011 炎の雨
【武藤修視点】
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
あっしは道場の床に膝をついてしまっていた。
背後にはこの家の使用人方が震えていらして、ここを引くわけにはいかないという気にさせられる。
が。
気合いだけではどうにも出来ず、目の前に立つ時田中尉の猛攻を防ぐだけで精いっぱいになっていた。専守防衛に長けた榛葉流剣術の戦い方としては正攻法なのだろうが、守っているだけでは勝てない。榛葉流剣術には相手を無力化する技を多々あるが、時田中尉の拳銃による牽制でそれもままならない。なにより背後を庇いながらというのが、難易度を高くしてやがる。
「……わっはっはっは。あの有名な榛葉流の武藤も、こんなものだったとはな。残念だ」
時田中尉はサーベルと自動式拳銃をあっしに対して構える。
「そろそろ終わらせようか。俺も暇じゃないんだ。手早くあの銀髪の小僧を殺して、任務完了だ」
やはりこいつらの狙いは昴坊ちゃんか……!
だったら。
あっしは立ち上がる。
「……あなたをここから行かせやしやせん。榛葉流免許皆伝者として、この家はあっしが守ります……!」
たとえ刺し違えてでも……!
敵軍リーダーのこいつを殺せば、統制は乱れる。そうすれば坊ちゃん方の逃げる時間が稼げる。当主様方も迎え撃つ体制が整えられるでしょう。
それがあっしにできる唯一の事。
ごろつきだったあっしを拾ってくれた当主様や、こんなあっしに優しくしてくれた坊ちゃん方に恩返しができるチャンスだ。
刀を握り直す。
「……時田中尉、いざ尋常に勝負!」
「返り討ちだ!」
時田中尉が拳銃をあっしに向ける。
黒い影。
あっしが足を踏み出そうとすると、誰かがあっしの目の前に突如現れあっしの歩みを止めた。
「……!?」
その人影には見覚えがあった。
「武藤殿。ずいぶん苦戦しているようですね。意外ですよ。ふふっ」
「……飛鳥班長。来てくださったんですね」
「榛葉家からの依頼なら我々も動かざるを得ない。他ならぬ『12番目』のためならね」
あっしが飛鳥班長と呼んだ人物が、あっしに下がるように手で示した。どうやら負傷しているのがバレている様子。
彼女は飛鳥久梅といって、メロディーライン譲原支部に駐屯する13班の班長である。その身を包む黒装束と長い黒髪を背中で一本に束ねている様が印象的な現代の忍者である。なぜ彼女のような忍者が反政府組織に加入しているのかは知りませんが、今はあっしらの味方になってくれている頼もしいお方です。
メロディーラインという反政府組織が保有する戦力を我々に傾ける事を厭わないほどに、昴坊ちゃんは重要なポストにいるということである。
あっしとしては、できれば彼女らとは関わらず田舎の名家の榛葉家の跡取りとして生きていって欲しかったですが、もうそうはいかないようです。
賽は投げられた。
「わっはっはっは! テロリストの飛鳥久梅か。ここで会えたのは幸運。銀髪ともどもここで打ち取って手柄を立てさせてもらおうか!」
時田中尉はサーベルを大きく振るって威嚇し、飛鳥班長を嬉々として睨む。
飛鳥班長はあっしとあっしの後ろにいる使用人達を一瞬見て、それからすぐに動いた。
「……ここでは皆さんを巻き込んでしまいそうだ。場所を移そう。ふふっ、でないと全力が出せないわ」
飛鳥班長は懐から取り出した手裏剣を時田中尉へと投げた。時田中尉はそれを難なくサーベルで撃ち落とすが、その隙に飛鳥班長は時田中尉の脇をすり抜け道場を出た。
「待て!」
時田中尉も飛鳥班長を追って道場を出た。他の国軍兵達も中尉に続いて道場を出て行ったために、道場内はあっしと使用人達だけになりやした。あっしは使用人達に家の奥で隠れているように言い、自分は加勢の為に飛鳥班長達を追って道場を出た。
使用人達に関しては、ここから抜け道へと移動するよりもメロディーラインという反政府組織の革命軍が応援に駆け付けてくれたこの場に留まったほうが安全だと判断しやした。
飛鳥班長が来たということは副班長の小清水さんもいらしてるだろうし、13班が出動してくれているなら戦力は一個小隊規模。今この場に展開している国軍と十分に渡り合えるでしょう。
とりあえずあっしも敵の司令官である時田中尉の撃退を助力しなければ。
あっしが道場を出ると、飛鳥班長と時田中尉が戦っていやした。飛鳥班長の得物は鎖鎌。それを巧みに使い、中距離から時田中尉へと攻撃を試みていた。
「わっはっはっは! さすが班長クラス! その鎖鎌使い、なかなかのものであるな!」
時田は嬉々としてサーベルを振るう。飛鳥班長が繰り出す鎖鎌の応酬を右手のサーベルでいなしつつ、左手の自動式拳銃で反撃を繰り出す。飛鳥班長はその素早い動きで拳銃で狙いを合わせる隙を与えない。
一進一退の攻防。
だがこれは。
「……うーん、これではいけない。思っていたよりも腕が立つ。ふふっ、だからこそ殺りがいがあるというもの。時田中尉、あなたは一つ勘違いをしている」
飛鳥班長は不気味な笑みを浮かべると共に鎖鎌による攻撃を止め、鎖を手元に戻す。
「なんだと」
「私は鎖鎌使いというわけじゃない」
飛鳥班長は懐からゴルフボール大の玉を取り出す。黄色い布のようなものでぐるぐる巻きにされた変わった玉だ。
「私はどちらかと言うとこちらの方が得意なんだ。味わってみるがいい」
飛鳥班長が手に持った黄色い玉を素早く時田中尉に投げつける。するとその黄色い玉は飛鳥班長の手を離れた瞬間に燃え、時田中尉へと迫る。
「……!?」
時田中尉は玉がいきなり燃え出したことに動揺しつつも、自らに向かってくる燃える玉をサーベルで断ち切る。
すると時田中尉が立ち切った燃える玉から炎が飛び散り時田中尉を襲った。
「しまった……!」
時田中尉は肩に羽織った臙脂色のコートで体中を払い、火を落とした。
「……その玉、中身は油だな?」
「ご名答」
飛鳥班長は懐から同じような黄色い玉をいくつも取出し、手に持って構える。
「私特製、『油女玉』だ。気に入ってくれたかな?」
飛鳥班長は手に持った油女玉を次々に時田中尉に投げつける。油女玉は飛鳥班長の手を離れた瞬間に燃えだし、地面に着弾すると弾け辺りに火と油をまき散らした。
ああ、飛鳥班長があれを使いだしたということは、もうこの屋敷は無事では済まないでしょう。
助けてもらっておいてなんですけど、もうちょっと周りを見て戦ってもらえないですかね?
そんなに炎撒き散らしたら、この屋敷全焼しやす。
時田中尉は最初のように油女玉をわざわざ叩き斬って油を撒き散らすような真似はせず、冷静に躱す。
「その玉が何かはわかった。だが一つわからない。どうやってその油の玉に着火している? そんな動作は見受けられないが」
飛鳥班長はその問いにニヤッとした笑みを浮かべる。その笑みを見た時田中尉はハッとした表情で何かを察した様子。
「……まさか貴様、『超能力者』か!」
飛鳥班長は答えない。
代わりに懐から取り出したドッヂボール大の巨大な油女玉を時田中尉の頭上へと放った。
「私は忍びだぞ? そう易々と口は割らんよ」
時田中尉は油女玉の大きさを見た瞬間にやばいと感じたのか逃げようとするが、遅い。
「さあ終わらせようか。ふふっ、最後は派手にいこう」
飛鳥班長は油によって燃える苦無を時田中尉頭上の油女玉に放つ。苦無はその勢いで油女玉を破裂させ、燃え盛る炎の雨が時田中尉を襲う。
「――火遁『日暮村雨』!」
「ああああああぁぁぁぁぁぁ!!」
全身燃え盛る時田中尉はしばらく悶えた後、地面に崩れて動かなくなった。
その光景を眺める飛鳥班長。
「……ふふっ、忍びの技にしては派手すぎたかな」
そう呟くと、残りの国軍の掃討へと向かった。
あっしの出番はなかったです。
【榛葉翔視点】
「――榛葉流奥義『木ノ葉返シ』!」
僕が振るう流れるような刀さばきが国軍の人達を跳ね上げ、無力化していく
。
自分で流れるようなって言うのはどうかと思うんだけど、事実それくらいしか例えようがないのだから仕方ないよね。
『木ノ葉返シ』は数少ない榛葉流の攻撃的技の中でも最も汎用性の高いものとして知られている。これが使えれば榛葉流と名乗ってもよいと言われるほどに。
「寧々ちゃん、大丈夫?」
僕は背後に庇っている我が家の侍女、寧々ちゃんへと振り返る。
「……あ、ありがとう、翔君……!」
寧々ちゃんは涙でぐしゃぐしゃになった顔を必死に隠そうとしているが、そんな様子を見て僕はほっと一安心する。
間に合ってよかった。
あと少し遅かったら寧々ちゃんは国軍の人達に見つかっていただろう。この家の侍女に過ぎない彼女がどういった処遇を受けるのかはわからないが、お姫様扱いとはいかないだろうね。
僕は刀を鞘に納め、地面に座り込んでしまっている寧々ちゃんの手を取り立たせる。
「早くここを出よう」
「え、は、あ、え、あ、うん、うん」
寧々ちゃんはなぜか顔を赤らめ言葉もしどろもどろになってしまっている。まだ怯えてしまっているのだろうか。こんな状況下だから仕方ないのだろうけど。
「か、翔君、昴君はどうしたの?」
僕は寧々ちゃんのその質問に押し黙る。
兄さんは。
兄さんはちゃんと逃げてくれただろうか。
「……大丈夫だよ。兄さんなら大丈夫さ」
僕は継承式の後父さんから聞いた言葉を思い出す。
『榛葉昴は人間ではない』。
僕はその言葉の真偽が分からない。
もしかしたら兄さんは僕と血の繋がった兄さんではないのかもしれない。
でもそれがなんだというのだ。
兄さんは僕の兄さんだ。
小さい頃からいっつも僕を守ってくれていた。
それに変わりはない。
屋敷の一角から響く轟音。見るとそちらの方角は火の手が上がっており、今もまさに空中から火の雨が降り注いでいる。
僕はもうこの家は駄目なのかもしれないと漠然と思った。
でもそれはこの建物が駄目だという話で、榛葉家が終わりだという話ではない。これからは次期当主の僕が榛葉家を守っていくのだ。
兄さん、一緒にこの家を守っていこう。
当主は兄さんじゃなくて僕になっちゃったけど、兄さんはそんなこと気にしないよね。
待ってるから。
この事件によって僕と兄さんの歩む道が分かたれたことを、この時の僕はまだ知らない。