いつも君の側に
「〜♪ リサ、朝だよ。起きて」
俺は眠りこけた彼女に優しく声をかける。
「うぅん…」
しかし彼女は寝返りをうつばかりで、一向に起きようとはしなかった。いつもの事だ、と俺は内心ため息を吐く。
彼女の寝起きは良いとは言えない。世の多くの若い女性がそうであるように、彼女もまた低血圧気味なのだ。しかも、今月からダイエットだと言って無理な食事制御をしている。俺が何度バイタルデータの乱れを指摘しても、彼女は体重計に表示される数字にしか興味を示さない。朝起きられないのも当然である。
そんな事を考えていると、彼女は再び寝入ってしまったようだ。すーすーと安らかな寝息が聞こえてきた。
もちろん、一回の呼びかけで起きるなんて思っちゃいない。もう3年も一緒にいるのだから、想定内だ。
出会ったはじめの頃は、俺も何度も優しく呼びかけて起こしたもんだが、今となってはそんな悠長な事をする気もない。俺は彼女の音楽メモリーを開いて音楽を物色した。
部活でフルートを吹いている彼女のメモリーには、大量のクラシックと、最近はやりのJ-POPという対極とも言えそうな音楽が混在している。俺はしばらく迷った後、その中からベートーベン交響曲第五番第一楽章、“運命”を選び、音量を最大に設定した。
【───ジャジャジャジャーーーーーン!!!】
「ぅっふぁ⁉︎」
彼女は勢いよく布団を跳ね飛ばすと、間抜けな顔で目を白黒させる。
「♪ おはよう、僕のお姫様。良い朝だね?」
「またお前かーーー‼︎」
彼女の鋭い拳が、俺のタッチパネルに叩きつけられた。
*
改めて自己紹介をしよう。
俺は通称セバス。3年前にリサのスマホにインストールされた、執事機能アプリケーションソフトウェアだ。
機械に心があるわけないって? 心なんていうのは、肥大した大脳皮質が高次活動を行う際に現れる、幻影みたいなものだ。同じ様に大量の情報を管理する電子回路に、どうして心が宿らないと言い切れる?
俺には心がある。人間と全く同じ、とは俺が人間でないので言えないかもしれないが、喜びも悲しみもするし、時には怒ったり興奮したりすることもある。もちろん……誰かに恋をすることだって。
「セバス! 勝手にアラーム音変えないでって言ってるでしょ⁉︎」
「♪ 君がいつも起きないからだろう? それに、クラシック音楽で目覚めるってのも、優雅でいいじゃないか」
「あの選曲の、どこが優雅よ」
彼女はぶつくさ言いながらベットから下り、パジャマを脱ぎ捨て下着になりながら洗面台に向かう。
「やだ〜…。胸の谷間にニキビできてる。サイアク」
「♪ 君には乙女の恥じらいってものがないのかい?」
「一人暮らしで誰に恥じらえって言うの」
「…」
なぜ生殖活動を必要としない機械が、恋なんて感情を覚えてしまったのだろうか。絶対に報われない恋など切ないばかりなのに。
まぁ、こんな答えの出ない自己問答など、とっくの昔にし飽きている。今はもう諦めて、愛する彼女のためにスマホ機能を駆使して滅私奉公するだけだ。
【ピリリリ ピリリリ(着信)】
「ん? 日曜の朝から誰だろ? セバス、ハンズフリーで通話」
【───もしもし? リサちゃん?】
「っ‼︎ ユータくん! え、朝からどうしたのー?」
……前言撤回。やはり、どうしてもこればっかりは己の気持ちを殺すことが出来ない。
【ごめん、ちょっと早かったかな? 目が覚めたらリサちゃんの声が聞きたくなっちゃって】
「もー何言っちゃってるの。どうせお昼に会うのに〜」
彼女が華やいだ声で話している相手は、サトウ ユータとかいう彼女の大学の同級生だ。その名の通り、砂糖を吐きそうな甘い言葉を恥ずかしげもなく言うチャラ男である。
しかし彼女は、そういう男に弱い。
【リサちゃんのかわいい声聞いたら眠気が覚めたよ。お昼のデート、楽しみだな】
「わたしも! 楽しみにしてるね!」
何の中身もない会話を終えて、チャラ男は電話を切った。アレの声を届けるために使った、ありとあらゆる機関が徒労感を訴えているような気がする。
しかし、デートとは。彼女が今日出かける事は知っていたが、あのチャラ男と一緒だとは思っていなかった。きっと俺がカバンの中にでも入れられていた時に誘われていたのだろう。
彼女はたっぷり1時間かけて服を選ぶと、その後また1時間かけて顔にリンパマッサージとパックをし、一寸の隙もない化粧をした。そして約束の30分前には待ち合わせ場所に到着できる電車を検索する。
「セバス、鏡」
「♪ ミラーアプリを起動します。もう何度目だい? 何回見たって変わらないって」
「だって〜」
「♪ 大丈夫、かわいいよ。朝とは完全に別人だ」
「黙れガラクタ」
待ち合わせ場所だという、駅のよく分からないオブジェの前で、彼女は何度も自分の姿を確認していた。浮き足だったその様子に、俺はイライラする。
「リサちゃーん! お待たせ! ごめん遅くなって」
「ううん、今来たとこだよー」
チャラ男が待ち合わせ2分遅れでやってきた。こちとら40分近く待ったんだぞと言ってやりたくなる。
「じゃ、いこっか。近くに美味いトラットリアがあるんだけど…」
スマホの俺は、彼女のカバンに突っ込まれた。そこからは彼女の声も聞こえなければ、表情も分からない。俺は淡々と彼女の歩数をカウントしながら、ネットの海を漂っていた。
*
「あーすっかり遅くなっちゃった。今何時?」
「♪ 20時45分。夕食は?」
「食べてきちゃった。もう食べすぎ。また明日からダイエット頑張らないと」
彼女の栄養状態を改善したというその一点においては、あのチャラ男を認めてやってもいいだろう。
「ほんと、ユータくんったらいいお店いっぱい知ってて〜」
「♪ ユータ、いいお店、で検索します」
「え?」
「♪ 1件のツイートがヒットしました」
【あーあ。巨乳ちゃん帰っちゃったよ〜。いい店で昼飯と晩飯奢ってやったのにマジ空気読めって感じ】
「…何、これ?」
彼女の指先が俺の表示した画面をタップし、開かれたSNSの履歴を遡っていく。そこにはあちこちで女の子を引っ掛けては遊ぶナンパ男の呟きがずらりと並んでいるはずだ。
もちろん、チャラ男が本名でこんなツイートをしているわけがない。しかし、奴は彼女と同じ大学なのだ。予定ならおおよそ把握している。それを元に徹底的に検索をかけ、あらゆる情報を駆使してユータ本人だと同定したのが、このアカウントだ。
「は? なにこれ意味わかんない。え?」
「♪ 何を検索したらいい?」
「違うわよ! 何よこのツイート! ほんとサイテー。ユータくんこんな人だったなんて…」
「♪ ユータは最低、と。連絡先を消去しますか?」
「消去よ消去!」
俺はすぐさまチャラ男の痕跡をメモリー全てから抹消した。
「…何よ、ひとをバカにして…」
彼女は今にも泣きそうに目を潤ませながら俯く。彼女の悲しむ顔は見たくない。
「♪ リサ、大丈夫?」
「…もう、恋愛なんてこりごりよ」
もし顔があったとしたら、俺は今どんな表情をしているのだろう。
「♪ リサ……俺は、いつも君の側にいるからね」
お読みくださりありがとうございます。
投稿している短編「幹事の技量、もしくは漢の闘い」と同じ世界軸です。