幼馴染は悪役令嬢
キャラスティはトレイル邸の前で立ち尽くしていた。
レイヤーが帰った後、どうしてもレトニスが落ち込んでいるのでは無いかと気になりトレイル邸まで来たは良いが邸内へ進む事が躊躇されていた。
「さあ行くぞ」と門柱から何度も覗いては隠れ、何度も気合を入れるが踏み出せないのだ。
「大丈夫?」とはキャラスティが言う側では無い。
「先に帰ってごめんなさい」も放置された側が言うことでは無い。
──ええいっ、なる様にしかならないわ。
キャラスティは腹を決めて一歩、内側へ踏み入れた。
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「坊ちゃん、キャラスティ様がそろそろお着きになりますよ」
「そう。来たらここに通して」
抑揚のない声にエガルは首を傾げる。この状況は予想外だ。
念願の外出が楽しかったのであれば浮かれているはずで「やらかし」て来たのなら真っ先にクローゼットに向かうはずだった。それが「疲れたから」と昨夜は早々に寝室へ入り今日は昼近くまで休んでいた。
午後にキャラスティから訪問するとの連絡を受け、起しに部屋へ来てみれば、身支度を整えてはいたがカーテンを頑なに「開けるな」と薄暗い部屋のソファーで横になっている。
──いつにも増して様子がおかしい。
レトニスの部屋を出たエガルが何があったのだと考えながらエントランスに向かうと丁度キャラスティが訪れた所で、エガルの姿を見つけると彼女は頭を下げて微笑んだ。
「こんにちはエガルさん。突然にごめんなさい」
「ようこそいらっしゃいました。ご案内します」
幼い頃から引き篭もったレトニスを外へと呼び戻して来たのはキャラスティとリリックだった。
エガルはキャラスティに一抹の希望を託す事にした。
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エガルの一言にキャラスティは首を傾げていた。
レトニスの部屋のその扉を開ける前にエガルはキャラスティを振り返って「驚かれるかと思いますが」と前置きしたのだ。
そして、開かれた扉。
その異様な空気にキャラスティは息を飲んだ。
昼間なのに薄暗い。奥の執務机に座っている影がレトニスだと認識できるが顔が見えない。
「座って」とソファーを勧められ戸惑いながら座ると前回同様手際よくお茶を出され手に取ろうとぼんやりと見えるテーブルとカップを手探りする。
「呼ぶまでは誰も入って来ないように」
抑揚のない声にキャラスティの背筋が粟立った。
手を止めこんな薄暗い部屋に二人きりにされたくないとエガルを見上げるが「部屋の近くにおります」と出て行かれてしまい縋った手は虚しく空を切った。
「キャラの方から来てくれるの、学園に入ってからは初めてだね」
「この間来たでしょう」
「そう言う事じゃ無いよ。いつも俺の方から会いに行ってた。来てくれるなら、──も悪くないのかな」
思っていたよりも声に張りがある。執務机とソファーの微妙な距離に小さな呟きは聞き取れなかった。
「ねえ、そんな離れた所で話さないで。カーテンも開けて? 暗くてよく見えないでしょ」
「見えなくて良いんだ。落ち着くからね」
またクローゼットに篭っているのではないかと思っていたが、まさか部屋を暗くして閉じ篭って居るとは想定外だ。落ち着くと言っても様子を見に来たのだ表情が見たい。
無理矢理にでもカーテンを開けようとキャラスティが窓に近付くと椅子が倒れた音がした。
「開けるなっ」
レトニスが珍しく声を荒げた。
キャラスティはカーテンへと伸ばした腕を後ろから掴まれ、やっと表情が分かる位置だと振り向こうとする肩ごと反対側の腕で抱き竦められて動けなくなった。
レトニスの手は仄かに熱く香水が柔らかく香り心地良い。
「開けないで。振り向かないで」
「理由を教えてくれない?」
少し前までは「ゲーム」の様に拒絶される前に離れようと避けていたが故にレトニスの距離感に戸惑ったが、元々レトニスは距離が近い。「慣れた」と言うより「慣れている」のだ。
首筋に顔を埋められこそばゆさに思わずキャラスティが「うひゃあ」と悲鳴を上げると笑う息が掛かり益々こそばゆく身動ぎすれば腕の力が強くなった。
「前から思っていたけど、もう少し可愛い悲鳴上げようよ。貴族の令嬢だよ⋯⋯侯爵夫人、もしかしたら王子妃になるかも知れないんだから」
「そんな事、あるわけないでしょう」
「あるよ。俺とアレクス達の気持ち⋯⋯知っているんだろ? 知らない振りも、他人事の様に振る舞うのも、もう止めて」
「それは勝手に「好感度」が──」
「違う。そんな物、関係ない」
両腕で抱え込まれて息苦しい。もぞもぞと首筋はこそばゆい。
「俺は、キャラが好き。ずっと。子供の頃からずっと⋯⋯お嫁さんにするって。卒業したら結婚を申し込もうって⋯⋯決めているのに」
「ぎゃっ! ダメよそんなのっ。好き嫌いでするものじゃないでしょうっ」
可愛らしくない悲鳴に吹き出した息が掛かる。
国々で細かい違いはあれど、ハリアード王国の貴族も他国と違わず「好き嫌い」で婚姻を結ぶものではないと言うのが通例だ。
ハリアード王国の細かい制約の一つ「特別」な王族、四大侯爵家、公爵家の婚姻は上級貴族が条件。歴史のある伯爵位以上と決められている。下級貴族、子爵位の子女が分かっているのに「特別」なレトニスが我儘を通そうとするのは如何なものか。
「特別」は何でも通るが、通す為に「特別」でなければならないものだ。
「特別」である為には何でも通せる傲りを抑える自制と自覚が伴う。
「好かれようと努力するのは良い事だけど、いつ、どこで、何に、好意を持つかなんて本人にしか分から無い。人の気持ちは他人にとやかく言われるものじゃ無いよ」
「周りに迷惑を掛けるのは好き嫌いで済まないの」
「迷惑で無ければ良いんじゃない? ⋯⋯迷惑、なら、気持ちを「操作」される事の方が、迷惑だよ」
ギリっと体が締め付けられた。
「⋯⋯ごめん⋯⋯ごめんね⋯⋯ごめん」
掠れた声が謝って来る。「ごめん⋯⋯」何度も繰り返される。「ゲーム」に影響されて「ごめん」と。
──謝るのは私もだわ。
「レト、私はまだ「ゲーム」を切り離して考えられないの。だって、「知っている」事が起こるから。それをレトが不満に感じているとしても、「ゲーム」通りの結末になりたくないから切り離せない。ごめんなさい」
「⋯⋯うん。あの時、自分が自分で無くなって⋯⋯怖くなった。俺では無い俺がキャラを拒絶するんだって、今も怖い」
「だから、レトやアレクス様達が苦しむ「ゲーム」の結末は絶対回避するの。私の為にも、レイやリリー、ベネも他の悪役と呼ばれる子の為にも足掻くの」
腕の力が弱まった。このまま振り返れば表情が見える。ただ、正面から抱きしめられている形になってしまうが仕方がない。
キャラスティは身体を反転させてレトニスを正面から見据える。
薄暗くてもカーテンを透かした明かりに深緑の瞳を濡らしたレトニスが微かに見えた。キャラスティがカーテンを引いていたのは顔が見えない様にしていたのだと涙の跡をなぞり「美形が台無し」だと零すと弱い笑みを返された。
「私は「悪役令嬢」なの。レイみたいに美人でも無い。リリーみたく可愛くも無い。ベネの様に清楚でも無い。立場も無い「平凡な悪役令嬢」なの」
「自分を卑下しないで⋯⋯キャラの悪い所だね」
「レトとアレクス様達は「ゲーム」に影響される。その時に私は「悪役令嬢」として映るの。平気なのは「諦め」ているからじゃ無い。
「魔法」が解けた時にレト達が分かってくれるって信じているからよ。
だから、自分を責めないで欲しい。
私達は「悪役令嬢」だけど「悪い悪役令嬢」じゃないってレト達に信じてもらえる様に、私も頑張るから」
「悪くない悪役って変だね」と再び腕に力が込められてやっとキャラスティは押し返す事ができた。
この期に及んでと言いた気のレトニスに戸惑いの表情で見下ろされ、なんとなく、ドキドキした。
「何で、押し返すの?」
「ええっと⋯⋯恥ずかしい、から。レトが私なんかを、す、きだって言うから⋯⋯」
「また「なんか」なんて言う。やっと告白出来たんだ。好きな子を「なんか」なんて言わないで欲しいな」
「⋯⋯レトには相応しい人じゃないといけないの。私は「特別」じゃ無いの」
いつも側に居てくれた幼馴染。好きか嫌いかの二択なら「好き」だ。
しかし、レトニスは「特別」な侯爵家、キャラスティは子爵家。貴族には貴族の決まりがある。
「レイヤー嬢が言ってたね。キャラは拗れてるって。なかなか手強いね」
「手強いとかじゃ無くて!」
「気にしてるのは四大侯爵家の制約だろ? 俺はキャラをお嫁さんに出来るよう努力するだけだよ。だって俺は「特別」な次期侯爵だからね」
「そう言うの権力の濫用って言うのよ」
「キャラは「ゲーム」の俺が切り離せない。でも、俺が嫌いなわけじゃない⋯⋯今はそれで我慢する」
名残惜し気にではあったが腕から解放されてキャラスティは安堵の息を吐く。
レトニスはカーテンを開け、部屋に光を入れた。
キャラスティが差し込む光の強さに目が眩んだ隙にレトニスはその目元に触れるだけの口付けを落とした。
額に続いていよいよ目元まで下がって来たと、キャラスティは絶句する。
「一年避けられてたんだ、これくらいは許されるよね」
紅潮する頬を押さえたキャラスティの頭をぽんぽんと撫でながら「エガル」と呼び掛ければ主人をよく知るエガルは蒸らしたタオルをレトニスに渡しながら明るくなった室内を見回して安心したように頷くと、涙の跡をタオルで押さえたレトニスを軽く睨み「色々、おイタが過ぎませんように」と釘を刺した。
「それじゃ、帰るわね」
「泊まっ──」
「ううん。アレクス様達に、お見舞いの返礼買いにくのと⋯⋯家へ、招待された返事を考えないと」
「えっ!? 招待? 行くの!?」
「行く、行かないなんて私からは言えないわよ。上位の方達だもの、ましてアレクス様は王族よ? 断れないわよ」
考えたくはないが考えなければならない。
アレクス達の厚意は有難いが、気が重い招待。重過ぎて憂鬱にもなる。
結局、返礼品を買いに街へ出るのを付いてくると駄々をこねたレトニスをエガルに頼み、厚意を素直に受けてトレイル家の馬車を借りてキャラスティは帰った。
「エガル、恨むからな⋯⋯」
「どうぞ。ただ一つ。しつこい男は嫌われますよ」
「キャラ一人であいつ等の家になんか行かせられない⋯⋯どうにかしないと。俺が一緒に居ないとダメだ」
「坊ちゃーん。束縛男も嫌われますよー」
どうしたものかとレトニスは窓に視線を向ける。
「ノース」の帰り。アレクスから指示が出た。
『来月から、キャラスティや他の生徒に害が及ぶ前に皆にはランゼ嬢から目を離さない様に動いてもらう。彼女の不思議な「魔法」、それによって俺達が泥を被る事もあるだろう。覚悟して欲しい』
悪役令嬢だと言うキャラスティ達。
攻略対象者だと言うレトニス達。
「ゲーム」開始は目前らしい。
外の日差しは夏のものに変わりつつある。
レトニスは嫌な汗が滲む手を握りしめた。
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