「悪女」って誰の事⋯島
アイランドに来て更に一週間経った。
キャラスティは王都を出てからの日数を両手の指を折りながら数えるが「指が足りない」と数えるのを止め、ここに来て自分の適応力の高さに感謝をすれど、馴染みすぎだとテーブルに伏せた。
──王都を出てから十二日経つのね。
言っては何だがアイランドの生活を楽しんでいる。心配しているであろうレトニス達や家族に罪悪感を感じるほど毎日が充実していた。
朝は仕事に間に合うように起きて朝食を取り、軽く掃除と洗濯をして家を出る。
仕事は九時から五時。賄い付の昼休みが一時間。ノルマ無し残業無し。五日働いて二日休み。
これで給料が出て各種保険が付いていたら「前世」であれば限りなくホワイト企業の働き方に近いだろう。
給料が出なくとも必要な品、食品も生活品も配給され家もある。衣食住が用意された福利厚生が申し分ないのだからまさに「健康で文化的な最低限度の生活」だ。
おまけに仕事と自分時間の緩急がある生活はスローライフとも言えるのかも知れない。
しかし、島の生活は一見環境良く見えるが本質は待遇の良い「奴隷」生活なのだ。
──それなのに居心地良くなってるとか⋯⋯果実水だけの影響じゃないでしょう⋯⋯私って流され易すぎる。
キャラスティは果実水の入ったグラスをカチンと弾いた。
果実水はセトが毎日持って来てくれる。
飲まない様にしていても全く飲まないのは怪しまれると果物を取り出し、作り直していた。
催眠だか洗脳だかの成分が果物に染み込んでいるのかも知れないが少し位は影響を受けていた方が「演じ」易くなる。
現に先日立ち会った場を冷静に見られたのは果実水に含まれた成分のお陰だったのだろう。
つい先日、数名が島を抜け出そうとした騒ぎが起きた。彼らは直ぐに捕まり糾弾会が開かれた。
島の人々は集会所の真ん中に座らせた彼らを厳しく叱責した後に優しく慰め、また叱咤し、激励する。それを繰り返していた。
逃げ出そうとした彼らは段々と怒りと怯えの表情から惚けた表情に変わり最後に「自分が間違っていた」と涙を流した。
この島で働く人々は皆攫われて来ている。それなのに逃げ出さない様、互いが監視し合っている。
互いの素性を話す事は禁止され、島での名前で呼び合う。逃げようとすれば連帯で責任を負い、いかに「島が良い所」かを語り合う。
島の人々の異様な熱気はまさに洗脳の賜物だと思えた。
──あれを見たら益々、外への連絡手段が全く思い浮かばなくなったわ。
仕事でたまに島外へ行く人が居るのを知って手紙を預けるのを考えたが、洗脳とは言え島の人々の「島」への熱すぎる思いに無理な話だと思い知った。
手紙を託す事が出来るのなら既に人攫いが露見して島が成り立ってはいないはずだ。
変な動きをしたら直ぐに糾弾会が開かれる。
アイランドは自由に見えて自由は無い。
溜息を吐きそろそろ寝ようと火の元と戸締りを確認し、寝室側へ行こうとした部屋にノック音が響いた。
──こんな時間に⋯⋯。
寝床へ持っていこうと手にしていた時計を見ると九時を回っている。続けてキャラスティは台所に貼り付けた「アイランドの心得」をランタンで照らし確認した。
──夜間の外出は九時まで──
店が無い島なのだから自然と守る形になっているが子供の門限の様な決まりがある。
急ぎの用事だろうかと戸口側でキャラスティは外の様子を窺った。
「ステラ? 寝ちゃった? 僕」
「セト? ⋯⋯どうかしたの? こんな、じ、かっあひゃっあっ」
「すてらぁ」と変な発音で呼びながら倒れ込む勢いで抱きついて来たセトの重さに悲鳴が出た。
「あひゃあだって。ふふ⋯⋯すてら可愛い」
「ちょっと! 飲んでるの? まだ飲める年じゃ無いでしょう?」
「うわっショックだな。僕を歳下に見てたの? 僕はもう大人。先々月成人したからね」
これにはキャラスティも同い年だったのかとショックを受けた。少年ぽい印象に歳下だと思っていたのに。
キャラスティはセトを引き剥がし座らせて果実水を差し出した。酔っているのなら果実水が薄まっているとは気が付かないだろう。
セトは一気に飲み干して二杯目を手にウトウトし始め、ここで寝られては堪らないとキャラスティは必死にセトを揺するが揺すりすぎて吐かれても困ると思い直し、手を止めると手首を掴まれて身構えた。
「ステラは⋯⋯好きな人いるの?」
「⋯⋯急になに?」
「いても忘れなよ。島からは出られないんだから叶わないよ。僕を好きになれば良い。僕はステラに一目惚れしたんだ」
セトに抱き寄せられてキャラスティに恐怖が込み上がるが果実水の効果がある様に振る舞わねばならないと奮い立たせ、セトを押し除けて微笑んで見せる。
島から出られないのなら果実水のせいにしてセトを好きだと思う様になれば「幸せ」なのだろう。それでもキャラスティは島を出る事を諦めてはいない。
「酔ってる時に言うものじゃ無いわよ? それに外出時間は過ぎてるわ。リーダーが心得を違反したら示しがつかないでしょ。気を付けて帰ってね」
「リーダーだから見廻りも仕事だよ」
「酔っ払いながらするものではないでしょ。しっかりお仕事して」
「むう⋯⋯諦めないから⋯⋯お休み」
「お休みなさいセト」
不貞腐れて帰るセトが遠去かるまで見送り、キャラスティはかんぬき錠を下ろして溜息を吐いた。
──叶わないよ──
セトに言われなくても「叶わない」のは分かっている。けれどセトは解釈を間違えている。
キャラスティは「叶えさせられない」のだ。
──私じゃ幸せに出来ないもの。
物理的に離れた今、自分でも驚くほどにレトニスを想わない日は無い。これでは自分ではダメだと言いながらもレトニスの隣に立つ存在が出来た時、祝福出来ないでは無いか。
それならばこのまま島でひっそり暮らして存在を忘れられた方が良いのでは無いかとさえ考えて頭を振った。
やはり自分は少しづつアイランドの思考に染まって来ている。
良い島だとは思う。けれど、自ら望んで来たのではない。必ず帰る。
キャラスティは考える事を止め、ランタンの火を消してベッドに潜り込んだ。
・
・
・
眠れなかった⋯⋯。
あれからベッドの中で色々な事を悶々と考え、挙句に過去の恥ずかしい失敗、黒歴史まで思い出してなかなか寝付けなかったキャラスティはぼーっとしながらも手だけをひたすら動かしていた。
「今日はここまでにしましょう」
キャラスティがハッとして顔を上げるといつの間に終業時間になっていたのか辺りを見回せば他の人達も帰り支度を整えゾロゾロと部屋を出て行く。
「フラーもそろそろ迎えに来るわよ」
島では誰もが「仕事」に就かなくてはならないのだとセトの案内で幾つか見学してキャラスティが就いた仕事は「服飾」の仕事だった。
仕事を決める際に裁縫が得意なアメリア、植物に触れるのが好きなフレイ、二人はやりたい事とやれる事が合致してると羨ましく思い、酒造の仕事は無いのかとセトに聞いたが「ステラにはまだ早いかな」と目を丸くされた後大爆笑されてしまい、酒造の仕事には就けなかったのだ。
そんな事を思い出しながらキャラスティは隣のアメリアとフレイを窺う。
涼しい顔で歩く二人の表情は王都にいた時よりもずっと良い。一言で言えば「楽しんでいる」様にも取れるが彼女達も帰ることを諦めてはいない。
再会した日の翌日、二人は「手伝う」とキャラスティの元を訪れた。
キャラスティも二人も一応貴族の端くれだ。ある程度は出来ても「お世話される」側だった。
台所の使い方、料理の仕方、お風呂の使い方⋯⋯ほぼ初体験だ。
正直、手伝うと言った二人も上手いとは言えない手付きだったが何とか助け合いながら一ヶ月やって来ただけあってキャラスティより手際は良かった。
再会から三日目の夜、野菜の大きさが不格好だったがキャラスティが初めて一人で作ったスープと野菜炒めを振る舞いながら思い切って二人に「カーテシー」の意味を聞いた。
二人は顔を見合わせて「キャラスティを試した」と答えた。
アイランドに連れてこられた時、不安と恐怖で泣き続けた二人は果実水を飲んで行くに連れ慣れとは違う感覚を覚え、恐怖心が薄れて来た事に気が付いたと言う。
薬草に詳しいフレイは「洗脳に使われる薬草がある」と気付きそれを調べる為に薬草栽培の仕事に就いた。
アメリアは服飾工場で作られた物は島の外へ出荷されると知り、どうにか外との連絡を取れないか探るために服飾の仕事を選んだ。
「全く果実水の効果が無いのは怪しまれるから配給される物を薄めているの。薄まっているとは言っても影響はあるみたいで少し⋯⋯印象が違って見えたと思うわ」
「私達は「洗脳」されていない。キャラスティはどうかしら? とカーテシーをしたのよ」
「キャラスティはそれに応えた」と二人は笑った。
学園にいた時は貴族の矜持を持った令嬢らしかった二人の逞しい思考と行動力にキャラスティは目を瞬かせたがそれも面白かったらしくコロコロと笑われた。
「⋯⋯ステラ? どうかした?」
「この間の事、思い出していたの。楽しかったから」
「またお喋りしましょう。話す事は沢山あるもの」
三人は顔を見合わせて「必ず帰る」と決意を込めて頷き合う。
頻繁に集まっていては怪しまれる。自分達だけだとしても帰る日まで互いの呼び名も島の名前を徹底すると三人で決めたのだ。
「あっそうだわ。ねえ、ステラ。昨日セトが家に行かなかった?」
キャラスティは昨晩のことを思い出してドキリとした。
フレイが言うには仕事場でセトに好きな人が出来たと噂になっているらしい。
昨晩、セトは薬草栽培の仕事をしている人達と飲んでいたそうだ。その場でセトが「一目惚れをした」と言ったとか。
「⋯⋯酔っ払ってた」
「やっぱりステラの事だったのね⋯⋯」
性格は面倒見が良く、頼り甲斐が有る。金色の髪は柔らかく癖が入り、青緑の瞳にあどけなさを残すセトは好青年だと思う。が、キャラスティにはそれだけだ。
「でも、ステラはレトニス様がいるものねえ」
「は、えっ! 何で!?」
「制約が有るにしてもあれ程一途に想われて⋯⋯羨ましいわよね」
「そうよねえ。しかもあんなにお美しい方からでしょう⋯⋯嫉妬するわ」
「えっ、ちょっと、メアリもフラーも怖い⋯⋯!」
「ステラはどう思っているの?」とジト目の二人に詰め寄られてキャラスティは後退りする。
二人が「冗談よ」とふっと笑い出して揶揄われたのだと恥ずかしくなったキャラスティはバレバレな行動をし続けたレトニスを少しだけ恨んだ。
「ねえ、貴女達」
はしゃぐ二人が「あら?」と立ち止まった背後から覗き込むと茶色の髪を高い位置で一つに縛った大きな橙色の瞳の少女が仁王立ちしていた。
元気が良さそうな雰囲気はどこかリリックに似ている。
「ステラって貴女?」
ずいっと近寄られてキャラスティは「私⋯⋯」と口を開き掛けたがそれは声にならなかった。
パチンっ! と乾いた音が響いたと思えばキャラスティの頬に衝撃があった。
反射的に頬を押さえるがジンジンとした痛みが広がる。声を掛けてきた少女を唖然と見るとその瞳は怒りに揺れ、そこで漸く叩かれたのだと理解した。
「ちょっと! ミリア何をしているのっ」
「揉め事は御法度よ!」
二人の声を無視したミリアが再び手を上げたのをキャラスティは目を瞑って衝撃を待った。
⋯⋯と、いくら待っても落ちて来ない掌にキャラスティが恐る恐る目を開けるとミリアの腕はセトに掴まれ、怒りに揺れていた瞳には怯えが浮かんでいる。
「あ⋯⋯セト。これはっ」
「ミリア、何をしているんだ? 何でステラの頬が赤くなってるの? 大丈夫? ステラ」
嫌な空気がセトとミリアの間に漂い、叩かれたのはキャラスティだが何となく居た堪れない。
──これではまるで私が「ヒロイン」だわ。
「セト、何でもないのよ。お話をしていたら手が当たったの」
「でもっ、ミリアは振り上げていた」
「虫が飛んでいたのよ。大したことはないけれど冷やしたいから帰っていい?」
「あ⋯⋯そう、だね」
大事にはしたくない。まして糾弾会なんかになったら、あの雰囲気の場にまた立ち会うのは御免だ。
アメリアとフレイも察し、早くその場を去りたいと先を急ぐ三人の背中によせば良いのにミリアがまた余計な言葉を投げかけた。
「来たばかりでセトを誑かすなんてとんだ「悪女」ね! すました顔してか弱いフリなんかして! どんな色仕掛けを使ったのかしらっ」
「ミリア!」
──悪女⋯⋯って私⋯⋯? どこが?
アメリアとフレイもマジマジとキャラスティを見て「──ぷっ」と吹き出したかと思えば笑い出した。二人から見てもキャラスティはとにかく平凡。か弱く見えるのは自己肯定感が低すぎて上手く自分を出せないからだと知っている。
どこが「悪女」なのかと「悪女」からは程遠いと涙目になりながら笑い転げられてキャラスティは当たり前と思う反面、そこまで笑われるのは少し悔しいと頬を膨らませた。
「なっ、なに、よっ! セトもセトよ! 簡単に騙されるなんてっ。おまけにいつもステラ、ステラって⋯⋯」
「あ」とキャラスティは気付いた。
ミリアが投げた言葉と今の言葉は「ゲーム」のキャラスティがランゼに嫉妬し口にする台詞だった。
── 来たばかりでレトを誑かすなんてとんだ「悪女」ね! すました顔してか弱いフリなんかして! どんな色仕掛けを使ったのかしら──
──レトもレトよ! 簡単に騙されるなんて──
嫉妬と八つ当たりをぶつける「ゲーム」のキャラスティはレトニスへ好意を持っていた。と、言う事は⋯⋯この台詞を言ったミリアはセトが「好き」だと言う事。
「あ、そうか。ミリアさんはセトが好きなのね?」
一瞬にしてその場が凍り付いた。
セトはバツが悪そうにキャラスティを見る。
ミリアは真っ赤になってワナワナとしている。
アメリアとフレイはミリアの恋心を知っていたのだろう。「口にするとは」と目を丸くしている。
「な、な、な、なんなのよーっ!」
「ミリア! ステラに謝まれ!」
両手で顔を隠しながら走り去るミリアをセトが追い掛ける。
その姿が見えなくなってアメリアが溜息を吐き頭を押さえながら、フレイは苦笑しながらキャラスティの肩に手を置いた。
「ステラ⋯⋯前から思っていたけれど、間が悪いというか他人事と言うか⋯⋯」
「ええ、レトニス様も大概不器用だったけれどステラも相当ね⋯⋯恋心を知る為にロマンス小説を配給してもらいましょう」
そもそもセトが周りにバレバレなミリアからの好意を向けられていながらもキャラスティに「一目惚れした」と公言したからこんな事になったのだ。
違う。
好きなのに「好き」だと言えない気持ちは良く分かっている。最低な仕返しになってしまった。
意図して叩かれた仕返しをした訳では無いが「余計な事」を言ってしまったとキャラスティは眉を寄せて肩を落とした。
頬はジンジンと痛み、熱を持ち始めていた。




