第28話 御木の誘い
その日は土曜で休日だったため、平山は朝からジャージに着替え、アパート周辺のジョギングを開始した。
勿論、健康やダイエットのためではなく、ただ体を疲労させることが目的だ。
2時間ほど汗をかいた平山は、昼寝をするためアパートへと帰宅した。この昼寝すら、向こうの世界へと離脱することを狙っていた。
カップラーメンで簡単な昼食を終えた平山が寝床に着こうとしたときだった。珍しく彼の携帯が震えていた。
「平山、今日休みだろ。ちょっと出て来いよ。いっしょにメシ食おうや」
御木からの電話だった。
「すみません。俺今メシ食ったばっかりなんです」
「いいから出て来いって。お前のうちの近くに来てんだよ。どうせ暇なんだろ?」
強引な誘いに、仕方なく平山は付き合うことにする。この目覚めた世界において、唯一関係を持続したいと思っている相手の誘いを、無下に断ることはできなかった。
アパートから徒歩で数分の所にある喫茶店で、御木はカレーライスをほお張っていた。
「おお、こっちだこっち」
平山を目ざとく見つけた御木は、口の周りを黄色く染めたまま手を振っていた。
「すまんなあ、休みの日に」
「御木さんは仕事中なんですね」
スーツ姿の御木を見て、平山は同情する。
「完全週休二日制なんて夢だぞ。お前、いろいろ不満あるだろうけど、良いトコもあんだろ」
「それで、何か用あるんスか?」
「いやな、一度じっくりあの幽体離脱について話たいと思ってさ」
食事を終えた御木は、自分と平山のコーヒーを頼んだ。
その後しばらく、向こう側の世界の素晴らしさを、ひとり御木は語っていた。どうやら深夜に電話をもらった後も、何度か体外離脱に成功しているようだ。
「俺も、喜んでもらって嬉しいス」
「ホント、いいこと教えてもらったよ。寝るのが楽しみになって、人生が二度美味しいって気分だわ」
夢の世界にしか楽しみを見出せない平山は、一度しか美味しくなかったのだが、口には出さなかった。
「でも先輩。あっちの世界で、うっとおしい奴って出てきませんか? ガイドとかいって、まとわり付いてくる奴なんですけど」
「ああ、いたいた。ガイドいるよ。百歳くらいのおじいちゃんだったけど」
「先輩にもいるんですね。そんで、そいつうっとおしくないスか?」
「そんなことないけどな。いろいろ教えてもらったし。感じの良い爺さんだけどな」
―― あの島津が特別だったのだろうか。
呆けている平山の頭を小突き、御木は笑う。
「俺も、お前みたいに事由に幽体離脱できるようになるわ。今もお前、抜け出てそうだったぞ」
仕事に戻るわと言い残し、御木は会計を済ませて先に店を出て行った。
―― まあいい。今はうるさい奴もいない。新しいガイドは楽しい奴だ。
平山はカフェインを摂取するため、コーヒーをもう一杯注文した。