「ゲーム」は程々に
寮生が登校した後の寮は誰もいない訳でも無いのに極端に音が減り、少し寂しい。
時折、寮を切り盛りする執事達と侍女達の笑い声が聞こえるだけだ。
テラードとシリルは夜の時点で王宮へ報告を上げたらしく遅くにアレクスから使いが有り、書簡を渡された。
中には気遣いの言葉と話を聞く為、休みを取る様指示がされていた。
──大事になって来ちゃったな⋯⋯でもまあ、私だったから良かったんだけど。
「人攫いイベント」はキャラスティにとって危険がないものだと分かっているものだった。
しかし、アレクスの書簡ではその「人攫い」は「国」の重要問題の一つだと言う。
地方では市井の子女や下級貴族子女の失踪はままある事だったが、王都で起きてはいなかったらしい。
邪推すれば平民レベルで発生していても「無かった事」にされていたのに、いくら末端でも王都で貴族が被害に遭ったとなれば見ないフリができなくなったところか。
折角、見ないフリをしていたのに面倒を起こしたと言われるのではないかと、気が気ではない。
憂鬱だとキャラスティに溜息が多くなる。
「あの、レト? ずっと見られていると落ち着かないのだけれど」
溜息の原因はもう一つ。
寮生が起き出す前、それこそ疲れすぎて熟睡していたのを起こされレトニスの訪問を告げられた。
寮は特に男子禁制でも部外者禁止でもない。
訪問申請をすれば各寮生の個室へ入る事が出来るのだが、寝起きはあまり人に見られたくないものなのにレトニスが寮に来ているとなれば、他の寮生が恥ずかしい思いをしてしまうと、部屋まで来てもらった。
自分も寝起きで失礼な格好だったのだが訪ねられたのは自分で、他の人が恥ずかしい思いをするよりマシだ。部屋に迎え入れた時、レトニスの方が恥ずかし気で恥ずかしいのはこっちの方だと言いたかったが。
「見ての通り、何処も怪我はないでしょ?」
着替えている間に用意された軽食にも手を付けず、ずっと無言なのも気マズイもの。
「⋯⋯ごめんなさい。心配かけました」
窺って見るもまた無言。いよいよ呆れて何も言えない所まで行ったのかと諦めて、朝食を用意すると言ってくれた早朝担当の侍女にリクエストした食パンに卵を乗せたトーストと目覚ましの珈琲に手を伸ばす。
「サクラギ」だった頃は毎朝目玉焼きトーストにインスタント珈琲だった。記憶のトーストと珈琲より断然美味しい。
「前は、珈琲は苦手だって⋯⋯」
やっと話したかと思えば珈琲かとカップ越しにキャラスティはレトニスに目を合わせる。
確かに苦いだけで美味しいと思ってはいなかった。いつの間にか飲めるようになっただけで、味覚の変化は気にするまでのものではない、好きだったものがそれほど好きで無くなり、苦手なものが平気になる、そう言うものではないか。
「⋯⋯どっちの「キャラスティ」が飲めるの?」
レトニスの深緑の瞳が冷えた。
好感度変化の揺らめきは無い。「どっち」とは何だろうか。
「正直、「前世」だとか「ゲーム」だとか全部を信じた訳じゃ無かったよ。楽しんでいるならそれで良いって。
⋯⋯昨日の夜、二人から何があったのか聞いて無事だって分かっていてもやっぱり不安でね」
東一帯では幸いに起きていなかっただけでレトニスは「人攫い」がある事を認知していた。
「直ぐに会いに来たかった。けど、そんな事をしたらまた、嫌がるだろ? でも眠れなくて、嫌な顔されても良いって」
それで日が昇るのを待ったのだと言う。
「危険な目に遭ったはずなのに平気そうな顔を見たら、嫌な顔をされた方がマシだって思った⋯⋯」
弱々しく笑顔を見せるが瞳は冷えたままだ。
「テラードが言っていた。「人攫いイベント」があるって。
──また『ゲーム」か。って⋯⋯腹が立った」
細めた瞳と笑顔が合わない。キャラスティの背中が粟立ちレトニスは怒っているだと理解した。
「こっちは不安で心配で仕方がないのに「ゲーム」だから⋯⋯筋書き通りになるから平気だって?」
立ち上がったレトニスが近づき、キャラスティは押し倒される形でソファーに張り付けられ、見下ろされた。
綺麗な顔が近い。
「ねえ、「ゲーム」ならキャラは俺を好きじゃないといけないよね?」
「⋯⋯そ、れは、す、きになったら私は断罪、されちゃうから⋯⋯」
「それも「ゲーム」が「そう」だからだよね。腹が立って当然だよね「ゲーム」のおかげで避けられて、好きになってもらえない」
怒らせているのに恥ずかしさに頬が熱くなって来た。頬だけじゃない確実に体温が上がり心臓が早鐘を打っている。
「こう、されるのも「ゲーム」にあった? これから、俺が何をしようとしているか「ゲーム」にある? ⋯⋯アレクスやテラードがキャラを気にしているのも「ゲーム」の筋書き?」
「無いっ! 無いから、なんか、恥ずかし過ぎて訳分からなくなってきた!」
真っ赤になっているだろう顔を見られたくなくてキャラスティは両手で隠す。
レトニスが何をしようとしているかも分からない、アレクスとテラードが一体なんだ? と頭が追いつかない。
とにかく「ゲーム」に怒っているのは理解した。
「ゲーム」の「イベント」が起きるのは確かな事だが、全部が全部「ゲーム」の通りでは無い。
現に、「ヒロイン」のランゼが受けるべき「イベント」をキャラスティがこなしてしまっているのだ。
「そう、無いんだ。ほら、ね? キャラは作りものじゃないし、俺だって「ゲーム」の登場人物じゃ無いんだ」
キャラスティはうんうん。と必死に首を縦に振る。当たり前だ。当然だ。
「約束して。「ゲーム」を信用し過ぎないで。今回は無事で済んだ。「ゲーム」通りになった。けど、違う事だってあるんだから」
「はいっ。約束するっ、するから、少し、離れて欲しいっ」
「これからキャラが怖がっている事が起きるんだろ? レイヤー嬢もテラードも危惧している事が。テラードが操られる様な体験したって。そんな魔法みたいな話信じられないけど」
離れて欲しいと言ったのに益々近くなる。レトニスの黒髪が掛かってくすぐったい。キャラスティは顔を隠したままぎゅうっと目を閉じた。
「キャラが知っている「ゲーム」の通りに動くとしても「付き纏られて迷惑だ」なんて言う俺は俺じゃ無い。絶対ない」
「そんな事言っても強制、だから」
「言ったとしたら、俺が一番後悔するね。その時は⋯⋯嫌って。大嫌いだって。魔法が解けた後、俺が後悔する様に」
指の隙間から額に何かが触れて直ぐに離れた。
何をされたのか目を開けると恥ずかしそうにしている深緑の瞳とかち合った。
いよいよ、恥ずかしさが爆発した。顔が熱い、目まで熱い。心臓は痛いほどだ。
「な、な、なっっにっをっ」
「ごめん、自分でやっておいて⋯⋯凄く、恥ずかしい⋯⋯」
「恥ずかしいならっ! しなければ良いでしょっ!」
頭に手を乗せられ撫でられる。髪に触れるのを拒まれなかったと嬉しそうにレトニスが微笑んだ。
「⋯⋯「ゲーム」は程々にしてよ」
わしゃわしゃと遠慮なしに撫でまわされて髪はボサボサだ。恥ずかしさの限界を超えると何をしても何をされても恥ずかしい。熱を持った眼球が乾いて涙が溜まる。
「アレクス様がいらっしゃいました」
ノックの後にドア越しに声が掛かり急いでキャラスティは髪を直した。ボサボサ頭では何を勘違いされるか分かったものではない。
「⋯⋯レトニス、先に来ていたのか」
「心配だったからね」
「キャラは、大事ないか?」
「お気遣い、ありがとうござい──」
「あっ! アレクスお前っ!」
立ち上がりアレクスを迎え入れる礼をしている途中にキャラスティは抱き締められた。
押し退けるのは不敬罪か? 王族の挨拶か? 突然の事で混乱する。
「すまなかった。怖い目に合わせてしまって」
「あ、ああぁの、大丈夫、ですのでっ」
「平気な振りはしなくて良い。泣きそうだろ?」
怖いのは貴方達だ。と、キャラスティは固まる。恥ずかしくて泣きたい。
涙が溜まっているのは恥ずかしさから、頬が上気しているのも恥ずかしさから。
泣きそうなのはそれを怖がっていると勘違いされたから。
恥ずかしい思いをさせたレトニスのせいだ。
勘違いしていきなり抱き締めてきたアレクスのせいだ。
「アレクスっ! 離れろって」
「お前は口煩いな」
引き離そうとするレトニスと抱え込むアレクスに挟まれ、息苦しさに悶える。アレクスの肩越しにヘラっと笑うテラードと何故か頷いているシリル、何やら愉快そうなユルゲンと目が合った。
この先、今以上の恥ずかしさが有るとしたら「ゲーム」の通り断罪を受ける時だろうか。
絶対に「ゲーム」の通りにはなるまいと、キャラスティは固く決意した。




