『閑話』エガルと坊ちゃん
「何を、されているんですか?」
トレイル家嫡子専属執事エガルはクローゼットに手を掛けている主人に声を掛けた。
俯き肩を落としている坊ちゃん、レトニスが「また」落ち込む様な事をやらかしたのかと頭が痛む。
やらかした直後や、人と会っている時は平然と過ごしてくるのにこうして自宅へ帰り着くと「やらかし」を思い出しては引き篭もる。
レトニスが六歳になった頃から専属の執事として付き、成長を見守ってきたがこの「引き篭もり癖」は治らない。
殊にレトニスが好意を寄せているキャラスティが絡むと不器用を通り越して「何でそんな事をした」と頭を抱える非常に奇妙な行動をするのだ。
ある時は「失敗したっ!」と叫んで篭った日は嫉妬に駆られ、気分が悪そうなキャラスティに対してあろう事か勢いで口付たくなったと言い出した。
友人達が泊まりに来たある日には眠り込んだキャラスティを抱き上げ、薄ら笑いを浮かべられてエガルでさえも引いた。
今回は何をやらかしたのか。
眉目秀麗、品行方正、成績優秀、将来有望と恵まれているのに何故「やらかす」のか。
「⋯⋯を⋯⋯お⋯⋯した⋯⋯」
「はい? そんな声じゃ聞き取れませんよ」
「おし⋯⋯した⋯⋯」
嫌な予感がする。エガルは深呼吸をした。
「キャラを押し倒したっ!」
「わあーっっ! 最悪な「やらかし」だっっ!!」
勢いのままクローゼットに入り込もうとするのを全力で羽交い締めにして止め、エガルは叫んだ。
屋敷に響いた声に使用人達が駆けつけクローゼットを始め邸にある全ての狭い場所を封鎖する。
冷静に、冷静になれとエガルは自己暗示を掛けた。「押し倒す」とは穏やかでは無い。事と次第によってはトレイル家からラサーク家に謝罪を入れなければならない。無理矢理ソファーに座らせながらエガルは溜息を吐いた。
昨晩、友人のテラードとシリルが訪ねて来てから眠れない様子だった。今朝方かなり早い時間に出掛けて行ったがそのまま強硬手段に出て押し倒したとでも言うのだろうか。
「それで? ⋯⋯押し倒したとは?」
「⋯⋯他の奴とは出てるのに、王都に来てから一緒に⋯⋯街へ出た事なくて⋯⋯」
「はあ?」
「ずっと、避けられてて⋯⋯」
「⋯⋯押し倒したら益々、避けられると思うのですが⋯⋯」
いくら美形でも行動が奇妙なら避けられるだろうにと喉まで出かけて押し留めた。
「⋯⋯納得いかない理由で好きになってもらえなくて」
「先日泊まりに来られたでしょうに」
「⋯⋯我慢できなくて口付けた⋯⋯額に」
「あーもうっ! 変な所で積極的だっ!この人はっ!」
エガルは天を仰いだ。一先ず取り返しの付かない「やらかし」は起こしていない。
トレイル家は東の砦と呼ばれる四大侯爵家の一つだ。国の意向で四大侯爵家は権力の偏りを避ける為の制約はあるにせよ、ここ数年で国の脅威でない事柄に対しての干渉は緩くなっている。
ラサーク家の位は子爵、侯爵家の権力を持ってすれば思うままに出来る。なのに、毎回何をグダグダとしているのか。
「約束したのに⋯⋯」
「約束? ⋯⋯何か有りました?」
「十二年前だっ。俺の「お嫁さん」になるって約束しただろっ」
「いつから時が止まってるんですか坊ちゃんはっ!」
「お嫁さん」とはエガルにも覚えがある。
あれは──レトニスの後継者教育が始まった頃の話だった、だろうか。
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後継者教育には大きく分けて経営座学、兵学、剣技がある。
レトニスは座学に問題は無かったが剣技が苦手だった。運動神経は悪く無いのだが「斬る」事を受け入れられないでいた。
国境を守る東の砦と呼ばれるからには賊の抑圧や隣国への睨みに剣が扱えなければならないと、見兼ねた祖父のラドルフが直々に指南役を名乗り出た。
ラドルフは自身の強さは元より「個」の力は小さくとも兵を「群」とした兵法に長けた人物で「狼」の異名を持っている。
教え始めた当初からラドルフはレトニスが「出来ない」のでは無く「出来ないフリ」をしていると見抜き、ラドルフにしごかれる度にレトニスは倉庫やクローゼットに閉じ籠り泣いていたのをエガルは覚えている。
ある日、縁戚にあたるラサーク家とスラー家がトレイル家を訪れ、そこに付いてきたのがキャラスティとリリックだ。レトニスの一つ下で五才になると言う二人は「レト兄様」と呼び、三人はすぐ仲良くなり常に一緒に遊んでいた。
滞在中、三人が領地内の湖に出掛けた日に事件が起きた。
暫く大人しかった「賊」が動き出したと報告が上がりラドルフが子供達を迎えに行った先で賊との交戦があったと言う。
子供達が無事である事だけを祈っていたエガルと家族は帰ってきた馬車を見て青ざめた。半分が壊れ、レトニスが血で汚れ、キャラスティとリリックのワンピースは引っ掛け傷で破れていたのだ。
ラドルフは悪びれる事なく隙を突かれ子供が乗っている馬車が狙われてしまったと言い放ち、悲鳴を上げた母親達に「レトニスがやりおったぞ」とニヤリと口角を上げ、レトニスの頭を満足気に撫でた。
ラドルフは、馬車の破損は自分がやった事。馬車が狙われたと同時に子供を助ける為、ラドルフは賊の進入口とは反対側を斬り壊したと言う。
露出した車内で、体格の差を利用し相手の懐に入り込んだレトニスが両手で握った剣を勢いよく賊の肩に突き刺すのをラドルフは見た。
痛みと反撃に面食らった賊の足元を咄嗟にキャラスティとリリックが引っ掛け、バランスを崩した賊は仰向けに馬車の外へと落ちていった。
二人はラドルフに気付くと「大伯父様、レト兄様カッコ良かったの!」と、へたり込んだレトニスに寄り添いながら笑い返してきた。
「この子らは中々にやりおる」とラドルフは豪快に笑い、エガルと家族が子供達を危ない目に合わせたと叱る声は流され、ラドルフは終始嬉しそうに三人を抱き抱えていた。
この出来事以降、ラドルフはキャラスティとリリックを猫かわいがりする様になった。
レトニスはラドルフに褒められた事は嬉しそうだったが、それ以上に実戦のショックが大きかったのか大人達が騒いでいる間にかいつものようにクローゼットに篭ってしまった。
「レト兄様、お菓子もらってきたの出てきて」
母親達にラドルフを任せ、様子を見に来たエガルがレトニスの部屋へ足を運ぶと、クローゼットの前で二人がお菓子を広げてレトニスに話し掛けていた。
「⋯⋯二人は怖く無かったの?」
珍しく反応が返ってきたのに驚いたエガルは三人に気付かれないよう物陰に隠れると「きいっ」とクローゼットが開き、レトニスが出てくると二人に抱きついて泣き出した。
「僕、怖かった。二人が殺されちゃうかもって怖かった⋯⋯」
「レト兄様が居なかったら死んじゃってたよ」
「ねー」と二人が笑い合うとレトニスが泣き笑いを見せる。大人が出る幕ではないとエガルはそっと場を見守り続けた。
「レト兄様とリリーが一緒なら怖くないよ」
「⋯⋯これからも、一緒に居てくれるの?」
「ずっとは出来ないよ? キャラも私も王子様が迎えにくるんだから」
「ずっとが良い! 僕が王子様になるからっ! 二人とずっと一緒が良い」
子供らしいやり取りにエガルは微笑ましさを覚えた。
キャラスティとリリックがレトニスを支えてくれる。そう、思った時だった。
「僕、二人を「お嫁さん」にするっ。ずっと一緒に居る!」
──ぶっっ──!!
吹き出しそうになったエガルは慌てて口を押さえ、身を固くした。いくら子供でも「お嫁さん」は一人だと知っているだろうに。
「えー? お嫁さんは一人よ?」
「でも、するっ! 二人共、大好きだから」
「レト兄様⋯⋯そう言うのフタマタって言うんだって。お祖母様が言ってた」
「言ってた! えーと、どっちも好きって言う人は信じちゃいけないよって」
「あっ、兄様!」
女の子は「おしゃまさん」だとよく聞く。意味が分からなくとも覚えた言葉を容赦なく使うのだ。
あっという間にポロポロと涙を溢したレトニスが再びクローゼットへ入ろうとしたのを飛び出したエガルは捕まえた。
「エガル離せっ! お嫁さんになってくれるまで僕は外に出ないっ!」
「そんな強要するものでは有りません! どっちもと言う坊ちゃんが悪いのです!」
「だって! だって⋯⋯ふえぇえっー」
貴族の子供は早熟だとは言うが、まだ六歳だ。
エガルにしがみ付いて号泣したレトニスをあやして宥める。心配そうに見上げてくる二人にエガルは折衷案を提示した。
「お嬢様方、坊ちゃんがもう少し大きくなって、まだ好きだと仰りましたら「お嫁さん」になってあげてくれませんか?」
彼らにはこれから多くの出会いがある。「子供の好き」では無い「大人の好き」を知る様になる。
大人になって行けば色々なものが変わる。環境も関係も。そうなるまで、仲良くして欲しい。
エガルがそう諭すと二人はニッコリと笑顔になり「うん!」と返事をする。
「お嫁さんに、なって、くれるの? 約束してくれる?」
「約束。レト兄様もリリーも大好きよ」
「私もっ約束する! レト兄様もキャラも大好きだもん」
「ねー」と笑い合う二人の「好き」はあくまでも友情からの「好き」なのだが、今はそれで良い。
エガルは大人になったレトニスが二人とは違う人を好きにならず、どちらかを選んだ時の三人の関係が心配になったが、それは杞憂となった。
学園に入る年頃になるとキャラスティはレトニスを避け始めた。
リリックは「兄」としてレトニスは「好き」だが、異性として「好き」とは違うと早々に気付きレトニスの相談を受けるようになった。
レトニスは交友関係が広がり多くの人と出会っても幼馴染への「好き」が「恋の好き」に変わったのだった。
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幼過ぎたあの場の約束は本気だったのかとエガルは長い回想に苦笑する。
「約束された、と言えば⋯⋯されましたね」
「フタマタ⋯⋯は辛かったな。あの頃は二人共好きだったからね。今でも、リリーは妹として好きだし、キャラは⋯⋯離れて欲しく無い⋯⋯好きに、なって欲しいんだ」
ならばもっと「普通」に接すればいいのに。何を焦っているのか。先日の様子だと嫌われてはいないだろう。
「やらかし」を思い出し、クローゼットに引き篭もろうとしていたが、明日はキャラスティと念願の街に出ると、嬉しそうに言っていた。
「ユルゲンも一緒だ」と不服そうではあったが、誰かがいた方がレトニスの「やらかし」は防げそうではある。
「まあ、坊ちゃんはもう少し引いたら如何ですか?押してばかりでは重く思われるものですよ」
窘めるつもりは無いが、嫌われては元も子もない。行動を押さえる箍になるのも執事の仕事だ。雇い主にとってのイエスマンになれば楽なのも分かっている。自身が支える人には出来れば「まし」な道を歩んで貰いたい。
「やっと明日はお出掛けになられるんでしょう? 次期侯爵らしくしっかりと、紳士的にエスコートしてきてくださいませ」
苦笑するレトニスに念を押す。絶対に「やらかし」て来ないようにと。
「⋯⋯我慢出来なくなったら⋯⋯」
「我慢なさいっ!」
グダグダと往生際の悪い坊ちゃんが「やらかし」た場合に備えて部屋という部屋、クローゼットから倉庫までを封鎖しておくべきだと声が上がったトレイル邸。
「坊っちゃんの部屋、封鎖できません!」
「いや、そこは開けておいて差し上げろ⋯⋯」
その夜は邸の使用人総出でありとあらゆる場所を封鎖したのだった。




