藤の部屋
「荷物載せていい?」
「あ⋯⋯うん、俺と、で、いいの? レイヤー嬢と一緒がいいなら⋯⋯」
トレイル邸へ行くのだから当然トレイル家の馬車に乗る。そう思っての事なのにレトニスはバツが悪そうに言い澱み表情を曇らせた。
正直言うとキャラスティにはレトニスに対しての不安感と緊張はまだある。「好意」もまだ抵抗がある。かと言って同じ場所に行くのに違う手段を取るのは効率が悪いのでは無いだろうか。
──あ、そうか。レトも気まずいよね。
図書室の態度と一週間前の事でレトニスと二人きりになる馬車は嫌だろうと、気を使ってくれたと理解はしたが、一週間前はともかく、先程の図書室での態度は良くない。ふと、キャラスティは意地悪をしたくなった。
「レトがダメなら巡回馬車で行くけど?」
「ダメ! いや、ダメじゃないけど、ダメだ」
「キャラスティ、グリフィス邸回ってからだけどこっちで行く?」
「それはもっとダメだ! ブラントは余計なこと言うなよっ!」
「あいつ何言ってるんだ」「何言ってるのよ」と笑うテラードとレイヤーにレトニスは「⋯⋯うるさい」と返してキャラスティを馬車に押し込むと、戸惑いながら対面へ座り、今度は小さな声で「ごめん」と呟いた。
「あ、これ、返すね。悪いとは思ったけど中を見ちゃったんだ」
馬車が動き出してすぐに深緑に藤の花が描かれた手帳を渡されたキャラスティは密かに眉を寄せる。
ブラントと図書室に行き、テラードに話がしたいと言われ、中庭でレイヤーに会い、レトニスとトレイル邸へ向かう発端は落としたこの手帳からなのだ。
「何も書いてなくて面白くなかったでしょ」
「⋯⋯でも、テラードは何かに気付いた。俺は気付けなかった」
レトニスは悔しそうに零し自嘲する。
「だから、手帳は口実なんじゃないか、テラードが動くのなら他の事なんじゃないかって⋯⋯ブラントも関係する様だし、その、グリフィス家とレジェーロ家から、こ⋯⋯婚約の打診をされたんじゃないかと⋯⋯」
キャラスティに会いに行くのにテラードがわざわざ付いて来ていたのは本人に直接婚約の打診をする機会を伺っていたのではないかとレトニスは暗鬼していた。
縁談が来た事などないと思っているのはキャラスティだけ。
縁談を持ち込む祖母のエリザベートと、それをレトニスが阻止しているとは露程も知らないキャラスティは「突然何を言っているのだろう」と理解が遅れた。
図書室でブラントと何を話していたのかは分からないが、そんな事を考えていたとは、微塵も思わなかった。婚姻は家同士が決めるものではないだろうか。「好感度」はここまで見当違いな思い込みをさせるのかとキョトンとしたキャラスティにレトニスは縋るような笑みを向けた。
「そうね、ブラントだったら仲良く出来るかな」
「っ! ダメだからね! 受けたらダメだから!」
「冗談よ。そんな話、私なんかにある訳ないでしょ」
「⋯⋯「なんか」なんて言うものじゃないよ。ダメなものはダメだけど」
「さっきからレトはダメダメばかりね」
必死なレトニスに思わず笑いが溢れる。婚約話なんて小さなものではなく、レトニスにとって突拍子もない事をこれから話すのだ。
しかも、テラードとレイヤーがどんな事を話すのかキャラスティにも分からない。
「嘘⋯⋯だけは吐いて欲しくないんだ」
「レトは嘘であって欲しいと言うと思う」
不安そうに俯くレトニスにそれを解消させられる事が言えない自身に不甲斐なさを感じたキャラスティは窓越しに近付くトレイル邸を眺めて溜息を吐いた。
トレイル邸に着くと相変わらず大きな屋敷だと見上げたキャラスティに感嘆の息が漏れた。
学園の入学時に挨拶に訪れたきりのトレイル邸は石と煉瓦造りの建屋に黒い窓枠の落ち着いた佇まい。どこかアルバートの店と似た雰囲気だ。
「お帰りなさいませ。おやおや、キャラスティ様、ようこそ」
「エガルさん、ご無沙汰してます。お世話になります」
「今夜泊まるから。部屋は、使えるか?」
「それは勿論。いつでも使えるようになっていますよ⋯⋯良かったですね坊ちゃん」
「本当に、良かったですねえ坊ちゃん」
「エガル! スコア! 余計な事はいいからっ」
執事のエガルと御者のスコアを小突く素振りを見せたレトニスを二人は軽く交わしてまた「良かったですね」と揶揄った。
この場だけを見ればこの三人は兄弟のようにも見え微笑ましいが、家の中で一体何をしていたら使用人達に「良かった」と言われるのだろうか。
「まったく⋯⋯そうだ、後から三人、来客があるから食事の用意を頼む。スコアは彼らの馬車を頼む」
「畏まりました。お任せください」
「畏まりました。そうそうキャラスティ様は坊ちゃんが部屋に案内してくださいね。引かれても我々は関係ございませんので」
キャラスティが機嫌良く邸内を歩くレトニスの後に続き、エガルの言葉に首を傾げながら案内された部屋は「引く」と言われても納得する部屋だった。
その部屋はミントグリーンの壁紙にダークグリーンの絨毯、猫脚のドレッサーとテーブル、ソファーにクローゼット、デスクに天蓋付きのベッド。全ての家具の一部に藤色を使用している。
客室とはあきらかに違う特定の人物用だ。
「ここはキャラの部屋で、隣りがリリーの部屋。学園に通うのに使ってもらおうと用意していたんだ。でも寮に入って⋯⋯エガルには未練がましいって言われてるけど⋯⋯片せなくて」
「昔の様に三人で過ごすのを楽しみにしていた」と呟く声に振り向いたキャラスティは寂しそうに細められた瞳と合った。
──そう言えば⋯⋯こんな大きな家にレトは一人なんだよね。
いくら使用人が居るとは言っても彼らとは主従。友人でも無ければ家族とも違う。
「知らなくてごめんなさい。ありがとう⋯⋯次はリリーと一緒に来るね。レトが良ければ、だけど」
「そうしてくれると嬉しいよ」
そう、この部屋はキャラスティの好みに整えられた部屋。いつもの事ながら幼馴染みの距離の近さに少し引いたのは心に仕舞う。
荷物を片付け、普段着に着替えながらレトニスの執心は下手に逃げていたから余計に強まったのかもしれないとキャラスティは思い至った。
「好意」も一過性のもので逃げなければいずれは落ち着き、相応しい人が選ばれる。
──逃げてばかりじゃ何も分からないままね。
部屋を見回し、やる事が無くなったキャラスティがソファーでぼーっとし始めたタイミングでやれ、お茶だ。やれ、香だ。やれ、マッサージだと暇なのを何処かで見ているのかと思う勢いで入れ替わり立ち替わりに侍女が接待にやって来た。
至れり尽くせりに世話をやかれ、慣れないものをされ、上級貴族と自分の生活が違い過ぎて目が回る。
テラード達が到着し、夕食の準備が出来たとエガルが呼びに来るまで正直キャラスティは落ち着かなかった。
「お寛ぎいただいてますか?」
「ありがたいとは思うんですけど私にはちょっと、贅沢すぎると言いますか、申し訳なくて⋯⋯」
「やはり驚かれますよね。それに過剰な接待を押し付けたようで。坊ちゃんがご自分でお相手すればよろしいものを。坊ちゃんの不甲斐なさが悩みなんです。口説くのが下手なのは一体誰に似たのか。今日は会えた、今日は会えなかったと毎日グチグチグチグチ⋯⋯やっと邸に来てもらえたと機嫌が良かったのですが萎縮させるなんてやり方が下手過ぎです。何度も進言しているんですけどね」
エガルが主人に忌避がない意見が言えるのは関係が良い証拠。トレイル家の使用人達に大切に思われているのだろうと分かる。
エガルの「坊ちゃんが不甲斐ない話」は止まらない。注目の話題は「落ち込んだ坊ちゃんが閉じ籠もった話」。
子供の頃からレトニスは落ち込むと狭い所に閉じ籠る癖があった。
その度にリリックとキャラスティは扉の前でママゴトをしたりオヤツを食べたりしながら出てくるよう声を掛けてレトニスは漸く不貞腐れながら出て来るのだ。
「レトの閉じ籠る癖はまだあるんですね」
「一週間ほど前ですかね、あの日は「失敗した!」と叫んでクローゼットに籠もっておりましたよ」
一週間前、それはアルバートの店へ行った辺りになる。
キャラスティは「失敗したんだ」と苦笑した。
「ああ、長々とすみません。皆さまお揃いですよ」
案内された食堂に入って直ぐにレイヤーが抱きついてきた。レイヤーは「女同士の特権よ」と意味もなく胸を張りレトニスに対抗する。
ブラントが「食べたそうだったよね」と渡して来たのは仕分け中に気になったお菓子。意外どころか良く周りを観察してると感心した。
食前酒を手にしたテラードが笑いながら「こう言う所だお前に足りないのは」とレトニスを揶揄い、また不機嫌になるのではとレトニスを見ると苦笑してテラードを小突いていた。
「こんな大事になるなんて⋯⋯」
「嫉妬したレトニスが悪い。冷静になれと前にも言っただろう。それにまだお前、こく──」
「テラード! それ以上言うな!」
「テッド兄達って色々あるんでしょ? 立場上簡単じゃないんだから「それ」をするのは酷な話だよ」
「これ美味しいわよ、キャラにあげる」
「レイ、好き嫌いは良くないわよ⋯⋯」
今は和やかに楽しくテーブルを囲んでいるが本題はこれから。
キャラスティはふと手を止めてレトニスを見た。
彼に感じる「恐怖」それがいったい何なのか。
視線に気付いたレトニスに優しく微笑まれキャラスティは小さく笑い返した。
怖いけれど知りたい。キャラスティの長い夜が始まった。




