008 パンドラの箱
僕らは道場の裏口からそっと抜け出した。
「あっ……」
僕はあることを思い出した。
「どうしたの兄さん。早く抜け道まで行かないと……」
翔が辺りの様子を見ながら言う。
「寧々ちゃんがまだ離れにいるかもしれない……」
翔は顔を青くした。
「兄さん、僕が行ってくるよ」
翔は少しの思案の後、刀を抜き放ちそう言った。
「馬鹿言うな。僕だって行く」
僕も道場からかっぱらってきた木刀を掲げながら言った。
「兄さん、さっきの僕の話聞いてたよね? 敵の狙いは兄さんなんだ。兄さんが行ったら、寧々ちゃんは余計ピンチになる可能性がある」
「それは……!」
僕は反論の言葉が出てこない。
翔の言う通りかもしれない。
だが。
僕には一つ疑問があった。
「……翔は、どうしてあいつらが僕を狙ってるって思うんだ? さっき時田とかいう奴が銀髪を探してたからか?」
「……そうじゃない。確かにあれで確信はしたけどそうじゃない。僕はさっき継承式の後、父さんからいろいろと話をされたんだ」
僕は疑問しか浮かばない。
話ってなんだ?
「でも僕からこれを兄さんには話せない。おじいさんもお父さんも話し出せなかったように、僕にも話せない。僕はまだ全てを伝え聞いたわけじゃないけど、それでも一部だって話す勇気がないんだ」
翔が何を言っているのか。
何を言おうとしているのか。
僕にはまったくわからない。
ただ。
僕に関する『何か』がずっと秘密にされていて、それが今回の国軍の襲撃の引き金になったらしいということは何となくわかった。
微妙な気分だ。
聞きたいような。
でもきっとそれを聞いてしまったら元には戻れないから、聞きたくないような。
そんな複雑な気分だ。
「僕は寧々ちゃんを助けに行く。次期当主になったんだ。家の者は守る。さっきの使用人さん達は武藤さんに任せちゃったけど、こればっかりは僕しか助けに行く人がいない。だから助けに行くよ。だから、兄さんは後の事は任せて先に逃げてくれ」
翔は静かに、だが確かに強くそう言った。
それは翔の決意の表れだった。
僕は実感した。
ああ、本当に翔は大きくなった。次期当主にふさわしい男になっていたのだ、と。
やはりじいさんと父さんの見立ては間違いじゃなかった。
「……でももし兄さんが、自分が『何者』なのかを本気で知りたいと思うのなら」
翔はすっと庭の隅を指で指示した。そこには我が家に古くからある大きな蔵があった。
「……たぶんあそこに、何らかの『手がかり』があるはずだ。僕も事の顛末の全てを知っているわけじゃないから確かなことは言えないけど」
僕は蔵をじっと見つめた。
「……あと、おそらく兄さんのその秘密には『メロディーライン』の連中が絡んでる。お父さんの話しぶりではそんな感じがした」
僕は翔が出したその組織の名前に驚愕した。
『メロディーライン』と言えば、反科学主義体制を掲げる国際テロ組織の筆頭じゃないか。
なんでそんなものと僕が絡んでるっていうんだ。
「だから兄さん、この先は兄さん自身が選んでくれ。僕もこれを兄さんが知ることが正しいのかわからない。おじいさんやお父さんが話さなかった理由はよくわかる。でもそんなの関係ない。兄さんが本当に知りたいと思うんなら、知るべきだ」
翔は僕の目の前に拳を差し出した。
「兄さんとはしばらくお別れになるような気がする。でもまたいつか会おう。僕は例えどんなことがあったって、兄さんの弟だから」
僕は翔の言葉で決心した。
そして翔の差し出した拳に自らのそれをぶつける。
翔とはそこで別れた。
翔は寧々ちゃんを助けに行き、僕は翔が示した通り蔵へと向かうことにした。
僕が蔵の鍵を開ける(錆びついていてすぐに壊れた)と、中は埃っぽくて薄暗かった。もう何年も誰も掃除がされていないようだ。うちの使用人達は何をやっているのだ。
僕は蔵の中に入って、物色を始める。
てか翔の奴ここにあるだろう『手がかり』がどんなものかってこと教えてくれなかったし、何探せばいいのかぜんぜんわからないや。
僕はとりあえず蔵の中を手当たり次第に漁り始める。
うわー、僕が小学校の図工の時に作った紙粘土の動物園だ。懐かしいなー。この象の鼻とか作るの大変だったんだよなー。
あっ、この地球儀、小五ん時の夏休みの自由研究で作った奴だ! これけっこう自信作だったんだよなー。
ん? この下手くそな絵、翔が幼稚園児ん時に描いたやつか。父さんか? 母さんか? 性別が分からんから誰を描いてるのかわからないや。
ははははは。
なんて、現在の状況を忘れて過去の思い出に浸っている僕。
……ってあれ?
翔が幼稚園児ん時に描いた絵は残ってるのに、僕が描いたのは残ってないのか?
差別か?
さすがに昔のこと過ぎて覚えてなかったので、ちょっと見て懐かしがりたかったんだけどなー。
まあいいか。
僕は蔵の中の物色を続ける。
「……なんだこれ」
僕が手に取ったのは、何やら造りのいい黒い武骨なゴーグルだった。これに見覚えはない。
めっちゃカッコイイな!
貰っちゃおうかな!
とかなんとか言っていると、ゴーグルが置いてあった辺りに重ねて置かれている古い背表紙の本を見つけた。
「…………?」
これにも見覚えがない。
僕はその本を手に取って、埃を手でパッパッと払ってから、中を開いた。
僕の目に飛び込んできたのは、中学体育祭時の僕の写真、小学校の時家族で出かけた京都の写真、僕と翔が榛葉流剣術を習っていた時の写真、幼稚園児の翔が運動会に参加している時の写真……。
この本はアルバムだった。
父さんも母さんも、もちろんじいさんもあまり写真を撮るほうじゃないから、我が家にアルバムがあるなんて思ってもみなかった。今までアルバムなんて見たことがない。
僕は少しニヤッとした。
小さい頃の僕。
もうあんまり覚えてないし、こんな機会でもないと振り返れないから、ちょっとニヤニヤしてしまう。
僕がアルバムのページをニヤニヤしながらめくっていると、ふと一枚の写真に目が止まった。
「…………?」
その写真には銀髪の少年と、顔に青い刺青のある見覚えのない男が映っていた。そしてこの刺青の男の頭には、今僕が握っているあの黒いゴーグルがあった。
誰だ?
本当に知らないぞ?
「…………」
なんだろう、この胸のざわつく感じは。
この男は誰だ?
それにここまで見てきた写真。
なんだ、この違和感は。
嫌な予感がする。
凄く嫌な予感がする。
「……………………!?」
あれ?
ない。
ないぞ。
僕の『幼稚園児の頃』の写真がない。
どういうことだ?
わからない、わからない、わからない……。
その時、蔵の扉が勢いよく開いた。
誰かの入ってくる気配。
僕はハッとする。
現在の状況を忘れていた。