007 国軍将校時田左右吉、見参!
家の中は本当に慌ただしかった。
武藤から聞いた話によると、現在我が家は警察または日本国軍によって包囲されているらしい。日本国軍というのは文字通り日本国政府が保持する軍事勢力のことで、国内の治安を守る警察とは別組織である。元は国を自衛するだけだった日本国の軍事勢力も、近年の世界的治安の悪化に伴いその本質を変化させつつあるのだった。
そんな警察または日本国軍がなぜ僕の家を包囲しているのか。
わからない。
身に覚えがない。
ま、まさかこの僕を日本国軍にスカウト……!?
……そんなわけないか。
「武藤、翔はどこにいるんだ?」
「継承式終了後、先程までは次期当主様とお話をしておりましたが……」
僕らは家の中を駆けながら翔を探していた。途中、事態が飲み込めず喚く人達も見られたが、榛葉家の門下生達が上手くなだめて移動を促していた。手に手に木刀や真剣を携えた門下生達は緊迫した顔つきで家中を忙しなく動き回っている。その他侍女らの非戦闘員達や来賓達は、榛葉家の者に連れられてどこかへと移動していた。先程じいさんが言っていた抜け道から脱出するのだろう。そんなものがあるなんて知らなかった。有事のために用意してあったのだろう。
「継承式の会場に行けば翔いるかな?」
「かもしれやせん」
僕達が継承式が行われていた道場に向かおうとすると、立て続けに複数の銃声が聞こえた。
戦闘が始まったらしい。
僕らが道場の中に入ると、そこには数人の人影があった。その中には黒髪黒眼鏡の我が弟、翔の姿もあった。
「翔!」
「……! 兄さん! どうしてここに……!?」
「お前を探しに来たんだろうが」
僕はすぐに翔に駆け寄った。翔は継承式が終わったままの、榛葉家伝統の和装に身を包んでいた。僕は翔の腰の刀に目がいった。
「翔、刀なんて持って……」
「こういう状況だからね。何が起こるかわからないし」
翔は薄く笑った。
「昴坊ちゃん、翔坊ちゃん、急いであっしらも逃げやしょう。もういつ追手が来てもおかしくない」
武藤もどこからともなく刀を持ち出しその腰に帯刀していた。さすが榛葉流免許皆伝者、様になっている。
「待って武藤さん。ここにはまだうちの使用人達が残ってるんです。彼らを置いていくわけにはいきません」
翔は、一緒に部屋に残っていた人たちを指し示す。
「あっしの使命は昴坊ちゃんと翔坊ちゃんを安全な場所に避難させることです。あっしにとってはそれが一番の優先事項で、それ以外は二の次にさせていただきやす」
武藤は翔に対して強くそう言った。
「悪いけど武藤さん。僕はもうさっきの継承式で次期当主の座を引き継いでる。門下生のあなたに僕の決定を覆す権限はないはずだ。僕は彼らを置いて行きたくはない。次期当主として彼らを守りたいんだ」
僕はあっけにとられて二人の会話に口を出せないでいた。
翔の奴、こんなしっかりしてたっけ?
こいつが武藤に対してここまで言ってるとこなんて初めて見たぞ。
いっつも僕の後ろをちょこちょこついてきてただけの翔が、いつの間にか成長してたんだなー。
と、兄はちょっと感動。
武藤も何やら難しそうな顔をして、言葉を繋げないでいた。
すると突如道場の扉がバンッと乱暴に破壊されて、数人の男達が中に入ってきた。
【武藤修視点】
しまった、と思った時には遅かった。
既に道場の入り口は彼らによって塞がれていた。
道場にいきなり入ってきた数人の男達の中心に立つ人物に、あっしは見覚えがありやした。
「わっはっはっは! やあやあ我こそは日本国軍将校、時田左右吉である! 日本国の名の元に潔く降伏することを勧める! 抵抗すれば貴様らの命は保証しない!」
この仰々しい物言い。あの臙脂色のコート。サーベルと自動式拳銃の両方を所持。
確かに知っている。
あいつは国軍の将校、階級は確か中尉。国内におけるあの『大事件』のおりにも活躍したと言われる、国軍の猛者だ。
あっしはすぐさま刀を抜いた。
本気でやらなければ殺られる。
「誰だお前! 変な恰好しやがって!」
昴坊ちゃんが時田中尉に向かってそう啖呵を切った。
昴坊ちゃん、できればあいつを刺激しないでもらいたいんですがね……。
「いきなりうちに攻め入ってくるなんて、覚悟はできてるんだろうね?」
翔坊ちゃんも刀を抜いて臨戦態勢に入る。
待ってくだせい。
お二人は何もしないでくだせい。
ここはあっしに任せてくだせい。
「ん? そこの銀髪は……」
時田中尉が昴坊ちゃんに目を留めた。
まずい!
昴坊ちゃんのことを知られるわけにはいかない。
「時田中尉! いきなりこの家に攻め入ってきた落とし前は、きっちりつけてもらいやしょう!」
あっしはバッと地面を蹴って時田中尉に斬りかかる。
なんとか奴らの注意をあっしに向けないと。
頼みます、その間にお二方はこの場から逃げてくだせい……!
あっしが時田中尉の首元目掛けて刀を振り下ろすと、時田中尉はサーベルでそれをキンッと受け止める。
「わっはっはっは! 貴様は榛葉流の武藤だな? 貴様ほどの実力者が護衛にいるということは、あの銀髪がそうなんだな?」
「それは言えやせん!」
あっしの斬撃を危なげなく全て受け流す時田中尉。噂通り彼のサーベル使いは相当なものだ。おそらくあっしが彼とサシで勝負しても勝てるかどうかわからない。いや、負けるかもしれない。
時田中尉があっしから少し距離をとると、左手で自動式拳銃を抜いた。
「そこをどいてもらおうか!」
時田中尉は続けざまに二発、拳銃を撃つ。
「――榛葉流奥義『映シ木』!」
時田中尉の放った銃弾を、あっしの刀が弾き返す。あっしは弾き返す軌道をコントロールして、時田中尉の横にいた国軍の連中に銃弾をお見舞いしてやった。
「うわっ!」
「ぐっ!」
あっしが銃弾を弾き返したのを見た時田中尉は、次は拳銃ではなくサーベルで襲い掛かってきた。
「なるほど。さすがに武藤ほどの男になれば銃弾は効かんか」
奴のサーベル使いは絶妙。守りに特化した榛葉流でも受けきるので精いっぱいだ。
近接で右手のサーベル。距離を空けたい時や中距離での戦闘においては左手の拳銃。奴の戦闘スタイルは完成されている。さすがだ。
「ではこれではどうかな?」
「…………っ!」
時田中尉は、あっしではなくあっしの後ろにいる使用人達へと拳銃を向ける。
「榛葉流奥義『流シ草』!」
間一髪時田中尉と使用人達の間に入り、奴の銃弾を受け流す。さすがに今の一瞬では弾き返すには至らない。
「……それが国軍のやることですかい」
「こちらにも意地がある。情に流されて仕事が出来ないなんてのは三下の言うことだ。俺の悪を断じる前に、全てを守るだけの力を手に入れて見ろ! 武藤!」
あっしは奴の言葉に歯噛みした。
【榛葉昴視点】
何と言うことだ。
武藤が苦戦している。
あんな剣も拳銃もなんて欲張りで臙脂色のコートを肩で羽織って威張ってるような奴が、現榛葉家最強の剣士武藤を押している。
まさか僕らやばいのか……?
てか、あいつさっき銀髪がどうとか言ってたぞ。
何それって僕の事?
何、あいつらの目的って僕なの?
ま、まさかやっぱり日本国軍へのスカウト……!?
……ってそれは無いんだった。
「昴坊ちゃん! 翔坊ちゃん! ここはあっしに任せてお二方は逃げてくだせい!」
「そうはいくかよ! 武藤! お前は僕らの家族だ。家族を置いて行くなんて出来るわけない!」
「我がままを言わないでくだせい! あっしでは時間稼ぎで手いっぱい。その隙に早く!」
武藤が怒鳴る。
「翔坊ちゃん。昴坊ちゃんを頼みます」
「……わかった」
翔が僕の袖をそっと引いた。
「……兄さん行こう。僕らがここにいたら武藤さんの足でまといになるみたいだ」
「じゃあとりあえず使用人達を……」
「彼らは置いて行こう」
僕は翔の言葉に耳を疑った。翔の肩をガシッと掴んで強く言う。
「何言ってんだよ! 翔正気か!? さっき彼らを置いて行けないって言ってたのはお前じゃないか!」
翔が僕の肩を掴み返した。
「兄さん! なんとなく気付いているだろ。あいつらの狙いは『兄さん』なんだよ! 兄さんがここにいる限り、兄さんと一緒にいる限り逃げ切ったことにならない。だから! 兄さんは逃げなきゃいけないんだよ! 兄さんがここに残っても誰も守れやしない!」
翔の主張に僕は声を失った。
使用人達は僕らを見ている。
「昴様、私達の事はおいて言って下さい」
「大丈夫です。武藤様が守って下さいますから」
使用人達は口々にそう言った。
バンッと響く銃声。
振り返ると飛んでくる銃弾を武藤が弾き返していた。
「早く行ってくだせい!」
僕は拳をギュッと握る。
「……わかった」
僕と翔は国軍将校時田中尉らに襲われている武藤と使用人達を置いて、道場を後にした。