「前世」の「ゲーム」
トレイル邸の応接室でレトニスは険しい表情で友人達を見据えた。
テーブルに広げられているのは文字と言うには理解し難い書体で書かれたテラードとレイヤーのノート。発端のキャラスティの手帳⋯⋯は、ただ一言「ビール」だけだが。
夕食を終え、さあいざ聞かんと身構えたレトニスに彼らが語ったものは理解の範疇を超えていた。荒唐無稽、ファンタジー、非常識。「夢」の話なら「夢」なのではないか。でも、彼らは信じている。
何よりもキャラスティまでもがそんな話を信じている事がレトニスには信じられなかった。
レトニスが「信じるしかないのか」と頭を抱えたのは全く文字として認識が出来ないテラードのノートを三人同時に読ませた直後。
結果、三人同時に一語一句違わず読み上げた。重なる三人の声がまだ耳に残っている。全く意味は分からなかったが。
三人が口裏を合わせる時間は無かった。読み上げるページもレトニスが指定した。
「何度も聞いて悪いけど、キャラの手帳に何て?」
「ビールだな」「ビールよ」「ビールって書いた」
同時に即答されレトニスは益々頭を抱える。
──何でビールなんだよ。
レトニスはこの一年の間にキャラスティに何があったのか、やはり無理矢理にでもトレイル邸へ引き入れておくべきだったと深く項垂れた。
近くに居れば些細な変化に気付けたのかもしれない。
その時に何か出来ていればキャラスティが手帳に「ビール」と書かず、テラードがキャラスティを呼び出すこともレイヤーに会うことも「前世」と言う突拍子も無い話を聞く事もなかったのでは無いか。
「嘘」を吐くなとは言ったが、「嘘」だと言って欲しい。
「それでキャラスティは酒造に興味があるって言ってたんだね」
「ええ、だからブラントに図書室に誘われて嬉しかったの」
「嬉しかった⋯⋯んんっいや、ブラントは、ぜ、「前世」の話を聞いて驚かないんだな」
「テッド兄に聞いていましたから」
テラードのノートを捲りながらブラントはニコリとする。
ハリアード王国の西側は鉱山を抱え石の産業が盛んだ。主に宝石の産出が占めるが宝石にならない石も多く出る。石灰石もその一つで用途を模索していた中、テラードが高熱に耐える特殊な炉を作り、石灰石を高熱で加工し、生石灰となった石灰を湿気を取る「乾燥剤」や高熱処理された生石灰は水を加えると熱を発する為、騎士団が野営を行う際などに「加熱剤」として利用する、熱が出た後に消石灰となったものは農地の土壌改良に使用すると提案した。
石灰石加工をレジェーロ家が取り仕切り、菓子店や食品保存、美術品保存、始め料理の温め直しに使われ、農地利用され軌道に乗った頃、ブラントがテラードにどうしてそんな発想が出たのかと問うと「「夢」で使われていた物をこっちでやって見た」とテラードの「前世」話をその時初めて聞いたのだった。
「キャラスティ、さっき渡した菓子、開けて」
ブラントがキャラスティに渡した菓子を開けさせ「乾燥剤」を取り出す。小袋に小さくレジェーロ家とグリフィス家の紋章が捺印されている。
紋章は正規品の証。王国では生産、製造の家と統括する家の紋章があって正規品と認められるのだ。
「これです。テッド兄の言う「前世」は文明が進んでいるのでまだ出来ない事もあるんですけど」
「これは最近よく入ってる保存材だね⋯⋯ラサーク家で安価寄りの生地や普段着デザインが増えたのも「前世」に関係ある?」
「ええ⋯⋯絹は普段使うには高価でしょ。だから比較的安値で出来る綿とか麻で柄ができる織り方にしたり、絵柄の型を作って蝋と糊を配合した染料で生地に捺染したの。その生地で普段着を作って⋯⋯叔父様の所に持っていっているのはそう言う物なの」
最近アルバートの店は高級品だけでなく比較的平民が手に入れやすい品も展開し始めた。
この世界でも織と刺繍の技術は発展しているが大半は王侯貴族が使う高級品であり平民には手が出ない。
織柄は糸を変え、捺染は刺繍の様に手間が掛からず価格を抑えられる。ほとんど無地だった市井の普段着に織柄と絵柄が付き、華やかで軽く、動きやすいと評判は悪くはない。
また、生地は服以外にも椅子の背もたれ、ソファー、カーテンなど家具にも展開している。
こちらも製品のどこかに小さなタグを付けラサーク家とトレイル家の紋章を捺印している。
「もしかして、アルバート洋品店? じゃあ、コレってキャラがデザインしたの? 「前世」で着ていた物と似ているからアルバート洋品店で購入したのよ」
レイヤーが着ている薄いピンクに黄色い花柄のブラウスを両腕を上げて広げた。
そのデザインは伸縮性のある織り方で袖ぐりが広く袖口に向かって細くなるゆったりとしたドルマリンスリーブ。
後ろを向いてブラウスの内側にあるタグを見つけたレイヤーが「あっ、あった! 紋章がある」とキャラスティに笑顔を向けた。
「デザインしたというより「見た」かな」
「俺のシャツもアルバート洋品店だよ。珍しく思っていたんだ。柄物のメンズを扱っているって」
テラードのシャツは紺色にダークグリーンの蔦の柄。「俺、柄物好きでさ、次はアロハどうよ?」なんて言っている。
「石の加工技術と新しい染色技術⋯⋯か」
姿形はよく知る友人達。その口から語られているのは夢物語。
振り返れば確かにラサーク家の品に変化が起きたのは一年前。キャラスティのレトニスに対しての態度が変わったのも「夢」を見始めた一年前から。
どんな「夢」を見たのか、話して欲しかった。
キャラスティが話したのはレトニスでは無く、テラード。キャラスティに頼れないと思われていたのだと組んだ手に力が入る。
「どうして「夢」の話をしてくれなかったの?」
「誰にも言うつもりは無かったわ。信じてもらえないし⋯⋯特にレトには言えないわよ」
「⋯⋯そんなに頼りない?」
レトニスには言えない。突き付けられると悔しくて堪らなくなる。泣きたい。既に涙目だ。
「だって、ビールが飲みたいって言ったらレトは怒らない? 怒るでしょ? それで、お母様やお祖母様に連絡するでしょ?」
「び、ビール⋯⋯。ビールの話じゃなく──」
「私、ビールしかハッキリしていなかったんだから。ああ、もう、今だってテラード様はビール飲んでるし気になって気になって仕方ないの。テラード様! 意地悪ですか? それ意地悪ですよね!」
珍しく捲し立てているキャラスティに驚いてレトニスの涙は引っ込んだ。
ビールが飲めず八つ当たりしている発言は中毒一歩手前だが、幸いまだ一滴も飲んだことは無い。
テラードが見せつける様に飲み干すとキャラスティが恨めしそうに睨んだ。あまり煽るなとテラードを見たつもりが戯けた反応を返されレトニスはイラッと来た。
「なんで、ビール⋯⋯確かに飲みたいって言われても困るし、まだ許さないよ」
「そうでしょ? 私にもなんでビールが欲しいのか分からないの。相談も出来ないし、ビールが飲める成人になるまで我慢しようって手帳に書いたの。ビールが飲めたら何か分かるんじゃないかって」
手帳の「ビール」の謎はキャラスティが成人になる誕生月だと判明し、使われた文字は異世界、彼らの「前世」の物。
その「前世」の文字はテラードとレイヤーの二人も使える。
彼らが「前世」の知識で生み出さした品々が目の前にある。
完全に信じる事は出来ないが「前世」を認めなくては話が進まないとレトニスは小さく笑った。
「分かったよ⋯⋯信じ切れないけれど「前世」を認めるよ」
「無理に信じなくていいぞ?」
「そう、言うなよ。嘘を吐くなって言ったのは俺だから。⋯⋯なあ、三人は「前世」で何か関係があったのか?」
本当は既に結構なダメージを受けている。「前世」から関係がある「運命」だと言い出されたらたまったものじゃない。
そんな事を言い出したらレイヤーは良いとして、テラードからは絶対に有無を言わさず早急に引き離なくてはならないのだ。
「無かった⋯⋯んじゃない? 共通の記憶って「ゲーム」だけよね?」
「レイヤー嬢!」「レイ!」
レイヤーの一言にテラードとキャラスティが顔を伏せた。
「あっ」と口が滑った反応を見せたレイヤーがブラントの後ろに隠れる様に逃げ、二人に両手を合わせて謝り、ブラントは苦笑いで全員に飲み物を配りながらテラードに問いかけた。
「テッド兄、「前世」の話は聞いていたけど「ゲーム」は俺、聞いた事ないよ?」
「まだあるのか?「ゲーム」とはなんだテラード」
「教えてよテッド兄」
テラードとブラントの関係は親密だ。尊敬以上にブラントはテラードを崇拝している。
レジェーロ家はブラントの生母が十年前に流行病で亡くなり後妻を迎え弟が生まれた。兄弟仲は良好だが継母は弟にレジェーロ家を継がせたいとブラントを冷遇し、虐待していたという。
虐待されていたブラントの痣を見つけたテラードはブラントを引き立てグリフィス家との繋がりを強調する事で継母を抑え込み、待遇を改善させた経緯がある。
故にブラントは自分を助けてくれたテラードを守ると決め、テラードに関する事は出来るだけ多く知っていたいのだとニコニコと詰め寄った。
テラードも大袈裟に慕われている自覚はある。
「前世」を見始め、家の中で誰にも相談できないものを抱えていた頃の自分とブラントを重ねて見ている自覚もある。
従兄弟だが兄弟、それ以上に別段ブラントを可愛いがっていた。
「⋯⋯俺達の「夢」には「ゲーム」が共通しているんだ。俺とレイヤーはほぼ見ているがキャラ嬢は部分的にな」
「その「ゲーム」、それも「前世」か?」
テラードが頷く横でキャラスティが眠そうに船を漕ぎ始めた。早く休ませてあげたいとやや呆れ気味にレトニスが問う。
レトニスは「前世」をかなり強引に認めた事で余裕が出来ていた。
レトニスにとって「前世」は過去の事で今の自分達に特に関係する物では無い。新しい技術と知識が得られる程度だ。
「それで、この世界は「前世」では「ゲーム」⋯⋯作り物だったんだよ。俺達は『ゲーム」の登場人物なんだ」
「はあ? 本気で言ってるのか。俺達が作り物? 馬鹿げている」
「ああ、馬鹿な話だよ。それでいい。俺達の遊びだと思ってくれ」
レトニスはいい加減馬鹿馬鹿しくなって来た。
「前世」はともかく「作り物」は話が飛び過ぎている。テラード達が遊びだと言っているのならこれ以上聞く必要もない。
三人が楽しんでいるのなら咎めるものではなく、爵位に拘りレトニスにさえ線を引いているキャラスティがテラードとレイヤーと友人になったのは悪い事ではなく寧ろ喜ばしい変化だった。
「⋯⋯じゃ、話は、おわ──」
テラードがこの話は終わりだとノートに手を伸ばす。しかし、その手が取る前にブラントがさっと取り上げた。
レイヤーもハッとして自分のノートに手を伸ばすが、そちらもブラントに取り上げられてしまった。
「作り物ね⋯⋯レイヤー様、気になっている事があるんです。貴女は公爵家の方です。アレクス王子の婚約者候補、それも爵位的に最有力候補のはず。なのに、固辞されているらしいですね。「ゲーム」が関係しているのではないですか?」
レイヤーは「私には向いてないからよ」と目を泳がせるがブラントの視線にすぐに両手を上げた。
──うん、可愛い。ゲームの時から思っていたけど可愛いわブラント。
「降参。可愛い顔で見詰められたら無理だわ。「前世」から私の推しなのよブラントは」
「陥落早いな⋯⋯ブラント、常々思っていたがお前の情報力は怖い物があるな」
「テッド兄の為なら何でもするよ」
「⋯⋯程々にしてくれ」
「⋯⋯「ゲーム」はね、物語の主人公に自分を置き換えて攻略対象者と仲を深めて恋愛をするの。アレクス王子もレトニス様もテラード様も攻略対象者よ」
「レンアイ、コウリャク⋯⋯?」
キャラスティは急に襲って来た眠気と戦っていた。少し前から眠気が酷い。遠くでレイヤーとブラントの声が聞こえるのをぼんやりと聞いていた。
「主人公の恋路を邪魔するのがライバル令嬢。ヘタな先入観を持たれたくないから他の子は今は言えないが⋯⋯キャラ嬢はお前の、レイヤー嬢はアレクスのライバル令嬢だ」
「⋯⋯ライバル?」
「ライバル令嬢は俺達に近づく主人公に危害を加えて断罪される。二人はそれを恐れているんだよ」
「なんだよそれ⋯⋯そんな馬鹿な話があるかっ! いい加減にしろよっ!」
テラードとレトニスの声が遠くなった。
レトニスが怒っている。
──昔から付き纏わられて迷惑だったよ──
やはり回避できなかった。怒るのは当然だ。レトニスが大切に思っているあの子をレトニスから引き離す為に酷い事をしたのだから。
レトニスも少しは悪い。話を聞いてくれなかったもの。好きにならなければ良かった。
──好き? 誰が誰を? 酷い事? 何をしたの? 何もしていない。まだ何もしていない⋯⋯まだ?。
「キャラ? えっ! いきなり?」
「キャラスティ?」
「キャラ嬢っ!」
「キャラっ!」
視界が暗転し、キャラスティはソファーへふらりと倒れ込んだ。




