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私のワンネス

作者: 山藤 陽由

スピリチャルに小さい時から興味があった。それで色々とその手の本を読んだりしてきた。それを元にして宇宙の真理って、こうなっているのかなと考えたことを書いていこうと思う。


スピリチャルの大家(?)とか聖者と言われている人たちは、悟りを体験しているので、私のように宇宙の真理を頭で考えているわけでない。経験上知っているので、宇宙の真理について考えるということは、ないだろう。私達だってリンゴが樹から落ちるのはどうしてだろうと考えることはあっても、リンゴが枝から離れ時どういう動きをするかは考えない。なぜなら、リンゴは樹から飛んだりするものではなく、枝から離れたら落ちるものだと知っているからだ。だから、そのことについて考えることは無い。


しかし、悟りとなると、経験している人と経験していない人がいる。もしかしたら、皆が経験していて忘れているだけかもしれない。しかし、どちらにしろ、覚えていなければ、経験していないのと同じで、その状態については語ることに確信がないものだ。


そんなわけで、今回書こうとしているのは悟っていない人が考える悟りの世界だ。ちなみに私は別に悟りを求めているわけではない。人生を楽に生きていきたいと思っているだけだ。人生を思い通りに生きようとすら考えていない。そういう『悟り』とか『引き寄せマスター』という状態にならなくても、色々なこだわりを手放して楽に生きていくことはできると思っている。そのためのスピリチャルの勉強なのだ。


実際、ワンネスという考え方をするようになって、私は楽になった。でも、悲しいかな、経験に裏打ちされていないので、考えが揺れる。つまり、ワンネスの考え方を忘れる時があるのだ。だから自分の備忘録として書いておこうと思う。もしかしたら、もっと勉強が進んだら、今書いていることも違っていたな~と思うことがあるかもしれない。それは経験してない人の想像図だからあり得ることだろう。


ワンネスとは宇宙の創造の大元、それを何と呼ぶかは自由だけど、多くの人は神様って呼んでいる存在がある。それは宇宙の全ての存在を創り出した。しかし、その創造の大元から分離する形で創り出したのではない。手や足が体から分離しているわけではないのと同じだ。しかし、手と足だけ見えるように胴体の部分を布で隠したら、どうだろうか? 私達は常識として間に胴体があって手と足がくっついていると想像できるが、宇宙人がみたら、二本の手と二本の脚が全てくっついていると見破れないかもしれない。


宇宙の大元が創造したものは、そういう風に、くっついている部分を見えない状態にされているのだ。そして、手と足が一人の人間の一部分であるので、手だけハッピーで足はめちゃめちゃ悲しいとかありえない。それと同じように、宇宙の大元も私もあなたもひとつの存在なのだから、私だけ豊かさを感じているのに、宇宙が貧しいということはあり得ない。手で足を叩いたら痛みを感じるように、私があなたを攻撃したら、痛いのは相手だけでなく、私も痛いのだ。


では、私が痛い時、宇宙の大元も痛いのだろうか? ワンネスならそうなりそうだが、そういうことはない。なぜなら、この一見分離しているように見えるもの(物質とは限らず)は、全て宇宙の大元の夢のようなものだからである。つまり、結局実態がないのだ。だから、宇宙の大元は傷つかない。


じゃあ、なんで、こんな遊びを宇宙の大元は思いついたかというと、宇宙の大元は、たった一つの存在だから、対象物を嘘でもいいから創り出すことで、自分を経験し、成長したかったんだと思う。そして、宇宙の大元は愛なので、愛を体験(肉体ではなく精神というか魂レベルでの体験)できるように、創造したのだと思う。だから、常に愛の状態になることがゲームの終わりである。そうなると、悟りがやって来て、最終的には宇宙の大元と一つの状態に戻るんだと思う。悟りという言葉の定義も色々あって、大元に一気に戻るくらいの凄い悟りから、ちょっと愛が分かってきたレベルの悟りまで色々あると思う。


宇宙の大元は、分離を乗り越えて愛を再体験するバーチャルゲームをしたいので、わざと分離して見えるように設定したんだと思う。特に、この地球は物質として存在できるから、分離感が半端ない。だからゲームの臨場感があって、この上なく楽しめるんだと思う。それで、魂の方は何度も何度も繰り返し輪廻転生してくる。一方、あまりにも地球に馴染みすぎると、大元とくっついているのが本当の姿なのか、分離しているのが本当の姿なのか分からなくなっちゃうんだと思う。それで、いつの間にか愛を目指すことを忘れて、この物質世界での成功と言われているものに向かってしまったりするのだと思う。


宇宙の大元が、こうなることを想定しないでこのゲームを創ったと思えないから、輪廻を繰り返してなかなか悟れない人が多くても、それはそれでいいんだと思う。結局、最後には宇宙の大元に戻ることに決まっているんだから、色々なバリエーションがあった方が面白いのだろう。だから、今、愛の状態になくてもOK。もちろん最終的には絶対に愛になるようになっているんだと思う。そして、愛の状態になるほうが生きるのが楽になるので、どっちがゴールか分かるように出来ているんだと思う。だから、楽になりたかったら愛を目指すしかない。ちなみに、ここで言う「楽」は、精神的葛藤がないことを指します。「歩くよりも車で行く方が楽」という時に使うような肉体労働が少ないという意味ではありません。


皆一つのワンネス状態だと考えると、自分と他の人だけでなく、動物や植物、無機物でさえ同じ一つのものなのだから、世界平和を目指すなら、外側に働きかける前に自分が平和になるべきなのだ。そして、自分の平和な状態を目指すということは、外見、つまり肉体の状態が平和な状態を目指すのではなく、心というか精神が平和な状態を目指すということだ。つまり、誰かが襲ってきたときに、反撃しないという平和的行動を目指すのではなく、どんな行動を取ろうとも、精神や心が平和な状態でいるようにする気持ちことなのだ。だから、殺されない程度に相手に反撃したとしても、気持ちに愛があればいいのだ。


一応、ここで、魂とか心とか精神とか愛の言葉の私の定義を説明しておきます。

「魂」は、宇宙の大元の一部分。だから、魂はもともと愛の状態であり、そこから一度たりとも離れたことがない。もし、自分の魂にアクセスできるなら、すぐに愛の状態になれて、宇宙との一体感を思い出すと思う。

「精神」は英語だとマインド。思考する部分。自分で選べる部分。いつでも愛を選択するようにすることで、魂にアクセスできるようになる。

「心」は感情を感じる場所。感情は選べない。感じるだけ。感情を的確に受けとめられれば、精神が葛藤しているのかどうかが分かる。

「愛」は恋愛の愛ではありません。恋愛の愛は肉欲とか見返りを求める気持ちも含まれる。親の子供に対する愛情も、愛ではありません。もちろん、恋人がいる人や子供を持つ親の立場にいる人が、本当の愛の状態を経験していることもあると思います。あくまで一般的に使われている言葉として、恋愛の愛も愛情の愛も宇宙の大元の愛と違うだけです。宇宙の大元の愛は、イメージとして、ありのままを認めるような感じに近いです。全てを許すとか、信頼するとか、そんな感じでしょうか。私自身、まだ愛の状態にいるわけではないので、あくまで想像図ですが…。


話を戻すと、世界平和を望むなら、いつも平和な精神状態にいることが大切です。でも、マインドは抑圧することが可能なので、むりくり平和な気持ちになっているフリをしやすいので、気を付けることが大切。


ポジティブシンキングが良いと言われているけど、それで良いことが起こったり、前向きになって生きるのが楽しくなったりする人と、一生懸命ポジティブシンキングをしているけど、なかなか人生の葛藤がなくならない人がいる。それは、本当にポジティブになっていて全てを肯定する気持ちなのか、抑圧してポジティブなふりをしているのかの違いによって生み出されているのだと思う。だからこそ感情を的確に感じることが大切なのだ。しかし、ポジティブシンキングが良いと言われると、その良い基準に自分をあてはまようと思考してしまう。つまり、ポジティブでない思考や感情が心の中にあっても、無かったことにしたいので、その思考と感情は抑圧されるのだ。


ワンネスとは、全てがくっついていることなので、自分を信じられない人は、周りにいる人を誰も信じていない。この世界も信じられないし、宇宙の大元というか神様も信じていない。反対に、宇宙が愛だって信じられれば、自分も周りの人も全てが愛だって思っている。だから、優しい人になりたかったら、相手だけでなく自分にも同じくらい優しくすることが必要なんだと思う。


これらは全て表面的な話ではない。たとえ相手が胡散臭い話をしてきたとしても、その胡散臭い話ごと信じるべきだと言っているのではない。だいたい、胡散臭いと感じている自分の直感をないがしろにしている時点で、自分を信じたことにならない。そうではなく、相手の魂レベルは愛だと信じるということだ。だから、胡散臭い話は信じないけど、この人の魂は愛だって信じることだ。それができれば、何もできないし、自分で決めたことすら続けられなくて挫折する自分だったとしても、自分の中には愛があるんだって実感すれば、自分を罰する気持ちがなくなると思う。そう思うことが出来れば、罪悪感をこねくり回して一歩も進めない状態から抜け出せる。それだけで、少し続けられる自分に変わるかもしれないし、続けられなくても続けるヒントがふってくるかもしれない。


ここまで書いてきた宇宙の大元とか、そういう諸々のことが真実かどうか分からない。でも、そういう風になっていると思う方が、疑心暗鬼にならずに今に集中しやすくなる。だって、全て良い方に向かっていると安心できるから。旅している時に「正しい方向に向かう道を歩いていますよ」って言われたら、安心してその道を進むことができる。「この道は安全で素晴らしい景色を楽しめますよ。途中で出会う人たちは皆親切ですよ」って言われたら、景色を満喫したり、出会う人との会話も楽しめる。


でも、この道が行きたいところに導いてくれるのか不安で、途中に崖があるかもしれないし、今にも落ちそうな吊り橋があるかもしれないし、追剥もいるかもしれないから気をつけなきゃいけないって思ったら、旅を楽しめない。あそこで曲がるべきだったかなとか、そろそろ崖だろうかって過去や未来を心配することになる。もしかしたら、景色の良い場所を歩いているかもしれないのに、それを見る余裕もない。


だから、私は、今ここに集中するために、宇宙の大元は愛であり、そこと私と全てのものがひとつであるというワンネスの考え方を採用することに決めたのだ。たまには分離感がリアル過ぎて、忘れそうになることもあるけど、でも、ワンネスだと思うようになって気持ちは楽になっている。誰かを攻撃している時に、本当は自分を攻撃したい気持ちがあって、それを他の人に投影しているんじゃないかとかんがえられるようになった。そして、実際、ダメな自分へのダメ出しをしている時に誰かを責める気持ちが高まることに気づくようになった。自分に優しくすることで、周りの人に対する思いやりが自然と生まれ、許そうと意気込まなくても、簡単に許せるようになった。だから、真理かどうかは分からないが、私はワンネスを信じて生きていこうと思う。


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