人の話は聞きましょう
ほんの一杯のつもりがいつの間にやら二杯三杯と呑んでほろ酔いで歩く二人が振り返り、慌てた様子で追いかけて来る姿が最後の記憶だ。
「ノース」を出た時は夕暮れの始まりだった。目が覚めた場所は日が暮れて薄暗い部屋のベッドの上。
連日の外出は体力面でも精神面でも疲れてたのか寝入ってしまっていたらしい。
攫われても眠れるとは我ながら図太い神経をしていると自身に苦笑した。
辺りを見回すと部屋にあるのは寝かされていたベッドとデスクだけ。拘束はされてはいない。窓から見える景色は高めで二階だと分かる。扉は外側から何かで押さえられているのか開かなかった。
覗いた窓の下には屋根がある。窓から出る事は可能そうだが、キャラスティには問題があり大人しくしている事を選択した。
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酔いは一気に吹き飛んだ。
「うわぁっ」と可愛気のない悲鳴で振り返るとキャラスティが二人組の男に建物の間に連れ込まれているところだった。
最初は抵抗をしていた彼女だが突然クタリとすると抱えられる様に連れ去られてしまった。
「あっ! やっと見つけた!」
テラードとシリルがキャラスティを追って駆け出した先、突然彼らの前にランゼが現れ二人は捕まってしまったのだった。
「悪いけど、君の相手をしている暇はないんだっ」
「えーっランゼって呼んで下さい! 悪役なんだからいいじゃないですか。脱出できるし、殺される事はないですよ? それより、これ、ブローチです!」
「⋯⋯殺される事はない? 何が起きたか知っているのか」
「連れ去りイベントですよ。怖いし、私じゃなくて良かったですね! スチルがあるけど好感度が上がるイベントじゃないから、今やらなくても良いんです」
「イベント?」
シリルが訝し気に目を細めるとランゼは苺色の瞳を潤ませ「そんな目で見ちゃダメ! シリル様怖いですっ」と腕に絡みつく。シリルの困惑した視線を感じるがテラードはフル回転で記憶を探った。
──連れ去りイベント──
条件:攻略対象者二人のどちらかが好感度「友好」と、どちらかが「好き」状態。
イベント発生:攻略対象者の二人と一緒にいる所を謎の人物達(反王制組織構成員)に連れ去られる。
屋根から降りてくる脱出したヒロインを見つける。裏通りの廃屋前で攻略対象者二人のスチル。好感度変化無し。
(背景:赤い屋根、薄茶の建屋、黒い扉に黒い旗。扉前に町人一人)
好感度は変化しないがイベントを発生させた攻略対象者の二人が手を差し伸べる「スチル」──静止画を取得するイベントだ。
レトニスとアレクスで発生したのだから好感度「友好」のシリルと好感度「好き」のテラードが揃えばイベントが発生する可能性があったのに呑気に構え過ぎていた。実際にイベントが起き、自分がイベントを起こす鍵を持っている一人なのだと痛感して焦りが込み上がる。
「ゲーム」では危害を受ける事なく自力で脱出するが、現実は必ずしも受けないとは限らない。
貴族の令嬢は金になる。身代金が要求出来なくとも高値で売れる。売られた先が娼館であれば高値で買われる。「ゲーム」のキャラスティなら泣き叫ぶなり何なりする性格だが、現実は「あの」キャラスティだ、諦めて淡々と受け入れる⋯⋯気がする──まで考え、テラードは嫌な想像を頭を振って掻き消した。
「最悪だ⋯⋯」
「もうっ! そんな事より! ブローチですよ!」
「そんな事より」と楽し気な言い切り方にテラードの頭に血が上がった。ランゼの腕を振り払い、睨み付けるがランゼは大きな瞳をキラキラと輝かせるだけだ。
「いい加減にしないかっ! 人が攫われて「そんな事」で済ませられないだろっ! 早く助けに──」
「ふふっ。もう、テラード様ったらおかしな事言って。「みんな」が助けるのは私だけでしょう?」
ニッコリと笑うランゼの苺色の瞳が輝きを増しブローチが光った気がすると、ランゼの声がやけに大きく響きテラードは「ああ、そうだ」と思い始めた。頭が霧が覆う様に真っ白になって行く。
──大切なランゼが笑っている。可愛いランゼが笑っているならそれで良いよな⋯⋯。
「テラードっ!」
頬を叩かれた衝撃がテラードの意識を引き戻し、ランゼに向かって伸ばしかけた手をシリルが掴んでいた。
「あ⋯⋯」声が出ない。今、自分は何を思ったのか何をしようとしたのか。テラードは自分が無くなる感覚に震える両手を強く握りしめた。
──これが「ブローチ」とランゼの「瞳」の力なのか?。
怒りと不安の色で見つめる藍色の瞳がシリルのものだと分かるとテラードの表情が落ち着いてくる。
「お前今何をしようとした? 一体、どうした?」
「⋯⋯サンキュー、シリル」
「さんきゅう? 何だそれは」
テラードはシリルの耳元に顔を寄せ「一言」だけ告げた。
「瞳を見るな」
赤茶色の瞳と藍色の瞳が瞬きを一回交わし、テラードとシリルはそれだけで意思の疎通を完了する。
「もうっ! 私を除け者にしないでっ。私、お腹すいちゃった。三人でレストラン行きましょう。表通りのレストランがいいわ。途中でドレス買ってくれるでしょ? 二人だって可愛い私を連れたいよね」
レストランに行くためのドレスを攻略対象者がランゼの為にプレゼントする「イベント」の事かと冷静を取り戻したテラードは吹き出しそうになる。
一度飲まれかけたがもう、大丈夫だ。
確実な対処法はまだ見つからないが「ブローチ」の光とランゼの瞳を見なければこの場は対処できる。
──ランゼは「ブローチ」の意味を理解して使ってるな。恐らく瞳の力は「祝福」。
「ゲーム」でランゼは「祝福」の力を持っている。「祝福」とは彼女からの愛情を受けた者は思い通りの「幸福」を手にする力。
「ゲーム」ではないこの世界のランゼが持つ「祝福」は瞳だけでは力が弱く、ブローチを身に着ける事で発揮されるのだろう。それも、愛情を「受けた者」ではなく「ブローチ」と「瞳」両方を持つランゼが「幸福」を手にする力として。
「ランゼ嬢、もう一度聞く。さっき君は「連れ去りイベント」って言ったな。どんな「イベント」なんだ?」
「もう、シリル様までえ。どうだって良いじゃない。悪役なんだから。早くドレス買いに行こう?」
「⋯⋯街の安全、の為に必要なんだ」
「あっそっか、シリル様はそう言う仕事に就くんだもんね。街のゴロツキはね裏通りの廃屋を使って人攫いしてるの。それをね、シリル様がどんどん暴いていくんだ。いつか私も攫われる「イベント」起こすから待っててね!」
ニコニコとシリルに話すランゼはやはり「幼い」。
仕草、言動が幼いだけでなく思考も深く持っておらず、自分に都合の良い意味へと変換してしまう。
ならば、それを利用してキャラスティの攫われた先を聞き出せば良い。
「えへんっ。「連れ去りイベント」はね背景が同じなんだよ。赤い屋根の黒い扉の家なんだ。よく分かんない旗が扉に付いてるの。手抜きだよねえ」
コロコロと可愛らしく笑うランゼをシリルは冷めた表情で見下ろしていたが、顔を上げるとテラードと目を合わせ頷きあった。
「あっ! 何処行くの!? ドレスは? レストランは? もうっ。男の子っていっつもそうなんだからっ。次は絶対ドレス買ってもらうからねえー」
頷くと同時に二人は走り出した。後ろからランゼが騒いでいる声が聞こえるが、あの調子なら追いかけては来ない。
早く離れたい。自分が「ゲーム」のキャラクターでランゼが「ゲーム」の主人公なら恋に落ちるほど可愛らしく綺麗だと思うのだろうが、テラードは言い知れない気味の悪さを感じていた。
「シリル、裏通りの赤い屋根で扉が黒い廃屋だ!」
「そんなのっ多すぎてわかる訳ないだろ!」
「分かるんだ。「俺達」は分かるんだよ!」
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お腹が空いてきた。いつまでここに居ればいいのかと窓を開けてキャラスティは項垂れた。寮に遅くなる事を伝えて無かった、遅くなりすぎると騒ぎになってしまうと溜息が出る。
窓は開く。今も開けている。屋根から逃げる事は出来るのだ。出来るのだが⋯⋯。
「やるしか無いか⋯⋯」
キャラスティは運動音痴だ。
跨げる隙間は問題なくとも跳び越える様な隙間は大抵ハマる。
石の上を跳ぶ遊びでは石と石の間を跳ぶ力の加減が出来ず石を跳び越えるか、距離が足りないかで落ちる。
高い所から跳び降りるにも姿勢が取れず、降りるではなく落ちる。
貴族の嗜みであるダンスも何とか踊れても身体が固すぎて優雅とは言えない。
「落ちるのを覚悟で出るしかないか⋯⋯」
攫われた時は流石に怖かったが「連れ去りイベント」だとすぐ理解し、気絶したフリをしてそのまま寝入ってしまった為に結構な時間が経ってしまっている。本気で帰ろうとしないと冗談抜きで大騒ぎ待ったなしだ。
真下に屋根があるのだから出てすぐに落ちる事はないだろう。キャラスティはいい加減覚悟を決めて窓から身体を乗り出した。
「くそっ! やっぱり開かないか」
「⋯⋯本当に「分かる」んだな⋯⋯ここだけ他と違って見える⋯⋯なんでだ⋯⋯」
「それは今、気にしなくて良いぞ。おかしいな、場所は合っているのにキャラ嬢の姿⋯⋯が、ん?」
二階を見上げたテラードと屋根に四つん這いで動けなくなっているキャラスティの目が合う。
テラードが泣きそうに、シリルが安心気に頷いた。
「あっテラード様、シリル様」
「良かった無事で⋯⋯早く、降りて来なよ」
「そ、れが、ですね。どう動けば良いのか分からなくなりまして」
「そのままこっちへ跳べばいい、受け止める」
シリルが受け止める態勢を取るが中々来ない。怖いのだろうかと見上げるが、キャラスティは怖がっているより首を傾げながら踊っている様だった。
と、意を決して「よしっ」と気合を入れたかと思うと突然跳び降り⋯⋯落ちた。
足から跳ぶものだと考えていたシリルは上体から落ちてくると思わず、慌ててキャラスティを自身の上体で受け止め、肩に頭がくるよう両腕で腰を捕まえた。
「あーっ! やっぱり落ちたーっ」
「なんでっ! 君は頭の方から降りるんだっ!」
「申し訳ありませんっ! シリル様、テラード様、ありがとうございますっ」
シリルから解放され地面に降りるとキャラスティはテラードに抱き締められ、息苦しさに目の前がチカチカした。
「良かった。何かあったらと思って不安だった」
テラードの赤茶色の瞳に熱っぽく見つめられて恥ずかしくなる。先程までは触れるだけで引き離していたシリルもテラードを引き離そうとはしなかった。
「色々話すこともあるが、今日は帰ろう。遅くなってしまったしキャラスティ嬢も疲れただろう」
「そうだな。アレクスとレトニスに報告しないとな。ランゼ嬢の事、人攫いの事を」
「⋯⋯怒られるだろうな」
「確実に⋯⋯な」
苦笑を交わした後「本当に無事で良かった」と二人から手を差し出されたキャラスティは素直にその手を取った。




