焦る、焦れる、焦がれる、拗れる
怒らせた。怒られた。
怒られても嬉しく感じるのだから割と重症だ。
肩を落とすフリをすればキャラスティはむくれながら目を伏せる。その仕草が愛らしくて堪らなくなる。
キャラスティが笑ってくれるのは嬉しいに決まっている。名前を呼んでくれたら尚、嬉しい。
むくれられるのも、呆れられるのも、照れられるのも自分に向けられる感情は全部嬉しい。
自分がキャラスティの感情を動かしている。そう思うと尚もって喜ばしい。
もっと怒って欲しい、もっと笑って欲しい。
もっと照れさせたい、もっと困らせたい。
全ての感情を自分だけに向けて欲しい。
なのに、エミール・シラバートが彼女の前に現れ結婚を申し込んだ。彼は優秀で国王陛下の信頼も厚く、同性から見ても包容力があり、余裕のある紳士的な大人だった。
キャラスティも最初は驚き、警戒していたが、笑顔を向けるようになり、少しづつエミールを信頼し始めている。
焦らない訳がない。
奪われたくない。その一心で動けば動く程空回りする自身が情けなくなった。
「ねえ、レト。眠いなら帰った方が良いんじゃないの?」
呆れられている声色。レトニスは「呆れてくれた」と嬉しくなる。
エミールとアレクス達が帰り、「帰らない!」とごねていたレイヤーを「事件直後なのに仮にも公爵家の令嬢がウロウロしていては示しがつかない」と説得してテラードとブラントに送らせた。
リリックはレトニスの魂胆を察して「ちょっと部屋に行ってくる」とベヨネッタを連れて出て行った。
二人きりになるとキャラスティは気まずいと言いた気にバルコニーに出ると、アレクスとハーブの店に行ってから「興味が出た」と育て始めたカモミールとスペアミントのプランター前に座り込んでしまっていた。
青々と⋯⋯もっさりと育っているハーブにさえも嫉妬しかねない程に、レトニスは座り込んだ後ろ姿を眺め続け「振り向いて欲しい」と願った。
ハンカチに甘い香りのカモミールの花を乗せ、やっと振り向いてくれたと思えば「帰れ」だ。嫌がられている予想はしていても当たるのはそれはそれで切なくなる。
呆れられても嫌がられても粘った。尚の事、帰る訳には行かない。
悔しくも切ない想いでレトニスが無言で見つめればキャラスティは溜息を吐く。憂いさえも自分に向けられたキャラスティの感情だと思うともっと自分に困れば良いと欲が出る。
「リリーもベネも部屋に行ったきり帰ってこないし⋯⋯あ、ちょっとレト! 本当に寝るなら帰──」
「帰らない。キャラも一緒に寝れば良いよ」
隣をポンポンと叩く。「何言ってるの⋯⋯」と困惑を見せても、隣に座って欲しいのにと大袈裟にガッカリすればキャラスティは絶対的に自分を見捨てないとレトニスは知っている。
「ダメ?」と駄目押しすれば「ズルイ⋯⋯」とキャラスティは仕方なく「一人分」開けて隣に腰を下ろすのも分かっていた。
テーブルに摘んできたカモミールの花を一つ一つ並べるキャラスティの手つきを眺めれば花に嫉妬心が芽生えて花を除け去りたくなる。
「っ!? やだっちょっとっ!」
前回は押し倒した。
今回は一人分のスペースが丁度良い距離だったのを幸にキャラスティの膝の上へとレトニスは倒れ込み、無理矢理膝枕に持ち込んで花を並べる手を止めさせた。
「退いてってば。ここで寝ないでっ」
「退かない。子供の頃は一緒に昼寝したよね」
「子供だったからでしょっ」
膝の上で向きを変え、キャラスティの腰に腕を回せば「──ヒッ」と小さな悲鳴が上げられた。
──今では怖がられるのも嬉しいんだ。
恐れられ、怯えられるのは「自分」を認識してくれているから。怖いのは自分の手を離れ、忘れ去られる事だ。
「寝ぼけてるの? リリーが帰って来たらどうするのっ! 恥ずかしいから離れてっ」
「離れない。リリーは分かっているから帰って来ないよ⋯⋯ねえ、もう「断罪」に怯える必要はないんだよね? それなのに、このままエミールさんのお嫁さんになっちゃうの?」
息を飲んだ気配がした。腰に縋る腕の力を込めればキャラスティは身体を固くし、緊張しているのが伝わって来る。
「好きな人が誰かのものになるのを見ているのは苦しいよ。苦しくて辛くてどうすれば良いか分からない自分が焦ったくて、何をやっても格好悪くなる」
焦れる気持が逸る。
「ゲーム」のせいで苛立つ思いをしているのに「ゲーム」の様に好きになって欲しいと思慕は募るばかり。
エミールが現れた事で焦りは不安を大きくさせ、自身に焦れた。
四大侯爵家のトレイル家は制約に縛られ、殊更婚姻は権力と情勢に左右されてきた。また、古代から続く血筋を濃く残す為に伯爵位以上の家との婚姻が基本条件とされている。
古い人々は何故伯爵位以上なら濃い血筋が残せると考えたのか。答えは簡単な事で自分達の権力の為だった。
後継者教育の中で知った馬鹿馬鹿しい権力争いの為の制約。
こんな馬鹿馬鹿しい制約のせいで子爵位の家のキャラスティは「愛人」として、でしかトレイル家に迎え入れられない。それを知るラサーク家はキャラスティとの釣り合いはエミールの方が取れる、娘が幸せになれると判断するのだろう。
ラサーク家はレトニスから見ても仲が良い家族だ。弟が誕生しても両親がキャラスティに向ける愛情は変わらなかった。
嫡男が出来れば娘は権力と家の維持の為に駒として扱うのが貴族の性質。娘は良い家に嫁がせ縁を結ぶだけの道具でしかない。
王族、上級貴族の正妻になれなくとも家の為に囲いの愛妾に差し出される事も珍しくない。
ラサーク家はキャラスティに「それ」をさせようとは考えておらず、キャラスティが望むなら釣り合いの取れた貴族に嫁がせる。望んだ相手が平民なら暖かく送り出す。そんな家だ。
だからこそ、トレイル家がキャラスティを寄越せと強制しても「愛人」として差し出すのではなくトレイル家に「仕える」者として寄越される。
手元に置いておける意味では違わないが、トレイル家の「使用人」では結局キャラスティが自分以外の人のものになるのを変えられない。
「制約を変えるにもまだ爵位を継いでいない俺には功績もなければ説得できる力もない。変える前に、説得力を付ける前にキャラが居なくなるんだって焦って、自分に焦れて、焦がれ過ぎて、いっその事閉じ込めてしまおうって、考える」
焦がれて歪む。
奪われたくないのもは大切に宝箱にしまい込んでしまえば良い。
キャラスティの身体から力が抜けるのが伝わって来た。顔を上げると「見上げないでっ!」と手の平を当てられレトニスの視界は阻まれた。
「おかしな事を考えないでよ⋯⋯そこまで思い詰める価値無いでしょ、ただの──」
「幼馴染だから勘違いだって言うんだろ? そう考えた事もあるよ⋯⋯勘違いしていると思い込もうとした。思い込めなかったけど」
統括する家の跡取りとして、系列家の幼馴染への過剰な保護を恋心だと勘違いしている。レトニスもその可能性を考えた事があった。
想像もした。
レトニスの隣に豪華なドレスで笑みを浮かべた女性が立ち、藤色のワンピース姿のキャラスティは顔が見えない人物に幸せそうな笑顔を見せていた。
何故自分にその笑顔が向けられていないのか、何故幸せそうに笑うのか、何故隣の女性がキャラスティではないのか。
顔の見えない「誰か」に嫉妬した。
「⋯⋯重症ね⋯⋯」
「また他人事みたいに⋯⋯何度でも言うよ。勘違いなんかしていない⋯⋯キャラにはただの幼馴染でしかないの?」
ずっと自分の気持ちだけを押し付けて来た。
嫌われてはいない自信は有ってもキャラスティはいつも受け流していた。幼馴染として「好き」でも、異性として「好き」になろうとしてくれていない。レトニスが「恋愛ごっこ」に飽きるのを待っているかのようだった。
再びキャラスティは息を飲んだ。
「⋯⋯レトに私なんか相応しくないよ」
「そんなの聞き飽きたよっ!」
レトニスが飛び起きた反動でカモミールの花がテーブルから落ちたのを何事も無い素振りで拾い上げるキャラスティに腹が立つ。どうして分かってくれないのか苛立った。
「俺に相応しいって何? ⋯⋯俺が侯爵家を継がなければ、貴族でなくなれば応えてくれるの?」
「馬鹿な事言わないで。レトだって分かってるんでしょ。トレイル家は好き嫌いが出来る立場の家じゃないって。それに、無理を通すのにレトはまだ力不足だって」
「──っ、それでも、はっきり聞きたい」
「異性として好きになれない」と、言われたら、諦めが付くどころかそれならそれで、キャラスティが嫌がっても侯爵家から圧力を掛けて「愛人」にする踏ん切りが付く。
「⋯⋯、好きだから⋯⋯好きに──」
レトニスの心臓が跳ねた。
胸が躍るとは本当に心臓が跳ねるのだと言わんばかりに早鐘をかき鳴らす。
「聞いたからねっ撤回は受け付けないからね! 結婚しようっ! 今すぐ! あっでもご両親にご挨拶して、ウチの両親とお祖父様に報告して⋯⋯ああ、その前にエミールさんにちゃんと断らないとね。それからアレクス達も。四大侯爵家の制約だって既成事実を作ってしまえば⋯⋯うん。しよう。今からしよう? ああっ! でも結婚してからのが良い?」
レトニスはキャラスティを抱き締め捲し立てた。
いつもならキモチワルイと非難される内容でも関係ない。やっと想いが通じた相思相愛だと感慨が無量に溢れるのを止められない。
「待って! レト落ち着いて、最後まで聞いて!」
「待たない。聞いたから! 「好きに」してって言った! もう待たない!」
「好きにしてなんて言ってない!」とクッションを顔に押し付けられてレトニスは仰け反った。
意味が分からないとキョトンとするが嬉しさに口元は緩みっぱなしだ。
「もうっ! 好きだから「好きにならないように」してるの!」
「ほら、好きにしてって⋯⋯え? 好きに、ならない?」
「好きにならない」とはキャラスティの言っている意味が全く分からない。
どう言う意味だとレトニスは固まった。
「俺が好きなんだよね?」
「うん」
「好きなのに好きになってくれない?」
「うん」
「えっと⋯⋯説明してもらえる?」
「あのね」とキャラスティが机の引き出しから紙を取り出し、カモミールが乗っていたテーブルに広げて相関図を書き出した。
つまり、キャラスティはレトニスが「好き」だが、レトニスは侯爵家の跡取り自分は子爵位の娘。レトニスがトレイル侯爵を継ぐ上で必要な政略的利益が自分にはない。平凡で特別容姿が秀でている訳でもないキャラスティはレトニスに相応しくない⋯⋯と言う事らしい。
何度もやりとりした内容を改めて説明され、レトニスはガックリと肩を落とした。
──ああ、これは堂々巡りだ⋯⋯。
『でも、まあ、キャラは結構面倒臭い子だから頑張りなよ』
以前アルバートに言われた言葉が思い出された。
確かにこれは面倒だ。
レトニスも大概拗らせているがキャラスティも大いに拗らせている。
「──なのよ。分かった?」
キャラスティは満足気にペンを置く。書き込まれた相関図には色々な単語が並び「あ、後これもだ」と書き込んだのは「悪役」の文字。
もはや何を説明されていたのか分からない。
「ああ⋯⋯うん。キャラが拗らせているのは良く分かったよ⋯⋯」
「拗らせているのはレトでしょ?」とキャラスティはむくれた。
「ただいまーっ。どう? 懇ろなご関係になれたかしらー? リリーに感謝しなさい⋯⋯あら?」
明るく部屋に入ってきたリリックが笑顔のまま二人を見て固まった。
「⋯⋯リリー」
「ダメだったのね。レト⋯⋯」
リリックは「キャラって手強いでしょ?」と苦笑いで半泣きのレトニスの肩を叩いた。




