002 名家榛葉家の人々
僕らは不良達とのいざこざの後、武藤と共に家の前まで戻ってきていた。
「おかえりなせぇ、昴坊ちゃん! 翔坊ちゃん!」
「おかえりなせぇ!」
僕らが家の『門』を開けると、十数人の男達が僕らを出迎えた。なんとむさ苦しい事だろうか。皆が皆怖そうな顔面をした連中だが、僕は彼らが皆気さくで気の良い奴だということを知っている。
だが当然、彼らが全員僕の兄弟というわけではない。
どんな大家族なんだという話だ。
ビッグ○ディか。
僕と翔はれっきとしたこの家の息子だが、彼らは(僕と翔を助けてくれたあの武藤修も含めて)、この家に門下生としてやってきており、そのまま寝泊まりしているのだ。
門下生というのはどういうことかというと、実は我が榛葉家は由緒正しい剣術の名家なのである。剣道ではなく剣術という所がミソだ。つまりそれはスポーツとしての剣道ではなく、れっきとした戦闘術としての剣術という意味なのである。近年の世界的治安の悪化に伴い、スポーツではなくこういったある種の『特殊技能』といったものを身に付け、手に職を持とうといった風潮が世界各地に広まりつつあるのが現状だ。
なぜ世界的な治安の悪化が起きたのかという話は長くなるのでまたの機会に。
「聞きやしたぜ、坊ちゃん方ここいらで有名なヤンキー共をシメてきたんでしょう!」
「さすがですぜ!」
嬉しそうにそう騒ぎ立てる面々。
ちょっと待て、それはだいぶ事実と違くないか?
「皆それは違うって。僕と翔があいつらに追い回されてるところを、武藤に助けてもらっただけなんだ。僕も翔も何もしてないよ」
「またまたご冗談を~!」
「どうせまた、翔坊ちゃんが榛葉流剣術でバババッと片付けちまったんでしょう!」
「でもって昴坊ちゃんは相手を無茶苦茶に殴りつけたんでしょう! わかってるんですよ俺らには!」
ニヤニヤ笑いながらそう決めつける面々。
僕のイメージってそんなんなの?
翔とはずいぶん違うじゃないか。
無茶苦茶に殴りつけるとかめっちゃ恐い奴だな。
「ほんとに違うんだよ! 武藤からも言ってくれよ!」
僕と翔の一歩後ろを歩いていた武藤に話を振る。
「いえ、あっしが手を出さなくとも、坊ちゃん方ならあの程度を無力化することなど容易かったでしょう」
スーツに身を包んだ武藤は生真面目にそう答える。
僕も翔もこの家に生まれた正真正銘の榛葉家の跡取り候補であり、彼ら門下生は当主の孫である僕らに対してそれ相応の敬意を払うしきたりとなっている。僕個人としては、歳がそう変わっているわけではない(むしろ年上が多い)門下生達に必要以上の敬意を払われることに対して少なからず抵抗があるのだが、彼らはしきたりだから仕方なくといった感じではなく喜んで僕らに敬意を払ってくれる。そういった辺りから彼らの人の良さを感じる。
この武藤修という男に関してもそうだ。
彼は僕らよりも二回り以上も年上であるというのに、僕らに対して今見せたような敬意を払ってくれる。現時点において榛葉流剣術を免許皆伝している者は6人存在しており、武藤はその中の一人で剣の腕も立つのに、細やかな気遣いを忘れない。じいさんからの信頼も厚いし、今や榛葉家には欠かせない男の一人なのだ。
だから、僕はこの武藤修という男を心から尊敬しているし、彼の生き様は僕の目標でもある。
「そんなことない。武藤が来てくれなかったら危なかったと思う。ありがとう」
僕がそう言うと武藤さんは少しびっくりしたような顔を浮かべたが、すぐに笑顔に戻した。
「あっしは当然の事をしたまでです」
彼はそう言って一礼した。
「翔君! 昴君!」
僕と翔が部屋で服を着替えているところに一人の少女がやってきた。侍女見習いの陣内寧々(ジンナイネネ)である。
現在中学二年生の彼女は、代々榛葉家に使える陣内家の娘として数年前から我が家で侍女見習いをしているのだ。
「あっ! ししし失礼しました! お着替えの最中でございましたか!」
いきなり部屋に入ってしまってことに慌てふためいたり何やら顔を赤くしていたりと一人で忙しそうな彼女である。
寧々ちゃん(幼馴染なのでこういった呼び方をしている)は昔っから少々そそっかしいところがあるのだが、何事にも真摯に真面目に一生懸命に取り組む様は家の中でも門下生たちからも評価が高い。
門下生達の中には彼女に思いを寄せる者も少なくない。
僕?
僕は別に彼女のことを幼馴染以上に考えたことは無いよ?
……ほんとだよ?
どちらかというと妹的な感じで可愛がっている。
「入ってきても別にいいよ、ね、兄さん?」
「ああ。もう着替えも終わってるしな」
翔の問いに僕は頷く。
昔は一緒にお風呂にだって入った中なんだ。今更パンツの一枚や二枚披露したところでどうってことは無いのだ。
……いや、セクハラにはなるのか。自重しよう。
「それで寧々ちゃん、何か用?」
翔が尋ねる。
「昴君……じゃなくて昴様も翔様も、町で喧嘩に巻き込まれたって聞いたけど、大丈夫?」
いまだに『昴様』という呼び方に慣れていないところも敬語を使い忘れてしまうあたりも、彼女の侍女として至らない部分なのだが、僕も翔もそこには触れない。僕も翔も本音の部分ではそういうしきたりみたいなところが好きではなくて、彼女にも昔のように分け隔てなく接して欲しいと思っているのだった。
立場上それが難しいこともわかってはいるのだが。
「喧嘩に巻き込まれたっていうのは、またそれも話が変わってるね、兄さん」
「まったくだ。どうしてこんな狭い家の中という範囲内でも正しく情報が伝えられないんだ。問題だろ」
僕は小さくため息をついた。
正確には翔が喧嘩を巻き起こしたのだ。
大方、さっき玄関で騒いでた誰かがそういう話を広めたんだろう。
そういうの簡単に信じちゃう寧々ちゃんが可哀想じゃないか。
「大丈夫だったよ。別に喧嘩になったわけじゃないし、武藤が助けにきてくれたし」
「うんうん。武藤さんが20人くらいいた相手を一瞬で片付けちゃったんだよ。武藤さんは本当に強くて凄いなぁ。僕もいつかあの人くらい強くなりたいよ」
翔はそうしみじみといった。
「そうだったんだ、よかった~。確かに武藤さんってめちゃくちゃ強いって聞くもんね」
武藤修は既に榛葉流剣術を免許皆伝している。対して翔は剣道においては有段者であって、榛葉流剣術においても優秀だがまだ免許皆伝には至っていない。そのことを翔は少し気にしているようだが、僕からすればそんなこと些細な問題だ。翔は剣術の才能があるし、近いうちに免許皆伝をするだろう。そしてそれは、おそらく歴代最年少になるだろうとも言われている。焦らなくてもすぐに武藤さんに追いつき追い越せるだろうと僕は思っている。
あ、ちなみに僕は既に榛葉流剣術は習ってないです。
じいさんや父さん、その他の榛葉流の師範の方々から才能なしの太鼓判を押されているので、僕は早々に剣術を諦めたのだ。
この辺り、兄弟でも差を感じるよね。
兄さんは悲しいよ。
「あ、そう言えば当主様が二人の事呼んでたよ? 部屋に来いって言ってた」
「げっ! まじかよ」
あのじいさん、いったい何の用だ?
嫌な予感しかしねーんだけど。
僕はまたもため息をつきたくなる。
「そういうことは先に言わなきゃいけないんじゃないのかな?」
翔は寧々ちゃんを窘めるようにそう言う。
「おい翔。そういう言い方しなくても……」
僕は慌てて翔を止めようとする。
「昴君、いいの。私が悪かったんだから……」
しゅんとしてしまう寧々ちゃん。
あーあ、女の子いじめたー。
悪い奴だー。
僕が心の中でやいやい言っていると、翔はすっと彼女に近寄って、その小さな頭に手をポンと置いた。
「……でもそれより何より、僕らの事心配してくれたんだね。ありがとう」
「うぅ……!」
寧々ちゃんが翔の手を頭に載せて俯きながら顔を真っ赤にしているのが、僕からはよく見えた。
ほんとまったく。
うちの弟はそういうの無意識にやっちゃうから困るよね。