「ヒロイン」だから
──「幸せ」になりたい。誰よりも──
綺麗になりたい。チヤホヤされたい。優先されたい。認められたい。人気者になりたい。お姫様になりたい。
彼女が欲しい「幸せ」は、他人が羨むキラキラした「幸せ」。
「もうっ! なんで嫌がらせして来ないのっ! 悪役のくせにっ!」
セプター家の自室でランゼは手当り次第に物を投げては八つ当たりを繰り返す。
床に散らばる人形に枕、鞄に本。イライラは収まらなかった。
──なんで「ゲーム」通りにならないのよ。
髪が乱れた姿が鏡に映る。こんなはずでは無かった。こんなのは許されない。
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ランゼが「ランゼ」だと気付いたのは十五歳の頃。
ランゼと母親が身を置いていたフリーダ王国の修道院にエルトラ・セプター男爵が訪れ「迎えに来た」と手を差し伸べて来た。母親は涙を浮かべて「待っていた」とその手を取った。
母親、リシェルとエルトラは幼馴染だった。
エルトラが豪商の娘カレリーナと結婚する事になり一度は離れたが、リシェルはエルトラを忘れられず、セプター家の使用人として働き始めた。
再会した二人が通じ合うのは当然の事。
暫くしてリシェルの妊娠が発覚し、カレリーナは産まれてくる子供を男爵家の子と認知させない、リシェルを辞めさせ修道院へ入れなければ実家からの援助を止めるとエルトラとリシェルを責めた。
立ち上げたばかりの商会を軌道に乗せるまでカレリーナの援助が必要だったエルトラは「必ず迎えに行く」とリシェルを修道院へ送り、ランゼは修道院で産まれたのだった。
十五年後、セプター商会はフリーダ王国で五本の指に入る大きな貿易商会に成長し、セプター家ではカレリーナが「不慮の事故」で亡くなっていた。
セプター家に引き取られたその日、ランゼは環境の変化と疲れから高熱が出て寝込み、三日目に目覚めた時、鏡に映る桃色の髪と苺色の瞳に自分は「ランゼ」だと全身が喜びに打ち震えたのだ。
──「あっちの世界」なんかより「幸せ」だわ。だって、私はこの世界の主人公だもん。
「夢」で見た「前世」のランゼには両親と姉の家族が居た。家族仲は悪くは無かったが、何でも優先され、大切にされ、両親の愛を一身に受けるお姫様の「お姉ちゃん」は嫌いだった。
「前世」のランゼは新しい服や玩具を買って貰うと毎日寝巻しか着られない「お姉ちゃん」に自慢に行き、その度に「良かったね」と笑う顔を見て優越感に浸っていた。
自慢に行く事が日課になっていた頃に「お姉ちゃん」の隣に居た「お姉さん」に貰った「ゲーム」が「恋ラプ」だ。
意地悪な令嬢から王子様達に守られ、大切にされ、愛される「ゲーム」のランゼは、なりたかったお姫様。
ランゼは「お姉ちゃん」の所へ行くのも忘れ、毎日「ゲーム」の世界に入り込んだ。
その世界に自分は立っている。
──この世界は私の世界だ。私が愛される世界。なんて素敵なの。
華やかなドレスを纏ったランゼは可愛らしく美しいと誰もが褒めた。容姿だけでは無く、ランゼの瞳には「祝福」の力が宿り見つめられると「幸福感」に包まれランゼに好印象を持ち、好意を持つ。
ランゼが瞳を潤ませ見つめるだけで花や贈り物が届き、微笑むだけで愛を囁く。
「前世」と違って誰よりも「特別」に扱われる。優しく美しい母親と裕福でランゼを愛している父親も居る。望めば何でも手に入る。
最高に気分が良かった。
セプター家での生活を始めて一年。
ランゼは十六歳なり「ゲーム」の通り、もっと「幸せ」になる為にハリアード王国に行かねばならないと焦りを感じ始めていた。
「お父様お願いがあるの。ランゼ、学校に通いたいの」
ランゼのお願いを断った事のないエルトラだ。学校へ行きたい、ハリアード王国の学園が良いと言えば叶えてくれる筈だったが予想に反してエルトラは渋い表情を見せた。
「最近は「人攫い」が多いと聞くよ。ランゼを外に出すのは心配だな」
歯切れの悪い返答にランゼの表情が曇る。フリーダ王国で問題になっている「人攫い」。
貴族も平民も関係なく行方不明になり問題となっていた。修道院にいる頃から探し人が居るのではないかと訪ねてくる人を何人も見て来た。
以前のランゼならば同情し、怖いと思っただろう。
「前世」を思い出した今は、自分だけは大丈夫だと確信している。それどころかフリーダ王国を出る口実に「丁度良い」話だ。
ランゼはフリーダ王国が危ないのならハリアード王国だとエルトラに訴えた。こんなに可愛い娘が望んでいるのだ聞き入れない筈がない、何としてでもハリアード学園に入らねばならないのだ。
「この国が危ないのなら、ハリアード王国。あの国なら良いでしょ? ねえ、お願いっお父様」
「ハリアード王国? ⋯⋯ふむ、ハリアードか」
「そうか⋯⋯」何かに気付いたかのように呟いたエルトラは外套に手を伸ばし何処かに出掛ける素振りを見せた。
話が有耶無耶にされてしまうとランゼはエルトラの歩みを塞いだ。
「お父様っ! ランゼは真剣なのっ──」
「ランゼ、ハリアード王国へ行こう。その為にやる事が有るんだよ。待てるね?」
「ハリアードに行ける⋯⋯?」ランゼが呟くと「そうだよ」とランゼの頭を撫でながらエルトラは笑った。
それから三ヶ月掛けてセプター商会はハリアード王国に拠点を移す手筈を整えた。
一年間愛人とその子供の立場だったリシェルとランゼはこの時セプター男爵家の後妻と子女として貴族院に登録され、ハリアード学園の編入が認められたのだった。
出発の前日、ランゼは鏡台に座り鏡に映る「ランゼ」の輪郭をなぞった。「前世」の何処にでもいる容姿では無く、この世界でも誰もが褒める優れた容姿のランゼ。改めて自分は「ヒロイン」だと嬉しさに頰が緩む。
「ふふっ⋯⋯私はヒロインよ。向こうに着いたら遅れを取り戻さなきゃ」
ランゼは鏡の中で微笑む自身の口元に指を這わす。微かな弧を描いていた唇がゆっくりと下がりキュッと結ばれ、ハッとしたランゼは鏡の中の「ランゼ」に目を合わせた。
哀し気な目で鏡の中にいるのは「ランゼ」では無く懐かしくも憎らしくもあるお姫様だ。
「お、ね、え⋯⋯ちゃ、ん」
背筋に悪寒が走った。これは幻覚だ。この世界に「お姉ちゃん」がいるはずが無い。
──こっちの世界でまで私の邪魔をするの!? また私から「幸せ」を奪うのっ!?
鏡を叩き壊したかった。だが、明日は待ち望んだ出発の日。騒ぎを起こしたら延期されてしまう。
ランゼはソファーに掛けられていたシーツを引き剥がし鏡台に投げ付けそのままベッドに潜り込んだ。
──私はランゼよ。私はみんなに愛されるランゼ。「幸せ」になるの。
翌朝、起こしに来た侍女に身支度の為鏡台前へと誘導されたランゼは昨晩の「お姉ちゃん」が過り身構えた。
鏡台からシーツが外されランゼが映る。当然の事ながら「お姉ちゃん」は映らない。そこには何の変哲もない鏡があるだけだった。
「あら、お嬢様。素敵なブローチですね」
「そんなもの、有った⋯⋯? あっ! このブローチ!」
鏡台の上で昨晩には無かった銀色で片翼の形をした「ブローチ」が光っている。
翼にランゼを始めとした攻略対象者達の瞳の色の宝石を散らばらせたそのブローチを手に取り「欲しかったの」と微笑むランゼに侍女は「お似合いです」と笑顔を見せ手際よくランゼの支度を整えた。
──「祝福」の瞳とネバーエンディングモードの「ブローチ」があれば上手くいく。ふふ。やっぱり私は「ヒロイン」なのよ。
何故ブローチがあるのか「お姉ちゃん」がくれたのか、そんな事はどうでも良い。二度と会う事はないのだとランゼはブローチを撫でながらほくそ笑んだ。
フリーダ王国を出立してから約半月後。
ハリアード王国の王都でセプター家は貴族街ではなく「ゲーム」と同じく街に邸宅を持った。
ハリアード王国に着いたその日から早速ランゼは学園編入まで毎日街での「イベント」発生場所や「シナリオ」を確認して回った。
ランゼがいつもと同じように街へ出たある日、街中で変装したアレクスと出会う事が出来た。
学園に入る前に街で出会う「イベント」は無いが一年遅れた分を取り戻す「シナリオ」の補正だろうとランゼは歓喜した。「ブローチ」を着けていなかった事を悔やんだがランゼは「ヒロイン」だ。アレクスが一目惚れをする補正があるのだろうと期待したが「ゲーム」のランゼの位置に居たのは悪役のキャラスティだった。
次に出会ったのはテラードとシリル。二度も「ブローチ」を着けていなかった事を悔やみ急いで身に着け二人を探した。見つけた二人は「連れ去りイベント」を発生させたキャラスティを探していた。またキャラスティだ。
三度目も必ずあるとブローチを着けて街を歩いた。公園で出会ったのはレトニスとユルゲン。と、またもや二人に伴われたキャラスティ。しかも髪につけていたのは「街歩きイベント」でランゼがアレクスから貰う髪留めだった。イライラが爆発した。
ランゼは「ブローチ」と「瞳」を使い「ヒロイン」と「悪役」の違いを見せ付けた。
レトニスとユルゲンに腕を絡ませながらキャラスティを見下ろした時、ランゼは求めていた優越感を漸く感じられたのだった。
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──っ、ほんっとうに忌々しいっ。
ランゼはブローチを鏡台に投げつけた。
「あっ! ヤベっ⋯⋯まあいっか宝石は取れてないし」
カツンと当たって転がったブローチは先が少し欠けてしまったが力が宿るのはそれぞれをイメージした宝石の方だろう。土台が欠けたくらいどうでも良い。
ランゼは拾い上げたブローチを握り鏡を睨む。
学園に編入してからもアレクス達の攻略をこなして来た。「瞳」とこの「ブローチ」を使って。
パーティーで「嫌がらせ」の冤罪でもでっち上げればアレクス達はランゼを信じ「好感度」が上がったはずだった。
それなのに憎らしい事にキャラスティに邪魔をされた。上がるものも上がらない。いつも邪魔をしてくるのはキャラスティだ。
「キャラスティなんてただの小物悪役令嬢のくせに」
同じ悪役でもレイヤーは公爵令嬢、クーリアは侯爵令嬢、フィナは伯爵令嬢。上位爵位の令嬢達を「親友」にすれば男爵令嬢の自分に箔が付く。
キャラスティ、リリック、ベヨネッタは子爵令嬢だ。「悪役」をさせるのはこの三人で良いだろうと考えていたがアレクス達との「幸せ」を手に入れる為に一番邪魔で一番忌々しいのはキャラスティ。
「絶対に、キャラスティだけは断罪に追い込んでやるんだから」
ランゼは「ヒロイン」。ランゼは「特別」。
この世界はランゼのものだ。
「お嬢様、そろそろ旦那様とレストランへ行くお、じかん⋯⋯どうなされたのですかっ!」
「どうもしないわよっさっさと片付けなさいっ!」
イライラする。ムカムカする。エルトラに何か買ってもらって憂さを晴らそう。
ランゼは侍女達を怒鳴りつけ部屋を出た。
「荒れてるわね。当たらないでもらいたいわ」
「貴族様なんてそんなものでしょ」
「お嬢様ブローチを忘れて行ったわ⋯⋯あら?」
侍女の一人が鏡台に置かれた「ブローチ」を手に取り眉を顰めた。
何処か違和感を感じる。
「どうかしたの? 勝手に触ったらまた怒鳴られるわよ」
「気のせいよね」といた彼女はコトリとブローチを元に戻してゾワリとした寒気に鏡を覗き込んだ。
鏡に映る「ブローチ」。彼女には宝石達の光がくすんでいる気がした。
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「へっくしっ」
寮の食堂で夕飯をとりながら突然クシャミをしたキャラスティをリリックとベヨネッタがクスクスと笑う。
「あらあ? お可愛らしい。さすが貴族のご令嬢ですわね」
「やめてリリー⋯⋯恥ずかしい。凄く」
「ふふっ。風邪? だったら旅行は延期かしら」
「そんなの嫌! 麦畑よ? 醸造所よ? 風邪じゃないわよっ」
「冗談よ。楽しみにしていたものねえ」
そう、明日からベヨネッタの実家があるムードンへ旅行に行くのだ。
パーティーで「悪役令嬢」を演じられたのも終わればムードン旅行だと奮い立たせていたからだ。
慣れない化粧と特訓に耐えたのも旅行の為だ。
「今日はお疲れ様」
「⋯⋯本当に疲れたわ」
「私はイマイチ理解してないわよ後でじっくり話してもらうから」
「ほらほら、明日は早いのよ。休みましょう」
三人の家は専用の馬車を王都に持っていない。移動も旅行の楽しさの一つだと早朝から辻馬車を乗り継いでムードンへ向かう。
レイヤーとレトニス達も行きたがっていたが招待されている夜会は立場上欠席出来ないと嘆いていた。
嘆く二人には少しだけ申し訳なさを感じつつも、突然公爵家の令嬢を友人だと連れて帰ったらムードン家の両親が恐縮してしまうし、レトニスに至っては異性だ。今回は我慢して欲しいとなんとか宥めたのだった。
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「お気をつけて、いってらっしゃいませ」
「知らない人には警戒してくださいよ。特にキャラスティ様」
「ユノ⋯⋯私だけ名指し。行ってきます」
「行ってきまーす」
「行ってまいります」
翌日。試験休み初日。日が昇り始めた時間に担当執事のベルトルと担当次女ユノに見送られ三人はムードンへ出発した。




