003 兄としてのプライド
僕と翔がじいさんの部屋の障子を開けると、部屋ではじいさんと父さんが待っていた。
なぜ父さんもいるのだ。
「来たか。二人ともそこに座りなさい」
スーツに身を包んだ父さんが、目の前の座布団を勧める。
僕と翔は少し緊張しながら勧められた座布団に腰を下ろした。一応当主であるじいさんの前だということで、肉親とはいえども二人とも正座である。
図としては、僕と翔がじいさんと父さんの二人と対面する形になる。
僕のじいさん。榛葉稲一郎は榛葉家の二十二代目の当主であり、榛葉流剣術の免許皆伝者でもある。厳格な人物で、実の孫である僕らも厳しくしてもらった記憶しかないくらいだ。
そして僕はこの人が少し苦手でもある。翔は結構懐いてるんだがな。
その隣が僕の父さん。榛葉豊介は榛葉稲一郎の長男であり、榛葉家の次期当主である。当然彼も免許皆伝者ではあるが、性格は比較的穏やかで剣術よりもデスクワーク方面に才が認められている。
当主と次期当主がそろってとは、これは穏やかじゃないね。
「で、話って何?」
僕がそう切り出す。
父さんは横に座るじいさんをチラッと見た。
「うむ。話というのは、我が榛葉家の跡取りの事じゃ」
翔が息を呑む気配が伝わってきた。
「儂ももう歳じゃ。そろそろ当主の座を豊介に譲ろうと思う。これに際し、我が榛葉家のしきたりに従い、豊介の後の当主を決める運びとなった」
じいさんはそう説明した。
我が榛葉家には、当主の座を継承する際、旧当主と現当主が話し合い次期当主を早々に決めてしまうというしきたりがあった。これは早いうちから次期当主に当主となる自覚を持たせそれ相応の教育を施すための処置である。
まあこういうのは普通に長男がなるケースが多い。父さんも長男だが父さんの場合は少し特殊で、父さんにも弟が一人いたらしいが、彼は数年前に失踪してしまったのだとか。それで消去法的に父さんが次期当主の座に収まったらしい。まあ父さんの弟というのはかなり変わった人物だったらしいので失踪してなくても次期当主は父さんになっていただろうという話だが。
ちなみに僕も翔も父さんの弟の顔はよく覚えていない。
まあ僕らも小さかったからね。
「当主ってことは、当然、『あっち』のほうもってことだよな?」
僕はじいさんに確認する。
「無論じゃ」
僕はその答えにため息をつきたくなる。
『あっち』とは何の事かというと、我が家の『裏稼業』のことである。実は我が家は表向きには剣術の名家として道場で生計を立てているとしているが、それだけではなくもう一つの副業が存在している。
まあいわゆるヤクザですね。
いやー、怖い。
ヤクザといってもそこまであくどい事をしているわけではなく、この辺りの地域の店舗等が他のヤクザに狙われないよう保護しているといった感じである。
当然『白い粉』的なものは取り扱っていないし、地域の住民とも良好な関係を築いている。
とはいってもそこは『ヤクザ』。
門下生(実は組員も兼ねている者も多い)達の中には人相の悪い奴らが多い。だが中身は本当はいい奴らばかりなのだ。
だから怖くないよ?
でもね、長男として当主になるのはやぶさかじゃないのだけれど、それは同時にヤクザの組長になるということでもあるんだよなー。
正直それは嫌なんだけどな。
「で、豊介と話し合った結果なのじゃが」
僕も翔も息を呑む。
「――次期当主は榛葉翔とする」
「……へ?」
僕は素っ頓狂な声を上げた。翔も口が開きっぱなしになっている。
「以上じゃ」
「いやいやいやいやいや」
立ち上がろうとするじいさんと父さんを僕は制する。
「なんで僕じゃなくて翔なわけ?」
「そ、そうだよ。代々当主は長男がやるって決まりじゃないの? どうして兄さんじゃなくて僕なのさ」
僕と翔が詰め寄る。
「なんじゃ、昴はずっと組長なんかなるもんかと言っておったではないか」
「いやいやそうだけどさ! 今だって組長なんかなりたいとは微塵も思わないけどさ! でも僕だって小さい頃からなんとなく当主になるんだろうなーって思ってきたんだぜ? その気持ちはどうしてくれるんだよ!」
「なんとなくでは当主は務まらん」
じいさんはきっぱりと言った。
「おじいさん、僕も小さい頃から当主になる兄さんの右腕として働けるように頑張ってきました。それをいきなり僕が当主だなんて――」
「――二人とも黙らんか」
じいさんの強い口調に思わず僕も翔も口をつぐんだ。
「当主である儂と次期当主である豊介の決定に異を唱えるのか? たいがいにせい」
じいさんは畳をバンッと叩く。
「これは決定じゃ。異論は認めん」
きゅっと身を竦ませる翔。
僕は歯噛みする。
別に僕は特に当主になりたいわけでも組長になりたいわけでもない。だが、ここで僕に代わって弟が当主になると聞いて、はいそうですかというのは兄としてのプライドが許さない。
「理由は!?」
「お前にそれを教える必要はない」
僕も畳をバンと叩いた。
父さんは驚いたように目を開いているが、じいさんは怯まない。
「じゃあ、僕と翔で勝負だ!」
「に、兄さん!?」
僕の思わぬ提案にさすがのじいさんも驚いたような表情を浮かべる。翔も慌てたような様子を見せる。
「翔が勝ったらその決定に従う。もう文句は言わない。だけど、僕が勝ったらどうして僕じゃなくて翔を選んだのかちゃんと理由を話してもらう! それでその後の事は理由を聞いてから決める!」
そう宣言した僕は勢いよく立ち上がって部屋を後にした。