004 兄VS弟
道場の中央には向かい合う二人。
一人は銀色ツンツン頭の僕。もう一人は我が弟、黒髪黒眼鏡の翔。
翔の手に握られているのは木刀。使い込まれてツヤがかったそれを、翔はぎゅっと握り、僕の方を見ていた。
表情からは何も読み取れない。
翔は今何を考えているんだろう。
兄なのに僕にはわからない。
翔に対して、僕も一応木刀を持っていた。数年前に剣術を投げ出した僕からすれば、それは懐かしい感触だった。
道場には僕らを囲むように門下生(組員)達が集い、やいやい野次を飛ばしていた。その中にはじいさんや父さん、武藤や寧々ちゃんの姿もあった。
はぁー、なんでこんなことになっちゃんだろ。
勢いであんなこと言っちゃったけど、もう引っ込みつかないよね……。
よし、当主になんてまったく興味ないけど気持ち切り替えて頑張ろう。
兄として、まだまだ弟には負けられん。
「じゃあ二人とも準備はいいか」
父さんが道場の中心に立っている。どうやら審判役を任されているようだ。
「ああ」
「うん」
僕と翔は歩み寄る。
その距離約4m。
「どちらかが戦闘不能になるか、降参するまで。戦闘不能の判断は私が行う。いいな」
「ああ」
「うん」
「では、開始!」
兄VS弟の絶対に負けられない戦いの幕が切って落とされた。
【榛葉翔視点】
お父さんの合図とともに兄さんが木刀を突出し突っ込んできた。これは僕の予想の範囲内だ。体を半身ずらしてこれを躱す。
「まだまだ!」
兄さんはそこからさらに木刀を横に薙ぎ払い僕の腹部を狙うが、僕はそれを軽くいなした。
悪いけど兄さん、剣術での勝負じゃ僕は兄さんには負けないよ。これでも毎日修練積んでるからね。
こうやって兄さんとの勝負には応じたけれども、別に力づくで当主の座を奪い取るつもりはないし、僕は今でも兄さんの方が適任だと信じて疑ってはいない。だけどその問題とこの勝負は話が別だ。僕だって負けるのは嫌なんだ。
それに。
僕は自分がうっすらと笑っているのを感じ取る。
兄さんとこんなふうに真剣勝負をするなんていつ振りなんだろう? 少なくとも兄さんが剣術を習うことを止めてからは一度だって無かった。兄さんは身体能力なら僕なんかよりよっぽど優れているのに、その力を僕と競うためじゃなく僕を守る為に使ってくれていた。確かにそれは嬉しかったけど、でももう僕だって守られてるだけじゃ駄目なんだ。僕は兄さんと二人でこの家を守っていきたいんだ。
だから、僕の力を兄さんに認めてもらうこんな機会を、逃すわけにはいかないんだ!
僕は木刀を大上段から振り下ろす。
兄さんは後ろに飛んでそれを躱すが、僕は木刀を振り下ろすと同時に兄さんとの距離を詰める。
「しまっ……!」
そのまま木刀を振り上げ、兄さんの身体を峰で打ち付ける。
「いってぇな……!」
兄さんは慌てて僕との距離をとる。
「……兄さん、僕、手加減するつもりはないから」
僕はそう宣言した。
【榛葉昴視点】
冗談じゃない。
いつの間に翔の奴こんなに強くなったんだ?
僕がまだ道場に通って剣術を習っていた頃は、ここまでじゃなかった。剣術の才能のない僕とどっこいどっこいくらいだったはずだ。それがたった数年で……。
いや、少年期の数年はでかいのか。
僕が投げだした剣術を、翔はずっと続けてきた。あいつは真面目な奴だからいつも己に厳しかったはずだ。だったら、数年でここまで強くなっていてもおかしくはない。
頑張ったんだな、えらいぞ。
たぶん翔の方が僕よりも榛葉家の当主にふさわしい。
そんなことはわかってる。
でも、それとこれとは話が別だ。
もうどうしてじいさんが翔を選んだのかとかそんな理由はどうでもいい。むしろ翔を選んだじいさんは間違ってないさ。だから翔が当主になるのに、僕は賛成するよ。
でもだからって、僕がここで翔に負ける理由にはならない。
兄の意地ってものがある。
悪いが、そう簡単には負けるつもりはないぜ。
【榛葉翔視点】
僕は兄さんと正面きって向かい合う。
さあ、兄さんはどう来る?
「僕は翔には負けない。なぜなら僕が兄だからだ!」
そう宣言した兄さんは、またも僕に向かって突っ込んできた。
兄さんどういうつもりなんだ?
守りとカウンターに長けた榛葉流に対して無策で突っ込んでくるのは自殺行為だ。そんなこと榛葉流をかじってた兄さんならわかってる筈なのに。
僕はカウンターを放とうと構える。
「無駄だよ! 兄さん!」
「わかってる!」
兄さんは僕に突っ込んでくるのを止め、いきなりその場に止まったかと思うと、突っ込んできた勢いそのままに木刀を僕に向かって勢いよく投擲してきたのだ。
これはさすがに予想外だ。
「くっ……!」
僕はとっさに投擲された木刀を榛葉流奥義『流レ草』で受け流す。『流レ草』は自らに飛んでくる物体を流れるように受け流す技である。
榛葉流剣術はそのルーツを自警団に持つ守式の剣術である。御先祖様がこの地を守る為に鍛錬したのが榛葉家の始まりだと言われており、その為榛葉流剣術には相手の技を受け流す技や相手の技を利用して反撃するカウンター系の技が多い。またこういう経緯から興った家であるため、ヤクザとして裏社会からもこの地域を守る役目も担うこととなったのはある種必然であると言えるだろう。
僕が兄さんの木刀を受け流すほんの一瞬の間に、兄さんは僕の眼前へと距離を詰めていた。
さすが兄さん、速い……!
僕はすかさず木刀で兄さんを牽制し距離が詰められるのを阻止する。
が、兄さんはそれを身を屈めることで回避し、足払いで僕の体勢を崩す。
「あっ……!」
その体勢が崩れた一瞬、兄さんは僕の袖口を掴み自分のほうグッと引き寄せる。
そして構えられた兄さんの拳。
しまった、避けられない……!
僕が一撃喰らう覚悟した時、一瞬だけ兄さんの身体の動きが止まった。
僕はその隙を見逃さない。
逆に兄さんの襟首を掴み返し、崩れた体制に任せてそのまま兄さんを投げ飛ばす。当然自分も床に投げ出される格好になるが、ダメージは兄さんの方が大きい。
「かはっ……!」
投げ出された兄さんは息が詰まったように苦しそうな表情を浮かべるが、再び立ち上がる。
さすが兄さん、タフだ。
それにしても今の一瞬。兄さんの動きが止まったあれは。
「…………」
僕は黙って兄さんを見る。
ほんと、兄さんらしいや。
【榛葉豊介視点】
昴と翔の攻防が目の前で続いている。
得物を早々と投げ捨てた昴には驚かされたが、剣術が使えない昴にとってはかえってよかったのかもしれない。両手が空いたことで昴の動きはより素早くなってきている。
まるで獣のように昴の動きはめちゃくちゃだが、翔に巻き込まれて喧嘩の経験だけは豊富にある。そこら辺のヤンキー如きでは昴の動きを捉えることすらできないだろう。
対する翔は昴の攻撃を上手くいなしつつ反撃の隙を窺っているようだ。カウンターを主とする榛葉流は昴のような相手には非常に有効だが、如何せん昴がタフ過ぎる。甘いカウンターでは昴に大したダメージを負わせることは出来ないだろう。そこは決定的なカウンターを放てない翔の未熟さか。
傍から見れば拮抗しているように見える両者だが、私は昴が一瞬翔に対しての攻撃を躊躇ったのが見えた。
そこが昴の甘さだ。
兄弟とはいえ勝負の最中に相手に手を出せないのでは話にならない。
おそらくこの勝負、昴の負けだろう。
私は自分とは違う銀色の髪をした息子の姿を見る。
「…………」
お父様がなぜ昴ではなく翔を当主にしようとしているのかはわかる。私もその意見には賛成だし、そうせざるを得ないのも理解できる。
ただ。
私達が幾ら事実を隠そうとしても、きっといつか彼は気付いてしまうだろうと思っている。
それは仕方がない事だ。
それでもその時彼の感じる絶望が少しでも軽くなればと、私はそう願わずにはいられない。
【榛葉昴視点】
なんだよさっきから!
僕の攻撃ぜっんぜん通じない!
僕のパンチもパンチもパンチも、全部躱されて受け流されるんだもん。
それで僕ばっかりカウンターでバコバコ殴られて!
翔強過ぎ。
「翔よ、ぜんぜん効いてねーぞ?」
僕はとりあえず相手の動揺を誘うために見栄を張っておいた。
嘘です。
かなり痛いです。
ちょっと強がりました。
「翔よ、そろそろ終わりにするか!」
もう痛いのは嫌です。
早く終わりにしようよ。
とは言うものの。
負ける気はさらさらないんだけどね!
僕は無策に翔に突っ込む。
「兄さんまた……!?」
翔は僕が特攻を繰り返していることに呆れているようだった。
それはあれだろ。
マンガとかで言う「何度やっても同じことだ」的なことだろ。
ははは、甘いぞ弟よ!
その台詞は敗北フラグなんだよ!
「この一撃で倒す!」
僕は翔に肉薄する。
そうさ確かに無策さ。
僕が今ここで考えつく小細工じゃ翔の榛葉流を破れない。
だから。
翔の剣術を体で受け止めて、その上で生じた隙に翔を倒す!
名付けて必殺『肉を切らせて骨を断つ』作戦!
僕の身体のタフさを生かした完璧な作戦だ!
見てろ!
僕は拳を振りかざし翔に迫る。
「榛葉流奥義――!」
翔は木刀を流れるように振り下ろし、僕の足を払った。
「えっ……?」
そのまま僕は一瞬宙に浮き、空中で謎の一回転。そのままバンッと無様に勢いよく仰向けで地面にひっくり返された。
「くっ……!?」
「――『木ノ葉返シ』!」
僕を地面にひっくり返した翔は僕の喉元に木刀を突き付けた。
「そこまで! 勝負あり! この勝負、榛葉翔の勝利とする」
父さんが皆に向かってそう宣言する。
二人を称えるように歓声と拍手が起こり、道場内を包み込む。
僕は弟に敗北を喫した。