前世から来世
おかしな夢を見た。
白亜の城と煉瓦造りの街並み。王子様と貴族。横文字の名前と色取り取りの髪。
それは、前職で最後に手掛けた「ゲーム」の夢だった。
「夢」の中で自分はキャラクターの一人となり、学園生活をしていた。ただ、キャラクターと言っても残念ながらヒロインではなく悪役として。
しかも、夢の中でもビールを欲していたのだから我ながら呆れた。
「お姉さん、起きた?」
もぞもぞと掛布団を除ける音で起きたのが分かったのか遮られた向こう側から声が掛かり「今、起きたよ」と答えると、少し開いたカーテンの隙間から隣の「マナ」が顔を出した。
マナは隣になってから起こしてもらったり体調が悪い時は手を握ってくれていたりと、どっちが「お姉さん」だと看護師や医師、同室の人達から揶揄われる位に仲良くなった子だ。
「お姉さん⋯⋯この間はありがとう」
「ん? 何かしたかな? いつも何かしてもらってるのは私の方じゃない?」
「妹⋯⋯アイミに、ゲームあげてくれて、ありがとう」
「ああ、そんな事、大した事じゃないよ」
「ううん。お姉さんは、優しいわ」
マナが頬を染めて微笑んだ。
サクラギとマナが同室の隣同士になった時にプレゼントした「恋愛ラプソディ〜恋の祝福〜」。
マナはどの人が良い。こんな事言われてみたい。と、遊んでくれていた。
先日、見舞いに来たアイミがマナの遊んでいるゲームが欲しい、頂戴と強請った。
マナはアイミが欲しいと強請ったものは全部あげていたのをサクラギは見て来ている。今回もあげてしまうのだろうと見守っていると、マナは「このゲームだけはあげられない」と抵抗した。
貰えるものだと思っていたアイミは癇癪を起こし、マナを罵倒し始めたのを聞いていられなくなったサクラギは、自分の物をあげたのだった。
「妹さんは、誰がお気に入りになったかな」
「ふふっ。あの子は全員って言うと思う」
クスクスと笑っていたマナはスッと表情を変えサクラギを見つめた。
「お姉さん、アイミと私を⋯⋯離してくれたんだよね」
「結果的にそうなっただけよ」
「アイミが私に自慢したり我儘言うのは何も知らないから⋯⋯。「そうする」って決めたのは私だから我慢できる。けど、たまに辛くて⋯⋯。お姉さんがゲームをアイミにあげてくれた事、嬉しかった。思っちゃいけないって分かっていても、アイミと会わなくて良いんだって。ホッとしたの」
マナの心の内を聞いたのは初めてだ。そして、これは両親さえも知らない本心。
「そう言う事もあるよ。良いんじゃない?」
「⋯⋯うん」
マナは可愛らしい笑顔を見せた。
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「その景色」をキャラスティはサクラギとして感じ、サクラギとして見ていた。そこにキャラスティの思考はなく、ただ見続けるのみ。
マナと呼ばれた子とサクラギに存在を知られる事なく、継ぎ接ぎの記憶に逆らう事もなく、キャラスティはただ流されていた。
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グンジが訪れたのは昼過ぎ。
洒落たスーツと花束。「大切な日ですから」と照れたグンジがサクラギには羨ましく映る。
前職を辞め、地元に帰ってからもメールのやり取りは続いている元同僚、グンジからクリスマスに「見舞いに行く」と来たのは月初め。
今年も彼女が出来なかったのかと聞けば「今年こそ彼女を紹介したい」と返って来た。
彼女とのクリスマスデートで何故病院、しかも昔の同僚の入院先はあり得なさ過ぎて「アホなのか」と他人事ながら不安になる。
グンジの見舞いを何度も断り、断り続けてとうとう今日は当日だ。
「マナちゃん。ゲーム遊んでくれてありがとう。これクリスマスプレゼント。貰ってくれるかな」
「私に⋯⋯ありがとうございます⋯⋯あっコレ! お姉さん! ゲームと同じ!」
差し出して来たケースにゲームでネバーエンディングモードを解放すると手に入るアイテムを形どった片翼のブローチが収まっている。
喜び、はしゃぐマナを満足気に見ているグンジにサクラギが「ところで、彼女を紹介してくれるんじゃないのか?」と促すとグンジはキョトンとした表情の後、大袈裟な深呼吸をした。
何かを言い出そうとしては止め深呼吸、また言い出そうとしては深呼吸を何回か繰り返された。
「よしっ」
グンジはパンっと頬を打ち姿勢を正した。
「先輩⋯⋯俺に支えさせてくれませんか」
「何を支えるんだ? 支えなきゃならないもの⋯⋯は、ないけど?」
「先輩です。支えさせてください! これから、この先、ずっと!」
サクラギは何が起きたのか、グンジが何を言ってるのか理解できず周りを見回した。「ををー言ったぁ」と同室の人達と覗いていた看護師がパチパチと手を叩いている。
グンジがベッドテーブルに置いてあるスノードームを手にして照れながら笑った。
「コレ、写真で送ってくれたでしょ。捨てられていたら諦めようって思ってました」
嬉しそうなマナに「お姉さんっ」と小突かれてサクラギは漸く、告白されたのだと理解した。
「あ、り、がとう⋯⋯なるだけグンジの時間を貰わないようにするよ⋯⋯」
「そんなの許しません。俺は先輩がなんと言おうと幸せになりますから」
「幸せにします。じゃないのか」
幸せになると宣言するグンジへ向けたサクラギの暖かい気持ちから突然引き上げられるようにキャラスティの意識が剥がされた。
グンジ、マナ、看護師、同室の人⋯⋯サクラギの後ろ姿が闇の中に霞んで行く。
サクラギが振り向き何かを言っている。
何を言っているのか聞こえない。
必死に手を伸ばすが、届かない。
キャラスティが闇に飲まれる瞬間、頭に響いたサクラギの声。
──取り戻してあげて。
「あの子」のブローチを取り戻して。
最後にサクラギはそう言った。
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エミールの求婚に意識を失ったキャラスティは寮へと運ばれ、丸一日「夢」を見続けた。
いつもと違うのは「サクラギ」の中に「キャラスティ」が消えずにあった事だ。
そこにキャラスティが居るのに思考は止まり干渉が遮断されていた不思議な感覚だった。
だるい頭を持ち上げてキャラスティは膝を抱える。
新しく記憶された「マナ」と「アイミ」。
最後にサクラギが伝えてきた「あの子」のブローチ。それを取り戻して、とはどういう意味なのだろうか。
ブローチはランゼのものだ。ブローチは彼女の手にある。それならば「取り戻す」必要はない。
「あの子」とはランゼの事では無いのだろうか。
一人ではもう考えられない。ブローチを持ってきたグンジなら⋯⋯と、じっとして居られなくなり、寝室の扉に手を掛けてキャラスティは止まった。
居室から話し声が聞こえる。ボソボソと抑え気味なのはまだ寝ていると思われているからだろう。
「呆れたわ⋯⋯大伯母様からの手紙、キャラに伝えてなかったなんて」
「⋯⋯まさか会いに来る奴が居るなんて思わなかったんだよ」
「甘い! いくら末端でもラサーク家とスラー家がトレイル家の系列だって知らない人の方が少ないの。トレイル家と繋がりを持ちたい家には好都合なんだから」
「ブラントにも言われた」とレトニスが答えればリリックは溜息を吐いて「様子を見てくる」と寝室に来そうになる。
キャラスティは起きた事をアピールしなければと勢い良く開け過ぎて二人が驚いた顔をしたのは、少しだけ面白かった。
「また、迷惑掛けてごめんなさい」
安心した表情のレトニスとは対照的にリリックが怒りながらキャラスティをソファーに座らせ、叱られると肩を窄めたキャラスティの頭をクシャクシャと撫でた。
「キャラは気にしなくて良いの! 全部レトが悪いんだから。まったく。ビックリしたわよね。ただでさえダンス特訓で疲れてたんだもの」
「リリー⋯⋯キャラには優しい」
「私達は親友で姉妹なのよ。姉の私が妹を思うのは当然よ」
「やっぱりリリックは姉様」だとキャラスティが笑うとレトニスが「三兄妹だったのに⋯⋯」と肩を落とし、「レトはもう兄様は嫌でしょ」とポツリと呟くリリックに驚くと彼女達は「知ってるから」と笑った。
気恥ずかしさにキャラスティは「んなーっ」とおかしな悲鳴を上げてクッションをレトニスに投げ、不意を突かれたレトニスは顔面で受けた。
懐かしい幼馴染のやり取り。ずっとこんな時間が続けば良いと思っていたし、続くと思っていたのに。いつの間にか自分達は子供ではなくなってしまった。
二人とも大好きな幼馴染。キャラスティは「夢」の「マナ」と「アイミ」は自分達の様な優しい関係の姉妹では無かったようだと寂しくなる。
彼女達がどうなったのか分からないが、分かり合えたと願いたい。
──あ⋯⋯もしかして「あの子」はマナさんの事⋯⋯。
「テラード様⋯⋯テラード様に会わなきゃ」
「何でっ?!」
ギョッとしたレトニスが声を上げ立ち上がったキャラスティを宥め、座り直させた。
「⋯⋯「夢」を見たんだね?」
「そうなの! 「取り戻して」って! 「ブローチ」を取り戻してって、「私」が言ったの!」
「落ち着いて話して。リリー、テラードを呼んで貰えるよう頼んできて」
「分かったわ」とリリックが立ち上がると部屋にノックが響き、ベヨネッタかレイヤーが来たのかと扉を開いたキャラスティは息を飲んで思わず後ずさった。
そこには、すっかり存在を忘れていた人物が花を持ち爽やかな笑顔を向けていた。
「やあ、お見舞いと驚かせたお詫びに来たんだけど、レトニス君も来ていたんだね」
「シラバート様⋯⋯」
「エミールと呼んでくれないかな」
花束をキャラスティに渡しながらエミールが改めて詫びる。
「キャラスティ嬢、昨日の突然の事お詫び致します。お身体は如何ですか?」
「ご心配をお掛けして申し訳有りませんでした。休ませていただいたので問題はありません」
「それは良かった。今日はお詫びとお誘いに来たんだ。私を知って貰いたいからね。
それで来週、ディクス公爵家で夜会があるんだ。その夜会でエスコートさせて貰えませんか」
いつの間に入って来たのかエミールの使用人が手にドレスや靴、アクセサリーを持ち並んでいる。
キャラスティは呆気に取られてレトニスに助けを求める視線を送るが、正式な申し込みに対して独断で断りを入れた不義理の後ろめたさからか哀し気な視線を返されるだけだった。
青藍の瞳を細め優しい笑顔を三人に見せる礼儀正しく紳士的なエミールに悪い印象は今の所見当たらなく、断れる要素がない。
「私なんかを⋯⋯」
「ダメだよ「なんか」なんて言っては。君は「特別」なんだから」
またエミールは「特別」だと言う。
彼の言う「特別」の意味が何処となく不自然な響きを含んでいる様に思えて違和感が残る。
キャラスティは爽やかで優しいはずのエミールの笑顔に薄ら寒さを覚えた。




