王子様は気付かない
いつもは書類が広げられているテーブルにケーキ、マフィン、クッキーが並び、ほのかなハーブの匂いが部屋を満している。
「来月の編入生歓迎パーティーで出そうと思っているのだが、意見を聞かせて欲しい」
この菓子類は昨日、アレクス自らが街へ出て調査して来たもの。
生徒会主催の編入生歓迎パーティーは昼間に行われる略式パーティーと決まり、軽食、デザートが主体の茶会スタイルだ。
「菓子自体は甘味が控えめだから飲み物は甘いものが良いだろうと⋯⋯キャ⋯⋯が、あ、いや⋯⋯言っていた」
レトニスに軽く睨まれ言い直すが余程悔しい思いをしたのか子供の様に拗ねているのが良く分かる。
昨日の夕方からレトニスは機嫌が悪い。
テラードに助けを求める視線を向けたが、笑いを堪えた表情で「無理、無理」と首を振られて思い当たる記憶は「一つだな」とアレクスの口元が緩む。
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昨日、街から学園に戻りキャラスティを馬車から下ろすと先に着いていたレトニスにアレクスが「王子」である事などお構いなしに捲し立てられ、詰め寄られた。
「アレクス! アレは何だっ」
「アレ? アレとは何だ」
「アレはアレだっ。腕、う、腕⋯⋯俺だってまだ組んだ事ないんだぞ!」
「アレクスに先を越されるとはなあ。キャラ嬢今度俺ともデートしてね」
テラードまでもが若干の嫉妬を含めてアレクスを揶揄い「うわぁ⋯⋯」と後ずさったキャラスティの引き気味にアレクスを見上げる目と、苦虫を噛み潰したようなその表情が可笑しくてアレクスは吹き出すと笑いが溢れ止まらなくなった。
初めて大笑いした。
そこそこに付き合いが長い友人達が自分に対して普段とは違う情を見せているのが可笑しくもあり何より嬉しかった。
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不機嫌なレトニスと笑いを耐えるテラードを見るだけで思い出し笑いが込み上げる。
「ふっ⋯⋯」
「何、何どうしたの?」
「アレクスが笑うのは珍しいな」
「街で何か楽しい事でもあった?可愛い子にでも会った?」
「ああ、小舅付きの平凡な子に付き合いを頼んで可愛いだけの子と会った」
「楽しかったぞ」と続ければレトニスに小さな笑みが浮かぶ。
「当たり前だろ」とでも言いた気なのは気のせいではないのだろう。
王族、侯爵家の子息だと将来を約束されたアレクス達は選ばれた存在だと無意識に選民意識が植え付けられている。
アレクスは当初、侯爵家のレトニスが貴族とは言え下位爵位の子爵令嬢に何故、執心しているのか理解できなかった。
下級貴族、平民は「特別」な自分達が目を掛けるような存在ではない。王族、上級貴族の為に「使われる」だけの存在。
今は何と失礼で視野の狭い考えだったと恥じ始めている。
「場にそぐわない振る舞いは相手と周りに失礼」だと言った下級貴族のキャラスティは、アレクスが「丁度良い」格下だと見下していたにも関わらず、相手が「敬われる」価値が無くても「敬い」「その場に合った態度」を取った。
「平凡で良い」と言うキャラスティが貴族の矜恃を持ち、アレクスに相応の態度で接してくれたのはある意味で安心できた。
──平凡は安心でもある、と言う事か。
「うん。いいんじゃない? 僕、昼間のお茶会苦手なんだよね甘過ぎるものばかりで。これなら平気」
「ハーブが食し易い様に考えられているから後味は悪くない」
ユルゲンとシリルからどこの店だと問われるのを自分が選んだ店なのに何となく「教えたく無い」とよぎった自身に驚いて体温が上がった気さえする。
「な、中通りだ」
「僕も中通り偶に行くけど品物の質は表通りと大差ないよ」
「表通りは大抵が貴族絡みで高価になりがちだしな。予算の見直しをしても良いだろう」
「そうか、また──」
「アレクスには貸さないし、危ないからダメだ」
「反応早いなお前。まあ俺も今回はレトニスに同意」
またキャラスティを伴って街へ出るかと言いたかったがレトニスに拒まれた。
貸す、貸さないとキャラスティは物でもないし、レトニスの所有でも無いだろうとアレクスは呆れるが、テラードにまでも牽制されれば引くしかない。
「⋯⋯仕方がないな。まあ、別の機会にするか」
「別の機会もダメだ。⋯⋯それで、次の手配は何だ? 俺が──」
「お前は予算の組み直しがあるだろ? 次は飲み物だな。シャンパン⋯⋯ビールとかな。俺が行く」
「くっ⋯⋯テラード⋯⋯」
不機嫌だったり怒ったり焦ったりと忙しい友人だとアレクスは笑う。
綺麗な顔立ちで涼し気な瞳の冷静な紳士だったレトニスは良く表情が変わるし感情が分かり易い。
飄々として本心が分からなかったテラードはアレクス達を良く見ており、さり気ない気使いを常に向けてくれている。
二人は元々無表情でも無関心でもないがそれが見えなかった。見える様になったのははキャラスティが関わる様になってからか。
自分の考えが変化しているのも「そう言う事」なのだろう。
「テラードに任せると酒ばかりになる。俺も行こう」
「そうだな。シリルとテラードの二人に任せる」
「今日はこれまで」と解散をしてみたものの、テーブルには開封していない菓子が並べたままになっているのがアレクスは気になった。今までなら気にもならず、視界にすら入っていなかったのに勿体ない気持ちが何故か湧き上がってくる。
「アレクス?」
「なあ、今までこう言ったものはどうしていたんだ?」
「えー? 適当に他の子達にあげたりしてるよ」
「今回もか?」
「そうだな。⋯⋯誰かあげたい人でもいるのか?」
「いや⋯⋯」
「いない訳でも無いが」と答えかけて渡したい人には既に渡していると、思い留まる。
何で思い浮かべたのか自身に疑問が出るがアレクスは抑え込んだ。
菓子は使用人達に配っても良いかとアレクスが言えば友人達は驚き半分ながらも好意的に了承をしてくれる。
同じ様に驚いた表情の自分達付きの使用人も「貰ってくれるか」と、声を掛けると仕事柄表情を変える事を憚られる彼らが恐縮しながら喜んでくれた。
──使用人達が俺達を敬うのは当然だと気にもしなかったが、彼らは「俺達に合わせた態度」をしてくれているのだな。
「ありがとうございます。息子が喜びます」
「息子か。幾つになる」
「六つでございます。毎日走り回っております」
「息災で何よりだ」
これまで使用人を気に掛ける事が無かったアレクスがわざわざ話し掛け、家族までも気に掛けた。
信じられないとシリルとユルゲンが顔を見合わせ、テラードとレトニスは微かな笑みを浮かべて頷き合う。
四人の視線に気付いたアレクスは急に照れ臭くなり顔を背けて咳払いをして誤魔化した。
「アレクス、変わったな」
「何があったんだろうねえ」
アレクスはシリルとユルゲンから揶揄うような視線を受けて益々紅潮する。恥ずかしい事をした訳でもないのに恥ずかしくて堪らない。
「何も無い。ただ、敬られるのなら相応の態度を取らねばならぬだろう?」
「あ、街で会った可愛い子に何か言われたんだあ」
「アレクスが気にする子なんて珍しいな。どんな子だった?」
街で会った可愛らしくも美人と言うならランゼだ。ただ、彼女を美人だと思ったのは外見だけ。
すれ違い様にランゼがキャラスティに投げた言葉、「身の程知らず、悪役なのに」が耳に入り無性に腹が立った。「悪役」とは意味が分からなかったが、「身の程知らず」とキャラスティが言われる筋合いは無い。
関わらせてはならない、傷付かせたくはないとその場を早く去りたくてその場に戻ろうとする腕を強引に引いていた。
「強いて言えば、平凡だ」
「帰る前に」と思いついたのは中庭。
髪留めは使ってくれているだろうか、今日もあの中庭に居るのだろうか。
部屋を後にしたアレクスは自然と中庭に足が向いていた。




