「ヒロイン」なのに 知らない事が多すぎた
──冗談じゃないわ。イベントは終わったのよ。
ランゼが攻略対象者と踊り、それをキャラスティが責め、ランゼは彼らに庇われた。
キャラスティが逃げ帰ればそれで「夜会イベント」は終了。
なのにだ。突然現れたモブが話を進め始め挙句バルコニーへ連れ出そうとして来た。
何者かは知らないが「ヒロイン」の自分に指図するのが気に入らない。後をついて行くフリをしてそのままランゼは方向を変え、控室への廊下を走った。
──でも、いいわ。イベントは成功したのだし、キャラスティの悔しそうな顔、見られたもの。
普段どんなに仲が良かろうと所詮は「悪役」で脇役だ。アレクスが身の程を説き、レトニスが離れろと言った時は嬉しさで笑いそうになった。
彼らの隣にキャラスティなんかが居て良いものではない。「ヒロイン」であるランゼのもの、取り返す。
「⋯⋯、⋯⋯」
ふと、長い薄暗闇からホールの騒めきとは違うボソボソとした話し声が聞こえた気がした。
何処から聞こえるのか、ランゼは歩みを止め並ぶドアの一つ一つに聞き耳を立てた。
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向かい合って座るバルド・ディクスとエルトラ・セプターの間には親密さと牽制が混じり合う。
セプター商会がハリアードに拠点を移す手助けをしたのは公爵のバルド。
バルドが一介の商人から公爵まで上り詰める手助けをしたのはエルトラ。
互いが持ちつ持たれつのバランスを維持し、意図を読み合い、利用し合う関係が続いている。
「今夜は上機嫌だなバルド」
「分かるか? ⋯⋯まあ、お前の娘にも、面白いものを見させてもらったよ」
招待した客人が「噂」の令嬢を連れてきた。
今まで何処の茶会にも夜会にも姿を現さなかったラサーク家の令嬢がディクス公爵家の夜会で踊った。それだけでも機嫌が良くなるものだ。
そこにセプターの娘、ランゼが突然王子と次期四大侯爵と踊り来客達の不信を買ったがラサーク嬢とシラバート伯爵が窘め場を収めると言う、バルドには面白い構図だった。
「ランゼか⋯⋯あの娘は容姿だけだ」
「父親のお前がそう言うな。その容姿のお陰で王子達と親密だと言うでは無いか?」
「⋯⋯お前は何も感じなかったのか」
期待半分だったがバルドにランゼの不思議な力は通用しなかったのかとエルトラは苦笑した。
バルドは親密だと言うが、ランゼと王子達との噂は良く無いものばかり耳に入る。
目に留められて寵愛を受けていると言うより「人が変わった」王子達と人目も憚らず戯れていると聞く。ランゼの不思議な力が作用しているのだと分かるが上手くいけば王子妃、侯爵夫人だと好きにさせている。
「おかしな事を言う。まあ、良い。所で「玉」は集められたのか?」
「無理を言うな。反王制組織の奴らのお陰で街は厳戒態勢だ」
「ああ、彼奴らか。余計な事をしてくれた」
少し前の話になる。
反王制組織を名乗る輩によって王都で初めて「人攫い」が起きた。正確には、これまでも行方不明者は居たが、表沙汰にされず放置されてきた。
国が重い腰を上げたのは、とある貴族の令嬢が被害に遭ったからだった。
ただ、その時は貴族が被害に遭った事は隠蔽され無かったことにされた。
その後、被害に遭った令嬢がラサーク家のキャラスティだったと判明し、国は泡を食った。
既に「勇気ある国民」の為に国が動くシナリオとしていた王族と上級貴族達は一斉にキャラスティへの機嫌取りを画策した。
王族は王子を使い王宮へ招待したが、これまで王宮へ上がる事も茶会にも夜会にも一切キャラスティは姿を現わす事が無かった。
だからこそ、ディクス公爵家主催の夜会に姿を現した価値が高くなる。
「そろそろ補充しないとならないのだがな。お前の商売にも影響が出てしまうぞ」
「そうは言っても⋯⋯」
「⋯⋯今ならば、何か事が起きても反王制組織の仕業と出来るのではないか?」
「──っ!」
エルトラは息を飲んだ。バルドの呟きは命令だ。反王制組織の仕業に見せ掛けて「玉」を集めろと言う事だ。
「玉」集めが失敗してもバルドは公爵、国はバルドの言い分だけを聞き、言い逃れをされ、エルトラだけが咎を被る事になるだろう。捨て駒にされるのは真っ平御免だ。
苦々しい思いを込めてエルトラはバルドと睨み合った。
「おじ様、お父様」
「話し声が聞こえたから」
「⋯⋯どこから聞いていた」
「怖い顔なさらないでおじ様。「玉」集めからよ。ねえ、お父様、私もお手伝いするわ」
ノックもせず不躾に入室したランゼは睨むバルドに可愛い微笑みを向けてエルトラに甘える。
ランゼはフリーダ王国にいた頃から不思議に思っていた事があった。
気に入らない街娘、意地悪な貴族令嬢、しつこい男。ランゼがエルトラに愚痴ると次々と姿を消した。「人攫い」に遭ったと教えられ、怖いと思ったのは最初の頃だけ。ランゼは都合が良いと思うようになった。
彼らはエルトラが消してくれていたのだと今、漸く繋がった。
そして理解した。二人の話す「玉」とは「人」だと。
「娘のお転婆が過ぎるのでは無いか? エルトラ」
「⋯⋯知っていたのか? ランゼ」
「今気付いたのよ。難しい事はよく分からないけど。でも、大丈夫! だって、私は「ヒロイン」だもの」
あっけらかんと胸を張るランゼにエルトラは溜息を吐く。
ランゼは思考が浅く、そして幼い。
「ヒロイン」だとおかしな事を言い出すのも今回が初めてでは無い。
「知られたのなら、お前も俺も危ないな⋯⋯。エルトラ、娘の管理は厳重にしてもらうぞ。万が一、が起きれば、分かるな?」
「⋯⋯ああ、私の身が一番危ういだろう」
「大丈夫だってお父様! みーんな私の為にやってくれたんだもの。ずっとバレてないでしょう? それにいざとなればアレクス様達だって私の味方にできるわ」
アレクスの名前が出るとバルドの口角があがった。
バルドが知る「噂」はランゼの容姿に騙される愚かな王子様と次期侯爵達。それだけだった。
「ねえ、友達顔して来るのと、私の邪魔をするのがいるの⋯⋯「玉」に丁度いいと思うの」
ランゼがバルドに縋り付き、手を握る。ランゼがバルドの漆黒の瞳を見つめると彼の表情が緩んだ。
──ランゼの不思議な力は、かける相手を意識しないと発揮されないのだな。
もしも、の際にはランゼの不思議な力で切り抜ければよい。幸いランゼはエルトラを頼り、信じている。
「ランゼお前は「魅了」が使えるのか?」
「もうっ! 違うわ。私は「ヒロイン」よ。これは「祝福」って言うの」
「特別」なランゼに与えられた「祝福」の力。「ヒロイン」であるランゼの為にこの世界はある。
エルトラの「仕事」はランゼにとって都合が良い。邪魔な物、嫌な物は全て排除する。
「でもね「祝福」は男の人にしか効かないの。だからそこは気を付けてね」
「ああ、分かっている。それでお前の言う「玉」は⋯⋯」
「フレイ・タールとアメリア・マルタ。それから⋯⋯キャラスティ・ラサーク」
「祝福」の効果はあっても驚きが勝ったバルドの目が見開かれ、エルトラは息を飲んだ。
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せめて昼間に来てみたかった。
ディクス公爵家の夜会からエミールに連れられて来たのはまさかの王宮。
虫の音と月明かりの中、キャラスティは広過ぎる城内をひたすら歩かされる。右に曲がったかと思えば左。そしてまた左。並ぶ調度品も似通ったものが並び、同じ場所を行ったり来たりしている気もする。
「エミール様、同じところを進んでいるように思うのですが」
「城の作りは複雑にされているんですよ。同じ調度品を並べたり入り組んだ廊下は侵入者を撹乱させる為。防衛の意味がありますから」
「防衛学で教えられました。これがその作りなのですね」
「良く学ばれているようですね」
キャラスティは、はた、と恥ずかしくなる。
城に出入りする上級貴族なら知っていて当然の事をしたり顔で返すものでは無かった。キャラスティが知っているのは机上の論で実際の作りは複雑だ。
改めて、ここで急に置いて行かれたらこの城から出られないのではないかとキャラスティは身震いした。
「寒い? これ、羽織っていなよ」
「ちがっ、寒い訳じゃ⋯⋯あり、がとう」
エミールを警戒してなのか隣を譲らないレトニスがキャラスティの肩に上着を羽織らせた。
キャラスティは肩に回された手に力が入っているのを掛けられた上着越しに感じ、不機嫌さは完全に解けた訳ではないとバルコニーで勘違いされる様な事をしてしまった手前、気まずさに顔が見られなかった。
「シラバート伯爵、この先は王族の居城だ」
「そうですよ? 陛下がお呼びですから」
しれっと恐ろしい事をまたエミールが言ったとキャラスティに再び身震いが起きる。
「アレクス様、陛下⋯⋯とは国王陛下ですよね」
「ああ、俺の父上だ。あっまて、帰り道が分からなくなっているだろっ離れるな」
「ですがっ! 国王陛下なんて恐ろしいですっ! 私なんか直ぐに罰せられてしまいます! そんなの嫌です! 私は城の中で飢え死にを選びます!」
「何でそうなるっ! そんなに怖がらないでくれ」
逃げ出そうとするキャラスティの腕をアレクスに右を、レトニスに左を取られ、身長のある二人に挟まれた姿はまるで「前世」で見た捕獲された宇宙人だとキャラスティは項垂れた。
「⋯⋯か、下級貴族⋯⋯は皆、そうなのか?」
「はい?」
「その、キャラ達には陛下も俺達も、恐怖でしかないのか?」
薄暗くて細微な表情は見えないがアレクスの声に戸惑いが含まれているのはいくら鈍感なキャラスティでも分かった。
「違う、と思います。けれど、私のような下級貴族や平民にとっては⋯⋯住む世界、守る規律が違う雲の上の方々です」
「⋯⋯その様に思っているのか」
捕らえられた腕はそのままで身体は半分宙に浮き、キャラスティは自分が益々捕われの宇宙人に思えてきた。
──王宮に出入りする上級貴族の三人から見たら私なんかはあながち「宇宙人」で間違いではないだろうけど。
「⋯⋯キャラ、変な事考えてるでしょ」
「最近レトは私の心を読むの上手くなってない?」
「アレクス、何ですか? 女性をなんて扱いしているのです」
捕獲されたまま進む薄暗闇に凛とした声が響いた。
キャラスティが顔を上げた視線の先、ランタンの光に金色の髪の美しい女性が浮かんだ。外見の美しさだけではなく内面から気品と優しさが滲み出ている。
「母上、これはっ」
「貴方達は身長があるのですよ。足元が浮いて辛そうでは無いですか。すぐに離しなさい」
女性の一言で腕が解放され、エミールとレトニスが敬意を表し頭を下げるのに倣いキャラスティは二人の後方へ控えた。
「お待たせして申し訳ありません殿下。アレクス王子、トレイル侯爵家嫡子レトニス、ラサーク嬢をお連れ致しました」
「ありがとう。シラバート伯爵。貴女がキャラスティ・ラサークね。初めましてクレア・ハリアード、アレクスの母です」
「キャラスティ・ラサークと申します。王妃様には夜更けにお目通りいただき光栄です」
「そんな畏まらないで。失礼を通しているのはこちらなのですから」
そんな訳にいかない。キャラスティに冷や汗が流れる。何か失礼をしたら一巻のおわりだ。
「そんなに緊張していたら陛下に会ったら倒れてしまうわね。アレクス、先にお行きなさい。キャラスティは甘い物で少し落ち着かせてから私がお連れするわ」
助けを求める為に三人を見るが揃いも揃って目が「そうしなさい」と言っている。
王妃の厚意をキャラスティが辞退出来るわけもなく、クレアの侍女にあっという間に羽織っていたレトニスの上着を返され後に促された。
「さあ、甘い砂糖菓子が良いわね。紅茶は街で流行っているフレーバーティーにしましょう」
砂糖菓子の様に甘く優しい微笑みのクレア。
彼女は王妃様だ王族だ。些細な失敗でも命取りになる。
何か失敗しない自信がない⋯⋯。
自分の人生はここで終わってしまうのかとクレアの微笑みにキャラスティは絶望した。




