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怨霊怪異

 ろうそくの火は大きくなり、揺れていた。が、瞬間消えた。

 智紀は懐にしまいこんでいた短く作った注連縄と形代を数枚取り出した。


「来るか」


 智紀は先程より構えを深くとり、鬼の動きに備えた。

 既に形を成していると思っていた。甘かった。

 里美の悲鳴が背後から聞こえた。智紀が振り向くと里美の右足が黒ずみ始めていた。

 里美は黒ずむ右足に痛みが走り、痛みと恐怖で声にならない悲鳴を上げた。

 智紀は里美の右足に近付きながら、注連縄を黒ずむ右足の少し上の空中で輪にした。


「ここら辺かな、よっこらしょっと」


 智紀は輪にした注連縄をきつく締めると手応えを感じ、背負い投げのような形で鬼を投げ飛ばした。

 典明と里美にも鬼その物は見えなかったが智紀が投げ飛ばしたであろう方向の壁面の板がバリッと音を立てて折れた。


 智紀は一瞬だけ里美の足を見たが、呪縛には至って居なかった。智紀は一度床に置いた形代をまず二枚手に取る。


「形代護形、息長」


 そう言って二枚の形代を里美と典明の目の前に置く。形代は人の形を模しその対象となる人の身代わりになるとされる物である。

 そのまま智紀はもう二枚の形代を手に取る。


「形代殲形、香椎」


 そう唱えると二枚の形代を智紀は右手の親指と人差し指に挟む。

 その光景を典明と里美は茫然と見ていた。目の前で起きている事が現実かさえも感覚的には分からなくなっていた。


 智紀は少し焦っていた。大きくなった鬼の気配は既に具象化され、目視に至るものだと考えていた。

 気配を感じる事は可能だろう。しかし、相手の力によっては自らを散らす事も可能だった。それは霧状に変化するとでも言ったら良いだろうか。

 改めて智紀は投げ飛ばしたであろう方向を見ると足早に近付き、右手に持った形代を投げた。投げられた形代は鬼がいるであろう空間で灰になり消えた。


「これはこれは…」


 智紀は息をのんだ。ここまで悪鬼になっていた事と、もしかしたら里美を護りきれるかどうか。

 智紀は仕方なく、懐に手を入れる。


「きゃあああ」


 里美の悲鳴だ。

 智紀が振り向いた時、里美は壁から伸ばされた黒い影に引き寄せられ壁に身体を打ちつけていた。

 彼女を護る為の形代も既に灰となっていた。

 壁に打ちつけられた里美の首と左手が締め付けられ、里美は苦しみと痛みで涙を流していた。首が締まっている為声は出て居なかった。


「お前さえいなければ」


 地の底から響くような声を三人は聞いた。里美は訳が分からなかった。何故自分が恨まれているのか。


「やっぱりこれを使わないとか」


 智紀は懐から取り出した三枚の紙のうち一枚を右手に持ち、念じ始めた。


「頼みますよ、多岐都比売命」


 智紀が手に持っていたのは護符である。出雲文字に図形が書かれているがその意味は智紀や神道に通ずる人間が解るような物であった。


「大丈夫か、里美!」


 典明は目の前の光景に恐怖し、動く事が出来なかったが、里美が苦しむ姿に思わず叫んでいた。

 その叫び声を聞いた瞬間、鬼が一瞬だが里美を締め付ける力を緩めた。

 智紀はその瞬間を見逃さなかった。



  護符を里美を縛る影に貼り付ける。


 瞬間、

 護符は一瞬光を放ったかのように周囲を明るく照らし、影は消えた。

 そして、護符は何かに張り付いたまま音を立て転がった。

 里美は締め付けから解放され、床にうな垂れた。

 智紀は里美に駆け寄ると、里美に声を掛けて意識を確かめた。


「ありがと…う…ございます」


 里美は辛うじて意識はあった。智紀は里美にこれ以上は喋らなくていいと、目で合図をして護符の張り付いた物を手に取った。


「般若とはね」


 それは般若の面だった。

 智紀は納得した。ここまでの力を持つ鬼はそれ相応な鬼としか考えられなかった。

 智紀は面を懐にしまうと里美に声を掛けた。


「大丈夫ですか、里…」


 里美を見ると里美は一点を見つめて動けずにいた。


「ああ、これ夢で」


 里美はその光景を思い出した。

 夢で見たあの光景が今目の前で起こっていた。


「旅館じゃなくて、ここだったんだ」


 智紀は里美が見つめる方へ目をやると、典明が壁にいた鬼に取り込まれようとしていた。


「なるほど、やはり思念はそこか」


 智紀はもう一枚、護符を取り出す。


「お次は、市寸島比売命」


 先程とは違う文字が書かれた護符を、典明を取り込もうとする鬼に貼り付ける。鬼は悲鳴に似た声を上げ消えていった。


 どさりと音がして典明は床に倒れこんだ。それを見た里美は涙を流しながら痛む身体で典明に寄り添った。


「大丈夫ですか柏木さん」


「里美のに比べれば俺なんて」


「そんな、柏木さんを巻き込んでしまって私…」


 里美は典明の手を握り泣いていた。



「桐谷さん、残念だけど巻き込まれたのは貴女の方だよ」



 智紀の言葉に二人は硬直し、お互いに目を見合わせた。

 智紀は懐にしまった般若の面を取り出すと二人に話だした。


「今回の物の怪は鬼、それも般若という鬼なんだよね。二人ともこの般若の顔は知っていますよね」


 二人は頷く。


「この般若の面、これは女性の鬼なのさ、それも相当に怨みを持ったね。二人とも能の葵上という話は知ってるかな。元は源氏物語に由来するんだけど、源氏物語に六条御息所という人が出てくる。彼女は源氏と恋に落ちるんだけど、いつしか源氏の心は葵の上という人へ移ってしまう。そして六条御息所は葵の上に対する嫉妬心から生き霊となり、葵の上を結果呪い殺してしまうんだ。その生き霊を表現する時にこの般若の面が使われるのさ。まさに嫉妬が生んだ鬼という訳なんだよね」


 智紀は二人の様子を見ながら話を続けた。


「勿論、般若は葵上だけに使われる訳では無いけれど、まあ広く、そう女性の悪き心の具象化だよ。そして今回、なぜ般若が桐谷さんを憑き殺そうとしたか。それは柏木さんが桐谷さんと付き合う事を許せない人が居て、その人が般若という物の怪を生んだんだ」


 典明はそこまで話を聞いて、菜摘だと気がついた。そして、自分が優柔不断にここまで来た事で二人の女性を傷付けた事に後悔した。


「柏木さん、やはり貴方には思い当たる節があるようですね」


「はい」


「今回般若を生んだ彼女は、柏木さんと桐谷さんを苦しめた。けれど彼女も苦しんでいるんだ。般若の面は一見すると正に鬼の形相なんて言葉が似合う顔をしているよね。でもね、この面を額の方から見ると、悲しみ、苦しむ顔に見えるんだ。この般若は嫉妬や恨みの化身なのは確かなんだけれど、その実、それは相手を愛するが故に生まれた恨み。本当は恨みたくないのさ」


 典明は里美に菜摘との関係を伝えた。勿論それは今回の物の怪を菜摘が生んだであろう事を伝える事でもあった。


「菜摘先輩を救ってあげて下さい。私は待ちますから」


 話を聞いた里美は典明に菜摘の心を救って欲しいとだけ伝えた。もし、典明が菜摘の為に自分との恋愛を終りにするというなら諦めようと。


「ありがとう里美、自分の気持ちをちゃんと菜摘に伝えて里美を迎えに来るよ」


 典明は自分の思いを里美に伝えると智紀に聞いた。


「これからどうすればいいんですか?」


「柏木さん、正直まだこれからなんだ。普通なら柏木さんが彼女を説き伏せて彼女が納得すれば鬼は消える。ただ般若ほどに具象化された物の怪は消えない。むしろ依り代として、その彼女を憑き殺しかねないんだ」


「でも、般若はここに…」


「これね、これは比売神の多岐都比売命が物の怪の形に触れただけさ。だから形となってここにあるけれど、これが般若ではないんだよ。現に桐谷さんを解放した後も君を取り込もうとしたじゃないか」


「だったらどうすれば…」


「大丈夫、彼女の事を教えてくれるかい。僕が彼女を解きに行くから」


「だったら自分も」


「いや柏木さんは来ない方がいい、彼女の感情が般若を生んだけれど、彼女がそれをもはや制御出来るかわからないんだ。君が来ればもしかしたら、即座に君は憑き殺されるかもしれない」


 そう伝えると智紀は立ち上がり、二人にも動けるか確認をした。

 二人は起きた出来事に動転はしていたが、身体の痛みは引いていた。智紀が神社を選んだ事が功を奏したのだった。神霊地である寺社であったからこそ、鬼の力を多少なりとも削げていた。




 智紀は般若を生んだ菜摘にこれから会うのは自分の体力も含め厳しい、また宵の時間は物の怪に有利に働くと感じ、明日会社に乗り込む決意を固めていた。

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