「悪役」なのに 攻略順調
ムードンでの休暇が明け、王都に帰ったキャラスティ達を待っていたのはテストだ。
学園のテスト内容は一般教養が三割、王国の貴族史や地域産業の貴族基礎が三割、貴族なら当然身に付いているマナーや所作、ダンスなどの社交教養が四割。全体成績が六割以上の点数であれば合格となる。
余程の素行不良でなければ落第点が与えられない貴族学校ならではの成績配分となっている。
「キャラスティ嬢、そんなに硬くならずリードを信用してくれないか。ボディ・コンタクトも離れ過ぎてる。これではリードが伝わらないだろう? ほら、また足元を見ている。顔を上げて相手を見るんだ」
「そんな事、言われましても、近すぎでは無いですかっ! 足を踏んでしまいそうです!」
「遠すぎるっ。踏んだら踏まれる相手のリードが下手だって事だ──つっ!」
「ほらあっ! 申し訳ありませんっ」
ヒールの踵で踏まれると何処を踏まれても痛い。
足の甲を思い切り踏まれたシリルは意地で痛みを抑えチャンスとばかりにホールドする。「背筋を伸ばせ」と言われたキャラスティは精一杯伸ばしてみるが今度は「反り過ぎだっ!」と叱られた。
キャラスティの成績は毎回中の上から上の下と、平凡な成績を維持している。総合点で合格すれば良いと今までやって来たが、どう言う訳か生徒会にキャラスティの成績が提出され彼らは一様に頭を抱えた。
一般教養と貴族基礎だけなら上位に入る。問題は社交教養。特にダンスが大問題。一般教養と貴族基礎でケアレスミスをしてしまうとギリギリラインとなってしまう程にダンスは大大大問題だった。
テスト対策にダンスを教えるにしてもアレクスとテラードでは高度過ぎる。レトニスとユルゲンでは甘くなり過ぎる。シリルなら厳しくも的確に指導できると買って出た。
そんなシリルはダンスを教え始めて早々に自分の指導力に自信を無くしそうになっていた。
まず、キャラスティの身体の硬さ。普段の姿勢や動作では気付けなかったがダンスをするに当たって身体のどの部分を使うのか理解していない。
それから、距離だ。男性不信では無さそうだが近くなる事を拒む。「嫌われているのか」と思う程だった。
「想像以上に手強いな君は⋯⋯」
「⋯⋯申し訳ありません⋯⋯」
「少し休んだらどうだ。ほら、新作サングリアだ。何か有れば呼べよ」
「ありがとうございます」
互いが放り出したくなっていたタイミングで救いの声がマッツから掛り、助かったと飲み物を手に取った。
ワインにスパイスやフルーツを漬け込み飲みやすくしたカクテル、サングリア。キャラスティはワインの代わりに葡萄ジュースのサングリアを渡された。溜息を我慢して一口含めば甘みと渋みがバランスよく広がりほっとする。
向かい側に座るシリルを覗き見ると藍色の涼しい瞳でサングリアを手に見つめ返された。
何を考えているのか、何でわざわざダンスを教えられているのか全く分からないキャラスティは苦笑いする。
この状況は授業が終わり、リリックとベヨネッタと寮に帰る途中のロータリーでシリルに捕まったところから始まった。
シリルは唐突に三人の成績を告げるとリリックとベヨネッタには基礎を確実にしろと問題集を手渡し、キャラスティにはダンスの指導をすると連れ出した。
学園で練習をするのは噂になって困ると、シリルの提案でマッツの店「ノース」の二階を借りて特訓を始めたのはいいが、相手は生徒会だ「攻略対象者」だ。噂どうこうより別の意味で緊張する。
「⋯⋯ボディ・コンタクト」
キャラスティは休憩中も特訓は継続するのかと身構えた。
「ボディ・コンタクトは互いの身体を必ずしも接触させなければならない訳じゃ無い。踊る曲でコンタクトする場所は変わるんだ。
男性のリードを読み取り女性がフォローしてダンスは成り立つ。大切なのは互いのリードとフォローが受け取れる位置取りだ」
「⋯⋯はい」
「苦手なのかも知れないがダンスは互いが近くなるのは仕方ないだろう? そう言うものだ。下手に避けると不格好だ」
コトンとグラスを置いたシリルが「休憩は終わりだ」とキャラスティを立たせた。
姿勢を正され真面目な顔で「されるがままにしてくれ」と他の令嬢が言われたら惚けてしまうだろう台詞に一体何をされるのかとキャラスティには不安しかない。
全身の力を一度抜かされたキャラスティはシリルの支えで上体を反らされたりターンをされたり、支えを外して自分の足で身体を支えた状態で体重移動の動きを繰り返す。
全身の動きを的確に見抜くシリルは凄いと少しでも考え、動きが疎かになると容赦無い指導が入った。
続けて行く内に口頭での指導から軽くではあるが手刀で指導が入る様になりキャラスティが疲弊する一方でシリルは楽しくなっていた。
──ダンスレッスンイベント──
条件:好感度「友好」状態。テスト準備期間。
イベント発生:ダンスを踊った事がない「ヒロイン」が「攻略対象者」からダンス指導をされる。
完璧に優雅に踊り見直される。
成功判定:「運動」「魅力」「品位」「芸術」が一定以上。
イベントが起きてしまうのは諦めた。なるだけ「好感度」を上げない様にしたい所だが、ダンスレッスンは庶民派「ヒロイン」が上級貴族の「攻略対象者」に負けず劣らず完璧に踊り、見直される事で「好感度」が上がる。
キャラスティは完璧どころか足を踏み、不格好と言われ、呆れられた。成功判定のパラメーターを見る事は出来ないが「運動」は絶望「魅力」は皆無「品位」は胡乱「芸術」は爆発。
どれも一定を満たしているとは思えない。なすがまま、されるがまま。流されていれば判定は失敗だ。
──今回は大丈夫そう。
キャラスティがぼやっとしていると、頭にビシっと手刀が落ちて来た。
「いたっ。今のは結構痛かったのですが⋯⋯」
「また明後日の方向を考えていただろ。君は考え事をすると動きが疎かになる⋯⋯まあ、大分良くなってきたが」
「もう一度組むぞ」と差し出されたシリルの手を取り、キャラスティは言われたボディ・コンタクトを試してみようと身体をシリルに近付けた。
シリルは一瞬目を見開き自分が「近付け」といった手前、離れるわけにもいかず急に控え目な香水が分かる距離に詰められ硬直する。
「こうだったかな?こう?でもない」とキャラスティが位置取りを試すのを見下ろしながらシリルの体温が上がる。動悸まで始まった。
「あっ! こう、かな?」⋯⋯トン、と身体が当たると限界だった。
「この位置ですか──」
「っ! みっ、見上げるなっ!」
至近距離で熱った顔を見られたく無いと勢いで背中に回したシリルの腕に力が入った。
キャラスティの背中が「されるがまま」に反り返り、シリルの胸に顔が押しつけられると「ぎゅっえっ⋯⋯」と可愛気のない呻きが腕の中から漏れた。
散々指導で触れまくってしまっていると気付けば何故に今更意識したとシリルは自己に訴える。
──まずい⋯⋯。
頭は普通、容姿も普通、運動神経は無し。自分を取り巻く「その他大勢の一人」だと反芻する。
今更だ。何故、今更動揺するのか。
──俺には安全牌の筈だ。
シリルは記憶を辿る。
テラードに連れられた中庭で初めて会った時、平凡の極みのキャラスティにはただ「平凡」しか感じなかった。アレクスが何故「平凡」を気に掛けているのか理解できなかった。下級貴族が上手く取り入ったとも思っていた。
連れ去られた時、自分の不甲斐なさで危ない目に合わせたと心配はしたが、「学園の生徒」としてだった。
池に落ちた時、わざわざアレクスがキャラスティの為に動く必要があるのかと思った。同時にアレクスもその内飽きるだろうと考えていた。いつまでも下級貴族を相手にしないだろうと。
パーティーの時、「平凡」なキャラスティのもう一つの顔、艶然とした表情に驚きはしたがそれだけだ。
思い返しても「その他大勢の一人」。
今回もシリルの眼中にないからこそ、ダンス指導するのは自分が最適だと判断した。
なのに今、自分は何をしているのだろうかと愕然とする。
手強い運動音痴具合に呆れたが素直に従い、シリルに浮かれる事なく付いて来る。
能力以上の無謀をせず、無茶を通す事もなく、無理も言ってこない。良く見られたいとおべっかを使うでもなく、媚びて来ない。
キャラスティは「普通」だった。
シリルは恵まれた環境と優れた容姿を自覚している。大抵が媚びを売られるか忌避されて来た。
忌避されず自分に靡かない。プライドが傷付いたとかでは無く、自分を煩わせない「普通」が嬉しかったのだと気付いた。
最初から認識が間違っていたのだ。眼中にないのはシリルの方ではなくキャラスティの方だ。
今までの自惚れまでもが恥ずかしくなり腕の力を更に強めた。
「あれえここかな? キャラ? 僕だよ。街に出てたなら顔出せば良いのに。ここでダンスの練習してるんだ⋯⋯⋯⋯って──」
長すぎる思案にノックの音を聞き逃した。
扉を開けながら声を掛ける焦げ茶色の髪に眼鏡を掛けた人物と目が合う。たれ気味の瞳がシリルを見て、腕の中にゆっくりと移動すると彼は見開かれ固まった。
動けないでいた時間は僅かだったのかも知れない。
再び腕の中から「ふぐぅ⋯⋯」と呻きが漏らされた。
・
・
・
──また、気まずい馬車だ⋯⋯。
シリルから解放され振り向いた先にいたアルバートは目を白黒させてフラフラと階下へ降り下手な作り笑いで「何だ居たのか」と小芝居を見せた。
「叔父さんは、良かったのか?」
「大丈夫です。下手に説明すると拗れますから」
「⋯⋯それも、そうだな」
沈黙。
見つめられるのは苦手だが、チラチラと見られるのも苦手だ。「二度と指導しない」と早く言って貰いたいが何だかシリルの様子がおかしい。
「⋯⋯明日は寮を借りられるか?」
「は、い?」
聞き間違いか。明日がどうした。
「明日もだ。⋯⋯二人きりが嫌なら、リリック嬢とベヨネッタ嬢も一緒に指導する。寮の部屋を借りて欲しい」
「ええぇ⋯⋯?」
呆れて諦めたのでは無かったのか。
嫌な顔をしたつもりは無いがシリルは哀し気な視線を向けた。
「嫌とか言えませんよ? 教えて頂いている立場ですから」
「⋯⋯「普通」に話してくれないか」
「い、いやいやいや、出来ませんよね? 無理ですよね? シリル様は次期侯爵ですよね?」
「レトニスには「普通」だろ? 出来ない訳ない。
⋯⋯申し訳無かった。これまで君を「平凡」で「普通」だと見下していた」
突然手を取られキャラスティは混乱した。
シリルに何が起きたのか。キャラスティは自分もランゼと同じ「祝福」が使えるのかとほんの少し、期待してみたが⋯⋯残念ながらそんな力は微塵も感じない。
身を強張らせたキャラスティを怖がらせたと取ったシリルは益々哀しい表情を深くすると取った手を強く握った。
「⋯⋯「普通」が俺には必要だ。友人に⋯⋯友人として「普通」に接してくれないか」
シリルの髪がサラリと揺れた。風が入り込んだのかと窓を見るが開いていない。
はたり、とキャラスティは気付いた。
──「好感度」変化。
シリルの「好感度」変化はテラードと同じ髪だ。
風が無くてもサラリと揺れる。
「ぜ、善処しま、す」
安心したように頬を緩ませたシリルの嬉しそうな笑顔を初めて見た。
「そうか! ではこれからアレクスの元へ行こう」
「⋯⋯なんでアレクス様が出てくるのですか」
「キャラスティがアレクスの側室になるには後見人が必要だ。レトニスの様子じゃトレイルは協力してはくれないだろう。友人としてソレントがキャラスティの後見人になる報告をするんだ」
「ちょっ、まって、まだそんな事信じていたのですかっ!? 違いますと何度も! それに友人から話が飛躍しすぎです!」
嬉しそうに笑い、思い込みを爆走するシリルにダンスレッスンは失敗判定では無かったのかと冷や汗が流れる。
薄々そうかも知れないと思っていたがこれで確信した。
キャラスティがイベントを起こして上がる「好感度」はイベント中に上がるのでは無い。
──馬車で上がるんだ⋯⋯。
機嫌良く目を細めたシリルを盗み見てキャラスティは馬車までがイベントなのかと肩を落とした。
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「なあマッツ、僕の姪はどうしちゃったんだろうね。学園で何をしてるんだろうね」
「アルバートよお、程々にしておけよ。ボトル空だぞ」
「可愛かった姪はどうしちゃったんだろうね」
「へいへい」
「ダンスにあんな密着した姿勢はないよなあ⋯⋯」
二人が帰った大衆酒場「ノース」。
アルバートは「僕の可愛い姪っ子だったのに」そう呟いて酔い潰れた。




