2、サンタ退場
ごつい黒ひげの大きな男。
彼は裏通りをねじろにしたホームレス仲間から「ミーシャ」と呼ばれていました。見た目に似合わぬかわいらしい名前ですが、ロシア人っぽく見えるので、その昔のオリンピックの熊のマスコットキャラクターにちなんだ命名でした。
本人は自分がロシア人なのかどうか覚えていません。
ミーシャはクリーン氏に連れられて裏口から入ると、従業員の準備室でまずはシャワーを浴びさせられ、真っ黒なひげをきれいさっぱり剃ってしまうよう求められましたが、黒ひげは針のように固く、カミソリの歯が立ちませんでした。
それでしょうがなく、化粧品を使って真っ黒なひげを真っ白に染め上げました。
赤いズボンをはいて、赤い服を着て、赤いナイトキャップを被って、サンタクロースの出来上がりです。
「サンタクロースといえばお腹を抱えての特徴的な笑いだ。ホッホッホッホッホー。さあ、やってみよう」
「ほ、ほ、ほ……、んっんん。ヒイヒイヒイヒイヒイー」
「う~~む、ちょっと違うが……」
「あんたは上手いなあ。あんたがサンタになればいいじゃないか?」
「わたしはとてもサンタクロースには見えないだろう?残念ながら」
肩をすくめるクリーン氏は、とても穏やかな紳士の顔立ちをしているのですが、スマートすぎて、確かにサンタクロースは似合いそうにありません。
「ちなみに訊くがな、前任のサンタクロースたちはどういう風に消えたんだ?」
クリーン氏はまた困った顔で肩をすくめて言いました。
「約束の日に出勤して来なかったり、休憩時間が過ぎても戻って来なくて、そのまま消えてしまったり。電話をしても通じないし、住所を訪ねていっても留守だし」
クリーン氏はふと心配になってミーシャの顔を覗き込みました。
「君も怖くなってしまったんじゃあ……」
「いや」
ミーシャはニヤッと笑いました。
「何が起こるか、浮き浮きしてきた」
ミーシャはごく簡単にリハーサルを済ませると、
「さあさあ、急いだ急いだ」
と、さっそくキッズフロアに連れ出され、ファンタジックに飾り立てられたツリーを中心にしたクリスマスのジオラマセットを定位置に、サンタクロースの仕事を始めました。
「あっ、サンタクロースだ!」
サンタクロースが登場すると見つけた子どもたちが歓声を上げて集まってきました。やっぱりサンタクロースはクリスマスには欠かせない人気者です。
「ヒイヒイヒイヒイヒイ」
子どもたちに囲まれたミーシャサンタはくすぐったそうに笑い声を上げました。
「ヒイヒイヒイ。よしよし、みんなワシントンやリンカーンみたいに賢そうな良い子たちだなあ」
きっとお札の肖像画のことを言っているのでしょう。悪いアルバイトのサンタクロースですが、無邪気な子どもたちはサンタさんに褒められたと思ってニコニコしています。
「さあ、ツリーを前に写真を撮ろうか。おおっと、買い物が先だぞお? お父さんお母さんにクリスマスプレゼントを買ったレシートを財布から出してもらってくれ?」
確かにそれはお店としては本音なのですが、サンタクロースの発言としては現金すぎて、監督のクリーン氏は苦い顔をしました。
ともかくも子どもたちに列になってもらって撮影会が始まったのですが、列の先頭で、
「わーい」
とサンタさんの大きなお腹に抱きついた子は、期待していたふかふかの感触とは違う、固ーい、ごつごつした感触に笑顔が固まりました。お腹には綿を詰めているのですが、元々ミーシャの腹回りが大木みたいにどっしりし過ぎていて、丸いふかふか感が全然出ないのでした。
笑顔でスマホのカメラを構えるパパとママに向かって、
「ほおーら、笑顔だ。ヒイヒイヒイヒイヒイヒイ」
とミーシャサンタはサービス満点にスマイルしたつもりだったのですが、間近で下から見上げる子どもは、カラスのように真っ黒な瞳で、頑丈そのものの大きな歯を剥き出して笑うサンタが、今にも怪物に変身してガブリと頭からかぶりつかれるんじゃないかと恐い想像をしてしまって、じわりと涙をにじませると、
「うわあーーん」
と大声で泣き出してしまいました。
「おいおい、どうした? ほおーら、良い子が大好きな優しいサンタさんだぞお?」
と、ミーシャサンタは抱き上げてやりましたが、サンタを人食いモンスターが変装した物だと思い込んでしまった男の子はますます泣きわめき、その手から抜け出そうと暴れました。
母親が慌てて駆け寄ってサンタの手から男の子を取り返し、ママに抱きしめられた男の子は涙をぼろぼろこぼす目で振り返ると、
「このサンタ、偽者だよ!」
と大声で訴えました。ミーシャサンタはあっけにとられてしまって、母親は、
「ええ、ええ、そうね」
と男の子の頭を撫でてなだめ、ジオラマセットから離れましたが、監督役のクリーン氏の前を通り過ぎる時にすごく恐いひと睨みをよこして、
「もうちょっとましなサンタを雇いなさいよね!」
と鋭いクレームを突き刺していきました。
この様子に、嬉しそうに列に並んでいた子どもたちも不安そうな顔で付き添いのお父さんお母さんの手を引っ張り、
「そうね、サンタさんはクリスマスの夜にお家に来るのを待ちましょうね」
と、次々に列から離れていきました。
買い物がまだで列の外から見物していたちょっと年長の子たちが、
「やーい、偽者サンタ~~」
「おっかねえ~~」
とにくったらしくはやし立てました。
クリーン氏は頭を振って言いました。
「駄目だ、こりゃ」
そんな騒ぎを、ちょっと大人びて離れた所から眺めている一人の……少女が、いました。つばの長いキャップを被って、チェック柄のトラッドなコートを着て、小さなシャーロックホームズみたいな格好をしているのですが、つばの下で賢そうにキラキラ輝く大きな宝石のような瞳は、かなりの美少女です。
賢そうな彼女は、子どもたちのヤジにいたたまれずに退場していくサンタクロースの後ろ姿に、何やら企んでいそうな怪しい笑みを浮かべました。
控え室に退散したミーシャは、けっきょくクリーン氏から首を言い渡されました。クリーン氏の方も申し訳なさそうに、
「無理をさせて嫌な思いをさせてしまったね。アルバイト料は約束通り払うから許してくれたまえ」
と、さっそく自分のポケットマネーからきっちり2日分のアルバイト料を渡しました。
「いや、こっちこそ済まなかったなあ」
と言いながらちゃっかりお金を受け取ったミーシャは、子どもたちに嫌われたショックもないようで、嬉しそうにニイッと笑うと、
「あんた、本当にサンタクロースみたいな人だなあ? きっとクリスマスにはいいことが起こるだろうぜ、……ま、本当にサンタクロースなんてのがいるとしたらだがな」
と、お礼にお札を掲げて、廊下へ出て行きました。
残されたクリーン氏はため息をついて、
「今年のクリスマスはさんざんだよ」
と、すっかり諦めてしまったようです。
元の薄汚れた灰色コート姿に戻ったミーシャが従業員出入り口からひっそり表に出てくると、待ち構えていたように一人の子どもが歩み寄ってきました。あのミステリアスな美少女です。
「アハハ。おじさん、やっぱり首になっちゃったんだ? あの様子じゃ無理ないよね?」
あけすけに大人を小馬鹿にした言い方に、ミーシャも黒く戻った太い眉をひくりと動かして見つめました。
「なんだ、お嬢ちゃん? お嬢ちゃんも偽者サンタにクレームか?」
「ねえ、おじさん。わたしに雇われない? ギャラはうんと弾むわよ?」
「へえー」
上等な服装からもお金持ちのお嬢さんであるのは予想がつきますし、久々にありついたまとまったお金に欲が刺激されて、ミーシャは興味深そうにたずねました。
「俺みたいな恐ーいおじさんに、何をやらせるつもりだ?」
美少女はニイッと白く輝く歯を覗かせて言いました。
「おじさんにぴったりな、黒いサンタクロースになってちょうだい」