ込めるとまで言ってのけた。
「そう言えば「ゲーム」はレトにヤンデレルートがあったわね⋯⋯あはは」
暗黒微笑と呼ばれる病んだ笑みを浮かべるレトニスを想像したキャラスティから乾いた笑いが零れた。想像のレトニスにヤンデレが似合うのが妙に悔しい。
そんな彼に閉じ込めると言われて「悪くない」と考えた事もあるが冷静に思い直せば、怖い話だ。
そもそも「恋」と「愛」に正しい形も答えも無い。諦めるのも、押し通すのも、褒められる事では無いが嫉妬をぶつけるのも、閉じ込めたいと思うのも「好き」だから。
「閉じ込められるのは⋯⋯嫌だけど」
爽やかな風が通り、キャラスティは辺りを見回して一息吐く。
枯れ葉は一通り集め終えた。お風呂に入って汗と埃を落として気分を変えようと家の裏手に回ったキャラスティはお風呂の焚口に出来た小さな山に大きな溜息を吐いた。多分少し泣いた。
枯れ葉を集めるだけではなく、重みのある石まで集めるとは嫌がらせの為に頑張り過ぎだ。
仕方なしに焚口に詰め込まれていた石を取り出し、ついでだとそのまま掃除を始めたキャラスティは灰を掻き出しながら焚口に石を入れて置けば火を焚く時に一緒に熱され、熱くなった石は少しだけお湯が使いたい時やお風呂の追い焚きに使えるかもしれないと思い付き、鉄鍋を持ってくるとその中に手頃な大きさの石を入れて焚口に戻してはた、とその手を止めた。
「⋯⋯あっお鍋。まぁいっか。もう一個あるし⋯⋯一人だもんね」
アメリアとフレイと再会出来てもここは「アイランド」。鍋は一つでも事足りる今の状況に改めて孤独を感じたキャラスティは表情を曇らせた。
「みんなに会いたいな⋯⋯」
キャラスティは焚口前に座り込みそのまま目を閉じて「いつもの中庭」の風景を忘れない様にと思い浮かべる。
学園の端にあるその場所でブラントを取り合いレイヤーとリリックがはしゃぎ、ベヨネッタが笑っている。
それをどこか羨ましそうに眺めるレトニスをテラードが揶揄い、ユルゲンとシリルが追い討ちをかけて揶揄うとアレクスが不思議そうな顔をしてとどめを刺す。
そんな賑やかな中庭にキャラスティがアメリアとフレイを連れて踏み入れれば彼らは微笑み「お帰り」と言ってくれるだろうか。
それとも、忙しい人達だ。たかが下級貴族の端くれ一人居なくなっただけだとすっかり忘れられているだろうか。
「それでも良いわ。私が忘れないもの」
──寂しい──
彼らを知らないままなら、寂しさを感じる事は無かったのかも知れない。
暫く座り込んでいたキャラスティは落ち込んでも帰る手段は見つからない、嫌な事に負けてもいられないと小さく気合を入れ、酒造工場の見学に行けなくなったのだからこの際「温泉」へ行こうと立ち上がった。
「人力三輪、乗ってみよう」
住宅地から温泉へ歩いて行けなくは無いが、そこそこ距離がある。温泉との行き来の為に共有の人力三輪が住宅地の外れに置かれていると教わっていた。
初めて乗るが「前世」では自転車が日常の移動手段だったのだから精神面では初めてな気がしない。自身の運動神経の鈍さは不安ではあるが車輪が三つあるのだから倒れる事は無いだろうとキャラスティは軽い気持ちで人力三輪に乗ってみようと思っただけ、だったのだが⋯⋯。
「ぶっ⋯⋯ふっ⋯⋯ぶはっはっは」
「イライザさん⋯⋯」
「ふはっ、ゴメンよステラ、怪我がなくて良かった⋯⋯ふっはっは」
汗だく埃まみれ灰まみれで温泉へ向かったキャラスティには泥まみれが追加された。
人力三輪は確かに倒れなかった。キャラスティが倒さなければ。
レバーを踏み込み動き出した人力三輪は順調に進みなかなかの乗り心地だったのだが、ハンドル操作を間違えられた人力三輪は道を逸れて畑に突入して行った。
何とか畑から引き上げたものの自分も人力三輪も泥まみれ。温泉の入り口で洗わせてもらいたいと声を掛けた所でキャラスティの天辺から爪先まで視線を動かしたイライザに「人力三輪で転ぶ人初めてだよ」と吹き出された。
人力三輪は洗っておくとイライザは笑い、キャラスティは有り難く午前中いっぱいを温泉で過ごし、落ち込んだ気分も嫌がらせを受けた苛々も軽くなったと出たのはお昼を回ってからだった。
「ステラ、お昼まだだろ? これ持っていきなよ」
「赤イモだ。ありがとうございます。人力三輪も洗ってもらって、ごめんなさい」
「あーそれね、ステラが温泉に入っている間にハカセが丁度来てさ、洗ってくれたんだよ」
「ハカセさんが? まだ中に?」
「いや少し前に帰ったよ」
島に来て約二週間。未だ会えない「ハカセ」と長湯している間に温泉ですれ違っていたのかと残念に思いながらもイライザから貰った赤イモを抱え、自分と同じように泥を洗われキレイになった人力三輪に乗り込み長閑な農道を今度こそ安全運転で走行する途中でキャラスティは「それ」を拾った。
・
・
・
「いいか、ボクが人力三輪を洗ってやったんだ。だから、お前より多く食べる権利があるんだぞ。あっ、そっちのはもう焼けたんじゃない? っいや、焼けたぞ。はやく寄越せっ! ああっ!そんな風に手を突っ込んだら火傷しちゃ⋯⋯するだろうっお前はそれすら分からないのか? 貸せよやってやる」
両手に焼き芋を持ち一気に捲し立てる「彼」は帰る途中で拾った。
道の真ん中に座り込み、虚な目で「腹減った」と呟いていた「彼」をキャラスティは後ろに乗せて家へと連れてきた。
到着して直ぐに「彼」はこんもりと積もった枯れ葉の山へ走り寄り「これでその芋を焼くぞ」と言い出した。確かに、集めはしたがどうすれば良いかまで考えていなかったキャラスティは良い考えだとその提案に乗り焼き芋をお昼にする事にしたのだった。
「お前全然食べてないじゃ無いか。仕方ないボクのを一つあげ⋯⋯やる。有り難く食べろよ」
「ありがとう⋯⋯」
差し出された焼き芋を受け取るついでにキャラスティは彼を観察する。温泉に入ったばかりだろうに紺色の髪はボサボサで後ろの髪はちょこんと結ばれている。目元は長い前髪に隠されて見えない。
こちらの反応などお構いなしに一方的に話し、それもやたらと早口だ。偉そうな物の言い方は粗暴に振る舞おうと無理をしている感じもする。
想像していた「彼」とは全く違う。
「な、なんだよ。なんか文句あるのか。ボクが人力三輪を洗ってやったんだぞ! ほら、コレすごく甘いよ、食べてごら⋯⋯食べろっ」
半分にした焼き芋を押し付けてくる「彼」がおかしくてキャラスティは笑い出した。不服そうに「笑うな」とそっぽを向いて覗いた耳が赤い。
「ふふっ。ありがとう」
「ふん⋯⋯なあ、お前最近来た奴か? この枯れ葉の山は⋯⋯虐められているのか? 名前はなんて言うんだ?」
急に質問を並べられキャラスティは目を瞬かせた。
「私は、ここではステラ。二週間ほど前からよ。虐められてる訳ではないと思うけど、少し誤解されているのかもしれない、かな」
「ボクはハカセだ。偉大な発明家だぞ。うん、よしっお前、ス、ステラはボクに優しくしてくれ⋯⋯いや、良い奴だからボクの助手にしてやる。そうすれば守ってやれ⋯⋯あっいや、助手だからボクのご飯⋯⋯飯を作る事も許してやる光栄に思え」
「えっ、嫌。ごめんなさい⋯⋯」
「何でだよっ」
一方的な言動に思わず即答で断ってしまった。
勢い良く顔を上げたせいで前髪から覗いたハカセの金色の瞳が不安気に揺れている。
粗暴にしようとしても演じ切れない温和な部分が本当のハカセなのだろう。
「ハカセって綺麗な瞳をしてるのね。隠しているの勿体ないと思う」
「ばっ馬鹿! 簡単に綺麗とか言うなっ。本当に、虐められていないか? ちがっ、その、あの、毎日じゃなくていいから、ご飯食べさせてくだ⋯⋯作れっ」
「毎日は無理だけど、たまに、なら。私もハカセと話をしてみたかったし」
「馬鹿! また、そう言うこと⋯⋯言うなっ」
ボサボサの髪を掻き、わざわざ目元を隠すハカセに「勿体ない」と繰り返せば真っ赤になって俯かれてしまった。
「そうか、あれだな。鈍感を装って弄ぶつもりだな! ボクは騙されないぞっ。いつだってそうだ! 優しくしておきながらこっちがその気になると「わたしぃそんなつもりじゃ無かったのにぃ」って被害者ぶるんだっ、ああっ危なかったっ危なかったぞ!」
「⋯⋯何それ」
発明家だと言われて思い描いていたのは寡黙で神経質そうな人物像だった。ハカセは神経質ではあるがよく喋る。
俯いたり立ち上がったりと忙しいハカセには好きなだけ喋らせて、落ち着くまで放置しようとキャラスティは焚き火の後始末をし始めた。
「今度は放置か? そうか、冷たくして気を引きたいんだな?そ、そうは行かないからな!」
「ハカセ、そっちに水撒いて。火はちゃんと消さないと」
「うん。分かった⋯⋯って何でボクがそんな事っ。やらないぞ! かまってなんかやらないからな」
「これに、水を入れてっ⋯⋯と」
キャラスティは焼き芋を始める際、焚き火に石を並べた鉄鍋を試しに入れてみていた。
取り出した石は一見何の変化もない様だったが、石へポットから水をかけるとジュッと湯気を立てた。
鉄鍋に溜まる水が石の周りからコポコポと煮立ち小さな泡が消える頃に出来上がったお湯を布で濾して灰や燃えかすを取り除いてから食後のお茶を淹れた。
「へぇ⋯⋯」と声を上げられ漸くキャラスティは自分の手元をハカセに眺められていたと気が付き、何かおかしかったかと窺うキャラスティにハカセは一言「効率が悪い」と言い捨てた。
「あのさ、そもそも火を焚いているんだ同時に沸かした方が効率は良いだろう?」
「あ、うん。そうね。今は実験してみたのよ。お湯が出来るかなって。結構熱くなるのね。沸かすには向かないとしても温め直しとか保温位は出来るかな」
「実験!? ⋯⋯保温? まてよ、そうか保温としてなら⋯⋯熱を利用⋯⋯ああ、そうだ沸かす時に一緒に熱して⋯⋯形はこんな⋯⋯うん。それなら石を⋯⋯うんうん。その原理なら、反対に冷やす事も⋯⋯」
「ハカセ? ハーカーセー?」
独り言を言いながら背中を向けスタスタと歩き出したハカセを何度か呼んだが自分の世界に入り込んでキャラスティの声など一切聞こえなくなってしまっている。
呼ぶ事が虚しくなりそのままハカセの姿が見えなくなるまで見送ったキャラスティは「おかしな人」だと笑った。
今日は酒造工場見学がダメになり、気分が上がったり下がったり、寂しくなったりしたがハカセとも出会え、悪くない一日になった。
「よしっ。負けないんだから。絶対」
笑えるのならまだ自分は大丈夫。
見上げた空は朝と同じく晴れ渡った青だ。「ハリアードの王都も晴れていれば良いな」とキャラスティは伸びをして家へと入った。
それから二日後の夜。
アメリアとフレイと共に夕食をしている最中ハカセが飛び込んできて「出来た!」と叫んだ。
「名付けて「ステラ瓶」だ!」
ハカセは得意気にポットを掲げ、突然の事にキャラスティ達は目を丸くした。
この何の変哲もない極々普通の「ステラ瓶」が後に「王都」と「島」を結びつける物になるとはこの時、誰も思いもしていなかった。




