「悪役」だから 泣きませんよ
騒めきが起きた。
ホールの中央でランゼが薄ピンクのボールガウンを揺らし、アレクスとレトニスの間を妖精のようにフワフワと舞っている。
その姿は絵画的で美しく、一組また一組と周りの人達はダンスを止め、脇へと下がり独占状態だ。
曲が変わり、三人が引くかパートナーを変えるかと思われたがお構い無しにそのままホールを独占し続け、好意的だった貴族達の騒めきに非難が混じり始めた。
「まずいですね⋯⋯」
驚いたように眺めていたエミールが腕を組み呟いた。
「王子と次期四大侯爵とあろう者があの様な振る舞いをしては、問題がありますね」
「問題⋯⋯同じパートナーと続けて踊るのはマナー違反⋯⋯ですか?」
「まあ、我々貴族は礼儀作法に厳しいですが、それだけなら苦言の範疇でしょう。
それよりも身分と立場が有るのに他者を顧みない行動は、状況判断力が欠落している、と見られてしまいます。彼らに良く無い評価が下される⋯⋯分かりますよね?」
踊る三人を見てキャラスティは頷いた。
確かに、ホールを縦横無尽に楽む三人は自分達だけの世界に入り込み、周りが見えていない、見ようともしていない。
キャラスティは二人の行動が本心からではなく「影響」されてのものだと理解しているが他勢はそれを知らないのだ。調和を乱し、気づかいを忘れた振る舞いのアレクスとレトニスがどの様に見られているか。
騒めく貴族達の反応がエミールの言う事は尤もだと証明している。
「⋯⋯、エミール様今夜はお誘いいただいてありがとうございます⋯⋯楽しかったです」
エミールのキョトンとした表情にキャラスティは笑顔を見せた。
このままではランゼの「魔法」に掛かっているだけなのに二人が悪い評価を下される。キャラスティがやる事、やれる事は、この場で王子であるアレクスと次期侯爵であるレトニスに楯突き、彼らに向けられた視線を「不敬な令嬢」に逸させる事。
「この国の王子と本家の嫡子が道を誤るなら貴族として、末端でもトレイルに連なる者として正さないとなりませんよね」
「⋯⋯何を、するつもりだい?」
「エミール様は私なんかより相応しい方がいらっしゃいます。私は「悪役」なので役割を果たして来ます」
今回はレイヤーもリリックもベヨネッタも居ない。アレクスとレトニスの名誉を守れるのは自分だけ、一人でやるしかない。
幸い、キャラスティには気にする評判は無いのだとホールの中心、三人の前へ進み出た。
演奏が止まり、騒めきだけが残る。
突然止まった音楽に戸惑うランゼを愛し気に見ているアレクスとレトニスに「魔法」が掛かっているとキャラスティは確信すると、二人の背後に隠れたランゼを一瞥し、背筋を伸ばして二人を見据えた。
「アレクス様、レトニス様、ダンスをお楽しみの所、失礼を致します」
ランゼを庇う二人が不愉快だと言う表情で立ちはだかると身震いをしそうになるのをキャラスティは抑え込んだ。
逃げたくなる様な美貌の二人から向けられたその視線はとても冷たい。
『ラサーク嬢、皆が楽しんでいる場に水を差すとは何のつもりだ』
「不敬を承知で参りました。アレクス様とレトニス様はご自分が今、何をなされているのか、ご自覚はされておりますか?」
アレクスがキャラスティを家名で呼ぶ事はない。
『キャラスティ、君こそ、自分が何をしているのか分かっているのかい?』
畏った場以外、どんな時でも愛称だったレトニスに愛称で呼ばれない。
「周りをご覧ください。皆様、御三方に遠慮しておられます。どうか、ご配慮ください。
それに⋯⋯ランゼさんは同じ方と続けて踊る意味を、お分かりですか?」
「アレクス様もレトニス様も私と踊りたいって仰ったのよ⋯⋯だから私──」
「貴族には貴族のルールがあります。アレクス様もレトニス様もお優しい方です。お二人を困らせる様な事はお控えになるのがよろしいですよ」
「⋯⋯私⋯⋯知らない。知らないのに⋯⋯」
涙を溜めてしがみ付くランゼを二人が慰める。その姿は庇護されるに相応しい、か弱さと儚さがあった。
『ランゼは何も悪くない。ラサーク嬢、君は身の程を知らないと見える』
『キャラスティ、ランゼに嫉妬を向けるのは良くないよ。いい加減「兄離れ」してくれないか』
「アレクス様、レトニス様、私、キャラスティ様が怖いです⋯⋯」
強い言い方をした訳でも無いのに怯えるランゼの肩を抱く二人から鋭い眼光を向けられ背中に冷たい痺れが伝う。
投げられた言葉と視線は普段とは反対だ。
上手く事を運ばないと王族と上位爵位に楯突いた行為で「シナリオ」を待たずに「断罪」されると、キャラスティは恐怖で震えが起きるのをぎゅっと両手を握りしめ耐える。
── そんな事、され無い⋯⋯。私は「ゲーム」の私じゃ無いもの。でも、これからどうすれば⋯⋯。
「ゲーム」ではランゼが攻略対象者に庇われて終了する。「夜会イベント」を「悪役」として演じたは良いが現実はこれで「はい、終わり」とは行かない。
考えが浅かった。キャラスティは一人では抗えない不甲斐なさと、考え無しを後悔した。
いっその事、アレクスとレトニスに罵倒でもされれば逃げ帰れるのかも知れないが、それでは二人の評判を下げるだけでキャラスティがしゃしゃり出た意味が無くなってしまう。
しかし、このままでは三人の世界に入り込まれて退場するのが難しくなるのが想像できる。
何とかして真ん中に居座るのでは無く、バルコニーにでも移動させたい。その先は移動させてから考えれば良いだろう。バルコニーでなら罵倒されても二人の評判に付く傷は浅いかも知れない。
「此処では他の方に迷惑を掛けます。場所を変え──」
「どうやらセプター嬢は「慣れていない」ようですね。お二人がご心配されるのも私は、分かりますよ。踊り続けてお疲れでしょう? あちらで少し休憩しませんか」
軽快に手を鳴らしたエミールが明るい声を上げて場の空気を壊した。
キャラスティは安堵の息を吐き、助け舟を出してくれたエミールを見上げると「大丈夫だから」と微笑みを返され、背中を支えてくれるエミールの暖かい手に不安が解される感覚にキャラスティは目の奥から込み上がって来るものが溢れない様、必死に抑え込んだ。
「少々過剰ではありますが、弱き者に手を差し伸べる。流石、王子様と次期四大侯爵様です」
満面の笑みをたたえ、大袈裟な仕草で壁側の貴族達に振り向いて呼び掛けると視線はエミールに集中する。
「皆様、お優しいお二人と、キャラスティ嬢の勇気ある進言にこの場は収めましょう」
痴話喧嘩や御家騒動、話題のネタになる物に敏感な分、貴族は「取り繕う」術を心得ている。何事もなかった様に振る舞うのは貴族が得意とする分野だ。
エミールが右手を上げ合図を送ると演奏が再開され、ダンスが始まり、談笑の騒めきに変わると不穏だった空気は元通りになった。
それは見事な収め方だった。
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場が収まったとしても好奇の視線が無くなった訳では無く、愛想笑いを返しながらバルコニーに出たものの、ランゼは移動の間に居なくなってしまい、アレクスとレトニスは罵倒して来るどころか切れかけている「魔法」と現の間で俯いたまま黙り込んでしまった。
首を傾げつつもそんな二人をベンチに座らせたり飲み物を渡したり甲斐甲斐しく動き、手摺りに並んで一息吐くエミールに薄寒さを感じた事を申し訳なく思う。
「エミール様、ありがとうございます。⋯⋯私なんかが出しゃばっても何も出来なかったですね⋯⋯恥ずかしいです」
「確かに、後先を考えないのは良くないですね」
エミールにどんな意図があるせよ、結婚を申し込んだ相手がトラブルに首を突っ込むだけで何の解決も導き出せなかったのだ、呆れられて当然だ。
「けれど、貴女はお二人を守る為にあの様な事をしたのでしょう?」
「結局はエミール様に助けられました」
キャラスティは巻き込んだ申し訳なさに上手く笑えなかった。
「あの、そろそろ中へ戻りませんか?」
アレクスとレトニスはもう暫く休めば大丈夫だろう。回復してキャラスティが目の前に居れば、二人はまた持たなくて良い罪悪感に悩む。
その前に自分はこの場を立ち去るべきだと離れようとしたキャラスティを並んで寄り掛かっていたエミールは項垂れている二人を一瞥し、隠す様に手摺りに追い詰めた。
「⋯⋯聞こえてましたよ。身の程を知らない、兄離れしろと、言われてましたね⋯⋯どう言う意味でしょうか?」
「きひゃあっ!」
不意打ち気味に耳元に囁かれ思わず耳を押さえたキャラスティを青藍の瞳が目前で覗き込んで来ていた。
良い人だと思ったが、「ただの良い人」では無い。エミールの瞳には含みがある。何かを探っている、そんな目だ。
「私の知っている彼らは貴女にあの様な事は言わない。セプター嬢が側に居たのが原因ですか?」
「じ、事情が、ある、のでは無いですか?」
「当然あるでしょう。けれど、不可解だ。まるで人が変わった、いや、全くの別人だ。
それに、言われた内容より、何か別の事に貴女が怯えていた様に見えましたよ」
アレクスとレトニスの事情、ランゼの「魔法」の影響だと、どうして言えようか。
キャラスティの事情「断罪」される可能性に怯えたなんて言おうものなら心の状態を疑われる。
「将来の有力者が得体の知れないものに操られている」と軽く口にすれば彼らの立場は元より、国政に関わる内容になるのかも知れない。
深層を探る瞳を信用して良いのだろうか。エミールは敵なのか味方なのか。
そもそも結婚を申し込んだ理由がアレクス達との交流が良好であり、トレイル家の系列だと言うだけ、なのだろう。
掌を返したアレクスとレトニスの突き放した対応にキャラスティがただの子爵令嬢で、なんの特徴も利益も見出せなくなった苛立ちからだろうか、僅かな嫌悪が滲んだ涼しげな青藍の瞳から目が離せなくなった。
夜半の夏に通る風はじっとりと纏わり付き、首筋を伝い流れる汗がくすぐったい。
「⋯⋯何を、し、ているんだっ⋯⋯」
低すぎる声が「かなり、物凄く、最高潮」に怒っていると物語る。
エミールの背後からは抱き合い見つめ合っている様に見えるのだろう。
キャラスティからは「魔法」が切れ、不機嫌な表情のアレクスと憤怒寸前のレトニスが見えた。
「何って、お話をしていたんですよ」
飄々と答え、どさくさに肩を抱いてくるエミールに煽らないでもらいたいと見上げて、汗が伝うキャラスティの背筋が凍った。
口元は笑みを浮かべているがエミールの視線はひどく冷淡な光を宿している。
「⋯⋯あれえ? どうしてそんなにお怒りなのですか? アレクス様、レトニス君、お二人は先程キャラスティになんと言ったのか⋯⋯覚えていないのですか?」
「エミール様! 過ぎた事です!」
「魔法」の間は記憶がない。
だから攻略対象者達は解けた後に罪悪感と不安に苛まれる。
「身の程知らず。兄離れをしろ。そう言ったのですよ」
エミールの言葉に二人の空気が凍りついた。
「どう言う意味なんでしょうか」と揶揄うエミールに対峙する二人から怯えた視線を向けられてキャラスティはどう言う顔をすれば分からなくなる。
笑みを浮かべても涙を浮かべても同じだ。
「泣きたかったでしょうに我慢されて。健気でしょう?」
見せ付ける様に抱き寄せられると我慢が利かなくなりそうでキャラスティはエミールに縋った。
「泣き、ませ、んよ」
怖くなかったわけではない。
「魔法」の影響下で二人がキャラスティをどんなに貶し、粗略に扱おうがそれが本心では無いと分かっている。信じている。
それでも恐怖で一杯だった。
「私は「悪役」です。泣きません」
エミールは口角を上げて頷く。
「アレクス様、レトニス君。話を聞かせてもらおうかな。君達が考えている以上に深刻で君達だけの問題ではなくなっているんだよ」
「シラバート伯爵、どう言う意味──」
「国王陛下の意向、と言えば分かりますか?」
アレクスが息を飲み、レトニスが目を見開く。
エミールは抱えるキャラスティにも「貴女にも話してもらいます」と囁いた。




