裏と表
一体何が起きたのだろうか。
ふっ⋯⋯と、気が付くと辺りは夕方の色彩が濃くなっている。
レトニスとユルゲンは足を止め立ち尽くした。
三人がアルバートの店を出たのは昼を過ぎた陽の高い時間。遅めの昼に何が食べたいか「彼女」と話しをしながら中通りに向かう途中の公園で「少女」と出会った。
──そこから記憶が飛んでいる──
記憶が飛ぶ前は三人だった。
今も三人。違うのは「彼女」が「少女」に変わり、二人の間で腕を取り可愛らしい笑顔で並ぶ品々を強請っている。
「⋯⋯君、は?」
「ねえ、今度はあっち見てみましょ。レトニス様にはぁ、ドレス作ってもらおうって思ったのにアルバート洋品店閉まってたから違う所で作って、ユルゲン様にはぁ、ドレスに合うネックレスね!」
「ちょっと、まって、君は⋯⋯だれ?」
桃色の髪を揺らした苺色の瞳の少女は、コテンと首を傾げて「君、じゃなくてランゼでしょ? 何を言ってるの?」と本気で不思議に思っている。
「どうしたの? あ、そっか効果が切れちゃったのか。一度に二人は弱いのかなぁ。もう一度⋯⋯あれ? 光らない。なんでぇ」
少女は胸元のブローチをトントンと叩いたり摩ったりするが何も反応しない。縋る瞳を二人に向けるが訝し気に見返されイライラして来たのが分かる。
「キャラは⋯⋯何処に⋯⋯?」
「キャラスティ? 知らない。何であんな人を気にするのっ」
「君はキャラちゃんの知り合い?」
「まだ知り合いじゃないわ。親友にするならレイヤーかクーリアよね爵位が高い親友のが見栄えが良いでしょう? キャラスティなんて子爵令嬢のくせにアレクス様にも付き纏ってたし、テラード様とシリル様にも付き纏ってて邪魔するんだもん嫌い。みんなは、私を好きにならなくちゃダメなのよ」
キャラスティと知り合いではないのに知っている口振りとアレクス達に付き纏って邪魔だと言う少女、ランゼは「私が主人公だもの」とコロコロと笑う。
二人は「何を言っているんだ」と混乱する。
何故キャラスティではなくランゼが自分達の腕を取っているのか。答えが出ない。
陽の傾きは明らかに夕方のもの。アルバートの店を出てからかなり時間が経っている。早く探しに行かなければと二人はランゼから離れようとするが、再び腕を取られ二人は強張った。
「大丈夫よ。近くに騎士団も居たし、もう帰ったんじゃない?」
「騎士団が何で出て⋯⋯」
「勝手に落ちたのよ。池に」
「池に、落ち⋯⋯僕達がそれを放置したの? キャラちゃんが落ちたのにっ!? ねえ、レトニス、なんかおかしいよっ!」
絡む腕を振り解いたレトニスが青ざめて走り出した。ランゼがよろめいたが転んでいないのを目の端で確認してユルゲンも走り出す。
「もうっ! なんで効果が切れるの! なんで光らないの!」
ランゼは叫ぶだけで追いかけてくる様な事はなく、興味がブローチに変わり握り絞めて怒鳴る声が遠ざかる。
公園へ戻り、池の周り、ガゼボ、ベンチを探すがキャラスティの姿はなく優雅に散歩する人がいるだけだった。
何か重大な事が起きていれば閉鎖されて居るはず。一先ずは無事だろうかとレトニスは安堵するが、何故ランゼとキャラスティが入れ替わっていたのか、何故キャラスティが池に落ちたと言うのなら自分がそれを見た記憶がないのか、何故キャラスティを置いてランゼを連れて行ったのか⋯⋯胃が締め付けられ吐き気が上がってくる。
「──っ!」
「何処に行ったんだろ⋯⋯落ちたのなら、濡れたままだよね」
「ベクトラ様と、トレイル様ですね?」
陽の影で顔がよく見えないが低く良く通る声を二人に掛けて来たの騎士風の男。
「そうだ」と答えると騎士風の男は微かに怒りを込めた雰囲気を纏った様に感じられ二人は警戒を露わにした。
「私、アレクス様の護衛をしておりますジェイコフと申します。アレクス様より本日は皆様をお守りする様命じられておりました」
「アレクスが?」
「キャラは、彼女は⋯⋯っ」
「⋯⋯貴方が、心配されるのですか」
「当たり前だろっ!」
ジェイコフが冷ややかな視線を向け溜息を吐いた。彼が瞬きをすると鋭い視線に変わり先ほど感じた怒りが勘違いでなかったと思い知らされレトニスとユルゲンは動けなくなった。
「私は皆様の後を付いていたのですが、「あの時」貴方が何をしたのかお忘れですか? いや、「何もしなかった」と言うべきですかね」
「何を言って⋯⋯「あの時」⋯⋯?」
街の警備が強化されているとは言え、「国」が「無かった」とした「人攫い」を、友人としては無かったことには出来ないとアレクスはジェイコフに命じ後を付けさせたのだ。
何も無ければそれで良かった。
「あの時」ジェイコフが見たものは突然現れた「少女」がキャラスティの髪留めを取ろうとし、キャラスティが抵抗しながら縁に追い詰められ池に落ちた現場だった。
助けるものだと思ったジェイコフは何事も無かったかの様に「少女」に腕を取られ去ってゆくレトニスとユルゲンに唖然とした。
直様キャラスティを助け、騎士団にアレクスへの報告を出し保護したと言う。
「そんな⋯⋯僕、そんなの覚えて、ないよ。キャラちゃんは? 僕、謝らないとっ」
「何で、どうして⋯⋯本当にそんな事、俺が⋯⋯そんな⋯⋯」
「⋯⋯覚えておられないのですか」
ジェイコフから向けられた憐みの溜息と蔑みの視線が作り話では無いと語っている。
「⋯⋯、確かに「あの時」とは、お二人の雰囲気が違いますね」
「キャラちゃんは、今⋯⋯何処に」
「寮へお帰りになってます」
「会いに──」
「アレクス様よりお二人を連れてくる様、言われております。こちらを優先して下さい。ご案内します」
呆然としたレトニスとユルゲンを促しジェイコフは「ノース」へ向かった。
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「くれぐれも、王子様に粗相を、しないように」
アルバート洋品店は一階が店舗、二階がフィッティングルーム、三階と四階が自宅となり、制作は表通りから見れば店舗裏側の別棟で作業する。忙しい時の工員用に中通り側に面した出入口もある。
今から優先してモーニングコートとドレスに着手するからと店を閉めたアルバートに何度も「くれぐれも」と震えた声で釘を刺されキャラスティは店を後にした。
昼には遅くなったが、何が良いか、何処にしようかと話しながら公園に差し掛かった所で「また」桃色の少女、ランゼに出会したのだ。
前例に漏れずランゼはキャラスティに一目もくれずレトニスとユルゲンに話しかけ続けた。
「もーっ! 何処に居たの!? 今日も絶対誰か居るって街中探したんだからっ!」
「君は?」
「ランゼよ。ランゼ・セプター。ヒロインを忘れちゃダメでしょー」
「ヒロイン⋯⋯って。僕達に何か用?」
「ふふっ。ちゃんとブローチ着けてるんだからっ」
紳士教育の行き届いた二人は邪険にすることも出来ずそれなりの対応をしていたが、ランゼの瞳とブローチが輝いたと思えばキャラスティを庇う様に前に出ていた二人の色彩が淡くなりランゼに微笑みを向けていた。
──ネバーエンディングモードのブローチってあんな風になるんだ。
キャラスティはランゼの持つ「祝福」と「ブローチ」が発動する瞬間をある意味感動的に思いつつ傍観してしまった。
悪役令嬢達と攻略対象者達の好感度が「友好」なのは通常モードの話で、ネバーエンディングモードの「ブローチ」は好感度操作を行なうチートアイテム。通常の「愛」だの「恋」だのが抗えないのだから「友情」なんぞは抵抗すら出来るはずがないのだ。
テラードも影響されたとレトニスが言っていたが、やはり攻略対象者のレトニスとユルゲンも影響されやすい。二人とも完全にキャラスティが見え無くなっていた。
「いつまで居るの? 前もそう。何でレトニス様だけじゃく攻略対象者に付き纏ってるのよ。貴女は悪役なのよ?」
アレクスには「丁度良い」と連れ出され、テラードとシリルには「守る」と連れ出され、レトニスとユルゲンには「まだ出かけたことが無い」と連れ出され⋯⋯。
──付き纏われているのは私の方だと思うんだけどな。
「それからさ、それ、アレクス様から私が貰う髪留めよ? 返してもらうわ」
「えっ? ちょっと、ダメですよっ」
勝ち誇った表情でキャラスティに近付いたランゼが髪留めに手を伸ばした。
流石に王子様から頂いた物は渡せないとキャラスティは咄嗟に髪留めを庇い、ランゼが「よこしなさいっ!」と身体を当ててくるものだからフラフラと池の縁に追い詰められ、髪留めに再び伸ばされた手を避けるように身体を捻るとキャラスティは足を踏み外し池へと落ちてしまった。
「ちょっと! 汚れるじゃないっ! もうっいいわっそんなガラス玉なんかより宝石が付いた物、もらうんだからっ!」
言いたい事を言ってランゼが踵を返し、レトニスとユルゲンの腕を取り、あっという間に公園を出ていくのをずぶ濡れで見送りながらキャラスティはランゼしか見えていない二人の見事な「魔法」のかかりっぷりに感心していた。
──効果が切れた時レトが落ち込まないと良いけど。
「キャラスティ様っ! 大丈夫ですか!?」
「へっ? は、はい」
浅くて良かった、冬でなくて良かったと呆然としていたキャラスティを騎士風ではあるが何処かで見た事のある人物が手を差し伸べてくれた。
彼に引き上げついでに抱き上げられ、これまたあっという間に公園を出て、一軒の家へと運ばれ、展開の早さにまた拉致られたのかとキャラスティが身構えていると、騎士風の男は暖炉に火を入れ服を乾かす間の着替えを持って来て直ぐに出て行った。
着替えて服を乾かしていると騎士風の男が再びやってきて、テイクアウトされたサンドウィッチと温かいミルク、菓子を渡され、自分はアレクスの護衛だとやっと自己紹介をされたのだった。
「先日はアレクス様を守っていただきありがとうございます」
「守る? ⋯⋯あ、あの時の護衛さん」
街角でランゼとぶつかった時、咄嗟にアレクスを庇った事を思い出して記憶が繋がる。
あの時アレクスを護衛していた三人の一人だ。
「ジェイコフと申します。今日はアレクス様の命で失礼ながら後を付いておりましたが⋯⋯災難でしたね。アレクス様からの髪留めを守っていただいたお礼も言わせてください。ありがとうございます」
「あー、いえ、そんな大した事では⋯⋯」
「いいえ、貴女はお聞きしている通りのご令嬢です。⋯⋯気丈ですね⋯⋯彼等の態度に傷付いておられるでしょうに」
「傷付く⋯⋯」はて、何か傷付いただろうかと首を傾げるが、人から見れば突然現れた少女に突き落とされ、一緒にいた男性はキャラスティを見捨て少女と去って行ったように見えたのだろう。
「お気遣いありがとうございます。レトニス様とユルゲン様に何か事情があったのだと思いますよ。大した事ではないです」
「⋯⋯アレクス様が気に掛ける理由が分かりました。気丈なだけでなく、相手を思いやれる優しさをお持ちなのですね」
──っっ!! しまった! ジェイコフさんはシリル様タイプだ。
ジェイコフが優しく目を細めるのを精一杯の作り笑いでやり過ごしたがアレクスにどんな報告がされるのか想像に難しくない。やってしまったとキャラスティの背中に冷や汗が浮かんだ。
服が乾いた頃にサンドウィッチも食べ終わり、帰りたい旨をジェイコフに伝えると「今日はその方が宜しいです」と馬車を手配され、陽が傾く前に寮へ「何事も無かった」ようにキャラスティは帰り着く事ができた。
翌日、二日酔いしながらも訪ねて来たレイヤーから「ノース」での出来事を聞かされ、キャラスティは悪酔と同じ感覚に陥る事になるのだった。




