いつか貴女と遠くの空で
「ねえ、ノエル!早く行くわよ!」
「お、お嬢様!お待ち下さいっ!」
そう言って手を引くのはこの国の未来を担う皇女、ファジーナ。
大地から祝福された、幸せの渦の中心だ。
そんな人に手を引かれる僕は、ノエル・グレース。
親が城で働いている事もあり、年の近いファジーナ様とは小さな頃からよく遊んでもらっていた。
しかし、年齢を追うごとに綺麗になって行くファジーナ様に対して、家柄も身分も違う自分が側に居るのはふさわしく無いのではと思うようになっていた。
例えばそう、城ですれ違う人達の視線はファジーナ様に釘付けだ。
この国の象徴とも言えるこの人に目を奪われない人は居ないだろう。
透き通る銀の髪も、蜂蜜色の瞳も、人を引き付けてやまない。
しかしそんな恐れ多い幸運はそう長くは続かなかった。
僕が17歳の時、近くの避暑地へファジーナ様の護衛として付いていた日の事だった。
近くの湖に行くと言うファジーナ様に付いて行くと、何も無い水面から黒い影が立ち上がり、あろう事かファジーナ様を飲み込んだ。
慌てて抱き寄せ岸辺に向かって背を押すと、驚き顔のファジーナ様の悲鳴も、水面の清らかな景色も全て、真っ黒に染まってしまった。
音の無い世界で僕はたくさんの事を考えた。
父と母、守れなかったファジーナ様、国の行く末。
僕なんて居なくたって、国はきっと回るだろうし、明日は変わらずやって来る。
僕の油断でファジーナ様を傷付けてしまったかもしれないと後悔の念に耐えないが、だけれどどうか、一つだけ。
たった一つだけの愚かな望みを許されるのなら、彼女に僕の言葉を伝えかった。
ずっとずっと隠し通して来たその言葉を、その心を、一言でも良い、愛していたと一言だけ。
何の取り柄もない僕を側に置いてくれた事。
ちっぽけな僕の手を取ってくれた事。
その全てに感謝を。
それ以上は望まない、ただ、彼女の今後が幸福でありますように。
ただそれだけを思っていると、どこからか澄んだ声が聞こえて来て、どれほどそうしていたのだろうか。
僕は懐かしいその声に驚いて目を開けた。
「……バカ、バカノエルっ、お帰りなさいっ!」
涙で濡れたその瞳は血のように赤く染まっていたが、聞こえて来たその声は間違い無くファジーナ様のもの。
心なしか身長が伸びて、声も大人っぽく聞こえた。
「……ファジーナ、様?」
聞けば、あの時捕らえられた自分を助ける為、姫様は国を出て放浪の旅をしていたと言う。
僕以外の人の手を借りる事を良しとしなかった彼女は、旅をする過程で人との関わりを覚えたと。
「貴女が居なくなってから、たくさんの事が変わったわ。
今度は一緒に国を見て回らない?」
あんなに長く綺麗だった銀の髪は、あの後悪魔との契約により食われたと言う。
どれだけ伸びてもそれ以上になれば自動的に消失して行くらしい。
「……たくさん、たくさん歩いたの。
貴方と城の中で探検した以上に、国の外も森の中も、海だった見たわ。
でもねノエル、私は貴方と見たいの。
綺麗な景色も、見たことの無い場所も、物も、私は全て貴方と見たいのよ、ノエル」
ふと漏れた笑みは、僕の大好きな笑顔で。
この人が笑顔で居られる為なら何だってする。
僕は立ち上がり「はい」と返事をしながら同じくファジーナ様に笑顔で返した。
「これからは僕と、たくさんのものを見に行きましょう。
過去も未来も、ファジーナ様が隣に居てくれるなら、どこへでも」
「本当?」
「もちろんです」
照れ臭そうに笑うファジーナ様の頬に触れると、彼女はそっと目を閉じた。
約束を交わし、僕は彼女と放浪の旅に出た。
幾千、幾万の世界の移り変わりを目にして、遠い道のりを枯れるまで歩き続けた。




