破滅を知らせる足音
貴族街は王都の東側に位置し、奥へ行けば行く程爵位が高く、有力な貴族が邸宅を構えている。
その立派な邸宅が立ち並ぶ貴族街の中でも最奥。一際大きく豪華な佇まいのディクス邸の廊下を主人が大股で肩を揺らしながら地下へと向かっていた。
そのディクス邸の主人はバルド・ディクス公爵。
彼は元々男爵家の三男だった。家を継ぐ資格が無かった彼は家を出ると同時に商会を立ち上げた。
その商会は瞬く間に多くの利益を生み出し、多額な納税と寄付はハリアード王国の財政を支えた。
バルドはその手腕と実績を認められ、ディクス公爵を賜った経歴を持っている。
地下室への石段を駆け下りたバルドは迷わず保存室の一つに入り、奥にある棚を動かして鉄の扉を出現させると素早く中へ滑り込んだ。
「なんて事をしてくれた! エルトラ!」
バルドは入室早々に呼び出していたエルトラを怒鳴り付けた。怒鳴られたエルトラは飄々と「座れ」と一言だけ口にして待っている間に開けたワインを傾けた。
「なんて事とは、随分だな。お前が「玉」を集めろと言ったんだ」
「集めろとは言ったが、私はキャラスティ・ラサークを「玉」にしろとは言っていない。しかも「あんなやり方」をするとはっ」
「ランゼが「玉」にしたいと言ったんだ。今のハリアードで「玉」を集めるにはランゼの力が必要だ。ランゼの機嫌を取らねば「玉」集めが難しいのは分かっているだろう?」
呆れたように言い放つエルトラにバルドは言葉を詰まらせた。
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今朝方、王宮からの急使が召集を報せにディクス公爵家を訪れ、急ぎ登城したバルドは仰々しい空気に面食らった。
集められていたのは大臣達と大老達。そしてまだ学生の身ではあるが四大侯爵名代として召集された次期四大侯爵達。
バルドを始めとした大半の面子は召集された理由が分からないと言う面持ちだったが、大老の一人であるラドルフ前トレイル侯爵は怒りのオーラを放っていた。
国の中枢を担う一同が揃ったその場で聞かされた「ある令嬢の拉致事件」。
王都ではマルタ子爵令嬢とタール男爵令嬢の失踪事件が先日起きたばかり。
国として失踪者捜索専門の部門が設置され、街の警備も最強化された中、再び貴族の令嬢が居なくなった。
その令嬢は学園の寮で襲われた。
寮の火災騒動に紛れての犯行だった。
現場検証の結果、寮の裏手の林から寮の応接室窓下まで火薬が走らされ、爆発を起こされていたと言う。走らされた火薬の火と、爆発で飛んだ炎は林と応接室へ移ったが雨のお陰で居住エリアの延焼は防げたらしい。
「被害にあったのは、キャラスティ・ラサーク」
告げられた令嬢の名前にバルドは目を見開き叫びそうになるのを耐えた。先に大臣達の驚愕の声が上がりバルドの反応は誰にも感付かれる事なく「当然」の態度としてその場に馴染んだ。
キャラスティ・ラサークと言えば国王を始めとした中枢から彼女の持つ「知識」が重要視され始めている。
しかも、これまでどこのパーティーにも姿を現さなかったキャラスティは先日のディクス公爵家主催の夜会では国王の右腕だと言われるエミール・シラバート伯爵にエスコートされ、その仲睦まじい姿に二人は婚姻を結ぶのではないかとも噂されていた。
おまけにアレクス王子、次期四大侯爵達とも浅くはない交流がある。とりわけ溺愛に近い可愛がり方をしているのはトレイル家だ。
いくらエルトラの娘が消して欲しいと言ってもキャラスティは些細なミスでこの身が破滅する「危険な獲物」。
手を出すつもりなどバルドは一切無い。
なのに、同じく危険を知るはずのエルトラが娘可愛さに乱暴なやり方でキャラスティを消しにかかったと言うのか。
──エルトラの奴⋯⋯勝手な事を。
怒りが湧き上がり手の平に嫌な汗が滲む。
誰にも見られないよう俯いたバルドの表情は鬼の形相だったと思う。
ふと、刺さる視線を感じたバルドは顔を上げて息を飲んだ。
ただでさえ整った顔は黙っていれば冷たい印象を受けるもの。それなのにレトニスとラドルフが一層冷え込んだ深緑の瞳でバルドを射抜いていた。
──大丈夫⋯⋯何も気付かれてはいない。
実際キャラスティの拉致にはバルドは関わっていない。トレイル家に睨まれるような事は何も無いのだから。
しかし、もし、彼らに取り入ろうとしているランゼが口を滑らす事があったら⋯⋯ディクス公爵家とセプター男爵家の「裏稼業」が表沙汰になったら。
バルドは破滅する。
狼狽を見せるな。威厳を保て。
バルドは神妙な表情を心掛け、慰撫を込めてレトニスとラドルフに頭を下げた。
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バルドが睨んで来る。
努めてエルトラは気丈に構えるが内心は大嵐が吹き荒れている。
キャラスティの拉致はエルトラも「あんな事を仕出かす」とは思っていなかった。寧ろ、ランゼにはキャラスティは無理だと言っていたのだから。
先の二人は簡単だった。
ランゼが街へ連れ出し、ソレント侯爵家のシリルとベクトラ侯爵家のユルゲンをランゼの力で誑かしている間に攫えたのだ。
だが、ランゼは二人だけでは納得しなかった。「私がやるわ」と人を集め実行してしまったのだ。
ランゼの力でゴロツキを誑かし、本当に寮を襲撃してしまった。
雨の夜、セプター家に運ばれたキャラスティを見てエルトラは立ち竦んだ。
──どうしてここに連れて来たんだ⋯⋯。
今なら間に合う、保護したとトレイル家に届ければ疑われないだろうか。
必死に言い訳を考えるエルトラの横でランゼは気を失っているキャラスティを満足気に見下ろしながら楽しそうに笑っていた。
「折角攫えたのだからどこかの娼館に売ってしまえば良いわよ。攻略対象者⋯⋯みんなを侍らしているんだから男好きビッチだもの適職だわ」
娼館は無い。
少し考えればわかる事なのにランゼは本当に何も分かっていない。
娼館は捜索が真っ先にされる場だ。客も誰がやって来るか分からない。そこで身の上を話されれば身元は直ぐにバレるのだから。
エルトラは自身を棚に上げ、いつも意味の分からない事を言い、寮を襲撃し、セプター家に連れて来た挙句に娼館へ売り飛ばすなど後先を考えない思慮が浅いランゼに絶望した。
このままセプター家に置いておけば置くほど発覚の危険度が上がる。
その夜の内にエルトラは「アイランド」へキャラスティを運ばせたのだった。
「娘の管理を厳重にしろと⋯⋯言ったではないか」
「私の身も危機に陥っていると言う事だ」
頭を抱えたバルドの前にエルトラは茶色のガラス小瓶を内ポケットから取り出した。
「ランゼはアレクス王子と次期四大侯爵達を欲しがっている。娘が邪魔だと言っていたキャラスティ・ラサークが居なくなった今、あの思慮が浅い娘だ直ぐにでも彼らに近付くだろう。もし、娘が彼らに我々の秘密を話した場合、彼らが我々の「裏稼業」を知った場合⋯⋯コレを彼らに飲ませる」
「流石に娘は可愛いと言うことか」
「あの娘の力は使える」
引き返す事が出来なくなった今、二人には堕ちる道しか残されていない。
コトリ⋯⋯とした物音にバルドは扉を振り返った。
この部屋は内側の音が漏れない造りになっているが二人は息を潜めた。
扉の向こう側に居る人物は荷物を運び出しに来たのだろうかしばらくガサゴソとした後、コツコツと足音を立てて部屋を出て行った。
バルドとエルトラに冷や汗が流れ落ちる。
もう聞こえないはずなのに、やけに耳に残るその足音はバルドとエルトラに破滅を知らせに来た死神の足音に思えた。
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──やっと邪魔者を排除出来たわね。
ランゼはキャラスティと無理矢理「友達」になり、唯一お揃いで手に入れたチョーカーを鏡台に投げ置きながらほくそ笑んだ。
ランゼがキャラスティと行動を共にしたのは仲が良いと周りに知らしめる為だった。そう見られることで「キャラスティに何かがあった際」に疑いの目が向けられない様に。
ランゼは「前世」の経験から虐めや嫌がらせをしても仲が良い者は疑われないと知っている。
──つまらない子だったわね。
ランゼにとってキャラスティは退屈でつまらない存在だった。
子爵位とは言え、話に聞くラサーク家は裕福なのに街へ出ても財布の紐が堅かった。
チョーカーすら一つ買わせるのに苦労したのだ。
渋るキャラスティにランゼの色「桃色」をランゼはキャラスティの色「紫色」をお互い持ちたい、友達とお揃いの物が持ちたいと説得して何とか買わせた。
それだけではなく「ヒロイン」と「悪役」の立場を分らせようとランゼが「ブローチ」を使って攻略対象者達に蔑ませても傷付くどころか面倒気に彼らを窘めたのだから尚更、面白くなかった。
攻略対象者達はそんなつまらないキャラスティの何が良いのか「ブローチ」を使っていない状態の彼らは常にキャラスティを気に掛けていた。
キャラスティも少しは美人だが、容姿はランゼの方が優っている。
下級貴族のくせに常に貴族らしく振る舞うキャラスティよりも明るく庶民的なランゼに好印象を持つはずなのに攻略対象者達の「好感度」は上がらなかった。
──キャラスティが関わると「ゲーム」と違う流れになるんだもの。
特にレトニスだ。ランゼの知る「ゲーム」ではキャラスティはレトニスに嫌われている。ところがどうだ、レトニスはどう見てもキャラスティに好意を持っているとしか思えない。
アレクス達もだ。
彼らに街へ出かける誘いをランゼがすれば、断られはしないが表情と行動がチグハグな感じなのにキャラスティに誘わせると思春期男子のような反応を見せた。
──キャラスティが攻略対象者を攻略してるみたいだったわ。
何よりもそれが一番腹が立った。何を勝手に攻略しているのかと。
「ヒロイン」はランゼだ。キャラスティなんかが「ヒロイン」にはなれない。させない。
──でも、もう居ないのよ。「ヒロイン」は私。
何度も邪魔なキャラスティを消してくれと言ったのに父親とバルドは渋った。ヤキモキしたランゼは二人がやってくれないのなら自分がやるとセプター商会に出入りする下っ端を使ったのだ。
「瞳」の力でランゼが「お願い」すると彼らは爆発火災のどさくさに紛れて攫うと言う到底ランゼの様な可愛い娘が指示したとは思えないやり方でキャラスティを連れて来た。
気を失い転がされたキャラスティを見下ろして改めて「ヒロイン」は何でも叶うのだと優越感に浸った。
「ふふっ⋯⋯」
これで「好感度」を上げられる。
その為のライバル令嬢はリリックとベヨネッタにやらせよう。キャラスティが居ないあの二人なら簡単に「悪役」をさせられる。何もかもが上手く行く。これで攻略対象者達との恋愛を進められるのだから機嫌だって良くなる。
これからが楽しみだと我慢が出来ずに笑いが溢れた。
「お嬢様、何か良い事でもございました?」
「ええ、とても。今夜はレストランでお祝いしたいわ。お父様は今日は?」
「旦那様はただ今外出されておられます」
「なあんだつまんない。そうだ! 新しいドレスも欲しいわね。攻略対象者の好きな色を準備しなくちゃいけないし、おねだりしなくちゃ」
部屋の片付けをしていたメイドが散らかった鏡台のアクセサリーを整え最後に鏡台へカバーを掛け直して振り向いた。
「素敵なブローチですね」
「ふふふっ。デザインは子供っぽくて私の趣味じゃないけどね。まあ、私の大切な物よ。ついでだから磨いておいて」
「お嬢様の大切な物であれば、心を込めて磨かせていただきます」
落としたのであろう翼の先端が欠け、丸く変形している「ブローチ」をランゼは大切な物だと言う。
大切な物だと言うのならもう少し丁寧に扱うものではないかと思いながらも、どことなく宝石がくすんで見える「ブローチ」を手にしてメイドは微笑んだ。
「これで如何ですか? もう少し磨きましょうか?」
「あら、綺麗になったわね。いいわこれで」
どこが綺麗になったのかは分らないが、「ブローチ」に散らばる宝石の「輝きが増した気がするわ」とランゼは喜んだ。
磨きクロス上の「ブローチ」を鷲掴みして奪うとそのまま身に付け「出かけるわ」と部屋を飛び出すランゼをそのメイドは微笑みを絶やさずに見送った。
「お礼すら言えないのね」
メイドが部屋を出て行く足音がコツコツと響く。
もし、ランゼが自分の所の使用人をしっかり認識していたのなら。
もし、ランゼが周りを見る目を持っていたのなら。
そのメイドが見知らぬ者だったと気が付いたのかも知れない。
ランゼは破滅の足音を聞き逃していた。
♪ブクマ、★評価、✏︎感想、嬉しいです。本当にありがとうございます。
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