DESIRE
それは微睡に入り込んだ悪意。
こんなにも簡単に入り込めるのなら始めから「ブローチ」での攻略ではなく悪魔との契約をすれば良かったと黒髪の少女はクスクスと笑いながら暗闇を進む。やがて金色の光が見えてくると少女は迷わずその光へと手を伸ばした。
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レイヤー・セレイスは呆れ顔でその光景を眺めていた。その視線の先には目を吊り上げたもう一人の自分。
暗闇に浮かんだ「断罪」の場で悔しさを滲ませ睨みを効かせている「レイヤー」に我ながら酷い顔だとレイヤーは失笑を零した。
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「殿下にも全く非がないとは思えませんわね。わたくしはセレイス公爵家の娘として当然の忠告をしていただけですわ」
堂々とした態度に凛と響く声。自分だけ咎められる謂れはないと「レイヤー」は目を細める。
セレイス家は王族の血筋を持つ公爵家。その地位は権力と金、そして武力をも併せ持つ王国屈指の名家である。そんなセレイス家の娘として生まれた瞬間から様々なものが用意されていた。
彼女が欲しくないものでも手に入ったし、欲しいものは必ず手に入れた。
筆頭貴族の公爵令嬢。その立場にある自分は必ずこの国の王子アレクスを手に入れて王子妃に、ゆくゆくは王妃の座を手に入れるはずだったのにと「レイヤー」は碧色の瞳に力を込めた。
──あの娘が現れなければ。
アレクスが見初めたあの娘⋯⋯貴族としての教養を持たず、天真爛漫、元気で明るく桃色の髪と鮮やかなイチゴ色の瞳が可愛らしいあの娘──。
「数々の嫌がらせ、許されると思うな」
アレクスの断罪に「ご友人」だった取り巻き、冷たい視線を向けたアレクス、失望の色を浮かべた父親と兄。「レイヤー」を囲んでいた人達が一人、また一人と消えて行った。
たった一人。暗闇に残された「レイヤー」は俯き肩を震わせていた。
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これは「いつか見た光景」そしてレイヤーが「レイヤー」のままであったのなら訪れたかも知れない「未来」。
「私は未来を変えたのよ」
レイヤーは「ゲーム」では非友好的だったアレクスと友好を維持して愉快な友人となった。素直になれなかった家族とも良好。好きな人ができて、その人の近くに居られる。
なにより嬉しいのは「ご友人」ではない大切な仲間が出来たこと。
「ねえ、レイヤー。私は今とても幸せよ。だから貴女も幸せになろう? 私と一緒に」
レイヤーは打ち拉がれ俯いた「レイヤー」に手を差し伸べる。彼女は恐る恐る涙に濡れた顔を上げ、泣き笑いにその表情を歪めながら差し出された手に自分の手を伸ばした──。
「ねえ、本当にそう思っているの?」
「えっ⋯⋯」
レイヤーが差し出した手を握ったのはもう一人のレイヤーではなく、黒髪を二つに束ねた少女だった。
息を飲んだレイヤーに向けてニッと口角を上げた少女は黒い炎を宿した瞳で笑う。
「自分だけが幸せなら良い。レイヤーはそういうキャラクターだもんね。だってさ、レイヤーが「悪役令嬢」にならなかったから「ゲーム」が成り立たなかったの。「ヒロイン」は不幸になっちゃった。レイヤーが不幸にしたのよ」
「何を言っているの? 私は幸せになろうと頑張った。それだけよ」
「ううん、違う。レイヤーは幸せになったと勘違いしているだけ。頑張って「ヒロイン」の幸せを奪い、蹴落としたのに、その幸せを奪われている事に⋯⋯ふふっ、本当は気付いているんじゃない?」
少女の言葉と共に辺り一面が闇に染まり、黒い炎が上がった。
その気色悪さにレイヤーは息を飲んで身を固くした。
「友達? 仲間? そんなの偽物だよ。誰だって自分が一番得したいんだから。その為にレイヤーは利用されているの」
「失礼な子ねっ貴女が何を言っているのか分からないわ。ええ、全く分からない」
「かわいそうなレイヤー。気付いているのに認められないなんて」
少女は憐れむように眉を下げると、ゆっくりと腕を持ち上げその手の平をレイヤーの頬へと伸ばし、嫌悪に身を捩るレイヤーを気にもせず尚も詰め寄る。
「ねえ、レイヤー。貴女は「悪役令嬢」。断罪を回避した悪役令嬢は幸せになるものなのよ。みんなに褒められて愛されるもの。でも、何の取り柄もない、際立った容姿でもないのにレイヤーの幸せを奪っている存在が⋯⋯いるわよね。アレクス様達に取り入ってその心を弄ぶ──キャラスティって女」
少女の囁きは甘い毒のようにレイヤーの耳へと入り込む。
──キャラが何⋯⋯?
その姿が瞼の裏に映ると、レイヤーは無意識のうちに唇を動かしていた。
同時にチクリとした痛みが胸に走る。その痛みはじわじわと広がり胸を締め付けて行く。
「邪魔だよね。アレクス様に愛されて。だってそれはレイヤーが手にするはずのものだもの」
──違う!! 違う!!
レイヤーは頭を振り叫ぶがそれは声にならなかった。
「ねえ、もっと満たされたいよね? 本当は欲しいのよね、キャラスティが居る場所が」
黒髪の少女がニヤリと笑った。
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何処までも続く麦畑。夕陽に照らされた金色の波をベヨネッタは懐かしく眺めていた。
ベヨネッタの実家ムードン家は伯父が継いだエッフェル伯爵家の寄子の子爵家。
伯父には子供がいない為いずれはベヨネッタの弟カザリが養子になり、ムードン家はベヨネッタか妹のセーラが継ぐ事になるのだと話されている。
貴族は養子縁組など日常茶飯事、家の為その血筋の為に生きるのは当たり前の事。
貴族として生きていく覚悟は出来ていたはずなのに、学園で目にする貴族内格差はより一層貴族の窮屈さを感じさせられた。
煌びやかな貴族の中であまりにも小さい存在のベヨネッタはその他大勢に紛れ埋もれるだけ。諦めにも似た気持ちで過ごしていたけれど、楽しい気持ちを思い出させてくれたのは友人達だ。
大切な友人は狭い世界しか知らなかったベヨネッタに広い世界を見せてくれた。
「またみんなにムードンへ来てもらいたいわ」
「来るわけないじゃん。ベヨネッタだって分かってるんじゃない?」
いつの間にか麦穂の間に黒髪の少女が立っていた。
少女は憐れみを浮かべた表情でサクサクと穂を踏みながらベヨネッタへと近付いてニヤリとした。
「可哀想なベヨネッタ。引き立て役にされて利用されているだけなんて」
「だ、誰!? ⋯⋯なんでそんな事を言うの」
「だってベヨネッタは地味だし、影薄いし? ベヨネッタが慕っていても「みんな」はベヨネッタを見ていないじゃん」
黒髪の少女の言葉に、今まで感じたことのない恐怖が全身を駆け巡った。
ベヨネッタは目を大きく見開き震える。
そんな事ない。そう言いたいのに言葉が出ない。
ベヨネッタの心に黒い染みが落ちる。
「みんなが見ているのはキャラスティだけ。ベヨネッタはおまけ。だれも貴女を見ていない。本当は気づいているんじゃない?」
「ち、違うわ! あの方達はそんなっ人達では──」
「そんな人達じゃない? テラード様達はベヨネッタを見ていないわ。分かっていて認められないなんて可哀想」
泣き真似をしながら少女がクスクスと笑う。
「ねえ、本当は見て欲しいんでしょ? 満足していないでしょう? 認めて貰いたいでしょう? 愛されたいでしょう? なら、奪っちゃおうよ」
──そんなの⋯⋯私、求めていないわ!
少女が広げた両腕、その手から黒い炎が立ち上がり金色に波打つ麦の穂を飲み込む。
大好きなムードンの風景が燃え上がる光景に絶望の雫を溢れさせるベヨネッタに向けて少女は口元を歪めて笑う。
「邪魔なキャラスティが居なくなればみんなベヨネッタを見てくれるわ」
ベヨネッタの心に少女が落とした染みが侵食を広げた。
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これは夢だ。そうはっきりと分かるけれど心地が良い微睡に暫く浸っていたい。
これは子供の頃の夢。転寝で見る夢が寝る夢だなんてどれだけ自分は寝たいのだろうかとリリックは苦笑する。
「リリー? 怒ってる?」
自分も幼い姿だが今よりも大分幼い幼馴染が隣でモゾモゾと動いた。
「⋯⋯ごめんね」
「なあに?」
「お誕生日会。リリーとキャラはダメだなんて僕⋯⋯嫌だって言ったけど聞いてもらえなかった」
泣きそうに眉を寄せる顔にリリックが手を伸ばし彼の頭を撫でると、ふにゃりと頬を緩ませる。
この夢はレトニスの八歳の誕生日会がトレイル邸で開かれた日の夢だ。
あの日、リリックとキャラスティは昼間のパーティーには参加出来ず、夜に行われた身内の食事会に参加したのだった。
お開きになって大人達の時間になるとリリックとキャラスティはベッドに入り、二人でお喋りをしていた所にレトニスが枕を持ってやって来たのだ。
「レト兄様が悪いんじゃないわ。私もキャラも分かってるもん」
真ん中にレトニスが入り、その向こうで寝息を立て始めているキャラスティをみやってリリックは笑い返した。
レトニスと自分達の違いをこの頃にはもう分かっていた。
彼は特別な侯爵家の後取り。対して自分やキャラスティは貴族として生まれ、教育を受けていても下級の貴族。レトニスとは対等にはなれないのだと。
一緒に居られるのは子供だからと許されているに過ぎないのだから。
「僕は二人が大好きだよ」
「僕達はずっと一緒」だと呟くレトニスは自分達の事を大切に思ってくれる。それはとても嬉しい事なのに何故かリリックの胸は痛くて苦しかった。
「ずっと一緒だなんて、あはは、そんなのないない」
「──っ!!」
隣に居た幼馴染の姿が消えて代わりに現れた黒髪の少女。
夢なのだから突然場面が変わる事もあり得ない事も起きるもの。けれど見知らぬ少女の出現にリリックは驚きに言葉を失い少女を見つめた。
「レトニス様も残酷な人ね。ずっと一緒だなんて」
「⋯⋯何が言いたいのよ」
「ふふっ。だってレトニス様はリリックを選ばなかったじゃない。酷いよねえ一緒に居てくれないのに。ひどーい、あははっ」
何がおかしいのか嘲笑うような笑い声を上げる少女にリリックは苛立ちを覚えた。
「貴女、誰なの? なんでそんな事言うのよ意味が分からないわ」
「分からない? 本当にそうかしら。 本当は気付いている分かっている。リリックはレトニス様が好きなのに彼が選んだのはキャラスティで二人はリリックから離れてしまうって」
「はっ⋯⋯はあ!? 何を勝手に決めつけてるのよ!」
少女の言葉を否定したくてリリックは声を荒げた。
しかし少女はそんな言葉は聞こえていないかの様にクスリと笑って腕を伸ばす。
「真実よ。レトニス様もキャラスティもリリックから離れて行く」
「いやっ! ⋯⋯は、離して!」
リリックの手を掴んだ少女の手から嫌な感覚が広がり、まるで何かに引きずり込まれる様な恐怖を感じて振り解こうとしたけれど少女の力が強くて離れる事が出来ない。身体が痺れて上手く動かない事に焦るリリックに少女は優しく微笑む。
その笑顔が不気味で恐ろしくてリリックの顔が青ざめた時、少女の背後の空間が揺らぎそこから黒い炎が現れた。
「辛いわね。酷いわね。自分より劣る女がレトニス様に選ばれるなんて。ねえ、ずっと一緒だっていうならリリックも選ばれなきゃ不公平よね」
──私は選ばれたいなんて望んでない!
レトニスは好きだが、リリックの好きと少女の言う好きとは意味が違う。あの時、レトニスが「ずっと一緒」だと言った言葉に胸が痛んだのは「ずっと」という言葉に含まれた未来に不安を感じたからだ。
いつまでも一緒に居たい。けれど「ずっと」は叶わない願いだと分かっていた痛みだったのに。
リリックの喉の奥で悲鳴にも似た音が漏れるが、それは空気を震わせる事なく消えてしまった。
「レトニス様とずっと一緒にいる為にはキャラスティを排除しなくちゃ⋯⋯ねえ?」
黒髪の少女は歪んだ笑みを深めた。
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雨の音がひどく大きく聞こえる。
「レイ、ベネ、リリー⋯⋯」
魘される三人にどうする事も出来ずキャラスティはただ名前を呼ぶしか出来ずに歯痒さを感じていた。
「申し訳ありません!」
「思念体は物理的な事が出来ないのでしょう⋯⋯彼女達の精神に入り込まれてしまいました」
「リリー達は大丈夫なの? 私に何か出来るなら、あ⋯⋯また夢の中へ行けば」
「それは⋯⋯出来ません。ランゼの力が強く、阻まれてしまっています」
「そんな⋯⋯」
三人を抱きかかえて帰って来たカレンとハルトールは入室一番に途中、ランゼの「前世」アイミが現れ易々と攻撃を受けてしまったと頭を下げた。
キャラスティにカレンとハルトールを責める権利はなかった。
彼女達も狙われて当然なのに守ると言いながら守られるだけでキャラスティには何も出来ないのだから。
「⋯⋯大丈夫、リリー達は大丈夫」
誰に聞かせる訳でもなくキャラスティは自身に言い聞かせるように何度も呟く。
「⋯⋯、」
「っ、リリー?」
身じろいだリリーの手をキャラスティは祈るように包み込んで呼びかけた。
「あんた馬鹿でしょ!?」
「り、リリー?!」
「馬鹿なのは貴女よ!」
「ベネ?!」
「馬鹿もーん!」
「レイ?!」
突然。馬鹿、馬鹿と怒りの叫びを上げて、レイヤーに至っては右拳を振り上げながら飛び起きた三人にキャラスティは驚いて固まってしまった。
「あれ? ここは?」
「帰って来れたみたいね」
「ふんっ! 私達を甘く見過ぎなのよ」
「リリー、ベネ、レイ⋯⋯」
「あ、心配させちゃったね。ごめんね」
「私はちょっと揺らいだけど⋯⋯負けないわよ」
「少しの揺らぎはお互いが支えれば良いの。それが私達でしょう?」
魘されていたのが嘘のように笑い合う三人は不安気に眉を寄せるキャラスティに気付くと満面の笑みを見せてくれた。
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