アイランドの生活⋯島
──温泉だ⋯⋯。
湯気を揺らした乳白色を前にしてキャラスティは自分の置かれた状況を忘れて感動に立ち尽くした。
目覚めた時、目の前にいたセトと名乗る少年は五日間寝ていたせいで関節が固まり全身が軋んでいるキャラスティをヒョイっと抱き上げるとこの温泉へと連れて来たのだ。
「身体を解しておいで」
いきなり温泉へと運ばれ唖然としているキャラスティに「湯に入る前には水分補給だよ」と果実水を渡してセトは何処かへ行ってしまったのだから素直に入る選択肢しか無かったのだと自身に言い訳をするが、温泉は嬉しい。
──しかも、これシャワーよね。
見上げる先に細かな穴が開けられた頭が付いた物。「前世」で当たり前に使っていたシャワーに似ている。懐かしさにハンドルを開けると雨の様にお湯が降ってきてキャラスティは文明の便利さをしみじみと実感する。
「あら、「水降り」の使い方を知っているのね」
驚きの声を掛けたのは黒い髪を一つに束ね日焼けした健康的な身体つきをしている女性で、ニンマリとしたその人懐っこい笑顔は安心を覚える。
「便利よねこれ。温泉て身体を洗っても硫黄の臭いが勝っちゃうからね。沸かしたお湯で流す方がスッキリするし。髪を洗うのもこれのおかげで大分楽になったわ」
「お湯を、沸かす? どこで⋯⋯」
「ほらあっち」彼女が指差す方向に木製の巨大な樽が鎮座しているのが見えた。
奥のモウモウとした煙が上がっている所でお湯を沸かして樽に送っているそうだ。その樽から高低差を利用して洗い場で「水降り」が使える様にしているのだと言う。
「さあ、座って。洗うから。あんた何処かのお嬢様だったんだね。日焼けもしてないしキレイな肌してるもの」
寝ていたとは言え五日も身体を拭いていないキャラスティは女以前に人として汚いのではないかと不安だったがどうやら「夢」を見ている状態の身体は「冬眠」をしているかの様に身体の機能を最小限に抑えているらしかった。それでも気にはなるもので汚れている自分を見られるのは恥ずかしいと身を引くと彼女はニッカリと笑った後、モコモコに泡だてた石鹸をキャラスティにこれでもかと盛っていく。
「これが「ここ」でのあたしの仕事さ。あんたずっと寝ていてね。セトが身体を拭いてあげろって言ってさ。あたしが拭いたんだ今更気にする事はないよ」
「あ、ありがとうございます」
「⋯⋯あんたも不本意でここに来たんだろ? ちょっと前に来た子達なんてずっと泣いていたよ。あんたは泣かないの? 今なら泣いて良いよ」
苦しくて辛くて泣きたい時は涙が隠れるお風呂で。
身体の汚れと一緒に苦しい涙も洗い流すのだと語りながらキャラスティの身体を摩る彼女の手付きは心地よく、全身を解しながら心も解してくれる。自分よりは歳上だが母親よりはずっと若い彼女を振り返ると優しい瞳に見守られていた。
「あたしは「ここでは」イライザ」
「私はキャ──」
「ダメだよ「ここでは」と言っただろう?」
人差し指を立て「ここでのルールだ」と片目を瞑るイライザにセトから付けられたのは「ステラ」だと答えると意外そうに目を瞬かせた。
「賢いね。順応性があるのは悪い事じゃないよ」
身体を洗い終えるとキャラスティは身体をゆっくりと乳白色の中へ沈ませた。まったりとした熱目のお湯がじわじわと肌に染み込んで気持ちが良い。
ベヨネッタの実家ムードンで入ったお湯はさらりとしていたと皆んなで過ごした時間が懐かしく思い出されたが寂しさよりも「幸せ」だったと感じる想いの方が勝っている。
自分でも不思議な感情だ。
家族に会えると思った矢先に攫われて知らない場所に連れて来られたのに何故こんなにも冷静でいられるのか。
両親とマーティンに会いたい。
テリイは倒れていないだろうかエリザベートは激怒しているかも知れない。
リリックとベヨネッタは心配してるだろう。
レイヤーとテラードは怒っているだろう。
アレクス達にはまた面倒をかけてしまった。
レトニスは⋯⋯大丈夫だろうか。落ち込んでいないだろうか。無茶をしていないだろうか。
皆んなに会いたい。帰りたい。それは確かだ。
なのに、心は凪いでいる。
──ここがどんな所なのかを知らないと。
パシャリと顔にお湯をかけてキャラスティは今の自分が出来る事を考えた。
イライザの口振りだとアイランドは何らかの「ルール」が存在するそれなりに秩序が保たれた場所のようだ。
セトが島と言っていたのだから逃げ出せる成功率は低い。ならば外との連絡を取る手段を探さなければ。
キャラスティは我ながら冷静だと自身に驚きつつやれる事をやらねばと決意を込めてもう一度パシャリとお湯を被った。
──扇風機⋯⋯よね。
湯を上がり用意されていた新しい服に着替えたキャラスティは風呂上がりの果実水を手に涼しい風を送る物に釘付けになっていた。
多少大掛かりで、音が大きいが四枚の羽が扇がれている。
「涼しいでしょう? 温泉の流れで水車が回って動いてるんだよ。扇風って言うんだ。扇が風を起こしてるみたいだからって」
「これを誰が」
「ああ、「ハカセ」が作ったんだよ」
「ハカセ」とは名前なのか職業なのかと問えば名前だと言う。なんでも、そのハカセは発明が好きで洗い場の水降りもハカセの発明。彼は色々な物を作っている変わり者だそうだ。
もっとも、殆どが使い物にならないおかしな物だがたまにまともな物が出来るらしい。
「会ってみたいです」
「その内会うと思うよ。ステラみたいな綺麗な子が興味を持ったとなればハカセも少しはまともになるかもね」
「ダメだよ。僕が先なんだからね」
キャラスティが上がるのを待っていたセトが口を挟むとイライザは豪快に笑って「まだ子供のくせにませた事を言う」と揶揄った。
「イライザさん、ありがとうございます」
「またいつでもおいで」
「次に行くよ」と急かすセトに手を引かれ、連れ出されながらの挨拶なのにイライザは気持ちの良い笑顔で手を振ってくれた。
その後にも驚きが続いた。
セトが「乗って」と示したのは馬車の車輪にゴムの木から抽出したゴムを被せ、レバーを足で踏み込んで歯車を回すと鎖で繋がれた後輪の歯車も回り前へ進む乗り物。
前輪が一つ、後輪が二つ。後輪の上部に幌が付いた荷台が乗った三輪自転車だ。
「人力三輪って言うんだ。馬が居なくても人や荷物が運べるんだよ。これもハカセの発明だけど」
「⋯⋯ハカセさんて凄いのね」
「ハカセの発明品はたまに使える物があるんだ」
セトが漕ぎ出すとゆるゆるとした風が吹き抜ける。アイランドの日差しは強いが吹く風はカラッと乾いて涼しい。
のんびりとした雰囲気に忘れそうになるが、キャラスティは攫われてアイランドに来た。
セトは人が良さそうな少年でも人攫いの仲間。
もしかするとイライザも人攫いの仲間なのかも知れない。
そう考えると信用してはならない。
良くしてくれる人を信用できないのは寂しいがここに味方は一人もいないのだ。
「前世」を思い出した時、誰にも相談が出来なかった。テラードとレイヤーと言う同じ「前世」を持つ二人に出会うまでレトニスに拒絶され「断罪」される恐怖に一人で怯えていた。
たった一人。あの時期と同じだとキャラスティに漸く恐怖が湧いてくる。
ゾッとした。
冷静だったのは初対面にも関わらず何故かセトとイライザを信用していたからだ。
何故そんな簡単に信用したのだろうか。
自分でも冷静だと思っていたが、湧き上がるゾワゾワとした恐怖にセトの背中から少しでも離れようと動いた気配を察したのかセトが少しだけ振り向いた。
その口元が微かに上がっている。
「効き目が弱いのかな⋯⋯」
「えっ⋯⋯何?」
「ううん。僕が付いているから安心、してね」
薄く笑ったきり、それからはセトから話しかけられる事もキャラスティから話しかける事もなく人力三輪は住宅地らしきエリアに入って行く。
住宅は小川に沿って建てられていた。
小屋よりは大きくしっかりしているが住宅と呼ぶには小さい。セトは人力三輪を停めると「着いたよ」とキャラスティの手を取り下ろした。
「ここがステラの家。さあどうぞ」
ドアを開けたセトに促された家は可愛らしい作りで入って直ぐに食堂と居室。テーブルに椅子が二脚。室内にはドアが二つあり台所脇のドアの先には水回りがまとめられ、奥のドアの先にはベッドが置かれている。
クローゼットを開けると今着ているエプロンワンピースとブラウスやスカートが何枚か用意され、台所に戻ると食器と食材、嗜好品のお茶やお茶菓子。少し見回しただけでも生活に必要な物が揃えられていた。
「ステラこっち来て」
セトの呼ぶ声にキャラスティが家の裏側へ行くと小川から家の方へ配管が繋げられ、隣の家を見回せばどの家も配管が小川から家へと伸びていた。
「お風呂はね、家の中でハンドルを開けて二つの桶に水を溜めるんだ。溜めたらここで火を焚いて桶の水を沸かす。水降りを使う時は沸かしたお湯をお風呂場の樽に溜めなきゃならないからちょっと大変なんだけど」
セトはお風呂場を覗き込み、二つの桶を指差す。
キャラスティが倣って覗くと大小の桶が並び、小さい方の桶でお湯を沸かし、隣の大きい方で適温に薄めながら使うと説明を受けた。
キャラスティはクラクラしてきた。
ハリアードの王都でさえ水の引き込みをしているのは王宮、貴族街と学園、大通りの家と店の限られた層だけだった。中通りの層は井戸から水を汲んで各々の家の水瓶に溜めている。
地方になればトレイル家の様な上級貴族の家は水回りが整備されているがキャラスティの実家やリリックの実家は井戸水を汲んでいた。
つまり、湯に浸かるのは富を持つ限られた層が行う贅沢な事で、大部分の層は石鹸水で身体を拭く事が当たり前。その為、香水が発達したのだ。
このアイランドは水降りや扇風が使われ、人力三輪が走り、個々の家でも水回りが整備されている。
スイッチ一つで、とは行かないまでも家に水を引き込み、ハンドルを開ければ水が出る。お風呂に至っては入浴の習慣が有り、家風呂が造られてほぼ「前世」の日本と似た文明を辿っている。
──外の世界とは進みが違う。
「それじゃ中でここでのルールを教えるよ」
室内へ戻りセトと対面で座るテーブルに一枚の紙が乗せられた。
──アイランドの心得──
そう題された一覧にはアイランドでの生活で守るべき項目がずらっと並べられている。
例えばだ。
・住人同士の争いは厳禁。争いが起きそうな時はリーダーへ報告。問題が起きた時もリーダーへ報告しましょう。
・住人同士は助け合う事。普段から助け合う事でお互いの変化に気付きやすくなります。普段と違うと感じたらリーダーへ報告しましょう。
・仕事での利益は平等に。生活に必要な物は配給されます。必要ならばリーダーに申請しましょう。
などだ。
一見秩序がある様に見えて違和感を感じる。
住人同士助け合う事を求めた項目は「助け合い」に目が行くがその真意は「互いの監視」だとキャラスティは息を飲んだ。
「アイランドはみんなで生活しているんだ。大丈夫、受け入れて行くよ」
セトは果実水を飲み切り、キャラスティが同じように果実水に口をつけるまでニコニコと見つめて来る。
キャラスティが一口含み、喉を通ったのを確認したセトは満足気に頷いた。
「それから、リーダーは僕だから何でも相談して。素直で綺麗なステラの為なら何でもするからね」
「ありがとう。セトが居れば安心ね」
反応はこれで正解だったろうか。セトを見つめれば満足している様でキャラスティは胸を撫で下ろす。
今、口にした果実水は温泉で口にした物より舌に苦味を感じた。薬草の様な青臭い苦味だった。
確証はないがセトとイライザを信用してキャラスティの心から「恐怖」が抜け落ちたのは果実水を口にしてからではないか。だとしたら、この果実水を飲み続けるのは危険かも知れない。そう考えたキャラスティは果実水を喉を鳴らすだけで飲み込まず舌に付けるだけの飲んだ振りをしていた。
──この果実水は何か洗脳的な効果があるのかも知れない。
果実水の効果が出ていると思わせる微笑みを向ければセトが頬を染めた。
その表情にキャラスティの心が痛む。セトを騙しているのだと。それでもいくらセトが良くしてくれようと今の時点では人攫いの仲間としか思えない。信用してはならないとキャラスティは自身に言い聞かせた。
「明日は仕事を回るからね。ステラの仕事はその時に決めよう」
「ここだわ。もう来ているのかしら」
「セト、来ましたわよ」
誰かがセトを訪ねて来た。
「入って」とセトの返事に開けられたドアから現れた二人にキャラスティは驚きの声を上げた。
「アメリア! フレイ!」
「まあっ嬉しいわ。貴女もここへ来たなんて」
「ええ、本当に。楽しくなるわね」
「しまった」とキャラスティが口を押さえながらセトを見るが二人は「うふふ」と笑うだけで、雰囲気が何処となくおかしい。
「ダメだよ「ここでは」そんな名前じゃないよ? まだ慣れていないから仕方ないけど気を付けてね。さあ、自己紹介して。これからは仲間だよ」
アメリアとフレイがエプロンワンピースの裾を摘んで軽く腰を下げる。
雰囲気はおかしいがカーテシーだ。
「私は「メアリ」よ」
「私は「フラー」」
「貴女は?」
和かな笑顔で名前を聞いてくる。
二人の様子はセトの手前だからなのか、洗脳が行き渡っているのかそれを知る事は出来ない。
ただ、この時点で分かるのはアメリアとフレイはキャラスティの「監視役」としてセトに呼ばれたと言う事。
──でも、二人はカーテシーをして来た⋯⋯合わせてみるしかない。
この世界は日常でカーテシーの挨拶をするのは貴族階級だ。平民階級は式典や敬意を表す場以外の挨拶は両手を軽く前で揃え腰を軽く折るお辞儀が一般的。
──もしかしたら二人は意図があってカーテシーを披露した?
「私は「ステラ」宜しくお願いします」
キャラスティは二人がしてくれた様にエプロンワンピースの裾を摘みカーテシーを返した。




