2.駄目出し
舞帷と芽衣は、セーラー服にエプロン姿で仲良く台所に立つ。二人の後ろ姿を見ていると、妹は150センチメートル、姉は170センチメートルという身長差が親子を連想させる。しかし、どちらも同じ制服を着ている――中高一貫校でリボンの色だけ中学は紅、高校は水色と違う――ので、一瞬親子に見えた空想は霧散する。
姉妹とも痩身で、肩に掛かるくらいの髪の毛の長さは若干姉の勝ちで、肩幅から足の肉の付き具合までほぼ同じ。極端なことを言うと相似形である。時折後ろを振り返ってこちらを向ける顔は丸顔で、童顔な所まで似ているも、目以外は似ていない。
笑みを絶やさない芽衣と、笑わない舞帷。楽天家の姉と慎重派の妹という雰囲気が漂う。
料理も大雑把で手際の悪い姉、時間はかかるが丁寧な作業の妹。テーブルに置かれていく一品を見れば、配膳する人物の顔を見なくても姉妹のどちらが作ったかはすぐにわかる。
父親の牧男が帰宅した。とあるVRゲーム開発会社を経営しているが、身長160センチメートル強の痩せ型で、風貌は普通のサラリーマン。プログラマーからマネージャーまで現場を長く経験し、前社長が年齢を理由に引退する際に、少人数の会社ゆえ彼しかなり手がおらず、役員経験が短いのにいきなり社長にさせられた。
自分の今までいたポストは、妻である加奈子の昇格で埋めたが、これも前社長の意向。夫婦は人望が厚く、会社の環境改善に腐心したおかげで離職率が少なく、優秀な人材が転職などで集まってくる。ヒット作もいくつか持っているので会社の経営は順風満帆。唯一の不安材料は、今開発を着手しているフィギュアスケートのゲームがどこまで受け入れられるか、であった。
牧男が笑顔でダイニングのテーブルの椅子を引き「これは美味そうだ」と娘たちが心を込めて作った和食中心の夕飯を褒めながら着席する。二人も遅れて着席する。
「おい、前も言ったが、制服が汚れるぞ」
「大丈夫。今度はエプロンしているから」とは、ニヤニヤする芽衣。
「その発想はおかしい。着替えなさい」
「寝間着が汚れる」とは、ため息をついた舞帷。
「お前たちも面倒くさがり屋だなぁ」
呆れる牧男だが、納得はしていないものの、これ以上のツッコミを封印して話題を進める。
「メールの件だが――」
彼の切り出した言葉は、「早く、いただきますしようよ」と言って体を揺する芽衣に遮られた。三人が顔の前で手を合わせる。
「「「いただきます」」」
漬物に箸を伸ばす彼は、真っ先にメールの返事がもらえることを期待していたのに娘が話題に触れないため、上目遣いに二人を見る。
「で、どうなの?」
「そういやさあ、お母さんが出張から帰ってくる予定日、また延びたんだって? そっちはどうなの?」
人の話を聞かずにマイペースで質問してくる芽衣はいつものことなので、彼は苦笑して「スケート選手の取材が延びているんだよ」と即答する。
「役員なのにさあ、なんで取材に同行するの?」
扱うゲーム数の増大に人手不足な彼の会社の弱点をグサッと突かれた気がして、娘相手にちょっとムッとした彼ではあったが、すぐに元の表情に戻る。
「忙しいからさ」
「人雇えばいいじゃん」
早くメールの返事が欲しい彼は、スケートつながりで話題を自分の所へ引き戻そうとする。
「VRは技術者が少なくて、どこも大変なんだけど、どう? フルダイブ型やってみる?」
無心に箸を進めていた舞帷が、ようやく口を開いた。
「だから、また今回も、うちらがデバッガーなんだ」
この言葉に期待を持った牧男は、彼女に向かって「やってみる?」と短く問う。
「あのHMDの方なら、ダサいし、いいよ」
この「いいよ」がどちらかわからなくなった牧男が何か言おうとしたが、眉をひそめる芽衣は妹を一瞥し、すぐに父親の方へ向き直る。
「HMDはダサくないよ。ビールマンスピンとかさ、Y字スピンとかさ、4回転ルッツとかさ、何でも出来ちゃうから、へー、こうやってるんだぁって実感できて面白いよ」
彼女は豆を箸でつかむのに難儀しながら、どっちのことで笑っているのかわからない顔をする。
「そうか」
娘のHMD版の批評を喜んで受け入れる牧男だが、「でもさあ」と言葉を追加した娘に、頬の緩みがなくなる。
「あの回転椅子、何とかならない?」「そうよ」
舞帷まで加勢するので、これは分が悪いと思った彼は、頭の中で言い訳を巡らす。まず、時間稼ぎのため、言葉から推測できた娘の指摘点から、わざと話をそらしてみる。
「あの椅子のこと?」
「じゃなくって、椅子でアバター動かすこと」
「いや、実際に足で立って回転したら、めまいがして倒れるだろ?」
言い訳した彼だが、その後の展開が読めてしまって、味噌汁の椀を持つ手が止まる。
「回転しなくてもいいんじゃない?」
「回転しなくても動かせるモード、あったろ? 芽衣は試してないのか?」
おもむろに味噌汁をすすりだした父親が自分のせいにするので、芽衣はようやくつかまえた豆を頬張りながら反論する。
「聞いてないよ。てか、そういうの、知らない状態からプレイしてわかるようにして欲しい。マニュアル見ながらHMD被ってプレイするわけないし」
「急いで作ったからな」
「言い訳しない。どんなに急いで作ろうが、修羅場をくぐろうが、ゲームを手にした人には伝わらない。むしろ、伝えなくていい」
なんて反論しようかと考えた牧男だが、舞帷が器用に魚の身を箸で切りながら「中身に関係ないから」と言い渡すので、引き下がる。
「ゲームセンターに置くとしたら、どうだろうかね」
話を引き戻すつもりが、娘たちに流されていく自分に気づいた時は遅かった。二人の食いつきは早い。
「「駄目」」
娘たちにハモって総括されたので、ぐうの音も出ない。まあ、元々期待はしていなくて、駄目なことを身内にも確認したかっただけなので、ダメージも少ないが。
この時、舞帷がつまんだ里芋を器に戻して言った。
「お姉ちゃん。今度、回転しないでスピンやってみて。どうやって出来るのか見たい」
味噌汁を喉に通した芽衣が一呼吸置いてこれに答える。
「やってもいいけど、なんか、単にビデオを観ているだけのような気がする」
「観ているだけって?」
「私そっくりのアバターが銀盤を滑っているのをボーッと眺めているってこと」
「自分の視点で周りの風景がどう見えるのか、わかるだけでも違うじゃん。テレビ中継では絶対に出来ないよ」
「いや、目え回るだけだって」
「でも、面白いって、さっき言ってたじゃん」
「それは……」
牧男の顔がパーッと明るくなる。
「スケートってさ、私、いつも手袋で手すりの掃除しかしてないけど……滑ってみたい」
「まあ、自分に出来ないことが出来るから、面白いけど……」
いったんは批判してしまったので、芽衣は次の言葉を探して黙り込む。
風向きがこちらに変わったと思った牧男は、ご飯茶碗を持ったまま身を乗り出した。
「やっぱり、面白いよな? な!?」
すると、舞帷が父親の方を見て「ねえ、父さん」と無表情で言う。
「何?」
父親に見つめられて夕飯の品々に目を落とした舞帷が、ゆっくりと顔を上げた。
「フルダイブ型。私、やってもいいよ」
料理以外は何事も苦手で、引っ込み思案な娘が珍しく申し出る。こんな稀にみる機会を逃すものかと牧男は一段声を上げた。
「じゃあ、明日、プロトタイプを持ってくるから!」
「わかった」
それから、白米がこんなにおいしいのかと箸が進んだ彼は、ご飯をおかわりした。