4.初級編で得たこと
翌日から、舞帷のゲームへの挑戦は、食事、宿題、予習と復習、風呂まで終わった後の1時間以内と決められた。彼女が装着するHMDに映し出される画像とヘッドフォンから聞こえる音声は、大型液晶テレビの画面とスピーカーを通じて中継されるだけではなく、動画としてHDDに録画された。これを後で父親が再生して内容をチェックするのである。
約束通りに色々やるべきことを済ませてからゲームの世界に入った彼女は、昨日のおさらいをするつもりで、すぐにリンクに入って自主的に滑った。
もちろん、まっすぐに進んで反対側の壁に達するだけという単純な動きであったのだが、慎重になったせいか、動きがのろくて納得がいかない。
体重の移動の仕方や、腕の振り方、足の運び方を繰り返し練習する。アバターを自在に操れるようにならないと、これから上位を目指す場合に苦労することが容易に想像できたからだ。
(コツさえつかめればいい。滑るコツさえ……)
ところが、やってみると、同じ動きをしているはずでも、ちょっとした気の緩みで違った動きになる。そこで、その違いを注意深く調べていくうちに、やっとコツがつかめるようになった。それはゲームのコツなのかも知れないが、リアルな世界でのスケートのコツにも思えてくる。
彼女は、知らず知らず、やっていることが基礎の繰り返しであることに気づいた。料理以外は不得意で、うまくいかないと投げ出してしまう彼女が、自分でも不思議なくらい基礎に熱を入れている。
(あれ? 私、いつもなら逃げ出すのに、逃げていない。なんか、不思議なほど前向き)
この原動力はどこから来るのだろうかと彼女は考える。できれば、他の分野にも応用したいとも考える。すると、おぼろげながらも、それが見えてきた。
(出来ないと思ったことが出来るから面白くなっているんだ。そう。きっと、そう)
成功体験が原動力になっているんだと、彼女は結論づけた。失敗すれば、悔しいから再挑戦する。この何度も続く失敗の後に、成功が待っている。ここで成功すれば、達成感に満たされ、もっとうまくなろうとする。そう。高みに登っていくのだ。
実際に自分の体の筋肉を動かすわけではなく、イメージを持つことでアバターを動かしているのだから、原理は根本的に異なる。でも、このゲームをクリアできたら、本当に自分の力で実際の氷を相手に滑れるのではないかと思えてきた。
急にやる気が出てきた頃に、アルセーヌ・ロペが現れた。登場が遅かったのは、いきなりリンクで自主練を始めたせいかもしれないと思いつつ、彼女はロペに挨拶をする。ロペは挨拶を返さず、こう言った。
「初級のコースを始めましょう」
ゲームでは、カーブを曲がれるようになることから始まった。単なる直線の往復ではなく、リンクの楕円形に沿った滑りを行うのだ。
コツは、カーブを曲がるときの足の運び。ロペがスイスイ滑るので舞帷は悔しいが、相手をいくら悔しがっても呪っても、自分が上達するわけではない。
まずは、真似をすること。これに尽きる。
彼女は、よく足がもつれたりぶつかったりして転倒した。しかし、転倒は慣れているので、そこから恐怖で体が萎縮することはない。また転んじゃった、ハハハッというほどの余裕である。
次は、後ろ向きに滑る。これは後ろにひっくり返るんじゃないかと思うので恐怖心を抱くが、いざ滑り出すとそうでもない。
後は、リンクの中央に立った状態からの滑り出し。足の力だけで動かすこともできる。
「じゃあ、バニーホップジャンプをやってみよう」
ロペの言葉から「ウサギ跳び」を連想したが、初心者向けのジャンプであった。前向きに滑りながら跳び上がって、ひねりも回転もなくそのまま降りるジャンプだ。言うだけならなんてことはないジャンプだが、これはさすがの彼女も怖かった。
滑る氷の上で跳び上がり、氷に着地してすぐ滑る。この着地で硬い氷の衝撃が来る。しかし、これが跳べないと、他のジャンプは出来るはずがない。
恐怖に勝った彼女は、なんとかジャンプが形になった。結局、出来なかったのは、自分で自分の首を絞めていたようなものだと気づいた。
もう少しやりたかったが、時間が来たので彼女はセーブしてゲームを切り上げた。
HMDとヘッドフォンを外した彼女は、録画を停止させ、もう一度頭から再生してみた。どうすればうまくいったのかを振り返るのだ。もちろん、デバッガーの視点でおかしな動きをしている箇所をチェックすることも忘れない。
うまくいかないとすぐに逃げていた自分が、失敗を恐れず、成功するまで頑張っている。それがとても嬉しい。ビデオを観る彼女は、いつしか笑顔になっていた。