それぞれの夜会
ディクス公爵家の夜会はそれはもう、華やかで豪華なものだった。
此処が王宮だと言われれば信じてしまう程のホールには大きな黄金のシャンデリアがいくつも下がり、装飾が彫られた大理石の柱はよく見ると所々に宝石が埋め込まれて光を反射させている。
並べられた食事も締め付けるコルセットが無ければ端から全部試して見たい珍しい物ばかりだ。
招待客も威厳のある老紳士、恰幅の良い紳士、知的な青年、体格の良い青年、洗練された貴婦人、品のある令嬢と、上級貴族の中でも国の中枢に携わる有力者達ばかりだった。
ここはまさに栄華を誇る貴族の世界。
そんなギラギラした世界はあまりにも場違いではないかとキャラスティの溜息が溢れた。
「溜息を吐いた憂い顔もお美しい。ドレスも思った通り良く似合ってます」
「⋯⋯あり、ござ、い、ます」
さらりと恥ずかしい事を言うエミールにどんな表情で返せば良いのかと失敗した笑顔が引き攣る。
あんまりなキャラスティの表情に吹き出したエミールは「肩の力を抜いて、君は注目されているのだから」と、視線が痛いのを見ないようにしているのに恐ろしい事を言う。
キャラスティはせめてエミールが恥ずかしい思いをしない様に大人しく気配を消す事に徹したいのに代わる代わるエミールの知り合いがやって来ては品定めされる。
その視線に以前レイヤーに特訓された「艶然」を浮かべてみるが上手く行っているのか自分では分からないがエミールが満足気にしているのだから上手く笑えているのだろう。
「交流する人脈もですが、付き合いも心得ている。トレイル家が隠していただけの事はありますね」
「⋯⋯買い被りすぎです」
「貴女はご自分の価値を知らなすぎます。トレイル家にも我々にも「特別」なのですよ」
また「特別」だ。
平凡で地味なキャラスティの何が「特別」なのか。キャラスティは居心地の悪さをその言葉に感じてしまう。
ラサーク家がトレイルの系列である事が「特別」ならスラー家のリリックも同じではないか。
エミールの知り合い達も口々に「トレイル家が隠していたラサーク嬢」と言う。隠されて居たと感じた事はないのにトレイル家が悪く言われている様で良い気はしなかった。
キャラスティの納得がいかないと言いたげな表情にエミールは肩を竦め「知らないのか知らないフリをしているのか」と軽く笑う。
エミールは周囲の視線はキャラスティを異質な物として見ているのではなく、トレイル家が隠し続けたラサーク家の令嬢にどう話しかけるか、どう近付くかを伺っている視線だと続けた。
悪い人では無いのだろうが、エミールの中でキャラスティの人物像が盛られすぎている様に思えて仕方がない。
褒められるのは嬉しい。しかし、褒められ過ぎるのは落ち着かない。ソワソワなのかゾワゾワなのかむず痒さを笑顔で誤魔化したが恐らく失敗したと後悔する間も無く、悪戯な笑みを浮かべたエミールに手を引かれダンスの輪の中へ連れ出されたキャラスティは大いに焦ることとなった。
テスト対策で特訓したと言っても「まし」になった程度だ。エミールはかなりの上級者らしく、キャラスティが足を踏みそうになるのを軽やかにかわしては、あたかも新しいステップの様にリードする。
「エミール様っ、ダンスは苦手だと言ったはずですっ!」
「聞こえなーい」と子供の様に戯けてお構いなしにリードするエミールにクルクルと回されれば周りから感嘆の声が上がるが、キャラスティは周りなぞ見る余裕は無く、エミールにされるがまま必死に付いていくだけだ。
止まる事なく演奏される曲が変わるのを区切りにダンスを終えると一部から拍手が湧き上がった。
我に返ったキャラスティは一気に恥ずかしくなり、早く壁側に移動したいとエミールの手を引っ張り輪の中から脱出するが、踊った事が話し掛ける切っ掛けとなり、待ち構えていた人達にあっという間に囲まれてしまった。
「シラバート伯爵、ラサーク嬢。今夜はようこそ。楽しんでいただいておりますか?」
一際豪奢な衣装のバルド・ディクスに名指しされキャラスティはエミールの半歩後ろに下がり頭を下げる。親気に話す二人は「ラサーク嬢を連れ出せた」などとの変な会話と、含みのある笑顔を浮かべたエミールに漸く強引に踊らされた理由を理解した。
公の場でキャラスティの存在を明らかにし、エスコートしているのはエミールだとアピールする。社交の場に出て来ないトレイル家の系列ラサーク家とシラバート家は懇意にしていると強調する為だったのだと。
貴族らしい考えと行動だが、キャラスティの預かり知らぬ所で大袈裟になり過ぎではないか。
──うう⋯⋯っ早く帰りたい⋯⋯。
取り繕った笑顔が剥がれないよう、上機嫌のエミールに合わせて愛想笑いを返すキャラスティ。
その姿に憎悪と恋慕を含めた視線が向けられているのをキャラスティは気付けないでいた。
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青藍色のドレスで踊っているのはいつから執心し始めたのか思い出せない程に焦がれる幼馴染。
自分以外の男に笑顔を向けるのを見たくは無いのに、この目は一挙一動を追う。
狭い世界の狭い視野の思い込みからだとしても、運命的な出会いをした訳でも無く、衝撃的な出来事も無いからこそ、ゆっくりと時間を掛けた恋心は執心を深めて行った。
「こんばんはトレイル様。あちらで踊られているのはラサーク家のご令嬢ではありませんか?」
「こんばんはワース伯爵夫人。ええ、誘われたそうですよ」
「まあ! やっぱりお噂の。社交の場にお出しになるようになりましたのね。トレイル家はラサーク嬢を表に出さないと思っておりましたのよ」
「まさか。そんな事は無いですよ」
キャラスティが夜会や茶会に行きたいと言えばいつだってエスコートした。それをしなかったのは行きたいと望まれなかったからだ。
噂通りに隠して、閉じ込めるのはいつでも出来た。自己肯定感が低く、派手な場所を好まず、目立つ事を嫌う彼女に安心し、何もしなかったのはレトニス自身。
「息子にご挨拶させないとなりませんわ」ワース伯爵夫人が息子を嗾けながら場を離れると、レトニスに溜息が零れた。
「主催する夜会にトレイル家がラサーク家の令嬢を参加させたと、ディクス公爵も満足だろうな」
「俺が連れてきた訳でもないし、キャラが来たがった訳でもないよ」
「⋯⋯本当にお前は分かりやすい」
側にきたアレクスに苛立ちを向けるのは門違いだと分かっているが、彼も思う所があるようにキャラスティを見ている一人だ。
ただ、もし、アレクスが行動に出たとしてもキャラスティは「私なんか」と逃げるのだろう。
彼女は誰に対してもそうだ。だから、自分だけは近い存在だと慢心していた。
ダンスを止めた二人が輪の中から抜け出して行く。
すぐさま囲まれ愛想を振り撒くエミールの魂胆は最初から分かっている。
シラバート家は領地を持たない宮廷貴族。産業利益が無い。
元々裕福ではあるがラサーク家はここ一年で新しい品の開発が進み利益を上げている。
その上、キャラスティは末端でもトレイル家の系譜に並ぶ。四大侯爵家の一つと縁を結ぶのに丁度良い年齢、血筋、身分、立場が思惑を持つ者には「特別」になるのだ。
「特別」なのはそれだけでは無い。
正確に言うと「特別」だとされているのは西のグリフィス侯爵家のテラード、セレイス公爵家のレイヤー、ラサーク子爵家のキャラスティ。
彼らの「発想」が利益をもたらすと言われ始めているのだ。レトニスはそれが「前世」から来る「発想」だと今では理解しているが。
「王家でも⋯⋯キャラの名前が上がるようになったからな」
「知らないのは本人だけ、なんだ⋯⋯」
「アレクス様! レトニス様! 探しちゃったわ。ここにいらしたのね!」
「ランゼ嬢、来ていたのか」
「もう⋯⋯まだ上がらないのかしら」
桃色の少女が纏わり付く。
接して来て分かった事がある。自分達はランゼを拒む事が出来ないのだ。
「ヒロイン」だからと笑う彼女に嫌悪感すらあると言うのに振り解く事も邪険にする事も何故か出来ない。
気持ちと行動が噛み合わない気持ち悪さ、これも「ゲーム」の影響かとレトニスは毎回ウンザリする。
何よりもキャラスティを敵視している少女に何故愛想を向けなくてはならないのかと。
「ランゼ嬢、人目があるのだから弁えてもらいたいのだが⋯⋯」
「人目があるからいいんです!」
ランゼの瞳にアレクスが取り込まれる。アレクスに手を取られたランゼがレトニスを見上げた。
──ああ⋯⋯まただ。
そう思うとすぐにレトニスの意識は途切れた。
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上位爵位が開催する夜会。
「ゲーム」と同じドレスを仕立て、エスコートは主催のバルド・ディクス公爵。
可愛らしい、美しいと讃美されればランゼの自尊心は満たされる。
さぞランゼを隣に置いて幸せだろうと見上げるとバルドはランゼを見ず、満足気にキャラスティを眺めていた。
それだけでも苛つくのに、また邪魔するのかとランゼは憎らしくキャラスティを睨んだ。
「おじ様、キャラスティ様にお声をお掛けになったらいかが?」
「そうだな。縁を作って損は無いだろう」
バルドが離れるとすぐにランゼは攻略対象者を探す。目的は「夜会イベント」を発生させる事。バルドに教えられた夜会に参加している攻略対象者はアレクスとレトニスだ。
「ゲーム」でキャラスティが夜会に来る場合、強引にレトニスに付いてくるのだが、断られたのかエスコートして居るのは知らないモブだった。
それなら都合が良い。
モブならばキャラスティと一緒に追い詰めても「シナリオ」には関係ない。
「夜会イベント」を起こし上位爵位の面前でランゼがアレクス達に庇われれば、ランゼは「善」キャラスティは「悪」だと上級貴族達に印象付くだろう。
──「好感度」も上がるし一石二鳥ってやつね。
「アレクス様! レトニス様! 探しちゃったわ。ここにいらしたのね!」
ランゼは二人の間に入り込み上目遣いで見上げる。まだ「好感度」が上がっていない状態の反応を返され、たまに小言を言われる事があるが、振り解かれる事は絶対に無いと知っている。
戸惑うアレクスとレトニスの瞳を見つめ、ランゼはブローチを握り締めた。
「祝福」に影響された攻略対象者がランゼに微笑みを向け甘やかし始めれば彼らが「落ちた」合図だ。
──さあ、夜会イベントを進めなきゃ。
「アレクス様、レトニス様、誘ってくれないんですか?」
『可愛いランゼ、踊っていただけませんか?』
『アレクスの次は俺だからね? 良いね?』
ランゼは差し出されたアレクスの手を取りレトニスに腕を絡ませてホールの中心に立った。




