それはまるで「ゲーム」のように⋯王都
学園の朝はいつもの光景から始まる。
季節の花を盛り付けたり、馬にアクセサリーを付けたりとそれぞれの趣向で飾られた登校馬車の渋滞だ。
その一番混雑する時間帯に順番待ちをしている馬車の列を強引に押し除け、王家の馬車が割り込んだ。
何か急ぎの要件でもあるのだろうと各家の馬車が道を譲りアレクスを出迎えたのだが、共に降りてきた人物に揃って唖然とした。
「アレクス様が迎えに来てくださるなんてランゼ嬉しい」
「可愛いランゼの為だからな」
笑顔を桃色の少女に向けながら降りてくる王子の姿に「乱心した」と騒めきが広がる。しかし、誰もアレクスにものを言えるわけもなく恥ずかし気もなく戯れる姿を眺める事しか出来ないでいた。
そんな騒つきが収まらない中、二人だけの世界に入り込んでいるアレクスとランゼの側にセレイス公爵家の馬車が止まり、レイヤーが降りてくるとその場の空気が一転し、険悪なものへと変わった。
「あら? まあまあ⋯⋯マナーのなっておられない方がいらっしゃると思ったらアレクス様でございましたか」
「レイヤー様! そんな言い方をなさならいでください⋯⋯ランゼの為になさってくださった事です。悪いのは私です!」
「ええ、そうですわね。ランゼさんが悪いのですわ。アレクス様はこの国の王子であらせられるのです。そんな方に個人的理由で送迎をさせるのはいかがかと存じますわ。そうですわね⋯⋯はっきり申しましょう。ランゼさんは男爵家の方。身の程を弁えなさい!」
ビシリとランゼを指差し、レイヤーは断言する。
ランゼがビクリと身を縮こませアレクスの腕に縋るその姿に口角を上げたレイヤーはそのまま指していた手で髪を靡かせ妖艶な視線をアレクスに投げた。
レイヤーの迫力のある眼光に怯む事なく負けじと不敵に口角を上げたアレクスは一層ランゼを庇う。
「レイヤー嬢、公爵令嬢ともあろう君も、その態度はマナーがなっていないようだ。身の程を弁えるのは君だ。俺が良いと言っているのだから君が口を挟む事ではない」
「左様ですか。それでは、邪魔者のわたくしは失礼いたしますわね⋯⋯そうそうアレクス様、笑顔の時くらい眉間のシワは作られない方がよろしいですわ怖がられますわよ⋯⋯ああ、もう深く刻まれておられるのかしら」
「おーっほほほ」と、高笑いを上げてレイヤーが立ち去るのを「ここは笑うところだったか?」と成り行きを眺めていた野次馬は噂話を止めて呆然とする。
生徒達が知るレイヤーとアレクスの関係は極めて良好。今でも何故レイヤーが婚約者候補にならないのか不思議がられるほどだ。
なのに今見たアレクスは眉間にシワを寄せレイヤーを睨み、レイヤーは蔑みを含んだ視線でアレクスを小馬鹿にしていた。
アレクスとランゼが腕を組み何事もなかった様に校舎へと歩き始めるのを見送り、生徒達は互いに顔を見合わせて「一体何があったのだろう」とただ首を傾げるばかりだった。
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学園の昼は生徒達が思い思いの場所でゆっくりとした時間を過ごす。
この日も学園中央にある中庭には多くの生徒が出ていた。
その中庭の一角で小さな騒動が持ち上がり生徒達は興味津々に成り行きを覗き見していた。
繰り広げられている光景は兄妹喧嘩とも取れるほど意外な人物同士の言い争いだった。
そもそも、リリックがシリルとユルゲンと共に中庭の噴水で昼を取ると言うその組み合わせも珍しいものだったがその三人が談笑している所にランゼがやって来てリリックと言い合いを始めた。
リリックの方が口が回りランゼが追い詰められ始めた頃、レトニスが通り掛かりランゼが目を潤ませて三人を見つめると急に形勢逆転し、三人がランゼを庇い始めたのだ。
「レト兄様ったらそんな品のない子を庇って趣味が悪いのね」
「リリック、そう言う言い方はないだろう? リリックだって品があるとは言えないと思うけど?」
「あら? シリル様とユルゲン様とお話をしていた所に割り込んでくるのは品があるとは思えないわ。ああ、そうね、レト兄様もすました顔してるけど、頭の中じゃ邪な想像してるのよねぇ⋯⋯ふふっ品があるとは言えなかったわね」
「⋯⋯リリック。君が兄と慕って来るのは構わないけど、品位を持ってくれないか」
「人の話に割り込むような品位がない子を庇うなんて、レト兄様にはガッカリね。兄とは思いたくもないわ」
身分に煩い貴族としては子爵位の令嬢リリックが上位であるレトニスに楯突く物言いは咎められるものだが、リリックとレトニスは幼馴染で普段から軽口を交わす仲である事は公然の事実。
それがいつもより刺々しく、軽口のレベルではない何処か険悪な言い合いに不穏さを感じ「彼らに何があったのだろう」と傍観者達は一様に首を傾げた。
「興醒めだわ」とリリックはさっさとその場を離れ、レトニス達がランゼを促し、食堂へ向かうのを生徒達は朝と同じように唖然と見送った。
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学園の一日はいつもの光景で終わる。
午後の講義は受講する内容が生徒それぞれの為、朝の様な渋滞は起きないが、立派なお迎え馬車が並ぶロータリーはそれなりに混雑する。
「今日も一日が終わった」と帰路に着くはずだった生徒達は最後の最後に目にした光景に驚きの表情を浮かべその足を止めていた。
「不躾に会話に割り込み、貴族の令嬢とあろう者が婚約者でもない方をお誘いするなんて少々はしたないのではありません事?」
「なっ!? テラード様はそんな事気になさらないわっ」
「そんな大声を出さないでくださる? はしたないですわよ」
円を描くように人が引いた中心でいつも穏やかだったベヨネッタが意地悪な微笑みをランゼに向け、対峙する。
事の始まりはベヨネッタとテラードがロータリーで話をしている所にランゼが割り込み、テラードを街へと誘った事からだった。
「ベヨネッタ嬢、そんな言い方はないだろ? 誰だって可愛い子に誘われたら嬉しいものさ」
「まあっテラード様っ可愛いだなんてランゼ嬉しい」
「ほら、ベヨネッタ嬢、そんなに怖い顔していると折角の美人が台無しだ。心は表情に出ると言うからね」
「ご忠告痛み入りますわ。お優しいテラード様に一つ、わたくしからご進言申し上げますわ。男性は欲望のまま流され過ぎると「薄毛に悩む事になるらしい」⋯⋯と聞いた事がありますの。テラード様もお気をつけくださいませ」
テラードを一瞥したベヨネッタが踵を返すと、事の成り行きを遠巻きに眺めていた生徒達、特に男子生徒は自身の頭髪を確認しながら一様に「今日は何回目だ?」と疑問を浮かべた。
生徒達に目撃されているランゼを守る生徒会役員達と「悪役令嬢」達の攻防はキャラスティ・ラサークが休学して暫くしてから始まった。
キャラスティが攫われた事は一部の貴族を除いて生徒にも極秘扱いだ。
寮の火災は倒れた蝋燭によるものとされ、キャラスティは家の事情で王都に来ていた家族と共に領地へ帰り、学園を休学したと言う事にされた。
それでも邪推する者はいる。
アメリアとフレイに続いてまた失踪したのではないかと囁かれたが、噂が広まるより早くにランゼがアレクス達生徒会へ急接近し、令嬢達が代わる代わる窘める光景が学園のあちこちで繰り広げられると、生徒達の興味は「失踪の噂」から「嫌がらせを受ける男爵令嬢」と彼女を守る「生徒会の騎士達」へ、加えてそれに対抗する「意地悪な令嬢達」へと向かった。
こうして、一日に何度も行われる生徒会のメンバーとランゼを窘める令嬢達の攻防は失踪事件を忘れさせ、学園を騒がしていた。
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中通りの大衆酒場「ノース」。
陽気な声が漏れ聞こえる表を避けて裏口から店内へ入ったテラードは階段を駆け上がった。
「悪い、遅くなった」
「お疲れ様でした」
「ノース」の二階、飛び込むように入って来たテラードへ駆けつけ一杯だとグラスを渡すベヨネッタに学園で見せた意地悪な笑顔はなく、穏やかな微笑みで労う。
テラードがグラスを口にしながら先に来ているアレクスとレトニスに視線を動かすと二人は肩を落とし、シリルとユルゲンまでも珍しく困り顔で肩を竦め、リリックから何やらお説教を受けていた。
「ほら、早く座って。反省会するわよ」
「アレクス様もレトニス様もいい加減浮上してください。始めますよ」
ブラントはテーブルにキャラスティが残したメモを広げ、この場で一番頼り甲斐のある顔で全員に笑顔を見せる。
テラードは苦笑いで、アレクスは眉間を隠しながら、レトニスはリリックを縋る視線で見つめながら渋々着席するがブラントと女性陣は楽し気だ。
「まずはアレクス様からね。大体良いんですけど、眉間にシワを寄せながらの笑顔はおかしいわ。それからもっと突き放してくれません?」
「無理を言うな⋯⋯突き放すにしてもレイヤーの方が口が回るだろう?」
「無理でもやって下さいっ私を怖がらせてなんぼなのよ!」
令嬢然とした頃のレイヤーならまだしも令嬢の仮面を外したレイヤーを怖がらせるのはアレクスには難問だ。
ただでさえアレクスは自身が怖がられる事を気にし過ぎるきらいがある。その割に眉間のシワは癖になっている。それは機嫌が悪いのではなく「どうして良いか分からなくなっている」時の癖だと最近知った。
次に何を言えば良いか導いてくれる「囁き黒子が欲しい」と呟いてアレクスは益々肩を落とした。
「次はレトね。自分から言い出したんだからいちいち私の言葉に傷付かないで。シリル様とユルゲン様もよ? 私に遠慮していたらバレるでしょう」
「だってリリーが⋯⋯兄と思いたくないなんて、そんな悲しい事⋯⋯」
「間に受けないでよ──って邪な想像しているのは否定しないのね⋯⋯」
リリックは兄と慕う事を考え直そうかと頬を引きつらせた。
キャラスティに対してのレトニスの妄想は長い付き合いの中でより一層具体的になって来ている。
お互いが可愛らしい頃は「お嫁さんにする」程度だったのが、学園に入ってからの妄想は暴走の一途を辿り、一日会えなかった日は「自分の知らない誰かと会っているんだ」と決め付け悶々としていたと何度も相談された。
ここ最近で遂には「楽しい家族計画」を語られるようになったのは聞かされる身にもなって欲しい。かなり引く。その意味を込めていたのに全くレトニスには通じていないと更にどん引きする。
「僕、リリーちゃんを傷付けたくはないよ」
「リリック嬢は⋯⋯平気なのか?」
ユルゲンとシリルも困り顔のままリリックを窺う。
「私は覚悟、決めたから⋯⋯ちゃんと知りたいの。あの子が本当にやったのなら絶対に許せないから⋯⋯」
悔し気に拳を握るリリックにベヨネッタが手を重ねる。
「リリー私もよ──テラード様も夕方の件、私に対して遠慮が見られました」
「⋯⋯そうなんだけど、ベネ嬢がまさかあんな返しすると思わなくてさ」
「でもこれでお分かりになったでしょう? 私は大丈夫です。皆様を信じておりますから。それに⋯⋯私だって怒ってますもの」
「私だって」とレイヤーが混ざり、計画を聞かされた時に「ゲーム」のように「悪役」を演じると決意した三人は頷き合い、レイヤーがリリックとベヨネッタに「チームプレイする時の気合いの入れ方だ」と教えた円陣を組んで「ファイト! オーッ」と声を上げた。
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事の計画はレトニスが発起した。
──キャラスティが誘拐されたのは「ランゼ」が関わっているのかもしれない──
キャラスティが居なくなった翌日、レトニスはアレクス達にそう告げた。
ランゼは学園に入る前からキャラスティを敵視し、学園に来てからは自分達を不思議な力で翻弄している。
自分達が惑わされるその度にキャラスティが矢面に立ち、ランゼにとって目障りな存在だったのは違いなかった。
ランゼの目的を知り、ランゼの背後にある組織の存在を暴く事がキャラスティを取り戻す道になるのかも知れないと。
もちろん、ランゼが関わっているとの確証はない。それでもキャラスティが誘拐される他の要因が見当たらない。
レトニスのキャラスティに対する想いから思い込んでいるだけの事だとしてもランゼを探りたい。
レトニスは「魔法」にかかっているフリをしてランゼからキャラスティへの手掛かりを探るのだと語った。
今まで「魔法」の影響を受けた時にはキャラスティに窘められて来た。レイヤー達にはキャラスティの代わりに自分を制御して貰いたいとも。
「力を貸して欲しい」
そう頭を下げるレトニスにアレクス達は自分にもキャラスティを取り戻す為の「何か」が出来るのならばと頷いてくれた。
ただ、一つ問題がある。
「ブローチ」の力だ。
「不思議な「魔法」を避ける事が出来れば⋯⋯」
レトニスが悔し気に零すとテラードが「その事だけど」と取り出した物に全員が息を飲んだ。
「俺も、どうにかしなきゃって思っていてさ。コレ⋯⋯作っていたんだ」
コトリと目の前に置かれたのは「ブローチ」のレプリカ。
「前世」の自分が作った物が今世の友人達を苦しめている。テラードはその事がずっと気掛かりだった。
テラードは「ブローチ」を観察し続け、特徴を細部まで再現した翼の先が欠けた「ブローチ」を作り、すり替える機会を窺っていたと言う。
自分達は「ブローチ」によって記憶が飛ぶ。
「瞳」の力だけならば多少影響はされても記憶が飛ぶ事はなく、見聞きした情報を覚えていられる。
すり替えが出来ればレトニスの計画を実行に移せるのだ。
「ただ、どうやってすり替えるか、だ⋯⋯」
「私にやらせて下さい」
テラードが「ブローチ」を握り零すと、リリックとベヨネッタに付いて来ていた学園寮侍女のユノが手を挙げた。
本来、お付きの立場で発言する事は憚れ、壁に徹していなくてはならないユノ。
その彼女が覚悟を決めた目をしてレトニスに「自分も役に立ちたい」と願い出た。
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寮火災から二日後。
エミールの報告を受けた国王によって主要貴族の召集を掛けられ、レトニス達が四大侯爵の名代で王宮へ登城している間にユノはセプター家へメイドとして潜り込み初めてランゼと会い、ランゼの目の前で「ブローチ」をすり替えた。
そうしてレトニスの計画は実行に移ったのだった。
「女性陣が覚悟しているんですよ? レトニス様達も沈んでいる場合ではありません」
今回、女性陣と男性陣の橋渡しを担うブラントがキャラスティのメモを指し発破を掛ける。
「キャラスティが「ブローチ」を観察して効果の時間や特徴、皆さんの反応を残してくれているのですから⋯⋯やれるだけやりましょう」
ブラントの言葉に其々が改めて強く頷く。
「そう、だな。テラード、お前の報告を聞きたい」
「ああ、レトニスの推測は当たりかも知れないぞ。
──もしかすると大物が釣れるかもな」
レトニスの催促にテラードは不敵な笑顔を向けた。




