それぞれの想い
依然として瘴気を吐き出し続けている聖女宮とそこに立て篭っているランゼの対処を見つけられないままに時間だけが過ぎる中、ハリアード王国に残っているエミールとブラント宛に出していた手紙の返事が届いた。
一週間前に出したのに早過ぎる返事だと開いた手紙には彼らが「アイランド」へ行く為にハリアード王国南の玄関口である港町リブラまで来ており、そこで手紙を受け取った。しかも、アイランドにはアメリアとフレイが同行していると書かれていた。
エミールとブラントは何の為にアイランドへ行くのだろうか。それもアメリアとフレイを連れて⋯⋯羨ましい。キャラスティは小さな嫉妬に小首を傾げながら「アイランド」へ想いを馳せた。
ミリアは相変わらずだろうか。ハカセの新しい発明品はどんなものだろうか。イライザの温泉は今も島の憩いの場だろうか。
セトは三人に責っ付かれながらも笑っているだろうか。
生活していた小さな家はまだあるのだろうか、もう新しい人が住んでいるのだろうか。
そして何より彼方まで続く青と時間によって色を変える空が交わる水平線は変わりないだろうか。
強い日差しが降り注ぐアイランドの風景が脳裏に蘇り、キャラスティは胸の痛みを覚えた。
──もう一度見たかった⋯⋯な。
そう頭に浮かんでキャラスティは小さく頭を振る。
覚悟を決めたのにここに来て未練が次から次へと存在を主張する。キャラスティは考えを振り払うように大きく息を吸い込んだ。
「それじゃあ、行ってくるわ。キャラは大人しくしていなさいよ」
「狙われているのだから王子宮から出ないようにね」
「キャラの事、よろしくお願いしますねレオネル様」
「任せろ。お前達はしっかり街の人に「庇護」を与えてくるのだぞ」
「キャラ? どうかした?」
「──っ、あ、ううん何でもない。行ってらっしゃい。気を付けてね」
「キャラ⋯⋯何か隠してるでしょ⋯⋯帰ったら話してもらうからね。行って来ます」
少しムスッとした表情を浮かべたリリックはキャラスティの手を「約束」だと強く握ってから身を翻した。
意図せずキャラスティが「再生」させた雲からの雨の毒性は弱まったが、それでも完全に毒が消えたわけではなく、侵食が少しずつ進んでいる状況は変わっていない。
その為、聖女宮から吐き出される瘴気やランゼの影響からその身を護れる「庇護」の力を目覚めさせたリリックとベヨネッタ、レイヤーはカレンとハルトールと共に「庇護」を人々に与える為に街へ出る。
本当はキャラスティも一緒に行きたいと言いたかった。
けれど、無理に付いて行き、王妃ハミルネの守護が行き渡っていない王子宮の外でもしもランゼの襲撃でも受けてしまったら迷惑をかけてしまうし、足手まといになってしまう。
先ほどの少し過保護に感じる念押しの意味をキャラスティは理解しているのだから。
「⋯⋯なあ、キャラスティ、ずっと部屋に籠っていても気が滅入るだけだ。兄上達の訓練を見に行くか?」
リリック達が出て行った扉をぼんやりと眺めるキャラスティの表情に影が落ちていた事に目敏く気づいたレオネルが声をかけた。
この数日、レオネルはキャラスティに付きっきりだった。年下だけれど兄のように接してれているレオネルにキャラスティはこれ以上心配させてはならないと微笑み返しこくりと小さく首肯すると、レオネルと一緒に部屋を出た。
王子宮内を歩きながら外の様子を伺えば、いつもと変わらない街並みが見える。
ふと、人々が苦しんでいる光景が浮かびその身が強ばりそうになる。しかし、ここで目を逸らすわけにはいかない。
キャラスティはぎゅっと唇を引き結ぶと真っ直ぐ前を向いて歩を進めた。
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フリーダ王国の王都へ初めて踏み入れた時、その珍しさと美しさにありきたりな表現しか出来ない語弊力の低さを悔やむ衝撃を受けたものだった。
小高い丘に造られた街並みはカラフルな屋根が並び、向かい合わせに立ち並ぶアパートメントの間で揺れる洗濯物。街の中心には町を見守る大きな白亜に輝く教会。
初めて見る異国の文化に感動を覚え、見た事もない美しい景色に心を奪われた。
それが今は灰色に染まり霞んで見える。
「教会へ行きます」
先頭に立つカレンが指した教会はあの日の輝きを失い重い空気に満たされていた。
「カレンさんはここに居たの?」
「いいえ、ここは信仰の総本山なのです。王都にはここの他にいくつか小さな教会があって、その一つに居ました。教会は⋯⋯孤児院でもあり身寄りのない人達の家でもあるのです」
教会の中へ入るとそこには老若男女問わず多くの人々が祈りを捧げており、皆一様に救いを求めている。
その光景は今のフリーダ王国の現実。ハルトールは眉を顰めリリック達に頭を下げた。
「レイヤー様、ベヨネッタ様、リリック様⋯⋯どうか⋯⋯力をお貸しください」
「いやね、ハルトール様。そんな畏まらないでよ──当然の事よ。さあ、始めましょう」
レイヤーが力瘤を作り戯けると緊張に張る頬を和らげたベヨネッタとリリックも頷き三人はハルトールに笑顔を見せた。
「皆さん! 聖女カレンが来てくださいました!」
司祭の声が響くと人々が一斉に振り返る。救いを求めるその瞳に一瞬リリックとベヨネッタは息を飲み、ギュと互いの手を握り合った。
「やるしかないわね」
「ええ、頑張りましょう⋯⋯」
「私達なら出来る! よーし、私からいくわよ──お婆さま、お手をお借りしてよろしいかしら?」
固まるリリックとベヨネッタの肩をポンポンと叩いたレイヤーは近くに座り込んでいる老婆の手を取り優しく微笑む。
公爵家の令嬢なのに気取る事なく気さくでいつも明るいレイヤーに救われる。負けていられないとリリックもレイヤーに続いて老夫婦の手を取ろうとすると、老婦人は夫を老夫は妻を「自分より先に」とその痩せた身体を抱き合った。
互いにを思いやる二人にリリックはなんだか心が温かくなる。それはいつか自分達もそうなりたいと願う姿に重なったのだ。
リリックは同時に二人の手を握り思い返す。キャラスティが「前世」だとおかしな事を言い出し、見ず知らずのランゼに一方的に敵視されて始めは面倒な事に巻き込まれたと思っていた。
けれど、今は違う。
レイヤーもアレクスも本来なら関わる事がない人々。彼らと自分を繋いだキャラスティを守りたい。そう思う様になった。この国に来てリリックはキャラスティの「眷属」だと教えられたがこれは「女神の眷属」としての感情なんかではない。
これはキャラスティと過ごして来た中で芽生えた想い。フリーダ王国へ来る事になった時、リリックは最後までキャラスティに付き合うと決めたのだから。
表情を強ばらせたリリックの手にベヨネッタが手を重ねる。
ベヨネッタもリリックと同じ気持ちだとその瞳が語る。
キャラスティと出会わなければこんな風に誰かの為に行動する事はなかったし、目立たず埋もれてゆくだけだった。
けれどキャラスティが結んだ縁はフリーダ王国へと導き、出会う事の無かった世界に出会わせてくれた。だから今度は自分達がキャラスティを守る番なのだと。リリックは力強くベヨネッタと視線を交わし合い微笑みあった。
レイヤー、リリック、ベヨネッタ。三人が「庇護」の力を発揮すると教会内の空気が穏やかな温かさに変化し、それを感じた人々が集まり列を成した。
「身体が⋯⋯楽になりました」
「ふふっ。良かった。辛くなったらいつでも来てください」
「こ、この子にも、お願いします」
「お父さんも一緒にですよ。さあお手を」
「私の手汚れているから⋯⋯」
「仕事をする綺麗な手だわ」
人々に囲まれる三人にカレンとハルトールは以前自分達がランゼと共に街へと来た時を重ねていた。
あの時、ランゼは集まった人々を傅かせただ笑っていた。しかし、今はどうだろうか 彼女達は惜しみなく「庇護」を人々の為に祈り、その心に癒しを与えてくれている。
その姿は神々しく尊いものだと二人は目を細めた。
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「力を使わせ過ぎました」
「無理をさせてしまって⋯⋯今日は一度帰りましょう」
二時間程経った頃。最後の一人に「庇護」を与えた三人に疲労の色が浮かんでいたが、それでもまだまだやれると強がる三人を宥めて王子宮へと帰る途中の事。
ハルトールは寝息を立てる三人越しに馬車の窓から見える灰色の雲が陽の光を霞ませる空に違和感を感じて眉を顰めた。
「カレン、何か変で──」
「あーっ! 聖女様の馬車だ!」
三人を休ませる為にゆっくり進めていた馬車にかけられた声に緊張が走った。
「ハルトール様今のはっ」
「おかしい。この馬車に「聖女」が乗っていると何故分かったのだ」
街へ出る際に王家のものでも「聖女」のものでもない一般の馬車を用意した。それなのにどうしてだとハルトールとカレンは顔を見合わせた。
「ねえねえ聖女様あ」
いつの間にか停車した馬車に再び声が響き、ガタガタと扉が揺らされ鍵が軋む。
「いけない!」
咄嗟にカレンが扉を押さえようと手を伸ばしたが無常にもカタンと鍵が外れ、ゆっくりと扉が開いたそこには笑顔を貼り付け、黒髪を二つに結んだ少女が三日月に目を細めていた。
「あれえ? アイツはいないの? まあいいか」
何がおかしいのかケラケラと笑いながら少女は躊躇うことなく中に入って来る。
更におかしな事にカレンもハルトールも身体が動かず易々と少女をレイヤー達のそばへと通してしまった。
「おま、え、は⋯⋯」
「裏切り者はだまってなよ。用事があるのはこっち」
肩を寄せ合い寝息を立てているレイヤー達の前に立つと少女は無遠慮に手を伸ばした。
「寝てるならちょうどいいわね」
ニヤリと笑うその瞳には狂気が宿り、少女の指先がレイヤーに触れた瞬間少女の姿が消えた。
「カ、レン、今のは──!?」
「ハルトール様っ! 急いで帰りましょう!」
迂闊だった。何かがあるかも知れないと警戒はしていたが、まさかこんなに形で接触してくるとは油断していたと二人は慌てて馬車を走らせる。
「カレンさっきの少女はランゼの手の者かい?」
「あれは⋯⋯ランゼの「前世」の姿です⋯⋯。彼女の名は、アイミ⋯⋯。別の世界でマーナリア様の妹だった子です」
「!? ランゼがマーナリア様の⋯⋯妹だった」
カレンの言葉にハルトールが目を見開き驚愕の声を上げた。
「さっきの彼女はランゼの思念体です。だから直接の攻撃は出来なかったのでしょう。けれど意識に入り込む事は出来る⋯⋯恐らく夢の中でレイヤー様達を追い込むつもりなのです」
精神攻撃はランゼが好んで使う攻撃。相手の心を壊す事を楽しんでいるのだ。
カレン達は急ぐ。しかし、それを邪魔するようにポツリポツリと窓に当たっていた水滴は次第に強さを増し、あっという間に叩きつけるような豪雨となった。




