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唐突に。雨。  作者: レイン
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第一話

 いつも見送ってきた。バット振らなきゃ当たんないって、言い聞かせてるのに。

 時は五月。昼下がり。よしなしごともなかろうかと、うっすら陽炎の立つ、白のまばらに反射した、黒く寂れた道の真ん中を、ゾンビのように。十五になって微かにも、歩くべき定めを見つけられないこの心を非難するかのような冴えた青には、嫌味に湧きたつ堂々たる積乱雲。どこぞで勝手に雨でも影でも降らしていてくれ。ただし俺の処には暑い時以外来るなよ、などと休まらない頭で妄想を走らせながら、地味な店員の居るコンビニの、ドアをくぐるために、とつとつと脚を送る。

 俺は人でなしだった。詳しくは語らないが、仲間が死んでも笑っていられる、そんな奴だった。今振り返っても仕方あるまいと思う。今振り返ってもやり直しなんてできないのだから。しかしそのような罪科を抱えたまま、歩いていくのは膝に堪える。息も苦しいさ。それに、いつも俯いてなきゃいけないなんて。

 飲み終えたヨーグルトの空き容器を、律義に少し離れたスーパーのごみ箱に捨てて、俺は泉のそばに来た。唐突に思わないでくれ。俺の町の薄汚い線路の高架下には、突如として、四角い掘りに碧い泉が湧いている場所がある。汚れるから生き物を放すなというのに、カメが甲羅干しをしていて、鯉も数匹泳いでる。おまけに、投げるなというのに銭を投げる輩が居て、沢山の小銭が吸い込まれそうな透き通る水底に沈んでいる。たった五円やら十円、いや一円なんかで願いを叶えようなんて、よっぽど安っぽい、聞く価値もない願いなんだろう。

 昔あったという水害で流れてきた御影石を断って磨いたものか、それに腰を下ろして一息ついた。歩き疲れたわけでもなく、特別暑かったというのでもないのに。得ようと思えば簡単に得られるその心を、俺はどういうわけか得ようとしていないらしい。まだ何かを探してる。普通の人になろうと思えばなれたろうに。

 中学を卒業して、俺は進学しなかった。アホもチキンも高校に行く中で、進学しなかったのは俺と田崎信たざきしんだけだった。田崎は正真正銘のアホだった。学年で五本の指に入るくらいの優等生だったにもかかわらず、奴は進学しなかった。理由は誰も知らない。俺も知らない。皆受験で他人の事なんて構ってられないこともあり、田崎の事はしばらくして忘れ去られた。

 床を見ると、ややざらついた石肌に、こびりついた鈍色のガムと、消したばかりだろうか、図図しく煤を地面に擦り付けた吸い殻が落ちてあった。吸い殻にはそれとわかる程度の、紅い、そう、紅い跡が残っていた。こんなゴミを凝視するなんて俺はよっぽど暇なんだろうと自嘲しながら、ふと顔を上げると、泉の真ん中の、カメが登る苔むした岩が、黄緑色に光っていた。高架の隙間から斜めに太陽光が差し込んで、薄汚れた埃臭いこの場所を、亜空の聖域に似せていた。

「悪いけど。」

声をかけられた。背後から。

「そこ、ちょっといい?写真。」

俺は反射的に腰を浮かせてしまっていた。

「へ?」

間抜けた返事を聞いたのか、そいつは、

「こーれ。」

と言ってカメラらしきモノを手に持って、ひらひらとさせた。

「あ、あぁ。いいですよ。」

なにがいいですよ、だ。めんどくさいと思ってるんだろ?俺。でも俺の場所じゃないし。俺は体を右にずらして、そいつに場所を譲った。トイカメラというのだろうか、やけに小さい、ちゃちなカメラを右目に構えて、そいつはぴたりと静止した。そして、カシャリと音を立てて、数枚の写真を撮った。

「あんた、いい顔してるね。その死んだような表情。とってもいいと思う。ちょっと、枠に入ってよ。」

そいつはカメラを胸元に携えながら言った。

「は?」

キョトンとする俺に、

「被写体になってくれって言ってんの。お礼はするからさ。」

風もない、昼下がり。温暖化の所為か少し暑く、鋭角的な形の陽光をキラキラと自在に反射させた碧い水面を前に、俺は木製の柵に肘を置いた。視線の先には、何もなかった。ただ中空を見ていた。吸い込まれそうな水底も、ゆらりと泳ぐ鯉も、無感情に沈んだ投げ銭も、優雅なカメも、心に去来することがなかった。中空は、俺の心をまるで映していた。

そいつは何も言わずに、さらに数枚写真を撮った。そしてカメラをジーンズのベルト留めにひっかけて、また泉の方を見た。差し込んでいた陽光は陰り、涼しい風が吹いた。なんか知らんけど、そいつは鼻歌を歌っていた。

「タバコは、捨てない方が良いと、思います。」

俺は言った。すると、

「でも絵になってたでしょ、その吸い殻も。」

そいつはニヤリとして、俺を見つめた。少し色の抜けた髪に、少し濡れたような唇から、白い並びの良い歯が覗いていた。他人の歯を見るといつも、人間の内部の頭蓋をイメージしていたが、その時俺は、そんな虚無に襲われることもなく、こいつは次にどんなことを喋るのだろうか、ということを気にしていた。


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