自覚はしても隠し通す理由
アメリアとフレイの行方は依然として分からないまま四日が過ぎた。
学園は五日間の臨時休校となり、「ユルゲンが一人にするなって言っていた」と大義名分を手にしたレトニスにこの四日間毎日通われ、朝から夕方まで居座られた。
担当侍女のユノは宣言通りレトニスを至れり尽くせりにもてなし、応援のつもりか事ある毎に進展させようとリリックとベヨネッタと共に画策しているのを執事のベルトルに見つかっては阻止される光景が繰り返されている。
レトニスが居座るのを気にしなければ良いと諦め、エミールから届けられた小説をお茶と菓子を用意して読み始めればレトニスに「読まなくていい」と邪魔をされ、隙あらば距離を詰めて来るのを必死に避け続けキャラスティが「近寄らないで」と怒れば嬉しそうに頬を染められてレトニスの性癖が心配になった。
休校最終日、五日目の今日もレトニスは元気に通って来た。
テーブルに持ち込んだ手紙を広げ一つ一つ開封しては目を通し振り分けているが、やる事があるのなら自分の家でやれば良いものをと思いつつ、この隙に小説を読んでしまえと思いがけず穏やかな時間を過ごせている。
キリの良いところまで読んだキャラスティが時計を見ると小一時間程経ち、向かい側のレトニスを見れば手紙を持ちながらソファーにもたれ、うたた寝をしてしまっている。
気持ちよさそうな寝顔をしげしげと観察してみれば、長い睫毛と艶のある黒髪が掛かるキメの細かい肌。整った顔立ちの寝顔にキャラスティは落ち込んだ。
寝ていても美形なのだから神様は残酷だ。
──神様? じゃないか⋯⋯攻略対象者だものデザインが違うわね。
鏡に映る自分の姿に落胆の溜息が出る。肩下までの髪を一房持ち上げれば癖が入り、キツく見えるつり目がちな目はコンプレックスだ。
つり目でもレイヤーのような意志の強さは無く、リリックのように大きくも無い。かと言ってベヨネッタのような優しい印象は皆無だとガッカリする。
これでキャラスティが「ゲーム」のように嫉妬深く、意地悪だったらレトニスはキャラスティが好きだなんて素っ頓狂な事を言い出さなかっただろう。
「ゲーム」のキャラスティはレトニスに付き纏い、迷惑だと思われるほど我儘放題だった。
キャラスティが離れようとする前にレトニスの方から離れて行かれて当然の「悪役」。
──「悪役」に徹すれば離れてあげられるのだろうけど。
だからと言って「ゲーム」のキャラスティになっては元も子もないとキャラスティは頭を振る。
──それにしても、本当に憎らしいほど整ってるわね⋯⋯。
レトニスの寝顔に黙っていれば本当に美形だとしみじみと思う。
「またその癖。勘違いされるから無闇に人を見つめたらいけないよ?」
ぼんやりと眺め過ぎてレトニスが起きたのに気が付かず、困ったような視線とかち合う。
「勘違いじゃなければ嬉しいけど」と背伸びをするレトニスに指摘された癖は二年前にも「同じ事を言われた」と思い出させ、ついでに思い出さないようにしている気持ちまで思い出させられた。
何も知らないでいられた子供の頃は「レト兄様」が「好き」だった。兄への「好き」が恋心に変わるのは自然の流れでいつかは諦めるだろうと「好き」が溢れそうになれば気持ちを蟻の観察や野花の押し花作りで昇華していたのに加え、運命的な出会いでも無く、決定的な出来事も無い中で変化した「好き」は目立つ好意行動を抑制してくれた。
レトニスは「ゲーム」のせいで避けられたと思っているが、理由はそれだけでは無く、距離を作り出したのは大人になるにつれて嫌でも理解する立場の違いに「好き」の気持ちを「無かった事」にするようになったからだ。
「好き」だから嫌われる前に離れたい。
「好き」だからトレイル家を継ぐレトニスの邪魔になりたくない。
幼馴染でも、どんなに近くにいられても「特別」なレトニスに平凡な自分は相応しくないのだから「好きにならない」ように、「好き」だと自覚しないようにしていたのにキャラスティは急激に恥ずかしくなる。
「熱でもあるの? 顔が赤い──」
「なん、何でもないっ。⋯⋯手紙、読み終わったの? 返事、書かないとならないでしょ? 今日は帰った方がいいと、思う」
「また⋯⋯追い返そうとしないでよ。本当に大丈夫? やっぱり熱あるんじゃない?」
帰したい、帰りたくないの攻防は呆気なく勝敗がつき、レトニスに身を乗り出されて緊張に体が強張る。
確実に熱はある。「好き」だと自覚すれば熱だって上がるし、頬は焼けるように熱くなりピリピリする。見られたくないと思えば、どんな顔をすれば良いのか分からなくなってしまった。
手を伸ばされればビクリとキャラスティの肩が跳ねた。
覗き込まれた表情は苦しそうでまた傷付けたとキャラスティは顔を伏せた。
「怖い?」
「レトが怖いとかじゃ、無くて⋯⋯」
この感情は怖いの反対だ。これは秘めておくべき感情だと再び心の奥底に気持ちを押し込んで今まで通り「無かった事」にしなくては。
「エミール様から貰った本が思ったより大人向けだったから、人前で読むのは気恥ずかしくなっちゃって」
「はい? えっ? そんなに? やっぱり読んじゃダメだ。アレとかソレとかっ⋯⋯なんて本を読ませるんだエミールさんは! そう言うのはキャラにはまだ早い!」
数日前に「アレ」と思われる発言をした口で何を言ってるのか。
エミールから届けられた小説は約束通りの「年の差ロマンス」。大人の男性と大人びた少女の大人の関係を描いた恋愛小説で、際どい表現がされてはいるが純愛ものだ。
「やっぱり油断ならないっ」と憤るレトニスに何とか誤魔化せたとキャラスティは胸を撫で下ろした。
気持ちは気付かれていないと安心して息を吐くとレトニスの瞳が「好感度」の変化に揺れ、冷ややかな視線で見られている事に気付いた。
「ねえ、まさかだけど、俺から離れる為にエミールさんと結婚するつもりなら⋯⋯許さないよ。そんな事するなら、本当に閉じ込めるから」
レトニスの歪んだ愛情にほんの少し、衣食住に困らない生活は「悪くない話」だと言いそうになり慌てて口を噤んだ。
四大侯爵家の制約上トレイル家がキャラスティを迎えるには「愛人」しか今のところ道は無いのに「閉じ込める」とは「愛人」にしますと宣言されたようなもので、結婚前から愛人がいるのは外聞が悪いだろうし、誠実な紳士で通っているレトニスに似合わない話だ。
「そんな言い方はエミール様に失礼でしょ。──それに、レトは「閉じ込める」側じゃなくて「閉じ籠る」側じゃない?」
恐らく今日は帰った後でレトニスはクローゼットに閉じ籠る。もしくは毎日閉じ籠っている可能性がある。トレイル家の執事、エガルの苦労を思うとレトニスの癖も大概だ。
「っ、今はっ、たまにだよっ! あーもう、どうしたら分かってくれるの⋯⋯」
キャラスティは十分に分かっている。
分かっているからこそ、トレイル家の後継者として幸せになって欲しいと気持ちを仕舞い込んで「無かった事」にし続けると決めているだけ。
頭を抱えるレトニスに「分かってる」と心の中で声をかけても声に出す勇気は無いのだ。
不貞腐れるレトニスに「お茶を淹れる」とテーブルの手紙を片付けさせ、ワゴンに手を伸ばすキャラスティの背後で「あっ」と声が上がった。
レトニスが手にしたアマリリスの紋章が押された白い封筒。それはキャラスティにも見覚えがあり正直届けば胃のあたりがキリキリしてくる相手からの手紙だ。
「大叔母様からだ」
レトニスに苦笑いされ、祖母はまだトレイル家に面倒事を頼んでいるのかとキャラスティは落胆する。
学園でキャラスティはどんな生活をしているか、トレイル家に迷惑をかけていないかと伺う内容と、見合い相手の身上書を入れて祖母のエリザベートはキャラスティに直接送れば良いものを全部レトニスを通して連絡をしてくるのだ。
そのおかげでキャラスティに来る見合い話は先に内容を知れるレトニスによって阻止されているのだが。
「⋯⋯大叔母様達、月末にこっちへ来るって」
「えっ!? 何で?」
「寮の定期連絡は本当かって。キャラがアレクスやテラード達とどんな付き合いをしているのかって⋯⋯読んでみて」
祖母の文字はやや右肩上がりに書く癖はあっても達筆だ。筆圧が元気だと主張している。
学園からの定期連絡に書かれたアレクス王子を始めとする人達との付き合いは本当なのか。
レトニスを通して面識がある程度ならまだしも個人的に寮への訪問があり、レトニスが頻繁に寮へ足を運んでいるのはキャラスティが問題を起こしているからではないか。
見合い話もレトニスに断らせているのはどう言うつもりか。
事の真意を確かめる為に月末、ラサーク家とウィズリ家が王都のトレイル邸を訪問すると言う内容だった。
相変わらず孫への信用が無いとキャラスティが乾いた笑いを零すとレトニスが続ける。
「⋯⋯それから、これが毎回入ってる身上書。今更だけど、大叔母様からの手紙に入っている見合い話を伝えてなくて、ごめん」
キャラスティに渡せと届く見合い話はいつもレトニスが勝手に断りを入れていた。
これまで何人の断りを入れたのか聞きたいが相当数だとレトニスの表情が物語っている。
「⋯⋯だって、キャラが相手を好きになったら嫌だから」
しかし、断り続ける事でレトニスの思惑を外し、予想外の噂が広がってしまっていた。
噂の始まりはラサーク家の新商品が物珍しさと機能性を兼ね揃えた物で市井での評判が良いと貴族の間で話題になり、キャラスティが発案者だと知られ始めていた事から。
噂が走り出したのはセレイス公爵家が旗振りをしている王都と地方を結ぶインフラが急速に進み始め、進んだ背景には娘のレイヤーと友人のグリフィス侯爵家のテラード、ラサーク家のキャラスティが互いの身分を超えた友情を深めアイデアを出し合ったとセレイス公爵が行く先々で上機嫌に話した経緯から。
前者も後者も「前世」の記憶があるからこその話でも、この世界では見た事も聞いた事もないやり方の提案がキャラスティにより一層の「特別」感を持たせた。
重ねてレトニスがキャラスティの見合い話を断りまくった結果「トレイル家がキャラスティを隠している」と言う噂を生み、今では尾鰭が付いて「キャラスティはトレイル家の「特別」な切り札」だと言われてしまっている。
レトニスが見合いを断れば断るほど「特別」感が増し、エミールが直接交渉にやってきた事で漸く自分の行動が軽率だったと思い知り、貴族達の思惑が政略的でも不本意に恋敵を増やす事になったのはレトニスの失策だ。
「反省してる⋯⋯」
「もう良いわよ。それよりお祖母様になんて説明すれば良いのか考えるわ」
エリザベートはキャラスティが悪いと思い込んでいるのだから何を言っても言い訳としか取られないはずだ。
何も問題を起こしていないと、どう説明すれば信用してもらえるだろうか。アレクス達には親切にしてもらっているとだけ言えば良いだろうか。
見合い話は「まだラサークの娘で居たいからごめんなさい」で通すしかない。
「それにね、こんな時だけど、こんな時だからお父様とお母様に会えるのは嬉しい」
家族を思い嬉しそうに頬を緩ませたキャラスティにレトニスは自分ではまだ頼りないのかと少しだけ寂しく感じ、思わず頭を撫でた。
抵抗する事なくされるがままになっているキャラスティの頬が再び染まった。
「ねえ、やっぱり体調悪いんじゃ⋯⋯」
「違うのっ、なんか、意識し⋯⋯あっ違うっ!してないっ何でもないっ」
「──へぇ⋯⋯」
目を瞬かせ「意識、してくれたんだ?」と意地悪気にレトニスは笑う。嬉しそうなその表情にキャラスティは罪悪感が湧く。
本気で離れたいのなら嫌われても突き放せば良い。むしろ嫌われた方が良いのは分かっている。それをしないのは心の何処かでは好意を向けられる事を嬉しく思っているから。
容姿のコンプレックスも身分を盾に逃げるのも過剰な自己肯定感の低さも、傷付きたくない、誰にも嫌われたくないと言う八方美人の気持ちを隠した卑屈な理由からだ。
期待させる行動を取ってしまう打算的で臆病な自分自身が嫌になったが、キャラスティはレトニスにはぎこちなくむくれて見せた。
夕方「また、明日」と機嫌良くレトニスが帰るのを普段通りに見送り、翌日の準備をしている時間帯に「来客」だと応接室へ呼ばれた。
誰かと聞けば女性だと言われレイヤーなら部屋に直接来るはずだと首を傾げるキャラスティにベルトルから意外な名前が飛び出した。
「ランゼ・セプター様と仰られてましたよ」
ベルトルの口から告げられた名前にキャラスティは固まった。




