第42話 地獄の深淵
その晩は、首の痛みのお陰で、眠ることなく過ごすことができた。水を飲むことも、呼吸をすることも激しい痛みが伴った。
救急車を呼ばねばならぬほどの傷を負っていると認識していたが、自殺に失敗した上で病院の世話になるという気にもなれなかった。
そしてなにより、平山は全てに絶望していた。
死ぬことも、生きることも許されぬこの状況を。
人生は辛いものだとよく言われるが、眠りという絶対必要となる安息を奪われてしまった平山は、誰よりも辛い状況にあるのではないのかと己を哀れんだ。
不眠症という病気があるが、それならば睡眠薬を飲むという対策がある。
借金や病で絶望した者には、自殺という最後の逃避を行う権利が残されている。
しかし、平山には、何一つ逃げ場が無い。
泣き寝入りという言葉もあるが、寝入ることが彼には許されないのだ。
―― 生き地獄。
平山は暗いアパートの部屋で膝を抱えて座り、喉の痛みを感じながらも、うっすらと笑っていた。
もう彼には、狂うという対策しか残されていなかったのかもしれない。
軽く前後に頭を振りながら、平山は夜が明けるのを待った。
時々響く、奇妙な笑い声。それが自分のものであると気がついても、平山はそれを不思議がる感覚すら失いつつあった。
なぜ、これほど苦しまねばならないのか。これほどの報いを受けねばならぬ、何かの罪を犯したのだろうか。
狂いかけの頭で、これまでの人生を省みても、思い当たるふしはなかった。
対象も分からぬまま、彼はただ、何者かに許しを請うのだった。